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星の声を聴く子ども

Prologue

作者: 野堀ゆん

 僕らの家は雪原の真ん中にある。イナリという小さな町の小さな家だ。

 冬が来ると僕らの家のあたりは太陽が昇らない。セントラルヒーティングが家中を温めてくれているから凍えることはないけれど、人間が生きるには外気は冷たすぎる。故に僕らはこの家の中に閉じ込められている。正直囚人にでもなった気分だ。

 それでも僕らはここに住み続ける。故郷と同じ文化圏だし、自ら作った家だから愛着があるし、なにより人が少なくて無駄な音がないのがいい。これで<本部>からの呼び出しがなければ最高だ。

「早く応答して」

 リビングに響く、人間の可聴域を超えた二つのアラーム音を、妹は人ごとのように扱う。〈本部〉からの音声連絡は独自端末に入るため、このアラームが僕個人への連絡ではないことは明白だ。だが妹は頑なに連絡を受けようとはしない。

「そっちの方が近いだろう」

 本から目を上げずに言うと、大きなため息が聞こえた。まるでこんな簡単なこともわからないの、と言わんばかりに。

「私は今、紅茶を飲むのに忙しいの」

 匂いのきついブルーベリーフレーバーティに夢中な妹は自分の端末に見向きもしない。

 釣られるように大きなため息を吐く。妹は言い出したら主張をTecoでも曲げない。

「わかったよ」

 右手を宙に振れば自動で僕の端末は<本部>との連絡用端末に接続する。<本部>から僕たち二人へ同時に発信される内容は同一なので、どちらかの端末で受ければ問題ない。とはいえ、妹が決して<本部>支給の個人の端末を持ち歩かないのも、<本部>との通信に決して接続しないのも困りものだ。<本部>もいつか僕にだけ連絡してくるようになるのではと心配している。

『<双子>へ伝令。ディアデム方面に微動あり。要調査。緊急度、低。本日中に資料を受け取り、任務開始』

 〈本部〉から届く合成音声はいつもながら無機質で、この冬の闇から隔離された橙色の明かりの部屋にはレトロでお似合いだ。

 簡潔な通知は数十秒で終わる。僕らに任務への拒否権はないため、常に任務内容が一方的に伝えられ、通信が一方的に終わる。アラームが鳴っている時間のほうが長くなるのはいつものことだ。

「だ、そうだ。〈本部〉に行ってくる。急ぎじゃないそうだけど、とりあえず泊りの準備だけしておいてくれ」

「大変ねえ」

「代わりに資料を取りに行ってくれれば、いや、せめて一緒に<本部>まで行ってくれれば往復の手間が省けて僕ももっと楽なんだろうなあ」

 僕の嫌味は妹の心に一切響かない。ヤパニの言葉で言うところのバジトーフーというやつだ。

 妹は、赤いひじ掛け付きの一人掛けソファに沈み込むように座っている。ラグを敷いていない木の床はどんなに家中が温められていても底冷えする。足を柔らかなソファに上げれば全身が沈み込むしかなくなる。足を黄緑をベースにした車両模様のワンピースの中に隠すように座れば、まん丸の姿になる。

 妹は<本部>に行きたがらない。理由らしい理由といえば、面倒くさいということと、気が合わない同期の<姫君>と何が何でも顔を合わせたくないということ。仕事のエスケープ理由としてはくだらない理由ばかりだ。

 僕は肩をすくめ、リビングを出ようとしたところで、ふと思い出したことがあり振り返った。

「……ああ、そうだ。忘れていた。今日は一緒に行こう」

「何故?」

「最近実家に帰ってない。ついでに寄ろう」

 妹は紅茶のカップをサイドテーブルに置くと、椅子にまっすぐ座り直した。

「そうね、そろそろ顔を見せないと面倒なことになりそう」

 小さい頃に<調律師>としての能力を認められ、僕らは親元を離された。それから六年以上経っているのに両親、特に母の中ではいまだに僕らが十歳だった頃の印象でアップデートが止まっている。たまに甘えてやらないと何も言わずに突然ここまで来たりする。機密資料を広げていた時など母を吹雪の中で待たせたり、山盛りの紙を納戸に押し込めたりと大惨事だ。

「実家で待ってるから行ってきて」

 妹は紅茶のカップを手に食器洗い機へ向かった。どうあっても<本部>に行く気はないらしい。

 僕はもう一度肩をすくめると、二階の自室へ荷物とコートを取りに戻った。ついでに玄関先で地上用シャトルを呼び出す。

 イナリは実家のある首都から離れた場所にある。かつてはイナリにも人がそれなりにいたそうだけれど、今となっては僕らの家とあと数軒の家があるだけだ。しかも家々はそれぞれ遠く離れている。学校はない。店舗は交通事情と通販事情の改善によりすべて撤退した。もはや町どころか集落と呼ぶのもおこがましい。耳に入る音は風の音と<星々の奏でる音楽>の残響くらいなものだ。そんな田舎なので移動にはどうしたってシャトルが必要なのだ。

 使い慣れたトランクに念のため着替えやハンカチを二日分詰め込む。トランクにはすでに、胃薬や風邪薬などの医療品一式、櫛やらクリームやら身だしなみを整えるもの、タオル、洗濯用粉せっけん、洗濯干しのロープ、保温カップ、ティーバッグ各種といった最低限旅行に必要なものが入っている。金や身分証といった貴重品、仕事用の文房具や資料入れはリセ・サックの中に入れてある。

 <調律師>は宇宙を駆け巡る。補給はステーションや手近な星で簡単にできるとはいえ、そこに僕ら好みのものがあるとは限らない。生ものについてはあきらめるほかないが、それ以外ならば持てるものは持って行ったほうがいいし、毎度のことなので荷ほどきするのも無駄だ。結果、薬や日常品を家とトランクで二セット常備することになる。

「……シャトルが欲しいな」

 いつも言う、でも言っても仕方がないことが口をついて出る。

 <調律師>は稼ぎが悪いわけじゃないから、一般に高級品とされる自家用シャトルくらいキャッシュで買える。だが<調律師>は大人になればできない仕事だ。うっかりシャトルを買ってしまった<調律師>たちはたいてい大人になってシャトルを持て余す。維持費がチャーター代を大きく上回るのだ。結果、2束3文で売る羽目になる。先輩からのアドバイスとして「シャトルだけは買うな」という言葉が脈々と伝わるほど、<調律師>がやりがちな失敗なのだ。

 だから僕らもシャトルは買わない。大人になって必要になれば貯蓄から買えばいいだけで、今決断する必要なんてない。よって仕事のときは母星用と宇宙用の二台、シャトルをチャーターすることになる。経費処理されるから僕らの懐も痛まないし。

 それでも自前のシャトルがあれば船によりたくさんの備蓄が可能だし、毎回荷造りをしなくていいのにとぼやいてしまうのは、まあ、いつものお約束というやつだ。

 妹が階段を上る音が聞こえる。家の中で妹はヒールのない柔らかい革底の靴を履く。足音は外で聞くよりもずっと鈍く響く。

 荷造りを終えた僕は防寒具を身に着け、トランクを手に一階へ戻った。妹の荷造りは僕の倍以上の時間がかかる。薬などの必要物は僕に全部持たせてるにもかかわらずだ。同じサイズの鞄を使っているはずなのに、妹の鞄からは理解しがたいくらい大量の服が出てくる。どうやって詰めているのか一度見てみたいくらいだ。

 三重硝子の扉と風除室、そして木製の扉にはめられた硝子越しに外を見れば、雪原と暗闇だけが広がるばかりだ。迎えはまだ来ない。羽織った黒のコートはひどく重い。玄関先に置いた色とりどりのラナンキュラスだけが僕の目を楽しませてくれる。

 <本部>まではワープロードを使うが、この豪雪地帯にワープロードはない。ワープロードは常に動いている道、すなわち機械である以上天候に状態が左右される。イナリでは人口に対しメンテナンス費が合わないのだ。最寄りのワープロードまで小型シャトルをチャーターして行く必要がある。

 暗闇の雪原を眺めていると、時々僕は不意に宇宙空間を思い出す。仕事のために何度も行った宇宙空間は、暗黒物質に埋め尽くされているにも関わらず虚空に見える。突然外に放り出されたりなどしたら、死以外の選択肢しかない空間。そう思えば、僕らの家の周りに広がる生物の気配のない空間もかわいいものなのかもしれない。少なくとも一瞬で死んだりはしない。上着を着ないで外に出ても十秒くらいはもつだろう。多分。


 「調律師」という言葉を辞書で引けば一番初めに「楽器の音を整えることを生業とする職業あるいは人物」と出てくるだろう。一般に言う調律師は辞書の通りだが、僕たち<調律師>はつい二百年前に新たに付け加えられた意味のほうになる。

 僕たち<調律師>が調律するのは楽器ではない。世界そのものだ。

 世界に耳を澄まし、通常の生物の可聴域を超えた「世界の音」を聴く。僕たち生物が生きるのに最適な音楽を世界が奏で続けるよう、不協和音を一つ一つ取り除いていく。それが僕たち<調律師>の仕事だ。

 世界のバランスを整えるため、常識ではありえない超常現象を解体することもあれば、木から一つ果物をもぐだけのこともある。場合によっては住人ごと惑星一つを破壊することだってある。全ては僕たちが平穏無事に、永続的に生きながらえるために行われる最大多数の最大幸福の追求だ。


 ワープロードの先は徒歩での移動となる。

 <調律師>を束ねる組織が<本部>を構える場所には、かつて街があった。昔はそれなりの人口があり、高速列車も通っていた商業都市だったという。今はもう落ち葉の中に使われていない線路が残るばかりだ。

 ワープロードが実用化するよりずっと昔、人口減少により街が消滅して以来、かつて街があった場所に普通の人間が寄り付くことはない。そのため<本部>へは直接ワープロードが整備されていない。表向き、人のいない場所にワープロードは必要ないからだ。

 <調律師>は公共の仕事なのだからワープロードくらい整備してくれてもいいんじゃないかと思うけれど、なにぶん世界を整える仕事というのはどうにも敵やら利用しようとしてくる面倒な輩が多く、あるがままに滅びたいやつらとか、思うがままに誰かを滅ぼしたいやつらとか、<星々の奏でる音楽>を否定し学会で優位に立ちたいやつらとか、とにかく変なやつらに絡まれやすい。テロ対策も兼ねて<本部>は地球なんて辺境の星の、既に滅んだ街などという辺境に構えられている。誰もいないはずの場所にワープロードを開通させて、面倒なやつらにわざわざ「ここにいますよ」とお知らせする必要がない。よって、僕たちはこうして徒歩を強いられている。

 人が住まなくなってからかなり時間が経っているため、線路の周りはもはや森と言っていい。このあたりはイナリとは違いまだ秋だ。広葉樹が赤や黄色に染まっている。すなわちたいそう埃っぽく、黒い革靴で歩くような場所ではない。実家に帰ったら一度靴を磨かないと。

 三十分ほど歩いてゆくと、突然レンガ造りの大きな建物が現れる。かつて銀行として使用されていた堅牢な建物だ。街の建築物の大半は失われたか、半壊状態か、外見だけ壊れているように見えているかだ。この建物も蔦が絡み、一見廃墟のようだが、よく見ると建物自体はきれいに残っているのがわかる。銀行であったゆえにもともと丈夫に造られていたのがきれいに残っている一番の理由だが、この建物が現役であることも大きな理由だろう。人がいないと建物はあっという間に朽ちていく。

 後から作られたという、それでも古い木製のテラスに上がり、玄関扉を目指す。曇り硝子のはまった木製のドアは、軽く押すだけで開いてしまう。不用心なようだが、ここは<本部>のため、二心がある者が触れればその心を感知し、即座に排除される仕組みになっている。科学的に言えば、ドアノブに認証装置が大量についているため、関係者でなければ開けることはできない。

「こんにちは」

 かつて銀行窓口だった飴色の木製のカウンターに向かえば、奥に座る、以前<調律師>だった女性が無言で資料を出してくる。カウンターの上をすべるように差し出された資料を見れば、「かみのけ座ディアデム方面から観測される<星の奏でる音楽>に乱れの兆候有。確認し、問題ないようであればそのまま、問題が発生するようであったら芽を摘め」と書かれている。書類にはシャトルの切符も添付されている。

「つまらない仕事だなあ」

 そう、あまりにもつまらない仕事だ。

 世界は音楽に満ちている。音階という型の中に分子が収められ、物質は今現在の世界において最適な形をとる。逆に言えば、世界に満ちる音楽に乱れが生じれば僕らの肉体や星といった物質の形が現在の世界における最適ではなくなり、有様を変化せざるを得なくなる。ひどい時は形を保てなくなり、生き物は肉塊に、星は塵芥となる。

 だから僕ら<調律師>と呼ばれる子どもは世界に耳を澄ます。世界が僕たちの望む形のままあり続けるように。

 当然、花形の仕事といえば世界の危機を救う仕事となる。世界の崩壊を防いだ大英雄だ。それに比べ今回のメンテナンス業はなんとつまらない仕事なことか!

「僕たちは充分仕事をしているじゃないか。それに見合った大仕事を回してくれてもいいだろう」

「ええ、あなたたち<双子>は充分な働きをしてくれています。けれどむらっけがあるでしょう」

「Murakke?」

 ボブカットの女性の眼鏡がきらりと光ったように見えた。

「この間も任務が終わったにも関わらず、すぐ報告しなかったでしょう。おかげで<本部>では状況の把握が遅れたのよ」

「<本部>でも世界の音を観測してるんだから、報告しなくても結果はわかるのでは?」

「そういう問題ではないのよ。あなたたちの安定しない仕事ぶりを上は問題視してるわ。今はまだ問題がなくても、今後大いなる問題につながるのではないかってね」

「つまり、これは懲罰ということ?」

 カウンターに腕を置き、硝子越しに彼女をまっすぐ見ても、彼女の表情は一部も乱れない。面白い人だ。彼女に与えられた<調律師>としての名が何だったのか興味がある。

「そんな大げさなことじゃないわ。ただ、初心を取り戻しなさいと言われているだけ」

「初心、ねえ」

 昔のことを思い出してみても、僕らが従順で穏やかであった記憶などない。

「いい? どんなにつまらない仕事であっても、きちんと遂行するのよ」

「いつだって僕らはどんな仕事でも指示通り期限通りをモットーにやり切ってると思うけどね」

 資料とチケットをリセ・サックに収める。<本部>に長居をしてもこれ以上情報は得られない。こんなところでOILを売るくらいなら早く仕事に向かった方がいい。

 僕らは世界を包む音楽を感知することができても<星々の奏でる音楽>そのものを聴くことができるわけじゃない。<星々の奏でる音楽>は僕らには感知できない崇高なもの。神の声と言ってもいい。<調律師>だなんて名乗っているけれど、ここにいる<調律師>誰もが「なんとなく違和感を覚える」程度の能力しかない。僕らも含めて。<本部>だ、世界を救った大英雄だ、なんて言っても所詮はその程度だ。<調律師>の存在を疑う連中が一向に減らないのもうなずける。<調律師>の僕が言うのもなんだけど。

「ところで、お姉さん、結婚が決まってよかったね。おめでとう!」

「な!?」

 さっきまで物静かにしていたお姉さんが甲高い声をあげれば、他の職員がその声に驚いてこちらを見る。

「んー、昨日かな。相手は……」

「人の音を勝手に聴くのはマナー違反よ!」

「心外だなあ。勝手に聴かせてくるのはそっちじゃないか。僕だって好きでのろけなんて聴いたりしないよ。音は勝手に耳に入ってくるんだから。経験上わかるだろう、お姉さん?」

 くすくす笑いがおさまらない。

「それじゃ、お姉さんの言う通り、真面目に任務遂行してきまーす!」

 「待ちなさい!」という声とそれをかき消すような祝いの声、「結婚するなら税金まわりの書類を準備するから早く提出して!」「旅行に行くなら有給申請は早めに!」という事務員たちの悲鳴を尻目に僕は<本部>を飛び出した。


「メンテナンスなんて……面倒くさい」

「元はそっちのせいだからな」

 かみのけ座方面に向かう乗り合いシャトルには、僕らしか乗り込んでいなかった。

 星間物質の少ないこの方角は、窓の外が比較的クリアに見える。銀河も多く、風景に見ごたえがあるのだが、いかんせんどうにもこちらの方角は人気がない。開発されていないわけでもないので、シンプルに人気がないとしか言いようがない。理由は知らない。

「好きなブランドの新作販売時間が近いからって仕事を放り出すやつがあるか」

「限定三着よ!? 近くに寄ったなら当然買いに行くでしょう。そもそも別行動にしてそっちが報告しに行けばよかったじゃない」

「なんでもかんでも僕一人にやらせようとするな」

 シャトルは銀河の極北へと静かに進んでいく。

 ディアデムに到着したらすぐさま個人シャトルをチャーターする。大まかな方角しかわからない以上、ここから先はしらみつぶしだ。

 四人しか乗れないシャトルの後部座席で、僕らは耳を澄ます。

「聞こえるか?」

「さっきより聞こえないわね」

「一度戻ってください」

「あいよ」

「左に進んで」

「あいよ」

「半回転」

「あいよ」

 <調律師>の注文は奇怪だと、普通のシャトル運転手は僕らを敬遠する。何をしてるかわからないし、何をしているかも教えてもらえない。金を積まれても不気味に思うのは致し方がない。

 そのため頼むのはいつも同じ人になる。今日も、ディアデム方面でいつも頼むおっちゃんに頼んだ。おっちゃんは<調律師>がよくわからないから、かえってかしこまらずにいてくれて気が楽だ。

 いっそいつも引き受けてくれる運転手を<本部>専属になってもらえばいいと思うのだが、人件費がどうこう、守秘義務がどうこうで<本部>はシャトルの運転手を身の内に入れるつもりはないらしい。引退した<調律師>の就職先にもなるだろうに何を考えているんだか。

「ここか」

「ここね」

 星間を動き回り、最終的に一つの星に絞り込んだ。岩石惑星で、見たところ植物と水の惑星だ。季節があるのかないのか、見た目ではわからない。全体がビリジアンとライムイエロー、マリンブルー、そしてオフホワイトだけでできている。

「あの星なら、地球出身者は宇宙服なしにおりることができるな。大気の成分や重力の強さがほぼ地球と同じだ。放射線量も問題ない。ただ、どんなにきれいに見えても水は飲むんじゃねえぞ。というか、触れるな。触れただけで致死量の毒が体内に入って即座に死ぬからな」

「なんて恐ろしい星なんだ! 水さえ触らなければ安全だとは!」


 名もなき岩石惑星は本当に見た目が地球にそっくりだった。ハビタブルゾーンに位置する無名の星には水があり、植物が生い茂っていた。水は透明で川底が見える。たしかに何も知らなかったら水に手を浸したくなるところだ。辺りには虫も、動物も何もかもいない。毒で死ぬのだろう。正に植物の楽園だった。

 動物が食べているわけでも、誰かが刈っているわけでもないのに、この草原には僕らの膝より高い草はない。敵がいないのだから伸び伸びとすれば良いのに。僕たちは草に露がついていないか丹念に確認しながら踏みつけて道を作りながら進んでいった。

 風の音と、木の葉が揺れる音だけの星を僕たちはゆっくり歩いていく。さざ波のように揺れる草を踏むのには骨を折ったが、帰りのためだ。念入りに踏みつけていく。草を踏みつけても<星々の奏でる音楽>に異変はないから問題ない。

 草を踏みつけているうちに気づいたことだが、この草原には生き物どころか石すらない。土はあるのに不思議なことだ。

 草原には時折大きな木があり、その周りだけはより草の背が低い。植生が異なるようだった。

 最も異音を感じたのは草原のど真ん中だった。

「ん?」

「あら?」

 木陰を抜けて三歩歩いたところで僕らは勢いよく振り返った。異音の発生元を通り過ぎたのだ。

 ゆっくり二歩戻ると、異音は足元から聞こえてきた。

 火山どころか山すらないのに、木の根と草の隙間から赤土が見え、いくつか石が転がっている。岩石惑星なのにこの星に来てから初めて石を見た。

「これかな」

「そうね」

 僕が手を伸ばし、転がっている石の中から小石を一つ摘み上げる。

 なんてことはない小さな石だ。緑がかった色が珍しいといえば珍しいが、この広い宇宙で全く見ないかといえば、飽きるほど見るとしか言いようがない。真っ白な石よりは珍しいくらいの珍しさだ。

「異音が止んだな」

「根の上に石があって邪魔だったってこと?」

「さあ、どうだろう。ちょっと別のところに置いて確認してみるか」

 僕らは木を離れ、草原の真ん中に石を置いてみた。

「異音がするわね」

「だな」

 他の場所に置いてみても結果は同じだった。

「推測するにこの石がこの星のものじゃない、ってとこか。火山がないのに火山性のような赤土……僕は地質学には全く明るくないが、赤土の星に緑の石は違和感がある……気がする」

「sHittaka Buriはよくないんじゃない?」

「はいはい。わかったわかった。僕が悪かった。さっさと石を持ち帰って<本部>に預けよう」

 緑の石を手の中で転がす。平行四辺形の石は表面が滑らかで、手遊びには良い石だった。

「あーあ、つまんない。世界の異音を感知したって言うから駆けつけてみたら石拾いだなんて」

「まあ、この小石一つが宇宙崩壊の引き金になるかもしれないんだから。それを事前に取り除くことができたってことさ。大問題が起きてから慌てて騒いで事態を収拾するやつより、日々地道にメンテナンスしてるやつのほうが偉いってことさ」

「……<王子様>みたいなことを言うわね」

「気色悪いこと言うなよ」

 頭の中にトンカチより頭が固い男の顔が蘇ってくる。BirdSkinが立った。やめてほしい。

「ま、<王子様>はさておき、メンテナンスしてる人間のほうが偉いってのは正しいわね。問題を起こしておいて騒動をおさめたってマッチポンプだわ。でも私が言ってるのはそういうことじゃないの」

「じゃあ何だっていうんだ」

「つまんない、って言ってるの」

「刺激が欲しいなら恋でもしてみたらどうだ。たとえば、<王子様>とか」

 僕のカルKuChiに、妹は死にそうな顔をした。よく見ると袖の口からBirdSkinが立っているのが見えた。

「嫌よあんな、見た目も性格も四角四MENな男……ありえない。<天秤>の片割れのほうがまだましよ」

「……そうか? <天秤>は誕生日には百本の赤いバラを送らねばならない、とか言いそうでなあ。妹をくれてやる候補にはならないんだが」

 ははは、と笑ってやる。

 草原の中を風が吹いていく。妹の長い髪とスカートを、僕の短い髪をさらっていく。雲一つない青空。遠くに僕たちの乗ってきたシャトルが見えた。今からこの距離を戻ると思うとうんざりだ。革靴が砂ぼこりで白く汚れてしまう。

「平和ねえ……」

 妹がひどく気の抜けた声で言った。

「ああ。この平和も僕たちがこの石ころを拾ったお陰なのさ」

 拾った石を宙に軽く投げて遊ぶ。平行四辺形の石は風に吹かれようともまっすぐ僕の手に落ちてくる。

「そうねえ。でも、もっと能力が活かすことができたうえで、私が私としていられればいいのだけど」

「能力を活かしたからこの石を拾ったんだろう。僕たちは世界の救世主ってところだよ。僕たちは、あるがまま、僕たちであるじゃないか」

 そうねえ、と妹は再び言った。

「でも、私、つまらないわ」

「贅沢だな……まあ、僕たちが<調律師>でなかったら、今頃毎日家と学校を往復するだけのもっとつまらない毎日だっただろうさ」

 妹の気持ちはわからなくもない。普通の人のように僕たちは家と特定の場所を往復する人生を送ってはいないけれど、結局のところ家と仕事の往復でしかない。代わり映えのしない毎日は退屈だ。それでもまあ、ほどほどに折り合いをつけていくのが人生ってものなのだろう。

「今の僕たちは多少仕事にとらわれているとはいえ、行きたいと願ったときにどこへだって行ける。まだましってもんさ」

「それもそうね」

 妹は肩をすくめると、それきりおし黙ってしまった。いつもこれくらいおとなしくしてくれたら助かると思ったのもつかの間、結局妹は僕に事務仕事を押し付けるだけ押し付けて新作ヘッドドレスを買いにどこかへ行ってしまった。ちゃんと仕事しろ。

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