永遠の君
マスターはあふれんばかりの喜びの中で言葉を発した。
「今から、君たちに〈永遠の君〉を示そう!」
「永遠の君・・・?」
ウミが聞く。
「〈はじめのこころ〉の別名でもある。」
「〈はじめのこころ〉には〈名前〉があったの?」
「せや。
名前がある。
どんなものにも名前があるように。
そして、その名前は単なるタグや区別の仕方ではない。
名前はいのちそのものなんやで。
そのいのちの本質や。
〈はじめのこころ〉は、考えの中だけに存在する人間とかかわりのない空虚な原理などではないんや。
無限のかなたにある手の届かないかなたの存在やない。
本当に生きて活動して、私たちと交わる。
そのことを知っていてほしい。
〈はじめのこころ〉は人間に語り掛けてほしいんや。
それで、みずから名前を名乗りはるねん。
親は、はじめは赤ん坊に対してただ一方的に愛情を注ぎ呼びかける。
しかし、赤ん坊が大きくなってくると、パパやママと呼びかけられることに喜びを覚えるわな。」
マスターの語り示す〈永遠の君〉がまるで彼の身体、心のすべてにいきわたり、響き、直接四人に語り掛けていることが感じられた。
「私たちは、自分で自分自身を作り出したわけやないやんな。」
「はい。」
「はじめに、〈わたし〉はないやんな。
〈わたし〉が〈わたし〉となるためには、まず、親や育ててくれる人の〈語りかけ〉が必要や。
何度も何度も、赤ん坊は語りかけられて、〈わたし〉を獲得する。
のちに、〈わたし〉は〈わたし〉を自ら育ててゆくことを覚える。
自分が自分であることを知るためには、まず、〈あなた〉〈君〉と呼べるような存在がないとあかん。
親や周りの人びとからの語りかけによって、〈わたし〉は〈わたし〉であることを知る。
しかし、それは、肉体と環境のあいだにある小さな〈わたし〉や。
やけど、この〈わたし〉は深い〈こころ〉の奥底では、永遠の〈わたし〉を予感している。
そして、その奥に響く〈君〉の呼びかけを・・・。」
ソラは、深く心の奥で予感はして期待はしていたが、今まで体験したことのないような大きな衝撃に包まれた。
そして、なんとかして、そのしるしや記憶をこの地上に形にとどめておきたい、そう思った。
しかし、次の声が天から響き、ソラをおしとどめた。
「私はここにいるよ。
いつでも君のそばにね。
だから、その必要はない。
いつでも、君の心を振り返れば・・・。」
時間と空間がカーテンのように裂けた。
そしてその裂け目から〈存在〉が流れ込んできた。
四人は、その〈喜びの生命の海〉に包まれた。
その生命の海は、全く限界がなく無限であった。
〈永遠の君〉の顔も姿も形も、四人は見ることが出来なかった。
というのも、〈永遠の君〉はいかなるこの世界における顔も姿も形も比べるべくもなく、超え出ていたからだ。
しかし、〈永遠の君〉がマスターと同じであり、また四人が同じ〈永遠の君〉の生命の中で完全に一つになっているのだった。
そこで、ソラは本当のソラであり、
ウミは本当のウミであり、
レイは本当のレイであり、
ハルは本当のハルであり、
誰しもが、「この自分でよかった」と思えた。
そして、また、互いに「この人がこの人でよかった。この人に出会うことが出来てよかったのだ。」と心から思えた。
そして、互いの幸せを心の底から祈りあい、ただそこにいることに喜び合うことが出来た。
仲間・・・友達・・・友情・・・愛。
ああ、人間とは・・・
人間とは、本当は愛なのだ。
存在とは愛なのだ!
それこそが、人間のもともとの姿なのだ。
ハルは、もはや憎しみを抱こうとしても無理だった。
どうしていいか分からなかった。
人は、完全なまでに愛されて、受け入れられると、その必要がなくなるのだ。
恐れを抱こうとしても、孤独を感じ取ろうとしても、
苦悩や絶望を思い出そうとしても・・・
まるで、スイッチを入れてもそこに電気が通っていないかのように・・・。
この世界に生きるすべての人々を愛おしく思えて仕方がなかった。
もし・・・地上のありとあらゆる栄華と成功と名声を手にし、
世界中のすべての人がうらやむ幸福を実現した人間がいたとして・・・
そして、不幸なことに、その人間が一瞬にしてそのすべての幸福を灰燼に帰された挙句、自らも病気になり、世界中の人々から「ああだけは死んでもなりたくない」というほどまでの苦痛を味わい、絶望が訪れたとしても・・・
しかし、もし、ほんのわずかでも・・・針の先ほどでも、〈永遠の君〉のこの〈喜びの海〉に触れたなら・・・
それまでのすべての苦しみなど本当に取るに足らないほどの喜びがその人の〈こころ〉にあふれ出してあふれ出して世界を覆うほどになるかもしれない。
誰もが夢見る如くであったが、ひょっとしたらこちらの方が圧倒的な現実であり、
世界の方が肉体という小さな箱に出力された限定的な場なのではないかと思われた。
ハルはあの夜、ウミに抱きしめられた時、天にも昇る気持ちであったが、今はあの喜びが完全に完成し、そして時間をこえて永遠なるものに昇華されたようにも思えた。
「ああ・・・オレは傷ついて良かった。苦しんでよかった。見捨てられてよかった。
すべては、この日のためにあったのだ。
その傷がなければ、あの後悔がなければ、あの罪がなければ、ここに流れてくることはなかったのだから。」