幸福の秘訣
「・・・そう。
辛かったんだね。
苦しかったんだね。
悔しかったね。」
ハルはそんなことを言われたのは人生で初めてだった。
一瞬心の中の何かが急速にほどけていくようだった。
「たしかに、ハル、あなたの言う通り。
歩んできた人生も、誰もがそれぞれ全く違う。
経験してきた苦しみも、喜びも、問題も・・・。
似ていることはあるかもしれないけれども、全く同じものなんて、ない。
人は人のことは決してすべては分からないし、誰かの人生の代わりを生きることはできないわ。」
「君は、そういえば遠い国のお姫様なんだってね。
幸せそうにしているのは、そういうご身分だからなのかい?」
「たしかに、ウミは幸せです。
だけど、身分は関係ないよ。
身分が高くても、不幸な考え方や生き方をしていれば、不幸に違いない。
ウミが幸福なのは、それは、関わる人みんなを幸せにするにはどうしたらいいかということをいつも考えているから。
そして、ウミ自身の嫌なこととかはあまり思い出さない。
あまり問題だとは思わないの。
そして、幸せな理由のもう一つは、ウミのことを支えて生かしてくださる大地と宇宙のすべてのこと、関わる全ての人に感謝をしているから。
ウミには、出来ないことがあまりにもたくさんある。
だけど、自分自身のことを好きでいて、ぜんぶ、受け止めることが出来たら、幸せなの。」
「おめでたい性格だね。
そりゃあ、偶然そういう環境に生まれたからでしょう。
そんなことができるものなのかい。」
「自分を好きになるためには、鏡のように自分のことばかり見ていてもだめなの。
自分の中にこもっていてはダメ。
他の人・・・とくに、一番困っている人のところに出向いて行って、助けるための手を差し伸べること。
そして、一緒にただいること。
喜びや苦しみを分かち合うこと。」
「そんなことでいいのかい。」
ハルはどう言葉を返すべきか分からなかった。
「ああ、それは確かに大切なことだね。」
などという返答は、自分のところで、今沸き上がり、開かれようとしている、自分の心の奥のあたたかい真実をせき止めようとすることのように思われたのだった。
ハルはウミの目を覗き込んだ。
この少女の言葉の奥にある〈幸せ〉の秘密を、自分の中に・・・この汚濁にまみれた真っ黒な心の中に一滴でも染み込ませれば。そう思った。
ウミの話は、おそらく全ての人が生きる上で最も大切なこととして、こころの奥深くに刻まれていることに違いなかった。
もっともっと、自分自身に近い、ごくごく単純極まりないもので、その単純さゆえに見えなくなっている「たいせつなこと」・・・。
ウミは言った。
「あなたが、一緒に居てくれること。
ウミはそれが一番うれしいです。
ハル、いてくれてありがとう。
出会ってくれてありがとう。
ハルなら、これからも絶対に大丈夫だからね!」
「あ・・・うん。
ありがとう。」
二人が話し込む大きな樹の上には満天の星空が輝いていた。
それは、もはや虚空でも暗闇でもなかった。
「・・・これは、みんなには秘密だよ。」
ウミは唇に指をあてて、ハルに近付き、その背中に両腕を回した。
ハルの胸にまだあどけないウミの柔らかな顔の感覚があたる。
「いいこ、いいこ。」
ウミは、ハルの背中をやさしくトントンと撫でた。
「今まで、よくがんばってきたね。
もうこれからは大丈夫・・・大丈夫だから。」
そうささやいてから、ぱっと離れ、そのまま小走りでみんながワイワイと騒いでいる方向に駆け出していった。
ハルは今起こった出来事に信じられず、これは夢かと思った。
星々のすべてが、この自分を祝福している。
そう思えた。冗談抜きで本気で感じたのだ。
自分が今いるこの場所こそが宇宙の頂点ではないか。
客観的に現実がどうであろうと、これは紛れもない、現実をこえた、すべての現実の根源だと確信した。
あとになって、ハルの目からは熱いものが零れ落ちてきた。
「不幸とは・・・孤独とは、ああ、一体何のことだろう!?
生きると言うことは、本当はただ幸福以外の何物でもない!
ああ、我ながらなんという単純極まりない男だろう!?
しかし、これでいい、これでいいのだ。」
ハルはその場に静かに立ち尽くしながら、あふれんばかりの喜びに倒れてしまわんばかりであった。