善人たち
ペペロン・チーノは続けた。
「この国の身分のことだがな。
トルテ王のことを純粋に信じ込んで憧れて忠誠を誓い、努力を重ねた奴らはせいぜい、ゴールドの〈首輪〉止まりだ。」
「首輪・・・?」
「ああ、臣民の誇りなんてのは名目上のことで、それは実質的には臣民を家畜として支配するための首輪のようなものだ。
実に便利でな、そいつの中には発信機と盗聴器がついている。
だから、プラチナやダイヤモンドクラスの管理職は、全部、会話や移動を把握している。
トルテの全知全能を作り上げるのもわけないのだ。
ハル、もちろんお前のあの時の行動も、把握して、しばらくは泳がせておいたのだ。」
「このリングを授与された時から、どうもおかしいと思ったぜ。」
「トルテ国とその法が嘘だと途中で気が付いたやつらは途中で二手に分かれる。
良心に耐えかねて、穏健に国の改善を測ろうと努力したり、王に直訴する者がいる。
あるいは、同志を募ろうとする者がいる。
そのような者共は、いろいろと罪状をでっちあげられて、暗黒の使者、ゾーラの手先となる、というわけだ。
もちろん、お前のように、公然と反旗を翻そうものなら、即〈救済〉という名の死刑が執行されるがな。
一方、その嘘に気が付きながら、積極的に加担することが出来た計算高い奴は、仲間や友人を裏切り、蹴落とし、プラチナやダイヤモンドの身分を手にする。
そう。
赦しの秘法なんていうものも、実際のところは金で身分が買え、またその身分には金が流れ込んでくるというシステムに過ぎないのさ。」
ハルは呆気にとられて、チーノの横顔を見ていた。
「ハル、私は悪か?」
チーノはニヤリとした。
「悪だよ・・・。」
「私に言わせりゃあね。
あらゆる人間存在は悪だ。
私だけじゃない。
お前も、この世界に生きる誰しもが、悪なのだ。
人間とはすべからく悪なのだ。」
「いい人、善人だっているでしょう。」
「いや、人間の中で最も悪いのが善人という人種なのだ。
このトルテの国とトルテ王を支えているのは、ブロンズ以下の色付き首輪の連中どもなのだよ。
彼らは、何も考えていないだけで、国全体が悪になればそれを善だと思ってそこになびくだけの存在でしかない。」
チーノはポケットから灰皿を出して、葉巻を押し込み、もう一本の葉巻に火をつけた。
「どうせ死にゆく身だ。お前も吸うか。
ペペロン・チーノのこんな姿が見つかった瞬間、死刑になることは確実だな。」
ハルは葉巻を受け取り、それを吸ったところ、ゴホゴホとむせて、しばらくは咳き込んでいた。
しかし、徐々に慣れた様子で、煙の混じった息をふきだした。
「シルバー、ブロンズ以下の色付き首輪の身分の至上価値とは、身の安全、保身だ。
だから、トルテ王の裸にも『〈認識〉のある人は見ることが出来る』など言えば、キャーキャーと騒ぐことが出来る。
そして、トルテが右を向けと言えば右を向き、左を向けと言えば左を向き、
朝言ったことと、夕べに言ったことが食い違おうと気にすることなどない。
トルテがあることについて正義と言えば正義、悪と言えば悪、おもしろいようになびくものなのだ。
彼らは、自分自身の自分だけの価値を見出そうとしない。
そして、自分は〈みんな〉と同じであると感じている。」
「それで、平気なのだろうか。彼らは。」
「平気どころか、周りのみんなと同じであることに、幸福さえ感じているのだ。
そこから排除、抹殺されないがために〈悪事〉をなさない。
彼らが悪を為さないのは、それが〈悪い〉からではないのだ。
奴らは、自分の属すトルテ国の共同体の善悪のモノサシにぴったりと添って、
トルテ国の色を背景とした保護色として自分自身であることを隠して生きていきたいのだ。
奴らはトルテ国から告発され、暗黒扱いされることを全身で恐れるから、いつのまにかすべてのことをトルテ国の方針と同じ方向に加勢してしまうのだ。」
「オレはあなたに聞きたいと思っていた。
なぜ、人を騙すのではなく、啓蒙し、分かち合う世界をつくろうとしないのか、と。」
「奴らには自分で考える力はない。
むしろ、奴らは、支配者を欲しているのだ。
自分の代わりになんでも決めてくれる絶対的な依存先をな。
もし、我々が、彼らを啓蒙しようとしてもどうだろうか?
彼らは、我々を耳を傾けず、恨み、危害を加え、さらに自らの手で秩序を混沌にしてしまうだろう。
彼らには、組織をつくる力もなければ、協力して良い世界をつくろうと云う気もない。
せいぜい、自分とごく狭い身の回りの世界だけがすべてなのだ。
それでいて、人に認められたくて仕方がない。
そんな人間を思い通りに動かすには簡単なのだよ。
なるべく傷つけない方法で騙すことだ。
豚のように狭い折に閉じ込めそのなかで思考を鈍らせる娯楽や食料を適当に与えておけばよい。
トルテ理論の学習、きつい肉体労働、家庭と子どもの世話、隣人とのつまらぬいざこざ、その間に与えられるお菓子や酒、わずかな娯楽、ギャンブル。それが、奴らの心を占めるすべてだ。
そして、素朴なトルテ国への忠誠心と来世での報いと恐れを刷り込んでおくこと。
それに訴えれば、必要な時にはいつでも、労働時間の延長や配給の現象を受け入れさせることが出来るのだ。
奴らが不満や苦痛を覚えることはたしかにある。
そして、疑問を抱くことはないではない。
しかし、その不満も疑問も、根本的には何の変化も持たさない。
なぜなら、奴らはこの国全体のシステムを見通す頭を持たないうえ、自己責任を刷り込まれているので、不満をいくつかの取るに足らない個別の原因や自分自身の在り方に帰着させるほかないからなのだ。
奴らはもっと大きな悪の存在には絶対に気付くまいよ。」