本当の自分を生きる
「私たちがまず一番大切にせなあかんことはな」
マスターが口を開いた。
「自分自身の中に探すんやで。
あなたの身の周りに何かを探すんやなくてな。」
「自分自身の中・・・。」
ソラは少年ながらも、村の誰よりも多くの「学び」をしてきたのだという自負はあった。
暇さえあれば、本を読み、村の教師からも様々な知識を吸収することに熱心であったのだ。
知れば知るほど、ソラの心は豊かになり、高揚をおぼえた。
また、多くの知識を身につけながら、考えていくことによって、さらに新しい疑問や考えるべきことが生まれた。
そして、そのことによってさらに学ぶべき物事は立体的に増えていった。
風船を膨らませれば膨らませるほど、触れる面積が大きくなっていくように。
幸いなことに、ソラにはそうした学びのための時間と機会は、仕事があったとはいえ存分に与えられていた。
学ぶ場所は、学校や図書館だけでなかった。
知恵を持った大人たちは、おしみなく子どもたちに読み書きやこの世界の成り立ちや、様々な技術を教えた。
住居でも、食事場のテーブルでも、それぞれの職場でも、青空の下の草原や、森の中でも、街の通りでも。
それらは生きていくことに直結した学びでもあった。
大人たちは、子どもたちに一方的に知識を教え込むだけでなく、質問を繰り返し対話していくというやり方で、彼ら自身が自ら考え発見する手助けをした。
一方、子どもたちも、疑問や質問があれば大人たちにそれをぶつける。
大人たちは知っていることを惜しみなく教えた。
そして、知らないことは共に調べた。
大人たちも、同じ方向を向いて学んでいく仲間ともなりえた。
ソラはそうした学びが楽しくてたまらなかった。
子どもたちは、それぞれの興味に従って、思う存分探求した。
徹底的にそれらを極めようとした。
大人たちも、もはや子どもの学びについていけなくなり、
大人たちが子どもから学ぶ姿も見られるようになる。
彼らは、あるときは一人で黙々と、
あるときは、数人で集まって互いに学び合い、
あるときは、より小さな子供を教える。
「自分の外ではなく、内側に探す。
なるほど。
でも、それは、外の世界の事はどうでもいいということですか?
自分の中に閉じこもると言うことですか。」
「そこまで極端に捉えへんでもええがな。」
マスターは笑った。
「私が伝えたい、いや伝えたいというよりも、一つの方向として指し示したいということ。
体験してほしいこと。
それは、『あなたがあなたである』ということや。」
「ぼく…自身?
いまさら何を?
ぼくは、ぼくですよ。」
「ははは。今は分からなくてもええよ。」
ソラは、その言葉が半分分からなかったが、深いところではその言葉に対して深いときめきのようなものを感じ取っていた。
空は青く澄み渡っていてどこまでも広がっていた。
ソラのいた村の森林には小さなせせらぎがながれていたが、そのせせらぎは心なしか随分大きくなってきたように感じられた。
「ソラ、君は君がこの世界で生きている目的というものを考えたことがある?
君は一体何をしにこの世界にやってきたんや?」
ソラは、立ち止まって、空を仰いで考えた。
腕を組み、あごに手を当てて思案してみた。
「うーん、なんだろう?
生きている目的かあ。
なんのため、なんのため、なんのため。」
マスターはじらすことなく、微笑みを絶やさないで耳を傾けている。
何か出てきそうで、でてこない。
それは、一番大切なことのように思われて、それでいて、一番遠いところにある問いかけに思われたのだった。
ソラには様々な憧れがあった。
だけれども、いつのまにか、自分には才能もないし、それを続ける努力もせずに投げ出して、その憧れをどこか遠い別世界のことのように思い始めていた。
そして、胸のうちにくすぶる「炎のような何か」を押し込めたまま、毎日の生活にそこそこ満足していた。
「答えはとても単純なことや。
それは、成長していくと言うこと。」
「成長・・・。
たしかに。」
「そして、変容していくと言うこと。」
「成長・・・変容・・・。」
マスターは再びゆっくり歩き始めた。
そして、道端に風に揺られている一本の小さい花の前にかがみこんでいった。
「見てみ。
あらゆる生命は大きくなること、成長を目指しとる。
この小さな花一本とってもそうやし、草一本、生一本、虫、動物たちをみとってもそうやね。
もし、花が大きくなることをやめたらどうなる?」
「それは、死ぬ。枯れると言うことですね。」
「人間にとってもそうやで。
全ての人間は成長せんとあかんようにできとるんや。」
「たしかに。
ぼくは、もっと大きな自分と出会うために、旅に出たのです。
・・・そして、それは単に知識や能力を増やすためであるとか、地位を得るため、それだけではない。」
「人間にとって、成長するということは、ただ肉体が大きくなることだけやない。
ソラ、君の肉体はこれからも成長し続けるだろうが、やはりいずれはピークを迎えた後衰えていく。」
「無論、それは体を鍛えることが無意味というわけではありませんよね。」
「もちろん。
体と心は密接な関係にある。
また、体を鍛えることのなかにも、それ以上の目的があることが分かるはず。」
「人間にとって、〈成長する〉ということは、内面的に、精神的に大きくなる、ということですか。」
「せやね。
私たちの〈こころ〉は人生を通して大きくなり続けていく。
では、私たちが大きくなっていく目的とは一体何やと思う?
そして、大きくなっていくためにはどうすればええと思う?」
「うーん。
何でしょう。
そして、どうすればいいのでしょう。
でも、一つ目の質問は・・・ぼくたちにとって、いちばんの究極のあこがれ、そんなように思います。
そして、人間はそこに至り、憩うまで決して本当の安心を得ることはできないのではないでしょうか。」
「うむ。
二つ目の質問に対して、ふたつだけ大切なことを教えておこう。」
「はい。」
「人間にとって、大切なことは、
〈たいせつ〉にするということ。
そして、
〈信じ・ゆだねる〉ことや。」
「〈たいせつ〉・・・
〈信じ・ゆだねる〉こと・・・。」
「そう。
ややこしいことは一切ない。シンプル。シンプル・イズ・ベストや。
私たち人間が住むこの世界にはあらゆる厄介で複雑な問題が生まれ続けているわけやけどね。」
「なるほど・・・じゃあ、みんなにそのことを教えて、みんながそうすることが出来るようになれば、きっと世界は平和になれるんじゃないでしょうか?」
「まさにそうやね。
だけど、まずは自分自身やで、ソラ。
あなたがここにいるのは、自分自身が大きくなることにつとめるためや。
他の人が大きくなることや、他の人の課題に口出しをするためやないねんな。」
「う・・・。
でも、それは、愛がないというか・・・
自分の事さえよければそれでいいというか、
他人のことを全然思っていないというか・・・。」
「人はなぁ、他人の考えを無理矢理に変えさせようとすると、自分の気分が悪くなるようにできてるんやで。
なぜなら、それは『〈たいせつ〉の法則』から外れたことをしているからや。」
マスターの瞳、言葉は厳しいようでいて、それでいて、どこかソラをスッキリさせるものだった。
「自分のエネルギーを他の人を裁き、他の人に指示し、他の人を操作するために使わなくてええんや。
まずは、自分自身のためやで。
ソラ、あなたがここにいるのはひたすら自分自身のためなんやで。」
「はい。」
ソラは、はっとして少し考えこんだ。
「思い返すと、今までぼくが他人のためと思ってやっていたことは、実のところ単に相手を変えようとしたり、期待通りにしようとしていただけなのかもしれない。
そして、その人をすべて受け入れていたわけではなかった。」
「人は誰しも多かれ少なかれ、〈こころ〉に空洞や傷をもって生まれてくる。
それは、その人にしかわからない。
ソラ、あなたの心の中の空洞を埋めるためには、
自分の周りに何か埋めてくれるものを探すのではなくて、〈自分自身の中〉にそれを探さなければあかん。」
マスターはソラをみつめた。
何かが響き合ったようなきがした。
すると、ソラの胸のうちから、ダイモンのヒカリが飛び出して、ソラの周りを飛び回った。
「おお、ヒカリ!あはは。」
「そのダイモンはあなたの偉大な〈おともだち〉や。
その〈おともだち〉は不思議で聖なる存在。
それはあなたのために、あなたを導くために、あなたを助けるためにそこにおる。」
マスターは、静かにささやくようにいった。
小さな風の音のように。
「ダイモンの存在を感じたければ、静かにしていないとあかんよ。
私たちの〈からだ〉は、その存在の住んでいる〈お宮〉であり、〈リビングルーム〉やからな。
まずは、あなたの〈からだ〉の声、そして、あなたの〈からだ〉のうちにすんでいるダイモンの声に耳を傾けてみることからはじめな。
静かな場所で、ゆっくりとね。」
近くに旅人のための「善根宿」がみえてきた。
マスターとソラは、そこに泊まることにした。
二人が行く道は、巡礼の路のひとつであり、ところどころに旅人が泊まれる宿や小屋が設けられていたのだ。
そらはその晩軒下に一人座り、今日マスターに言われた教えを反芻した。
そして、自分の〈からだ〉のはっする内なる声に静かに耳を傾けることにした。
ダイモンのヒカリは、声なき静寂の声で、ソラに語り掛ける。
チリリ・・・チリリ・・・
虫の声が聞こえる。
風が肌を撫でる。
大地に抱きしめられているようだ。
気持ちがよい。
木々も、草も、虫たちも、風も、ソラに何かを語り掛けているのだった。