〈気づき〉と問い
「この世界にあるすべては変化し、流れ去ってゆく。」
大海原でマスターは語った。
ちなみに彼らが乗っている船は、ティラミス国ご用達のもので、決して巨大なものではなかったが、少なくとも、三人が暮らしていくぶんには十分な広さで、それぞれ部屋もあてがわれるほどだった。
マスターは、ポケットから石を取り出した。
「例えば、石ころひとつとってみても、それひとつで宇宙を語ることが出来る。
この石ころがいつごろできたかというと、はるか昔、この世界が出来た時と同じ暗い昔や。
そして、この世界も、宇宙を旅する一つの小さな船のようなもので、それもまた宇宙にあるさまっざまな要素が組み合わさってできたものなんやで。
そして、君たちの身体も、小さな大地であり、海であり、空であり、この世界、いや宇宙と同じ成分でできとるんやで。」
「へえ!そうなんだ。
じゃあ、私たちも宇宙もみな同じ仲間なのね!」
ウミが目を輝かす。
「そして、この石もいずれすり減って、砂になる。
砂は大地になる。
その大地からは、植物が萌え出てゆく。
つまり、あらゆるものは、次々と形を変えてゆくねん。
〈それ自身〉はなくなるけれども、それを形作っていた要素はなくなることなくな。
そして、それは、私たちにとっても例外やない。」
「それは・・・つまり、死ぬってことだよね。
みんないつか、必ず死んでしまうんだよね。
どうなるんだろう。
恐いなあ。死になくないよ・・・。」
「ものにはみな例外なく、はじめがあり終わりがある。」
「宇宙にも?」
ウミもソラも、どこまでも広がる大海原と天空のなかに置かれ、自分たちがその中の小さな小さな一点でしかないことに戦慄を覚えた。
「マスター、ねえ、宇宙はどこまで広がっているの?
宇宙に端っこはあるの?それともないの?
宇宙はいつ始めって、いつ終わるの?始まる前にも、別の宇宙があったの?
そして、私たちは、どこから来たの?そして、どこに行くの?」
考えても答えの出ない問いであることは、考えた結果分かっていた。
だけど、人は問わずにはいられない。
この答えを、あるいはひょっとしたら、マスターが持っているのではないかという期待を込めてウミは問うた。
「この大宇宙は自分たちの想像もつかないほど無限に広がっている。
だとしたら、その中にポツンと置かれた無限に小さい私たちとは一体何なの?
私たちはなぜ、その秘密を知ることが出来ないの?
誰が一体私をこの世界に置いたの?
この世界とは一体何なの?
私は一体何なの?」
その問いかけは、ウミだけでなくソラにとっても同じだった。
知らない・・・何も知らないのだ。
「私は、私のものだと思っている身体でさえも、髪の毛一本落ちることすら分からない。
私は、私が今語っていることを考えて振り返っているこの私自身のことさえも結局何なのか分からない。
私は、なぜここにいるの?
なぜ、他の場所ではなく。
なぜ、私は、この私なの?
ただ一つ分かることは、私たちはいずれ死ぬこと。
何一つ分かることのないまま、無限の宇宙のただなかのひとつなぎの場所に産み落とされて、そして、死ななければならないということ。」
しばらく沈黙が続き、波の音だけが響く。
「まあまあ。」
マスターの答えは、拍子抜けしたものだった。
「例えばや。
誰かに石を投げられて、死にそうになった人がおるとするやろ?」
「一体、なぜいきなりそんな話を・・・。」
ソラが口を挟む。
「まあまあ、聞いてや。
そういう時はどうするべきや?」
「それは、まずは手当をしますよね。」
「その人は、聞くねん。
犯人はどんな奴や?
どれくらいの身長、体重で、どんな服を着て、どこに住んでて、性格は?血液型は?家族は?年収は?身分は?
それが分らんうちは、手当は受けへんで、って。」
「宇宙の果てがどうとか言う話も同じことや。
それは、ヒミツや。
考えてもわからんようになっとる。
気にしている間に、今この地上で為すべき務めを果たすことが一番大切やねん。」
「ほー。なるほど!確かにそうですね。」
「じゃあ、そんなものは、知らなくてもいい、知ろうとすること自体間違いだっていうこと?」
「それはちゃうで。それは、物事をあまりにも単純に考えすぎや。」
「え?」
「〈はじめのこころ〉は、私たちのこころに、それを探し、見つけたいというあこがれを据えられたんや。」
「こころのなかに・・・あこがれ・・・」
「やから、あんたらが探し求めさえすれば、見出すことはできるで。
実際、それはわたしたち一人一人からそう離れてはおらんのや。
私たちはみな、〈はじめのこころ〉の中に生かされとんのやで。」
「だったら、私たちは考えて、その存在を知ることが出来るの?」
「ああ!できるで。」
ソラもウミも驚いた。
「できる。
人間の頭は、確実に〈それ〉を知ることが出来る。
見てみい。存在するすべてを。
その中には、目に見える以上のものがあるやろ。
世界の秩序、美しさ、発展は、それ自体を超えて、大いなる何かに向かっている。
それに、全ての人間は、正しいこと、善いこと、美しいことを求めているやろ。
人間は自分の内側に、こうせなあかん、こうしたらハッピーになれるという、声なき声が響いとるんや。
ええことをしよう、悪いことはしたあかん、ってな。
この道を進む人はだれでも、その道のうちに〈それ〉に出会う。」
「でも、〈はじめのこころ〉は、無限でどこまでも言葉ではとらえられないはず。
言葉にしてあらわした瞬間、それは偽物になっちゃうんじゃないですか。
そう、観念。
苦しみを測るための観念でしかなくなってしまう。
語ることが出来ないものに関して語ろうとするからおかしくなる。
だから、語ってはいけないと思うのですが。」
「たしかにそうや。
人間には限界はあるで。人間の有限なことばで、〈はじめのこころ〉の無限な偉大さについては決して表現はでけへん。
それでもや。
私たちは、〈はじめのこころ〉についてきちんと語ることが出来る。
もっとも、人間の言葉には限界があるという但し書きを付けたうえでやけどな。
やから、その表現は、より透明に磨かれ続けなあかん。」
「不完全・・・それでも、語ることが出来る・・・。」
ソラは、その〈言葉〉のまえで沈黙するしかなかった。
「すべてのものは、変化して、過ぎ去って、消滅してゆく。
やけど、その流転していくものの奥にある・・・〈永遠〉について、ゆっくりゆっくり思いを巡らしてみてや。」
マスターは、ゆっくりゆっくりと甲板を歩きながら、穏やかな声で語った。
ソラは思った。
「・・・答えはないかもしれない。
それでも、問いかけ続けよう。
けれども、憧れ、求めているそのただなかに、小さな答えがすでにある。
そして・・・こうした時間こそが、ぼくたちの人生の時間の質を全く変えてくれる。」
「善き問いは、善き答えに勝るで。
善き問いを持ち続けようや。」