〈こころ〉はひとつ
「みんな、ひとつにつながっとるんやで。」
三人は、船に乗り、大海原へと繰り出していた。
「波の一つ一つが、それぞれ違う形をしていながら、すべて同じ水であるようにな。」
マスターは風に吹かれながら語った。
「あらゆる生命体の設計図は、わずか四つの文字の組み合わせだけで記されているんやで。
その組み合わせによって、たった一つの細胞から、目が出来たり、手が出来たりする。
そこにミスは一切なく、悠久の生命を紡いできたんやで。」
「たった四種類?すごい!」
「そしてもっといえば、星も、太陽も、地球も、人も、木々も海もすべておなじ〈ひとつのもの〉からできている。
おなじ〈ひとつのもの〉から、〈無限の違うもの〉が出来上がっている。
そして、目に見えないほど小さなものから、想像を超えるほど巨大な世界までが同じ秩序で動いとるんやで。」
ソラとウミは圧倒されてしまった。
無限に繰り返される波と風の音のなかに、生きて目にする普通のことのすべてが、実は恐ろしいほどの複雑でかつ秩序だったからくりで互いに精妙な具合に関係し合いながら目の前に現れているのだ。
そして、自分たちはその神秘にわずかしか意識し、気付くことしかできない。
マスターは続ける。
「〈はじめのこころ〉のひとつの念いが、まったくなにもないところから、無限のこの宇宙を創造りだし、そして、そのありとあらゆるすべてにいきわたっとる。」
「すべてはひとつ・・・。
すべてはこの〈はじめのこころ〉と同じいうことですか?
この宇宙がすなわち〈はじめのこころ〉なのですか?」
「たしかに、〈はじめのこころ〉はどこにでも存在し、生きておられ、存在するものの中で不在のところはない。
しかし、それが即それかと言われると、違う。」
「なぜ?」
「この世界にあるありとあらゆるもののなかで、はじめからそれそのものとしてあり、また、ほかのものから生み出されることのないものはあるかい?」
「つまり、ほかのものからできたものではないものということですか?」
「考えてみるね。
人間や動物、それに植物も、かならずその前に先祖がいる。
石や山や海も、地球から。
星々も、その前になにかのかけらから出来上がった。
つまり、この世界にあるものはすべて、ほかのなにかからできあがっているわ・・・!」
「では、その世界のすべてのはじめは?」
「ただ一つのなにかに縮んでいく・・・!」
「私たちが目で見て知ったり、考えたりできることはそこまでだね。」
「その先は?知りたい!」
マスターは微笑んだ。
「ヒ・ミ・ツ」
「え~~~~~~!?」
「それ以上は、人間は考えても思ってもいけないことになっとるねん。
思ったり考えようとすると、絶対こけるで。
それが、『不思議』ということや。」
「うーーーーー。それでも興味がある!知りたい!」
「それが人間の宿命や。
永遠に知ることのできないものに向かって、永遠に少しでも近づきたくて手を伸ばし続ける。
でも、ええねん。それで。
それで、ええねん。
だから、人はずっとずっと新しく〈出会い〉続けていくことが出来るからな。」
「いじわる・・・。
いじわるだけど、なんだか、素敵。」
「すべての初めやけどな、〈ある〉の前には、〈ない〉が〈あった〉。」
「結局、〈ある〉んじゃないですか?
〈ない〉を突き詰めていっても、どこまでいっても、結局〈ある〉んじゃないですか。」
「私が便宜上言う〈はじめのこころ〉は、〈ある〉も〈ない〉も超えとる。
〈ある〉の反対である〈ない〉ですらもなく、〈ない〉が〈ある〉という〈ない〉でもない。
〈ないのない〉。」
「ちょっとよくわからなくなってきた・・・。」
「わからんでいい。
わかろうとするな。
知ってる、出来る、持ってる。
人間が、この宇宙のことについてそうやって知ろうとすることを〈ツカミ〉と呼ぼう。
そんなものは、これから先の世界では無意味やで。
そうしているうちは、見えてはこない。
それは、クジラをフライパンの上に乗せるようなもんやで。
生きてる、感じている、喜んでいる、気が付いている。
その世界や。
これを〈ムスビ〉と呼ぼう。
知らないことも知らないものに私たちは捕まえられて、変容していく。
ソラ。ウミ。
これから、私たちが行くところは、知らない世界をこえて、
知らないことも知らない世界やで。」
二人は、どう応えてよいか分からなかった。
ただ、今までやってきたことが、自分たちの今まで生きてきた世界が、せいぜい小さな砂場での砂遊びのごとくのように思われたのである。
「〈はじめのこころ〉が、ひとこと言うたら、〈ある〉ようになったんや。」
「ひとこと言った・・・。」
「この〈ある〉とそれ以前の間には、無限の隔たりがある。
やから、すべての存在がそのまま〈はじめのこころ〉というかというと、それはちゃうねん。
やけど、すべての存在は、それによって支えられとる。
〈はじめのこころ〉は、宇宙の外にいて、はるかに離れとるものとだけちゃうし、宇宙そのものでもない。」
「はい。」
「私たちの〈こころ〉は〈はじめのこころ〉の映しである言うたなあ。
私たちの〈こころ〉のひとつの想いも、無限の世界を展開してゆく。
清く美しく愛に満ちたものもある。
傲慢さや欲望や怒りや憎しみや絶望も。
あらゆるものが人間の〈こころ〉の中には存在しとる。」
「『悪い』ものも存在するのですね。」
「そう。あらゆる〈こころ〉が、私たちの〈こころ〉のうちに存在しとるんや。
そして、興味深いことに、『善き』こころのうちにも『悪い』こころが存在し、
『悪い』こころのうちにも『善き』こころが存在して、ほかの他のすべてのこころと互いに関係し合いながらすべてを含んどるんや。」
「たとえば、優しさのうちに甘さや支配があり、
怒りや孤独の裏に愛が隠されていたりすることだってありますもんね。」
マスターは、虚空にひとつの象形を描き出した。
二人には、その象形の姿をはっきりと感じることが出来た。
絵の具の一切を用いないにもかかわらず、なぜかその色まで分かった。
それは、無数の大小の円であった。
木の根っこを上から見たようにも見えたし、巨大な太陽の周りとその周りを回る星々のようにも思われた。
その周りにはさらに小さな無数の生命があり、その周りにはさらに小さなものがあり、
それらの巨大なものから、ごくごく微細なものまでが、見事に統合されていた。
巨大なものは微細なものを包括し、微細なものの中に巨大なものが含まれ、両者は互いに支え合って生かし合っていた。
これは、あくまでソラの観たイメージであったが――
すべては中心の巨大な「太陽」から流れ出し、無限の世界となって展開していき、再び一切はこの巨大な太陽のうちに戻ってゆく。
「これが・・・〈こころ〉ですか?」
「〈こころ〉に関しては、言葉であらわせる範囲などは波の表面のごとく、ごくごく一部や。
意識できる範囲は、わずか何厘といったところやな。
深い〈こころ〉をわずかにでも自覚するためには、このような特殊なイメージをひとつの『窓』として使い、開いていくことや。」
その図画の「太陽」は、ソラとウミの口に入ってきた。
マスターをみると、マスター自身がその不思議な象形と一つになっていた。
マスターはそれまでに聞いたことのない響きをもつ〈ことば〉を話し始めた。
「マスター。それ何語?」
「いや、寝言じゃない?」
とあえて聞くことはなかった。
というのも、初めて聞く言語であるにもかかわらず、なぜかその意味がよくわかったからである。
その言葉は、音だけでなく「リズム」と「響き」をもっていた。
その意味は、彼らが普段、音声や文字で受け取ったり発したりしているものには訳せないものであった。
しかし、その〈ことば〉は、すべての人が知っている共通の〈ことば〉などだと言うことは分かった。
ソラもウミもその〈ことば〉を使ったことも、習ったこともないにもかかわらず、なぜかそれを知っていて、すぐに語ることが出来た。
その不思議な〈ことば〉は宇宙の秘密、存在の神秘について語り、またそこから発している〈ことば〉であった。
その〈ことば〉はすべてのものと共鳴し合っていた。
そのため、その〈ことば〉の響きに触れるだけで、ソラもウミもこの世界に居ながら、宇宙の一部であると感じることが出来た。
一方、その言葉の一つ一つのすべては「特別に」、ソラとウミのために語られたものでもあった。
その「音」の「味」は
あたたかくて、やさしくて、そしてうれしくて、たのしい。
ウミはなぜかわからず涙があふれ、ふとつぶやいた。
「ウミは・・・この〈うた〉・・・知ってるよ。
ウミだけじゃない。
これは・・・みんなが知っている〈うた〉だ・・・。」
なぜかわからない。
そこにいる誰もが、その〈うた〉を口にしていた。
海の上にはたしかに、三人だけだったような気がする。
しかし、夜空に浮かぶすべての星々が隣に居て、声を合わせて歌っている。
星だけでなく、海も波も風も雲も喜びの声を上げていた。
それだけでなく、空間一杯にダイモンの群れが現れる。
こんな壮大なオーケストラがあるだろうか。