〈こころ〉の壁を壊す
その晩、マスターは海の見える宿に泊まることにした。
マスターが大切にしていること。
それは、「みんなで一緒にメシを食う」と言うことだった。
その食卓には、どこのだれであろうと、国や身分に関わらず、だれでも呼ばれた。
初めての人がまるで、まるでずっと一緒にいた家族のように違和感なく食事を共にする。
笑顔、話し声。
ソラもウミも見える所で料理や皿洗いの手伝いをした。
マスター自身台所に立ち料理をみなに振る舞った。
あと、いくつものオリジナルカクテルを手品師のようにかっこよく作ってみせるものだから、それを見ている人たちは拍手をして、湧いた。
そのうち、人だかりができる。
みんなマスターの話に耳を傾ける。
グループがいくつかできて、いつの間にかそれぞれ仲良くなっている。
彼らのきずなは、その時だけで終わるのではなかった。
何年かに一度会っては、ワイワイやったり、困っている時は互いに助け合ったり。
そこから新しい仕事を見つけたり、恋人になってそのまま結婚したりといったこともたくさんあった。
「ああ、彼らは知らへんけれども、〈ダイモン〉たちが彼らを出会わせとるんやで。」
そうマスターは言った。
この、あまりにも「当たり前の」生活が、とても幸せだった。
「当たり前か・・・。
人は、当たり前のことがどれだけの宝物で幸福なことか気がついとらんのちゃうかな。
人間にとって、幸せとはまずは健康やで。」
酒の入ったコップを時折口に付けながら、マスターは言う。
「高熱が出ている時や、どこかが激しく痛む時にそれどころやないやろ。
健康は、からだだけやない。
こころの健康も大事やで。
疲れすぎたり、独りぼっちになったり、攻撃され続けたりしたら、その先に幸福なんかあらへんよ。
今、この世界にはどれだけの疲れた人や、息苦しさに耐え切れなくなった人たちが人と人のはざまに顧みられず打ち捨てられとることか・・・。」
マスターはひどく胸を痛めて、それでもそれに負けない語気で語り続けた。
「おい、こっち来いよ。」
マスターは、おそらく大変な重荷や苦労を抱えているであろう青年を脇に呼び寄せていった。
「良かったなあ。
お前は、もう幸せだよ。もう大丈夫だ。
ここに居る奴は、みんなお前の仲間だ。」
青年は涙を流す。
ソラも、その宿に集まった人びとたちとマスターとのこれまでの旅のことや、普段マスターが語っていることを話した。
それに、それぞれの歩んできた人生や、あれがしたいこれがしたいという夢や希望を語り合ってはそれを応援し合った。
そして、冗談みたいに思えた夢も、そこで語ったことは、「できる!」という気がした。
なぜか後になって挑戦してみると、実現していることが決して珍しくはなかったのだ。
「・・・不思議ですね。
なぜだろう。」
「おう!
そうやってな、考えている事って本当に本当のことになるんやで。
例えばな、この近くにある、家にせよ橋にせよ電灯にせよ、自然が勝手に作ったもんやないよな。
ほっといたら、自動的に家が出来てました、白が出来てましたってのはないねんなあ。」
皆一同笑った。
「誰かがつくってんな。
そして、つくったっつうことは、まずはじめに、『こういうものをつくりてえ!』っていう気持ちがあったんやな。
わかるかい?」
「はい。」
「あたりまえといえばあたりまえなんやけどね。
こうしたことができるのは人間だけやねんで。」
「はじめに、思いがあってものが造られたんですね。」
「私たちの〈こころ〉には大きな大きなエネルギーがあるんや。
たとえば、ここに巨大な船があるとしよう。
この船を動かすにはどうしたらええかな?」
「たくさんのロープで、大勢の人を集めて引っ張る・・・
巨大なてこを使うとか・・ですかね。」
「そんなことしなくったって、海の上なら舵を切ればいいじゃないの。」
「ウミの言う通りや。
巨大なエネルギーを動かすのには、とても簡単な方法で充分やねんで。
本当に、私たちが心から願い、信じて疑わなければ、その森羅万象に満ち満ちている巨大な力は、そのすべてをあなたの目的の実現のために手助けしてくれるんやで。」
「だから、ここで語ったことはことごとく本当のことになっていったのですね。
では、どうやったそれは本当のことになるのですか?」
「気が付いたことがあるかい?
ここに集まった人たちは、みんな、人の夢を笑わへん。
それどころか、本気で応援するやろ。
それで、夢を語る人も、自分はできるって自然に思えるようになるんや。
それまで、周りの常識に流されて、『どうせできへん』ってなっとった。
蓋をしてたんや。
やけど、一度その蓋が外れて、こころがカチッと『自分ならできる!』と信じられるほうになるんや。
そうしたら、〈こころ〉は不可能を次々と可能に変えてゆくんやで。
それにな・・・喜ばせたいんや。
お世話になった人、応援してくれた人、支えてくれた人を。
人間にとって一番の力ってのはな、それやで、それ。
一度、この世界のはざまで、疲れ果て、打ちひしがれたとしても、そうやって信じあい助け合える場所、戻ってこれる場所があれば・・・人はな、もう一度生命を取り戻すことだってできるんやで!」
「誰かのため・・・それが生きる力になる。」
「〈こころ〉のエネルギーはな、理屈や理論にはあまり反応してくれへん。
頭が良くて、能力もあり、努力家で、そこそこ身分のある人間でも、大きなことを成し遂げずに終わってしまうタイプの人間はそのことを知らへん。」
「なるほど。」
「〈こころ〉はな、どちらかというと、イメージや感情にこそ大きく反応するんや。
正しいことよりも、楽しくてワクワク、ドキドキすること。
それが、考えていることを実現させる原動力になるねん。」
「感情・・・。」
「そう。
特に、一番強い感情、それが感謝やな。
そして、ごくごく単純な言葉を、何千回何万回と繰り返し繰り返し〈こころ〉のなかに、
水滴を一滴一滴垂らすように入れていく。
深くリラックスした・・・こころの蓋が開いた状態の時に。
そして、その言葉がこころのコップからあふれ出す頃には、考え方は変わり、生活も変わり、人間関係も変わり、運命も変わり、人生も変わる。
雑草が、地面の固い殻を突き破って芽吹くように、こころも不可能と思われていたものをじわじわと押していき、突き破り、可能にする。
ま、焦んなくてもええよ。
楽しく、気楽にじわじわやり続けな。」
ソラもウミも、人間の中にそのような力が宿っていることを知って、もう人生は思い通り、無敵になったように感じた。
「さらにや。
思いよりも強い力が存在する。
それはなんやと思う?」