〈こころ〉の性質
「怪しくてうさんくさい話だ。
これは、俺が勝手に思っていることだから、信じなくてもいいよ。」
マスターはそう笑って前置きをして続けた。
ソラも笑いながら話を聞く。
「〈こころ〉の性質について話すわ。」
マスターは天を仰いだ。
マスターの瞳には天が映り、また彼の存在そのものに天のすべてが反映されているようだった。
「宇宙の初めには、〈こころ〉があった。
〈はじめのこころ〉が宇宙をつくったんやで。」
あまりにも唐突すぎるマスターの語りにソラは雷で撃たれたように驚いたが、そうしたときにこそ、最も大切な秘密が隠されている。
「どういうことですか?」
「素晴らしい街並みやな。
これがすべて、ほっといたら勝手にできたいうたら信じる?」
ソラは首を振る。
「コップでもとけいでも初めに誰かがこれをつくろうということでつくったから、今ここにあるんやな。
おなじように、比べ物にならんくらい複雑な大宇宙の星々も人も自然もはじめにそれをつくろうとする意志・・・すなわち〈こころ〉があったってことやな。」
「え・・・宇宙をつくったものは、まるで人間みたいなやつなんですか。」
「多くの人は、ひげを生やし、雲に乗ったスーパーなじいさんと考えるが、それは違うな。」
「そりゃあそうでしょ。
ぼくもそれが人の姿をしているというのは、単なる空想だと考えます。
それは、無機質な大宇宙の法則や、無限のエネルギーそのものでしょうね。
もしくは、すべてを生み出し、形成し続ける測り知れない生命力・・・。」
「そう考える賢者たちも多いな。
確かにそれは一面では正しいかもしれへん。
やけど、それは例えるなら、ある人がいたとしてその人を説明する際に、身長や体重、服装、特技、身分や財産だけを見て、顔や性格や歩んできた人生や哀しみや喜びというものを外して捉えるようなものやろうな。」
「ううむ。」
「大切なことは、その〈こころ〉には、〈じぶん〉がある、ということなのだ。
そう。私たち一人一人の人間が〈じぶん〉〈わたし〉を持っているように。」
「そんなばかな。」
「何もない無機質なところから、高度な〈じぶん〉を持った存在が出来てくるだろうか?
その奥のもっともっと深いところに、巨大な〈じぶん〉意識をもった〈こころ〉があるのだ。」
「しかし、注意しなきゃいけないことは、もちろん〈はじめのこころ〉の〈じぶん〉は、人間の持っている〈じぶん〉とは比較できないくらいのものなのだ。」
ソラはマスターの口から宇宙の秘密を耳打ちされたような気がして、大きな喜びを覚えた。
「そして・・・私たちの〈こころ〉は、その〈はじめのこころ〉から直接分け与えられてつくられ、心血が注がれた最高の傑作なのだよ。
宇宙を作り出した〈はじめのこころ〉と、〈わたしのこころ〉はまったく似ている。同じイメージなのだ。
すべては、たったひとつの〈大いなるはじめのこころ〉から生じたものでありながら、
全ての存在で全く同じ存在はいない。
唯一無二の存在なのだ。
だから、一人一人の生命はどこまでも尊い。
そう。かけがえのないものなのだ。」
「・・・・そんなこと、考えたこともなかったです。」
二人は王宮の中庭を歩いていたところだった。
ソラとおなじくらいの、どこかおっとりとした雰囲気の幼げの残る少女がやってきた。
「そのお話、もっと聞かせてもらってもいいかしら。」
「ああ、ええで。
はじめまして。
私は、マスター・エッグタルト。村から来たソラを連れて旅をしとるところや。」
「私は、ウミ。
この国の王様の娘でございます。」
「か・・・」
ソラは、開いた口がふさがらなかった。
「かわいい。
まるで、この世のものとは思えない。
そうだ、これは、雲の上から穢れを知らない天使がそのまま降りてきたのだ。」
ウミがその海のブルーのように澄んだ瞳でこちらを見つめ、にこりと笑いかけただけで、ソラはすっかり我を忘れて感激してにやけるのを抑えるのに必死だった。
彼女は、話を深く頷きながら聞き、メモも一生懸命取っていたのだが、その文字の丸っこくて、かる流れるようなペンさばき。
「ああ、この子から手紙なんかもらえたら、お守りにするだろうなあ」
と考えてしまう。
「先ほどの話、近くでずっと聞いていました。
私もずっとそのことについて考えていたんです。
〈こころ〉って不思議だなあ、って。」
「よろしい。ウミ。話を続けよう。
〈はじめのこころ〉と同じような性質が、私たち人間の〈こころ〉にはある。
一つ目が、自由であると言うこと。
二つ目が、創造的であるということ。
三つ目が、自分自身の在り方を自分で決定して変えてゆくことが出来ること。
四つ目が、無二の存在であるということ。
五つ目が、他の存在と交わるということ。
〈はじめのこころ〉そのものは、ただひとつや。
他の何かによってつくられることもつくられたこともない。
ただ、みずから〈ある〉。
永遠から永遠へと時間を超えて、私たちの世界の〈ある〉〈ない〉をもこえた、絶対的な〈ある〉や。
やけど、それは、のっぺらぼうのような、〈ゼロ〉でもなく〈一〉でもない。
その一は、一でありながら、交わっとたんや。」
「すべては、ひとつ(ワンネス)なんですね。
でも・・・交わっていたということは、その〈はじめのこころ〉は何個もあるのですか?」
「いや、いくつもはない。
ひとつや。」
「訳が分かりません。」
「この不思議を理解することは、あんたらには、できまへんわ。
いや、人間には、な。
いかなるたとえ話をもっても、どれだけ賢い人が一生をかけたとしてもや。
〈こころ〉の深淵は自分に最も近いものでありながら、決して極めることはでけへんよ。
小さな子どもが、スコップですべての海の水をすくいだそうとするのと同じほど難しいことなんや、この秘密は。」
「えええ・・・。」
「がっかりさせたかい?」
そうマスターは笑った。
しかし、理解は決してできなかったし、その〈認識〉などなくてもよかった。
ソラも、ウミもそのことを深い深い〈こころ〉の内側でそのことを「知っていた」から。
「〈こころ〉はひとつであり、そして交わる・・・。」
ソラもウミも決して自分はひとりではない。
いつでも仲間がいる。
この世界にいる誰一人として決してひとりではない。
たとえ、孤独が深まる時であっても。
むしろ、孤独の怖さは、孤独そのものではなく、置かれた状況や関係なのだ。
なぜ悪が生まれるのか。
きっと、孤独を本当の意味で受け入れれることが出来ないからだろう。
なぜなら、孤独は深い深い〈たいせつ〉のこころから生まれてくるからだ。