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漆黒



「なんだろう、あれは。

村の誰かかな?

いや、幽霊かーーー墓の中に眠っていた魂が誰もいない真夜中を見計らって目覚めて、宴や運動会でもやっているのだろうか。」


丘の向こう側に白き人影のようなものが見えた。


「そんな存在があることは格別不思議にも思わない。

でも、生まれてこのかた一度も出くわしたことはなかったなあ。

この星灯りしかない夜の闇を歩くことには慣れていたし、日常茶飯事でもあったけれども。


でも仮に、そんな存在だったとしてもーーー怖がることはないさ。

一緒に仲良く交われば、それはそれで楽しいかもしれないしね。はは。


それに、ヒカリがぼくについているから大丈夫だ。」


そんなふうにソラは楽天的に考えていた。


「あ、ひょっとしたら、あの人影は!

そうだ。マスターじゃないか。

誰もが眠りについているであろうこんな真夜中に、この丘に来ることを楽しむ人とはいえば、マスターくらいのものだ。

ねえ、ヒカリ、どう思う?」


ヒカリは沈黙のまま、その人影の方を凝視している。


いつも丘に吹き抜けていた風がぴたりと止まった。

すると何か生暖かいものがソラの首筋に触れた。


「それ」は風がないのに、ゆらゆらと動き続けている。


「ヒカリ、どうしたんだ?」


「ソラ・・・見ないほうがいい。

目を合わせてはいけない。」


一瞬、全身にゾクッと鳥肌が立つ。寒気がする。


その白い人影のようなものは、真っ黒になったかと思うと、少しづつその黒い部分を成長させていった。

その黒は少しづつこちらに近づいて来た。


「この宇宙は秩序に満ちている。

―――そのはずじゃなかったのか?


そして、その秩序は静寂の音色であり、調和したハーモニーであったはずだ。

そのハーモニー、秩序を乱すことは、いかなる人間にとっても不可能なはず。

この大地の全てが結局のところはこの宇宙の奏でる音楽のうちに調和されていくもの

―――そうではなかったのか。」


その黒は、全くの深淵であり、

秩序と言えるようなものは何ひとつなく、

光は何ひとつなかった。

それは、光を吸い込んでゆく。


「それ」はこちらに気がついたようだった。

ゆらゆらと黒をうごめかせながら、こちらに近づいてくる。


全身から嫌な汗がほとばしる。


気がつくと、夜道を照らしていたあの宝石のような満点の星々は、

漆黒のカーテンでもかけられたか墨でもこぼしたかのように蝕まれている。


黒は、光を蝕みながら、ソラに近づいて来た。


「それ」は、幽霊や怨霊や蘇った死体などよりもはるかに恐ろしく、絶望に満ちたものだった。


ソラは思わず「それ」から逃れようとした。

そして、後ろを振り返った。


しかし―――

そこに彼が来たはずの道はなかった。

果てしない闇がそこに広がっていたのだった。


あの星々は全く見えず、「何も存在しない」虚無だけが取り囲んでいた。


ソラは、今、自分が立っているのか、座っているのか、右を向いているのか、左を向いているのかすらわからなかった。


そこには上もなく下もなく、北もなく東もなく、南もなく西もなかった。


ソラは何とかしてその無秩序と混沌を振り払おうとしてもがいた。

彼に必要なものは何かひとつの足場であった。


今やすべては汚水と濁流が四方八方に入り乱れる出口のない海でしかなかった。


天球は裂け、暗黒が大地に侵入してきた。


その人影は、暗黒を背後に従え、漆黒のマントをなびかせながら、ソラのそばまで音を立てずに近づいてきた。


その者の「顔」をソラは見ることができなかった。

しかし、ただ〈それ〉が恐るべき知恵と意志と精神を持っている、そのことはわかった。


だが、〈それ〉は決して、ソラの身体に触れることはできなかったのだ。


「ソラ、君はどうなりたいのか。

何を求めているのだね。」


その者は、口を開き、マスターと同じ問いかけをした。


ソラはその者の見せた「顔」に戦慄を覚えた。


なぜなら、その「顔」は、無限の深淵だったからだ。


思わずソラはのぞき込んだ。


そして、闇をのぞきこんだとき、その闇もまたソラをのぞきこんでいたのだ。



「そこまでだ!」


虚無のうちに声がこだました。

聞き覚えのある声だった。

ソラは引き戻されたように感じた。


依然として、上下左右前後左右はない。

この場所にですら、その人はたしかに「いる」。


「わたしだ。ソラ。」


そっと背中に触れる手があった。


「マスター!」


ソラは、足場を取り戻したように感じられた。


いや、足場というよりも、それはむしろ揺籃や胎内に近いもののようだった。


マスターのうちで、ソラは自ら立とうとするその必要すらもなく、ただ、この絶対的な無重力のうちに身を委ねていればよかった。


この状況でソラにできることはただ一つ。


「信じて、任せ、委ね切る」

というただそれだけだった。


「いる」。

ただ人が「いる」ということ。

それはどれほどまでの希望だろうか。



「ゴルゴン・ゾーラ!

お前はまたもそうして人間とこの世界を手中に収めようとするのか?」


ゴルゴン・ゾーラというその闇は応えた。


「ふざけたことを言うな。この詐欺師め。

この宇宙はもともと余のためにある。

正義とは余のことだ。

下等な生物に地を任せたのがそもそもの間違いなのだと思わぬか?」


「お前は―――もともとは、

―――いや、いい。」


「本当に優れて強大な存在、

例えば、余のような者にただおとなしく服従すると言うことが最も平和で賢く合理的だとは思わないか?」




「一体、何が起こっているのだ?」

ソラは、目の前の恐るべきやり取りの意味を掴むことができずにいた。


しかし、今全く受け身のソラにとって、やるべきことは内側から強く分かった。


それは、勇気を振り絞ること。


それが成功するか、うまくいくか、どうなるかということに関しては計算すべくもない。


だが、今なすべきことは、とにかく立ち上がること。

勇気を出して、立ち上がること。



そう決意した瞬間だった。


ソラのダイモン・ヒカリがソラの口の中に飛び込んだかと思うと、

ソラの腹の底から炎のように燃えあがる氣力が立ち上がってきた。


その瞬間、その瞬間だけは、虚無と暗黒はこの場の全てを支配しうるものではなくなっていた。


なぜなら、そこにはただ一点、ソラの自己という光が輝いていたからだ。



「たとえ、周りの何もかもが闇に満ちていたとしても、それはけっしてぼくまでもが暗闇になり絶望に屈しても当然であるという理由にはならないのだ。


見ろ!

ぼくは自由だ。

自由にして尊厳のあるものだ。


たとえ幾億の闇が、世界を飲み込み支配しようと、

お前は、このわずかな小さなともしびさえ消すことはできない、、、できないのだ。

もし、自身がその自由を自ら放棄してしまわぬ限り、、、。


そして、この光、このともしびこそがすなわち、

ぼくの生きる道であり、(のり)となる。」


ソラは、自らを自らによって照らし出すことで、この宇宙の一角を照らした。


そして顔を見上げた。

「あれは・・・。」


同じようにして輝く無数の星たちが天空の天の川のように散りばめられている。


「ああ!

暗闇と虚空の中、孤独に輝く幾億もの星々よ!

君たちもぼくと同じだ。


ぼくは、たしかにどこまでも孤独であるだろう。

君たち全てと同じように。


だけど、暗闇の底では、ぼくたちはなおも大いなる存在に包まれている。

そして、自らが光であることを知り、

自ら虚空のうちの光となることができる。


そして、この光は、それぞれが見上げる虚空に無数に輝いている。

だけど、それぞれの光同士が決して一つになることはできない。

なぜなら、それぞれの光は、「たったひとつ」だから。

どの光も他の光にとって変わることはできない。


それぞれすべての光は、それぞれがただひとつ、唯一無二の存在。

だからこそ、一つになることはできない。

にもかかわらず、みな同じ「ひとつの存在」なのだ。


それらは絶対的に孤独でありながら、

絶対的に孤独であるがゆえに、

絶対的に孤独ではありえなかった。


足場を失っていたソラであったが、

今や彼自身の存在が彼を生み出し続ける足場となっていた。



と同時に、ソラの自身は、自分自身でありながら、

とてつもなく大きな深い関係と、一つの大きな「根っこ」によって生きている、生かされていることを自覚していた。



「チュン、チュン・・・」

鳥の声が聞こえ、闇が白んできた。


ゴルゴン・ゾーラは消え去ったわけではなかった。

―――海の水が決して干上がることのないように。


しかし同様に人間の希望という光も決して消え去ることはないのだ。

―――夜空から星が消え去ることのないように。






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