手紙と祈り
「そうなの・・・。
いや、あなたは私のことを思って、そんなこともしてくれていたのね。
でも、とても感謝しているわ。
あれがなければ、私はザッハ・トルテの法の正しさに目覚めていなかったもの。
そして、私のことを殺してくれてありがとう。
もし、あなたが私を殺してくれなければ、私は死んでいた。」
ほとんど、言っていることがめちゃくちゃだ。
「・・・ありがとう。また近いうちに、宇宙で会いましょう。じゃ・・・。」
その「メイ」はそそくさと話を切り上げていった。
パンパンパン
シャンディが手を叩くと、もとの彼女に戻った。
「へえ・・・あの男、まだ外の〈世界〉で生きていたの・・・。」
彼女はそれ以上問い詰めることなく、立ち上がり、踵を返して去って行った。
オレは、部屋に戻ると、ひとりでベッドにうずくまり哭いた。
結局、自分の身を守りたいがために反射的にとはいえ・・・メイを見殺しにしてしまった。
あれだけ決意したはずだったのに。
自分のうちに、恐ろしい矛盾が渦巻く。
結局のところ、オレは狂気に加担せざるを得なかった。
そして、その狂気の犠牲の上に、こんな豪邸と裕福な生活を与えられている。
全てがおかしい、そう思いながらも、オレは結局奴らと何ら変わりはしない・・・!
オレは、たまらなくなって走り出す。
走りに走り、あの国境近くの壁までやってきた。
そこで、壁に頭をぶつけて慟哭した。
「うわあああああああーーーーーーー!
メイ、メイ!ごめん・・・ごめんよ!」
メイがいたあの小屋に足を踏み入れた。
今でも、彼女がほほえんでハルを迎え入れてくれそうな気がした。
手紙が隠されていた。
トルテのやつらに見つからないよう。
そして、オレたちだけが知っている場所だった。
「ハルへ。
あなたがこの手紙を読んでいると言うことは・・・わたしはきっともういないのでしょう。
そして、ごめんなさい。ハル。
もし、あなたの身になにかあったら、すべて私の責任です。
私は、お父さんとお母さんを探し出しあうためにこの国に入り込みました。
この国の正面から入り込むことはとても簡単です。
でも、そこでれっきとした臣民の資格を手にするためには、厳しい修行という名の、服従が必要です。
〈世界〉から見たら、この国はとても魅力的に見えます。
自由、幸福、宇宙の真実、いるだけでお金持ちになれる国、人生があたらしくなる、あなたは選ばれた特別な存在・・・
そんなキャッチフレーズを繰り返し、〈世界〉の中に流します。
彼らは正体を隠して〈世界〉の中に違和感なく溶け込みます。
そして、入ってきた人をとにかくほめ、賞賛して、「あなたは選ばれた特別な存在」と言います。
同時に、〈世界〉がいかに腐っていて救いようのない場所かということを学習します。
そして、「この人なら大丈夫」と感じた〈素直で純粋な〉人を誘い込みます。
最後に、救いの唯一の道としてこの世の楽園、ザッハ・トルテ帝国への移住を勧めます。
だいたい、百人に一人くらいかそれ未満でしょうか。
あなた、そして私たちの母もそうでした。
この国に入ることが出来るのは、〈選ばれしもの〉だけ。
あらかじめ、よく服従してくれる人のみを選んでいるにすぎません。
もし、その中で気が変わり、反対する者や言うことを聞かない人びとがいたら、彼らは衆人の中でその人を徹底的に貶め、自分に自信が持てないようにさせます。
罪状は何でもでっちあげれば大丈夫。
そして、それだけではありません。裁判官たちはそのことを何年も、何十年経っても繰り返し繰り返し覚えておかせます。」
「・・・そうだったのか。
いや、どこかでうすうすと感じてはいたが。」
「あなたと私の母は、一家でトルテ国での生活に憧れて、〈世界〉からやってきました。
赤ん坊の私たちを連れて。
本当は、父も来させようとしていたのですが、父だけは反対でした。
それでも、母は振り切って行ってしまったのです。
父は、家族を取り戻すために、壁を越えて入国。
やっと母に出会えたものの、そこにいたのは変わり果てた母の姿だったといいます。
説得しようとしても無理でした。
しまいに、母は父を殺そうとまでしたというのです。
父は赤ん坊をひとりだけ抱えて、命からがら、国の外に向かい走り、追って来る兵士たちを倒し続けました。
父がその時、連れて帰ってきた子が娘の私、メイでした。
父はそれからトルテ国から指名手配を受け逃げ回り続けました。
彼らは、この世界のいたるところに紛れて潜んでいます。
誰も見ていない、聞いていないところで、私は父からあの国の恐ろしさをつぶさに教わりました。
私が十二歳になったころ、父は家に帰ったらいなくなっていました。
そして、一日経っても二日経っても、一週間たっても帰ってきませんでした。
首に輝くリングを付けた人々が連れて行ったよと言う話を、周りの人から聞きました。
ひとりぼっちになった私は、家族のいるトルテ国に行こうと思いました。
何日も何週間も歩き続け、やっとトルテ国の壁を見つけました。
乗り越えられそうな場所を探して、乗り越えることに成功したのですが、そこで転がり落ちてしまって気を失っていたのです。
そこで助けてくれたのが、他の人ではなくてハル、あなただったということは何と言う奇跡でしょう・・・!
名前を聞いて、また目つきや顔つきで、兄だと分かりました。
そして、あなたは私が思っていたようなトルテの人々とは少し違いました。
確かに、その大部分はトルテの教えに染まっていたかもしれない。
ずっとそうした教育を受けてきたものは仕方がないにせよ。
だけど、あなただけは何かが違った。
そう、小さな光を感じたのです。
その光とは、〈ダイモン〉。
あなたには〈ダイモン〉がついていることがわかりました。
ダイモンは、あなたの人生の道のともしびになってくれる存在です。
あなたがあなた自身を取り戻すとき、そして、奥深い自分自身と出会う時、ダイモンは正しく働いてくれます。
それは喜びを伴います。
だから、あなたの人生、運命は何があっても大丈夫なように出来ています。
そのことを信じてください。
おそらく、あの時あのタイミングで出会うことが出来たのもダイモンの計らいなのでしょう。
ハル、あなたはどうかあなたを護るダイモンの導きを信じてください。
たとえ、どれだけ絶望的に見えるようなことがあったとしても、思いもよらない方法でうまくその窮地から抜け出せることがありますから。
そして、将来同じくダイモンを持った仲間たちに出会うはずです。
私はもう、これでサヨナラです。
わずかだけでしたが、会えてよかった。
あなたの妹 メイより」
もう一枚紙が挟んであった。
そこには、絵と地図があった。
「これが・・・〈世界〉か。」
オレはそこで、〈世界〉の姿を見たのだ。
高めの木に登って、壁の向こうを見る。
青い空、白い雲。
かすんで見える山々、緑。
「〈信じる〉・・・か。
何と美しい響きの言葉だろう。
いままでオレは〈信じさせられて〉きた。無理矢理に、誰かから。
そして、それゆえに、今やすべてを疑うと言うことを覚えた。
もう何も信じることはできない。
全てを信じることをやめよう。
そう思っていたはずなのに。
ただ、今だけは、信じられる。
信じたい。
ああ、どうか信じさせてくれ!
信じ、委ねよう。
保障も証拠もない。
しかし、信じる。
オレは大丈夫なのだ、と。
それが本当のことなのだと。
信じると言うことは、賭けること。
信じると言うことは、待つこと。
いや、生きると言うことがそのまま信じることなのだ。
今、オレは信じよう。
本当の〈助け〉が来てくれると。
〈こころ〉を天につなげ。
ヘドロのような空気が、オレを四方から取り囲み、のしかからせ、息を詰まらせようとも。
オレは退けよう!絶望を!
心の扉は、自分自身で開かないといけない。
信じるものは救われる、そういう。
信じたら、救われるのではない。
信じることそのものが救いなのだ。」
風が吹き抜ける。
オレはオレの〈こころ〉の声を聴いた。
あふれ出してくるままに叫んだ。
「助けて!助けてくれ!」
絶望のどん底から呻くように絞り出した小さな叫びを、生まれてはじめてした。
地面にぽたぽたと涙がしたたり落ちる。
それは、希望そのものであった。
オレはひとりで崖に立って、今にも吸い込まれてゆきそうな夜空を仰いだ。
「ねえ。
どこかの誰かさん。
もしいたら聞いてくれ。
この夜空を見ている人は、この国の外にもいますか。
もし、いたら、答えておくれ。
私は、会いたいんだ。あなたに。
そして、いちど、この国の外の〈世界〉に出てみたい。」
胸の中でダイモンのリュウが輝く。