呼び出し
ボタンを前にして、オレはリュウに呼びかけた。
答えは、決まっている。
メイがこの先どうなるかは分からない。
本当に、オレを裏切ったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
だけど、こんな国で生きながらえるよりは、たとえ、その先に暗黒が待ちかまえていたとしても・・・
オレは「オレ自身」として最期を迎えたい。
そして、メイ・・・おそらく、オレの妹よ、どんな形でもいい・・・生き延びてくれ。
・・・そう、思っていた。
心では思っていた、そのはずだった。
その瞬間、オレの足元の床が透明になった。
下には、どんな塔よりも、いや、山の高さよりも深いであろう奈落が広がっている。
そのそこは見えない。
「うわああああああああっ!」
その刹那、オレは思わずのけぞり、その透明な床から転がり出た。
「それが、君の答えだ。オーケー。」
オレとメイの部屋を区切っていた窓に黒い仕切りがかけられた。
そして、壁には赤いランプが付き、ガチャリというあと、ブーというサイレンが鳴った。
全身が真っ白だ。
体は震え、歯がカチカチと音を立てている。
パチパチパチパチ。
ペペロン・チーノは薄笑いを浮かべていた。
シャンディ・ガフはオレを抱きしめる。
「ハル・・・おめでとう!よくがんばったね!
辛かったね!
でも、よくあんなに勇気を振り絞って、〈自分の本心〉に従って、〈真理〉を選び取ったね!」
ケンもアンコも駆け寄ってきて、口々に言う。
「おめでとう!おめでとう!」と。
「大丈夫、彼女は無事に〈救済〉されるよ。」
オレはどう応えていいか分からなかった。
「なんなんだ・・・これは一体、何なんだ。」
「無駄なものは思い切って〈断捨離〉してスッキリしないとね!」
アンコはニコニコしている。
「人間の身体だって、爪や髪を切るように、ザッハ・トルテ帝国にも不要で穢れたものを捨てて処分していくことは、生命を保つうえでとっても重要なことなの!」
「ふう・・・一時は、お前も本当に完全に暗黒のゴルゴン・ソーラに身も心も支配されたかと心配したぜ。
チーノ様に逆らったときは、思わずヒヤッとしたぜ。
まあでも、お前の本心が、ザッハ・トルテ側にあるってわかって、危機を乗り越えたって思うな。」
・・・違う。違う。違う!
チーノが口を開く。
「〈救済〉を実行する時は、誰でも心の中にゾーラがささやくのだ。
やめるべきだ、とな。
しかし、それはゾーラの必死の抵抗なのだ。
トルテ帝国から命じられた嫌なことをあえてするのも修行のうちだ。
おめでとう。
君は、許しの秘法も受けたうえ、さらに〈救済〉まで実行するとは。
特別に、身分をゴールドにまで高めようではないか。」
まったく釈然としなかった。
しかし、その翌日から、水道をひねれば出るようにオレのところには金貨が流れ込んできた。
仕事らしい仕事はほとんどしていないにもかかわらず、だ。
住居も、宮殿が三つも与えられた。
シャンディも満足げにその宮殿でくつろいだ。
しかし、オレの中には、痛みと空しさしか残らなかった。
オレは、死ぬ場所を探していた。
数日後、シャンディがやってきて言った。
「これで、あなたの〈次の人生〉も永遠に保障されたわね。
あと・・・あの子からの伝言があるけれど聞く?」
伝言・・・!?
そんなものが残っていたのか!?
「〈本人〉があなたに伝えたがっているそうだから、今〈おろす〉わね。」
シャンディは、胸の前で手をクロスさせ、何かブツブツ言い始め、グルグルと頭を回し奇声を上げ始めた。
そして、何十秒間も静まった。
ビクンッ!
シャンディの身体が急に跳ねるように動き、背筋を伸ばして、別の声色で語り始めた。
「ハル・・・こんにちは。メイです。」
シャンディの目つきや雰囲気、仕草が変わっていた。
「・・・お・・・おう。」
これが、シャンディの特技である、宇宙にいる人間の存在を降ろして語らせるという特技か・・・。
尤も、この特技をもっとも得意とするのは、ザッハ・トルテ王であり、毎日、百人以上の目に見えぬ存在達と語り合ってそれらは、皆八万四千の補助法典の中に含まれているというわけだ。
その存在達がこぞって同じように語る結論は、
「自分は未熟で過ちばかりの存在であるが、ザッハ・トルテ宇宙皇帝がいかに偉大な存在であるか」という賛美に尽きるのであった。
「ハル・・・あなたも知っているかもしれないけれども、私メイの肉体は、今もうこの世には存在しません。
だけど、〈こころ〉はこうして存在していて、今、あなたとお話しできている。
これって、すごくない?ねえ?
全部全部、ザッハ・トルテ様のおかげ!
感謝しなくっちゃね!
本当は、私は暗黒界で永遠の刑罰を受けなければならなかったのだけれども、トルテ様のもとに行ったら言われたの。
『もう、あなたは十分に苦しみ、罪を償った。
もうこれからはトルテ宇宙の光の国で大いに楽しみなさい』と。」
・・・不思議だ。
メイはそこまでベラベラと話すタイプの女の子だっただろうか。
「メイ。元気そうで何よりだ。」
オレは合わせてみることにした。
「それは良かったね。
ところで、君の‘パパ‘には会えたかい?」
オレは注意深く、上目遣いでシャンディの顔を伺う。
彼女は目を半分閉じたままだ。
続ける。
「君から聞いたよ。
外の〈世界〉に住んでいたパパはトルテの国を悪く言うとんでもないやつだった、と。
君は、そんなパパに洗脳されて、家族を救うためにこの国にやってきて、なんとか壁を乗り越えてきた。」
もちろん、そんな話はメイから聞いてはいない。
前半までは、シャンディの知っている話だが。
「・・・う・・・」
シャンディの口が微かに止まり、閉じかけている目の奥で、何かがうごめくのが分かる。
「うん!会えたよ!
だけど、‘パパ‘は気がついていないの。
でも、仕方ないよね。
トルテ法を知らない異邦人のままだもの。
レベルも所詮そんなところでとどまっているのよ。」
・・・メイは、父のことを‘パパ‘とは呼ばなかったはずだ。
それに、メイの父、つまり、オレたちの父さんは「首にリングをした人に連れていかれた」はず。
そして、もしそれが本当で、〈救済〉されていとしたら、同じ場所にいるはず。
しかし、もし、どこかで生きているなら・・・。
ううむ、わからない。
「あと、メイ、ごめん。
君に謝らなければならないことがある。」
「なあに?」
「オレは、トルテ法を君に一生懸命に伝えようとするあまり、時にはムチで叩いて、時には水をぶっかけてしまったことがあったね。傷ついたかい?」
もちろんそんなことはしていない。シャンディのしたことだ。
オレの罪状のなかには、異邦人をかくまっただけでなく、「婦女暴行」も含まれていたはずだ。