肉親
「〈救済〉、それは〈愛の行い〉よ。
もし、あなたが本当にあの子を愛しているのなら、それを行いで証明できるはず。
だけど、もし、その気もなかったとすれば・・・。
許しの秘法を受けて、同じ過ちをしないと誓ったその口の根も乾かぬうちに、罪を犯すのであれば、やはり究極の許しの秘法として、あなた自身が〈救済〉されなければならないわね。」
「待って・・・。」
「ダメ。そうやって決断を先延ばしにしていると、結局何も決められない。」
「母さん!」
シャンディをそう呼んだのは生まれてはじめてだった。
「私とお前は血がつながっているだけで、単なる教官と臣民、それ以上の関係ではないわ。」
「母さん!
ひょっとしたら、あの子は・・・メイは・・・オレの妹・・・
そしてあんたの子かもしれないんだよ!」
「・・・」
シャンディの手がとまる。
「母さん・・・だから、〈救済〉はせずに・・・」
「そう・・・。」
「・・・」
「そう。だから、何?」
「だから、何・・・って?」
「ザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下よりも、肉親、家族、親や子を愛する者は、ザッハ・トルテ帝国にふさわしくない。
肉親が死んでも、ザッハ・トルテ様のことを優先させよ。
それが、トルテ様の教えでしょう。
神話の時代・・・ザッハ・トルテ宇宙皇帝様の忠実な臣下であるアブラベーコンは愛するその一人息子であるイグサをザッハ・トルテ様のためにためらわずにいけにえにささげた。
彼は、愛するザッハ・トルテ様のためにわが子を自分の手で〈救済〉したの。見事に首を掻っ切ったわ。それでみんなが救われたの。
美しい話じゃない?
私は、トルテ様のために、滅びゆく世界にあった夫も娘も捨てて、すべてを捧げたの。
今更、娘が何しに来たところで、〈救済〉されることには変わりない。」
「せめて・・・せめて、奴隷でも、色リングからでもいい。
〈救済〉なんていう、豪華なことはやめてもらえないか・・・いや、勿体なさすぎないか。」
「・・・・」
シャンディの目から涙がにじむのをオレは初めて目にした。
・・・あ、この人にも・・・・この人にも、人間らしいところがあるんだな。
ほっとした。
「だけど。
ザッハ・トルテ理論は絶対よ。
もし、それの一点一画でも破れば、永遠の命を失い、暗黒界を永遠に彷徨うこととなる。
私は、私はね・・・愛しているから、愛するわが子たちが暗黒界に堕ちるのをみすみすほおっておきたくないの。
一緒に、光のザッハ・トルテ宇宙で永遠の幸福のうちに暮らしたいの。
それが、私の夢。
いま、どちらかを〈救済〉しないと、それは叶わないわ。」
「・・・おかしい。」
小さな声でオレはつぶやいた。
「え?」
「聞き間違いかな。今、何と言ったんだ。」
「おかしい。おかしいよ、こんなの絶対・・・!」
「おかしいのはあなたの頭の方。」
「狂ってる・・・狂ってるよ、この国はみんな。」
「狂ってるのは、私たち以外のすべての世界のほうよ。」
「裸じゃないか!ザッハ・トルテ皇帝は!
それに、どこにも証拠がないじゃないか!
宇宙戦争も、前の人生とかいうやつも、
そんなわからないもののために、自由を奪われてたまるか!?
そんな確認もできないもののために、いのちを捧げてたまるか!?」
「・・・・。」
驚き、言葉に詰まったシャンディの代わりに、ペペロン・チーノが口を開く。
「もし、そうだとしたら、一体何が残る?
ねえ。
そこに何が残る?
答えられる?」
「何も残らないさ。
そして、すべてが幻想で茶番だったと気が付くだけだよ。」
「あなたの言った通り。
君の言ったことは、滅びゆく〈世界〉に属しているものからよく出る質問。
そんなものは想定済みだ。
そう粋がって叫ぶ彼らには、何も残らない。
彼らは自分で、何もないということを選んでいるのよ。
君が、この国をおかしいと思うのは、個人の自由だ。
そして、この国では自由は法によって保障されているのだから、とっとと身分も何もかも捨てて、あのクズどもが住む〈世界〉へと堕ちるか、自分を〈救済〉して、暗黒界にでも逃げればいいではないか?
そう、いつも言ってるよね。
人生は自由で、君の思った通りになる、と。
なぜ、おかしいとおもったら、わざわざこんなところを選んで生まれてきたのかね、君は。
そんなに嫌だったら、早いこと、自分で自分を〈救済〉すれば済むだけの話じゃないか。」
「自由・・・?
自由だって?
そんなもの、従うか滅びるかという偽りの自由ではないか?」
「真理は真理だ。
君にとっていくら不都合でも、真理を捻じ曲げることは誰にもできにぬ。」
「真理!?真理だって!?
あんな裸の皇帝の気まぐれでころころ変わることが?」
「赤ん坊に大人の認識している正解が分からないのと同じだ。
いや、ミジンコが巨大なクジラを評して、ああだこうだと講釈をたれているのと同じか、それ以上だ。
〈認識〉を得れば、言っていることに何一つ矛盾はないと分かるはずだ。
〈認識〉を得なさい!
小さい頭であれこれ考えても、偉大なる真理は決してわかるものではない。
さかしら心というものを捨てて、素直に従うことだ。
宇宙皇帝陛下には、人間ごときには思いもよらない深い考えがあるのだ。
ただ、あれこれいわず、不平不満を言わず、ただついていくだけ。従うだけでいいのだ。
疑うことがあってはいけない。
一パーセントでも疑えば、自分の頭で考えると言うことをしたが最後、待っているのは滅びだ。
お前には、結局その覚悟がなかった。
自分可愛さに、醜い自我にしがみついたのだ。
つまりお前は、自分に負けた。
負け犬なのだ。
負け犬が必死に自分を正当化しようとしているだけに過ぎない。
滅びるのは、ザッハ・トルテ様のせいではなく、自らが望んで滅びに向かうに過ぎない。
あなたはそれに耐えられるか?
あなたの存在は、巨大な宇宙の中の針の先にも満たないほどの小さな一点でしかなく、
そして分かることは、間もなくあっさりと朝露のように死んで消えてなくなる。
誰も、誰も、あなたの存在のことなんて気にはかけない。
すべては忘れ去られていく。
すべては、無から出て無に戻る。消える。
あなたは、ただ、なぜかそこに発生して、簡単に消滅してしまう。
それだけ。
ただそれだけ。
世界も、その後長い時間の後、燃え尽きて消え去ってしまう。
ない。
何もない。」
「・・・う。」
「それだけでない。
お前は、この社会のどこにも居場所はない。
はじき出される。
一度リングを失ってしまえば、誰からも無視される。
居ないものとして扱われる。
宇宙の真実のない人生に耐えられるかい?
だから、真実が必要なのだよ。
そして、真実は、ザッハ・トルテのうちにのみある。
そして、ザッハ・トルテ陛下を全面的に百パーセント信じ、法典に従い、帝国に属する者だけが永遠の命を手にする。」
「そ、そんな真理は、なにもないこととさほど変わらない絶望じゃないか!?」
「それって、君の主観にしかすぎないよね?
あなたの心の中の暗黒を不当にも世の中に投影しているだけじゃない?」
「だったら、あんたたちはどうなんだ?同じことだろう?」
「君の言っていることに何か客観的なデータでもあるのかね?
見てごらん。
〈世界〉のすべては、いたるところで置き換えられた〈真実〉とやらにぶら下がり続けている。
本当の真実が、ザッハ・トルテのうちにあるとも悟らずに。
ザッハ・トルテの法典が真実であることの証明は火を見るより明らかだ。
なぜなら、ザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下が、直々に、ザッハ・トルテ法典のすべてが真実であることを語っているからだ。
また、ザッハ・トルテ法典も、それを書いたザッハ・トルテが宇宙皇帝であることを証言している。
そして、宇宙皇帝が権威をもって認めたザッハ・トルテ帝国も、このことを認めている。
これは、真理の動かぬ証拠ではないか。
真理が真理である理由、それは、真理が真理であるからなのだ。
世の中にはいちいち証明などしなくとも分かる命題というものが存在するが、このことに関しても、おおよそ知性のあるものならば、一瞥のもとにわかる。
なぜそこに、いちいち証明が必要なのかね。
そうした疑問が出てくること自体、あなたの知性が暗黒の瘴気にやられてしまった証拠だ。」
「そ・・・それは。」
「頭で考えるな!
お前の小さな頭脳などでは決して分からない世界があるのだ!
ザッハ・トルテの理論は所詮人間では到底わかりえない。
判断せず、ただ素直についてくる。
それが忠誠というものだ。
それだけでいいのに。
もっと、考えすぎず、シンプルに捉えればいいものを!
この世界中の誰もがこの理論に従えば世界は平和になるというのに。
まったくこれだから、中途半端なインテリは・・・。
シンプルに考えたら、ここは〈救済〉以外にないだろう。」
・・・おそらく、この国に住んでいるいかなる人間と話をしても無駄だ。
このようなことを永遠に続けていても、何一つ無駄だ。
そう悟った。
「・・・御託を並べすぎてしまったようだわね。
君とは根本的に話が合わないし、こちらがどれだけ誠心誠意心を込めて話したところで、おおよそ理解し合えるとは思えない。
どちらも、〈救済〉した方が早いかな。」
「それは、こっちのセリフだよ。」