救済
裁判は流れるように終わり、オレはペペロン・チーノと二人で、裏にある部屋で続きを話すこととなった。
「我々の〈認識〉によって判明した事実なのだが、いうまでもなく、あの少女は暗黒界の帝王ゴルゴン・ゾーラに憑依されている。
君は、まんまと少女の罠にかかり、ゾーラに尊い魂ごと暗黒界に連れ去られることになっていただろう。
本当に良かった。」
「そんな・・・そんなことがなぜ分かるのですか?」
チーノは思わず噴き出した。
「いや、そーんな当たり前のこともわざわざ聞かなければならないほどか?
それすらも分からないって、やばい。
ほんとやばい。
そうしたところが、あなたの何をやってもダメなところだろうね。
そういうあたりまえの常識的な認識すら持てないレベルの人間がよくもまあ、シルバーなんかになれたものだねえ。
もっと気の利く人は、先を見越して動く。
そして、その場で、さささっとその子を〈救済〉することもできるよ?
〈空気を読む〉っていうことはそういうことよ?
そうやって、空気を読める人間から出世していく。」
「ペペロン・チーノ様、私は、しっかりあの子を介抱し、助け、看病しました。
本当に、心から、胸からあふれ出る気持ちがあって、かわいそうだ、助けてあげなきゃと思ったんです。」
「・・・・」
チーノはしばらく腕を組んで考え込んでいた。
「ハル君、君は何にも分かっていない。
〈救済〉の意味も何もかも。」
「だから、助けてあげたって。」
「それは、何も助けてあげたことにはならない!
彼女の朽ちる肉体、そして背後に控える闇の帝王に栄養を与えつけあがらせただけだ!
本当の意味での〈救済〉とは、存在をザッハ・トルテの〈光の宇宙〉に送ってあげること以外になにもない。
つまり、彼女の肉体人生を早めに卒業させてあげて、その〈こころ〉を高次元の光の宇宙に送り届けてあげることだ。」
「・・・つまり、それは、殺せ、と。」
「それは、君の主観的な見方にしか過ぎない。
ちょっとまだ、君の心には俗物的な濁りがあるな。
唯物的で暗黒的な視点から見たら、そう取れるかもしれない。
しかし、もっと高次の視点から見ればどうだろう?
それは、必ずしも悪いこととは言えず、むしろ、最高に善いことととはいえないだろうか?
殺してはいけないという教えは、古今東西普遍のものだ。
オーケー。それは認めよう。
それは、ザッハ・トルテ理論にも明記してある。
いかなる死刑すらも、いや小さな虫を殺す事すらも理論では犯してはならない罪だ。
しかし、殺すという定義から考えてみたい。
他人や生き物の生命を断ち死に至らしめることが殺すという事であれば、
もし、生命を断たず、死にも至らせないまま、肉体という仮の乗り船だけ機能を停止させ、その生命の本体を光の世界にシフトアップさせてしまえば、どうだろう?
それは殺すという定義に当てはまらず、それはむしろ殺人と言うよりも、活人とは言わないか?
真に人を活かす道だ。
本来善悪はこの宇宙にはないんだ。
善悪なんてすべて人間がつけたもの。
あまり善悪の価値観にこだわることは善くない。
善悪の価値観はすべてあなたが決めていいんだ。
そして、思い出してくれ。
君は自由だと言うことを。
望むものをすべて生み出せる偉大な存在であると言うことを。
もっと、前向きに捉えたらいいんだ。
別にそこには悪い意味もいい意味もない。
どうせだったら、そこに偉大な意味を付ければいいじゃないか。
君は、ずっと洗脳されてきた。
とにかくわけもわからず、殺してはいけない、と。
しかし、それが〈救済〉だったら?
前向きに考えよう。明るく考えよう。
それは、愛であり、希望であり、信じると言うことでもあるのだ。
いいかい?
メンタルブロックを外さなきゃだめだよ。
〈救済は善〉だという真理をひたすら君のマインドに叩き込むんだ。
そうしたら、もっともっと君は自由になれる!
そうだ!
もし、〈救済〉が成功したら、何十年分の〈許しの秘跡〉の奉納分も減額にし、さらに、リングもシルバーからゴールド、いや、ひょっとしたらプラチナまで引き上げることが出来る。
想像してみてほしい。
日々の支払いがなくなるだけでない。
君はもはや罪人の汚名を着せられることはなく、英雄の扱いを受ける。
それに、身分がトルテ王に近くなればなるほど、不逮捕特権やトルテ法の解釈権も与えられる。
色リングの身分の者から税金を搾り上げ、最悪切り殺しても罪には問われない。
仕事は、一日一時間軽い作業をするだけで、自動的に一生かかっても使いきれないだけの財産が川のように流れ込んでくる。
あとは、毎日高級な宮廷に行って遊びくらしてもいい。
それに、君は顔もいい。
宮廷に行けば行くほど、かわいくて美しい女の子が勢ぞろい。
そして、君のためにとっかえひっかえ、あんなことやこんなことをしてくれるかもしれないよ。
どうだね?
ワクワクしてこないか?
今、ゴールドやプラチナの身分にいるものも、そうやって高い代償を払って上に昇ってきたものが多い。
ノーペイン、ノーゲイン。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
幸福にはそれなりの代償が必要だ。」
「それでも、命は大切なのではないですか?
平等で、自由で、健康で、文化的な生活をする権利が保障されなければ。」
チーノは大笑いした。
「そんなもの・・・ああ、確かに大切かもしれない。
しかし、それは真実の世界を知らない単なる欲深い人間が考え出したフィクション。
おとぎ話さ。
国を滅ぼす悪魔の思想だ。
トルテ陛下が明かした宇宙の真実とは、そんなものではない。
君も、わかるだろう。
ザッハ・トルテの法の正しさを体験すれば、平等も、自由も、人命が尊いなどということも、実にたわいもないくだらない低次の自己中心的な欲望にしか過ぎないのだと。
ザッハ・トルテの権威にとってかわろうとする、〈認識〉のない愚かな人間たちが自分の小さな頭ででっちあげたたちの悪い考えさ。
そういう言葉の裏には腐臭さえ感じるよ。
確かに、人は心の中で何を思っていても自由だ。
しかし、暗黒界に堕ちる者共は、それすらも、宇宙皇帝から授かったものだということに気が付かんらしい。
思いは言葉になり、言葉は行動になり、行動は生活になり、生活は人生になり、人生は世界になり、世界は運命になる。
言葉にしなくても、行動に起こさなくとも、思っているだけで、人は罪を犯す。
そして、暗黒に堕ちてゆく。
人の心の一つしかない針は三千もの宇宙に揺れ動く。
そうしているうちは、真の〈認識〉はない。
磁石が常に北を指し、北極星が常に天の中心から動かぬごとく、ただ一つのものだけを選ばねばいかんのだ。
それがすなわち、宇宙皇帝ザッハ・トルテとその法典と神聖なる帝国なのだ。
真に重要なことはザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下への絶対服従!
自由も平等も生命も、ザッハ・トルテの前には塵にも等しいと言うことを思い知らねばならぬ。
だから、我々は、個々人の内面や心の内側まで、罪を犯していないか監視しておく必要があるのだよ。
とにかく、汚物は消毒だ。
幸福な人間しか、この国にはいてはいけないのだ。
できるだけ、醜いものや穢れたものは排除しなければいけない。
我々は日々、部屋の中を掃除しなければならない。
そしてそれは、心についても同じこと。
ザッハ・トルテに反するすべてのものを退けつづけなければならない。
雑草は除去しなければいけないだろう。
同じように、国の中にはびこる毒虫も処分しなければならない。
それが、人類を良くしていくために必要なことなのだ。
この戦いは、終わることはない。」