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倒れていた少女

オレたちは、ザッハ・トルテ理論を学べば、学ぶほどそれが真実であることが「分かった」。

俺はそれらをもはや強制されることなく、自発的に喜びをもって学び続けた。


〈認識〉を有しない「単なる人間」たちが、感覚だけの世界でしか知りえない常識をこえた壮大な宇宙の神秘なる真実を新しく知るたびに興奮を禁じえなかった。


〈認識〉が深まるにつれ、自分が普通とは違う特別な目覚めた存在なのだと思うようになっていった。

自分は何か特別な選ばれし存在であるのだという自覚は日に日に強まっていったのだった。


それを自覚するたび、なにかすべてを見渡すことのできる位置に立ったというとてつもない高揚感に包まれ、喜びを感じた。


高い〈認識〉を持てば持つほど、自分が本来は偉大であることが自覚できると同時に、

その他多くの立場の人々が、低いレベルの〈認識〉にとらわれている低次元の存在ということも分かる。


〈認識〉を持つ自分自身が本来の姿。

それに気が付かない人々は、むしろ獣に近い哀れな存在なのだ。


ああ・・・これよりももっと大きな悦びをザッハ・トルテは感じているのだろう。


何だってできそうな気がした。

人生に不可能はないように思えた。


人生の悩みや苦しみや疑問の百パーセントは、ザッハ・トルテ理論にその答えが書いてあった。

すべては明確で一義的な答えが書いてあったので、自分で考えたり悩む必要ももはやなかった。


現在、仮に矛盾に感じられたり、理解できない箇所があったとしても、ザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下が間違うことはありえない。

それには、必ずや何か凡人には計り知れない深いお考えがあってのことなのだ。


たとえば、ザッハ・トルテ宇宙皇帝が何十人もの側室を侍らせていたり、

以前にダイヤモンドやプラチナのリングをしていた憧れの幹部が、次々と〈救済〉の対象になったり、

下々の階級のリングの財政がかつかつの中、多額の金を要する「お金持ちになる秘法」を臣民に伝授して、宇宙皇帝だけがますます豊かになっても、

宇宙皇帝の服の色が透明に見えたとしても、だ。


自分の小賢しい頭で考えるのをやめて、とにかくザッハ・トルテ理論を暗記することが大切なのだ。



過去の人類の偉大と言われた人々の考えは、いかに偉大なものでも、ザッハ・トルテの〈認識〉からすればその高低が手に取るようにわかり、ほんのわずかな芥子粒のように見えた。

彼らの〈認識〉がどれだけ高くても砂場のお山程度のものだとすれば、ザッハ・トルテの〈認識〉はゆうに宇宙空間に到達する山を越えていた。

人類はこれ以上に偉大なる認識を有しえなかった。


オレたちは、かつての愚かだった自分のようにうじうじと悩んでいる人間を見ると、

「ああ、かわいそうに。まだ目覚めていない〈認識〉の次元が低いんだな」と思い、

ツカツカと近づいて行って、

ザッハ・トルテ法を開き、

「お前、〈認識〉が低いからそんなことで悩むんだよ。

ほら、トルテ理論のここに答えが載ってるじゃないか。」と得意顔で押しつけた。


とにかく、自分たちはこの方法でうまくいったのだから、相手にとってもうまくいかないはずはないのである。


言うことをなかなか聞かないと、その低レベルな〈認識〉にあきれ返り、哀れにさえ思ったりした。



苦しんでいる人間を見ると、

「ああ、トルテの法に反したことを行った報いとしてその罰を受けているのだな」と思い、

ドカドカとその部屋に入っていき、

「自分が悪いからそうなった・・・て分かってますよね?」

と、トルテ理論を説き、その見返りとして金貨を何枚かせしめた。


疲れ果てた母があれば、

遠くからそれを見て、

「ああ、〈認識〉の低いゆえにこんなところに安住しているのだなあ。」

と思い、徳を積ませるために、自分の荷物を運んでもらったりした。


死にそうな人がいると聞けば、

その人の〈認識〉具合を見て、このままだと暗黒に行くと忠告し、ザッハ・トルテの法を読みなさいとドサドサと枕元に置いていった。


喧嘩があれば、うれしくなり、それをさらに焚きつけた。

そして、〈暗黒〉を発見したとばかりに石を投げつけたうえで、上の身分の者共に通報し「ポイント」を稼いだ。



オレたちは大通りで、みんなの目に見えるようにして、ザッハ・トルテ王への忠誠を誓い、

みんなから「立派だねえ」とたたえられた。

認められると、ますます、得意になり、なるべく人の多い場所を選んでザッハ・トルテを讃えた。





小さいころにたびたび教官たちから強いられた、何日間も眠らず、飲まず食わず、酸素の少ない小さな真っ暗な部屋の中に閉じこもることもやったりした。自発的にだ。

法典には、その手法も明確に書かれている。


この感覚は、あの熱を出して死にかけた時に経験した神秘そのものだった。

オレたちは人間を超えて、宇宙の根源そのものになった感覚を何度も味わった。

オレは自分の存在が肉体でないということを感じ取り、無限に膨張することも、無限に縮むことだってできるようになった。

小さな鍵穴から出入りすることもできたし、空中を散歩することだってできたし、世界の裏側や別の惑星の人類と会話をすることだってできるようになっていった。


肉体の感覚を超えて、ありありと宇宙皇帝陛下の存在をそばに感じることが出来た。

誰の力か。誰のおかげか。

すべては、宇宙皇帝陛下のおかげなのだ。


思わず喜びのあまり涙があふれる。


トルテ陛下の宇宙での戦いはこれから先も長く続く。

自分も今置かれた場所で戦いを続けて、「宇宙戦争」の最後の勝利、すなわち大宇宙の統一がなされるその日まで信じてやり抜こう。



オレは、先輩として、それこそ「若い教官見習い」として、小臣民たちにもトルテ法典を教えることとなった。


小臣民といっても、せいぜい、光沢以下の色付きの卑しい身分の子息どもだったが。

自分が小臣民時代のときは、「なるべく関わるな」と叱られていたのであるが、シルバーの身分を手にした今やそんなことはなくなった。


それでも彼らは、選ばれし宇宙最高民族の一員。

丁寧に愛をもって教育するのが使命だ。


人間は完全に自由な存在であること。

物質も肉体も存在しない。ただ精神だけが存在している。

自分に起こるすべての事は自分に責任があること。

ザッハ・トルテ宇宙皇帝こそがすべての存在の生みの親なので、完全なる自由意志によって彼に全面的に同意することが正しいことであること。

そうすれば、富と身分と名声と権力が手に入るが、もし従わないならば、行く先は永遠の暗黒である。

ザッハ・トルテの子どもである国民たちはみな小さな宇宙の根源であるので、修行次第で、世界を思いのままにコントロール出来るようになる。

宇宙のパワーは何でも言うことを聞いてくれる優秀な召使のようなものである。

云々。


「えー?ホント」

「そんなことどうやったらわかるんですか?」


認識のない低次元のガキというものは本当に手に負えない。


オレたちのころは、そんなセリフを少しでもはこうものなら、鞭や本で叩かれたものだった。


「ハル・・・甘い。甘いよ。

もっと厳しくしないと、本人のためにならないぞ。

もっと、競争を厳しくするとか、法に反することは即座に指摘したりだとか、互いに監視させるだとか密告させるだとかしないと、崩壊するよ。」


そういって上官から叱られることもたびたびあった。


小臣民たちは群れをつくり、その群れにいない小臣民たちの「悪さ」を暴きハルに報告することで「僕たち、私たちはいいことしていますよね!」と団結を強めた。

「悪さ」といっても、別になんでもいい。

雰囲気が暗いとか、体形がいびつだとか、ほくろの位置だとか、喋り方が変わっているだとか、肌の色が黒いとか白いとか、そんなことだ。


群れはこぞってオレにすり寄り、寄ってたかってその場にいない「ぼっち」の悪さをあげつらった。


オレはその「ぼっち」の小臣民を次々とザッハ・トルテの法に反するということで、排除していき、

〈救済〉の処置に送り込むことにした。


そして、「ポイント」はますます上がっていった。


その時、オレは〈救済〉が具体的に何を意味しているか分からなかった。

ザッハ・トルテ王の大いなる慈悲によって、浄化されるということだけは聞いていたが。


「ぼっち」の小臣民たちのオレをにらむ顔・・・。


「〈救済〉だけはやめて!やめてください!お願いだから!」

と泣き叫ぶ母親。

すぐに、「なんだその口の利き方は!喜ぶべきだろう。」

と、兵士たちが捕らえる。


なんだか、昔の自分のような気が一瞬した。

心が痛むような気がしたが、この少臣民はオレとは違う。


オレはしっかり「反省」して悔い改め、ザッハ・トルテに忠誠を誓ったが、奴らは罪のうちにとどまっている。


違う・・・違うのだ。



はじめは、こころに引っ掛かるものがあったが、

そのうち、オレは栄えある青年ザッハ・トルテ愛好会の一員として、

仲間と協力して、国の中で浮いているやつだとか変わったやつやみんなと違う考えを持っているやつやずれた行動をしているやつを見つけては「法に違反する」と指摘して引っ張って行った。

そして、兵士に引き渡し、「救済」とした。


その作業は、はじめはとても苦しかったのだがそのうち、まるで事務作業でもするかのように淡々と処理すべきものとなっていったのだった。


これもみんなザッハ・トルテ宇宙皇帝様のため。

この国の秩序を守るための栄誉ある仕事なのだ。







・・・そんなある日のこと。


オレの人生を・・・いや、世界を揺るがすような出会いがあった。


オレは、ふとこのトルテの国の偉大さを隅から隅まで見て見たいと考えた。


その時は、大人たちからの「監視」も、小臣民の頃と較べて手薄となっていた。

それに、シルバーのリングをつけ、さらに自ら積極的に王と帝国への忠誠が育っていた自分は「大丈夫」と判断されたのかもしれない。


宮殿や都市部から遠ざかるにしたがって、大自然がうっそうと姿をあらわす。


うっすらと雪をかぶった巨大な山々が見え始め、風が吹き荒れる。


自分の背丈の十倍、二十倍もあるような壁がどちらを見回しても見えなくなるまで続いている。


その壁の向こうに、「化外の地」。


野蛮な存在達がこの外に封じ込められている、そういうが、この青い空はもっともっと遠くまで広がっているようだった。


俺は、壁にもたれかかりながら空を見上げた。


なんだか、久しぶりに、いや、ひょっとしたらはじめて、「たったひとりきり」になれたかもしれない。

いつもいつも、青年ザッハ・トルテ愛好会の一員として群れて活動していたから。


その時は、もうただ空を見上げているだけで、何もかもを忘れていた。


王のことも、国のことも、修行の末の体験のことも。


ただ、そのままの自分、ありのままの自分が青い空の下にいるだけ。

心はどこか裸になったようだった。


思ったり、考えたりすることをみんなやめてみる。


風が吹きつける。

鳥のさえずり。

太陽の照りつける感じ。


どれくらいずっとそうしていただろうか。


なんだか、ほんの少し「息ができている。

そんな気がする。



ゆっくりゆっくり壁に沿って歩く。


靴の底を通しての、土の感覚、石の感覚、木の枝を踏む感覚、草を踏む感覚。


トルテ国の市街で「風」を感じることはなかった。


だけどここには風を感じる。


自由な風。


生命をもたらす風。


何にもとらわれないで思いのままに吹く風。



自由。

自由。自由。


ふと、そんな言葉が頭の中をよぎる。









そこにいたのは、少女だった。


それも、オレと同じくらいの年頃の。


少女は倒れて、気を失っていた。

ところどころに擦り傷やアザがあり、泥もついている。


そういえば、首に何もリングをつけていない。


まだ、「成人」していないのだろうか。

それとも、何者かに襲われ、リングを奪われたのだろうか。


「どちらにしろ・・・法に反する存在だ。

〈救済〉案件だな。」



周りには誰もいない。


「・・・少し・・・待てよ。」


オレの中で、何かが動いた。


少し離れたところに使っていなさそうな小屋があった。

もう何年も誰も使った痕跡もなく、ひょとしたらその存在すらも忘れ去られてしまったのではないかと思えるほどの。


オレは、少女を抱きかかえ、一歩一歩その小屋まで運んだ。

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