虚空
ザワーク・ラウトはなおも語り続けた。
「結局、この男には何の力もないことがわかっただろう。
さあ、オレのところに来れば、お前は勝てる。」
その時、見つめる者があった。
ウミだった。
「ハル・・・やめて・・・マスターを傷つけるのは・・・。
それに・・・なんで、マスターがこんなことにならなきゃいけないの!?
私たちを救ってくれたんだよ!?」
ラウとはウミとハルに聞こえるように言った。
「裏切り、逃げて、外野に居る奴が何を偉そうに言える権利がある?
いいか。
こいつは・・・生かしておいたら、トルテやバコア以上の地獄を作り出していたかもしれん。」
「マスターと、あんな奴らを一緒にするな!」
「問題は、よしんばこいつが正しい善意の人間であったとしても・・・
当然、その教えの灯は未来永劫伝えられるはずだ。
そしてそれを継ぐ者・・・つまりお前たちは、マスターの意図をねじまげて、その後全く逆の代物を作り上げてしまうんじゃないのかい?
お前たち全員・・・だれか一人でもマスターの真意が分かったものがいたというのか?
違うだろう。
マスターはお前たちから見てあまりにも巨大な山だ。
誰もマスターを超えることなどできない。
おまえたちとその弟子たちは、〈正しさ〉をめぐって・・・〈権力〉をめぐって争い合うことになろう。
また、その正しさゆえに、多くの人々を傷つけることになろう。
そんなことになるのだったら、この者の命を懸けた教えなど何の意味がある?
だれもが、無かったらよかったと思うはずだ。
〈ムスビ〉などなければ、世界は平和になっているだろうと・・・。
後世に禍根を残さぬためにも・・・
だから、いま一思いに殺してやれ。
マスターを〈救済〉してやるんだ。」
マスターはただ息をしているだけで精いっぱいという様子だった。
もう見ていることができない。
空には真っ黒な雲が覆っていた。
その時、シャンディがマスターのほうを見てつぶやいた。
「あなたは・・・誰?」
マスターはシャンディのほうを振り向いて、ただ微笑んだだけだった。
刑場には呻き声ばかりがこだましていた。
それは肉体の痛みだけでなく、〈たいせつ〉から全く離れ去ってしまった〈こころ〉の絶望と孤独の呻きでもあった。
*
ザッハ・トルテ宇宙皇帝はついに究極次元にまで達してしまったようだった。
しかし、そこには従者も居なければ、臣民もおらず、友も家族もなく、家も城もない。
誰もいないのだ。
誰もいない何もない無限の空間だけが波打つように広がっているだけだった。
トルテ王はその無限の空間にただ独りだった。
しかしトルテ王は全知全能の存在となったので、何をすることだってできた。
どこに行くこともできた。
だが、するべきことは何もなく、行くべき場所も何もない。
仕方がなく、宇宙皇帝はありとあらゆるものを作り出すことに成功した。
しかし、そこには宇宙皇帝以外の何者もいないのだ。
悪人もいない。
逆らうものもいない。
歯向かうものもいない。
全宇宙には完全なる平和が訪れたのであった。
しかし、宇宙皇帝には誰も一緒に喜んでくれる人がいなかった。
無限の宇宙空間の中に、
光しかない虚無の中に、意識だけが永遠にあるのだ。
宇宙皇帝は、多くの従者や奴隷をつくりあげた。
しかし、誰の目にも〈こころ〉はなく、宇宙皇帝などいないように振る舞い続けている。
いや・・・その〈こころ〉は、宇宙皇帝以外の存在に向けられているのだ。
宇宙皇帝は、何もなかったときよりもはるかに孤独な気分に襲われた。
「誰か・・・!誰か・・・!
我はここにいる!」
ザッハ・トルテが虚無のどん底でそう叫んでもだれも返事をしてくれるものはいない。
宇宙皇帝がつくりあげたすべての他者は、ただザッハ・トルテのことだけを無視して、ますますこの宇宙を楽しんでいるようだ。
「なぜ・・・なぜ自分はこんな存在になろうと思っていたのだろう・・・。」
自分が作り出した自分だけが中心の宇宙に自分だけが存在しないまま忘れ去られている・・・
そんなことがあってなるものか。
宇宙皇帝のつくりだしたすべての他者には自由らしきものはなかった。
誰にも顔がないのだ。
顔がないまま、宇宙皇帝のまわりを過ぎ去ってゆく。
だからだ。
だからだ。
「ああ・・・誰か、誰かいないのか。
〈こころ〉を持ったものは・・・!?」
その時、どこからともなく声が聞こえた。
「いる!
私は、いるのだ!」