奉仕
世界は確かに、苦や闇だったかもしれない。
灰色に染まった街々は牙を生やし、人を食らい続けながら暴れまわった。
「正義」は人をがんじがらめにし、人間は表情を持たない家畜のようになっていった。
与えられたわずかながらの偽りの自由は、人間が自らを家畜化させているということを忘れさせるには十分すぎた。
家畜として生産性のなくなった人間はその理由のいかんにかかわらず、温情的な方法に見せかけた残酷なやり方で処分されてゆく。
街に誰一人として勝者はおらず、生きる目的などというものは、ただ死を永らえさせる以外になかった。
それでも、そんな中でも、人は信じるに値したのだ。
人は危機の中で互いに協力し合い、乗り越え生き永らえようとした。
人は暗闇の中で明るさを絶やさず、光を取り戻そうとしていた。
マスターとソラ、ウミ、レイ、そしてハルとメイの兄妹はこの世界のただなかで世界を照らす道のともしびとなるべく、ただ〈たいせつ〉を行いとして、生き続けていった。
それは決して旭日昇天の如くではなかったし、照らすことのできる場所はほんの一隅でしかなかったかもしれない。
しかし、それほどまでに偉大なことはあっただろうか。
ひとりひとりは、この小さな片隅における真の〈たいせつ〉こそが、今ここで全宇宙とつながり、そして想像していることを知っていた。
そのことが世界を救うことになるのだろうということを。
マスターは誰も知らない場所で、ひとりすべての人に対して〈たいせつ〉を放射し続けており、
その〈たいせつ〉には限界がなかった。
まったく暗いところがなかったのだ。
我等の偉大なマスターは自らを一番低くし、泥まみれになりながら、最大の喜びの光を放ちながら、すべての人に奉仕する召使となった。
マスターは、自分と一緒に旅をしてきた少年少女たちをこころから〈たいせつ〉にしぬいた。
マスターは、進んでソラたちの身辺の世話をした。
その姿はまるで自ら囚人か奴隷にでもなったようだった。
マスターはみんなを支え、奉仕した。
それも、出来るだけ気付かれないように、見返りを求めることなく。
ただ一方的に〈たいせつ〉を与えて、与えて、すべてのすべてを―――自分のいのちでさえも、その〈たいせつ〉ゆえに与えずにはおれなかった。
あとで、ソラたちはそのことに気が付き、恥入った以上に、あまりにももったいなその〈たいせつ〉に涙があふれて止まらなくなるのだった。
ソラはマスターに言った。
「マスター、ありがとうございます。
だけど、別にそこまでしてもらわなくてもいいですよ。」
「そうそう、マスターみたいなすごい人から召使みたいにあれこれやってもらうなんて・・・。」
とレイも言った。
「ウミだって・・・自分のことは自分でやるもんっ。
だけど、私のパパも王様だったけれども、いつも貧しい人のために奉仕していた。」
マスターは答えた。
「そうさせてくれ。
あとで、私のしてることの意味が分かるから。」
ハルは言った。
「やめてください・・・。
おそれおおい・・・おそれおおいんです。」
「そうですよ。
マスター、あなたは風のように、なにものにもとらわれない自由人なはずです。
なのに、なぜわざわざ自分からそうやって、そこまで身を低くするのですか。
なぜ、そうやって、裏方の汚れ仕事を進んでやるのですか?
あなたのおかげで、僕は自由人になって、好きなことをやりながら、たくさんのお金も手に入れる暮らしが出来るようになったのに・・・。
あなたは、もっときらびやかな表舞台でキラキラとスーパースターになるべき人だと思うんです。」
「そうそう。
マスターは言ってくれたよね。
自己犠牲は〈はじめのこころ〉が望むことじゃないって。
「自分だけがよければいい」というあり方も、
「みんなが幸せでも、自分だけはどうでもいい」というあり方も間違っているって。
自分もみんなも幸せにする生き方こそが正解なんだって。」
マスターは答えた。
「その通りや、ウミ。
やけど、いま私がしていることは我慢でも不幸になることでもない。
・・・今、私があんたらにこうして仕えなければ、あんたらとの縁もそれまでや。」
ウミは目を見開いた。
「えっ?
そうなの・・・!?
じゃあ、マスター、肩ももんでくれる?」
「ははは・・・もう十分に満足したやろ。
さて、みんな、一緒にメシでも食おか。
・・・さいごの、一緒のメシや。」
「さいごって・・・。」
ハルはマスターのいつもの静かな笑顔の中にただならぬものを感じていた。
彼らは旅でいつもしていたように、食卓を囲んで団欒の時を持った。