あなたの考えた通り
「人生はあなたの考えた通りになる。」
それもシャンディの口癖、というよりも、トルテ法典に書かれたことの受け売りだった。
おそらく、これはオレの予想では、ザッハ・トルテ王のオリジナルの考え方ではないかもしれない。
しかし、ありとあらゆる世界中に散らばる優れた考えの源流は当然トルテになってくる。
「人生で起こることの全て。それは、あなたの心が作り出しているもの。
あなたはその力で思い通りの現実をつくってゆくことができる。
ハル、考えていたことが本当になったことはない?」
「はい。」
「逆に言えば、あなたの人生に起こってきた全ての出来事の責任はあなたにあるというわけ。
そしてその全ては、あなたがそう欲して、そう望んで引き起こしたのよ。
もし、怪我や病気をしたら、人に嫌なことをされたり、トラブルにあったとしたら、それはきっとどこかあなたの心に、それを望んでいたということ。
全て原因は自分にあるのよ。」
「え、、、?」
「そう思えないかもしれないけれども、そうなのよ。
とにかくそうなのよ。
このことは、〈認識〉が深まったら、分かるわ。
現実で起こることは全部自分が自分で引き寄せているの。
分からないってことは、あなたの心のレベルがそれだけ幼くて蒙昧無知無明のレベルにとどまっているってこと。
もっと遡れば、生まれる前に罪を重ねていたからかもしれないわね。
自分に悪かったことはなかったか、反省して、もし悪かったことがあったら、謙虚な姿勢で偉大なるトルテ様に心から詫びて、罪を許してもらうことね。
宇宙皇帝様は、どこまでも慈悲深く、全ての罪をお許しになり、あなたが積み重ねてきた悪業もクリアできるわ。
それを得るためには、何をしなきゃいけない?」
「はい。
トルテ法典に照らし合わせて、自分の在り方や行いが間違っていたことを認めることです。」
「そう。
だけどそれだけじゃダメよね?
教官たちは小臣民たちを一斉におだてはじめる。ゴールド以上の階級の人から、〈許しの秘法〉を受けることね。
そうすれば、あなたの罪は、前世のぶんも清められ、死後も高い宇宙に赴く資格が得られるわ。
その印として、護符をいただける。
基本的に、許しの秘法は無償。
でも、感謝のお礼として、金貨30枚くらいは奉納することは当然の責任。
まあ、二ヶ月くらいのお給料ってところだけれども、それで人生が全く好転してしまうことを考えたら、本当に安すぎて、申し訳なさでいっぱいだわ。
たくさん受ければ受け護符をいただけばいただくほど、ブレスレットのクラスは上がり、死後宇宙においても高い地位をキープできるの。」
「そうなのですね。」
「それに、いい?
ブレスレットのクラスが上がれば上がるほど、不思議な力によって、入ってくる収入も格段に増えていく。」
オレは、なんだか仕組みが少しづつ見えてきたような気がした。
「でも、ザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下は、人間の自由と努力を求めておられる。
だから、より一層、人はトルテ法を学び続け、実践し続けなければいけないの。
全ては自分の望んだことで、全ては自己責任。
自分が変わる以外、誰も助けてくれないのよ。
だから苦しんでいる人や困っている人や貧民、障害を持った人に優しくしてはダメ、手を差し伸べちゃダメよ。
近づくのも触れるのもダメ。
なぜかというと、その人の乗り越えるべき課題を邪魔することになるから。
それにあなたもそういう人のことを見たり、心を向けたりするだけで、けがれがうつるから、出来るだけ縁を切った方がいいわね。
嫌なものは見ない、聞かない、全部無視。
一緒の空間にいるだけでもけがれがうつるから。
自分の人生からありとあらゆる不快なものを取り除き、
心地いいもの、美しいものだけで満たすの。
幸せな人しか、高次元の宇宙にいけないの。
そんな低次元の闇の存在に汚されたものに心を向けずに、
ひたすら愛と慈悲の根源であるザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下だけを見上げて生きていくのよ!
人間は本当は、罪も悪も苦しみも痛みも不幸も肉体も死もないの。
人は過ちを犯すようにはできていない。
宇宙皇帝様は人間をそういうふうにおつくりにはなっていない。」
「じゃあ、なんで現実に、色々な大変なことがあるのでしょう。」
シャンディは舌打ちをして、ため息をつく。
「ないっつってんだろ!
あなたがそう思い込んでいるから、そうあるように見えるだけ!
あると思う人にとってはあるけれど、
真実に目覚めた人にとってはないの。
ただ、それにとらわれているから、苦しみがあるの。
それはあなた自身に原因があるってこと、まだわかんないようね!
ほら、あなた、暗いこと考えたり、言ったりしてない?
もしくは、心の中でザッハ・トルテ宇宙皇帝様のことを疑ってたりしてない?
それだけでも、悪い原因をつくっちゃうんだから。」
思い当たる節はたくさんあった。
例えば、オレにはどうしても、肉眼でトルテ王の服が無色透明の「本来ない」もののようにしか認識できないということ。
つまり、ザッハ・トルテが裸であると思い込んでしまっている。
それは、このオレに疑いの気持ちがあるから、そう見えるのだろうか。
オレは口をつぐんだ。
シャンディは呆れかえった顔で言った。
「あなたは、本当に、ザッハ・トルテが宇宙皇帝であると〈認識〉できているの?
そう心から信じているの?
まずはあなたは基本のキから抜けている。
それなしで、いくら知識だけ学んだり、修行をしたとしても、それは、荒地に生えた種。
〈闇の存在〉が全て腐らせてしまう。」
しばらく、シャンディは何も話さなくなった。
この雰囲気はーーーー
オレは心の中に恐怖や疑いと言ったネガティブな感情を抱かざるをえない。
オレは、ただひたすら、事が起こらないことを待ち望み、下を向き災いが通り過ぎるのを待ち望む。
シャンディの顔が青ざめる。
「まさか、あなたひょっとしたら、〈認識〉がない、なんてことはないわよね?
見えてる?聞こえている?高次元宇宙の様子やそこにいる存在たちが?
今日のザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下様の服の色は?」
「あ、あの、、、えっと。」
オレは必死で答えを考えて出そうとする。
「まさか、あなた、みんなに見えているものが、あなただけに見えていないなんていうことは、、、。」
「」
見えていない。
だけどオレは黙っていた。
まさか、本当にオレ以外の全員には見えているというのだろうか。
これは、ダメな、いや、最悪のパターンだ。
「前の人生からの宿業で、ザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下に認められる人間とそうでない人間の魂は決まっている。
まさか、あなたは選ばれし魂ではなかったというの?」
シャンディは青ざめて、涙をこぼす。
そして、顔を真っ赤にしながら、子どもが泣き喚くように、手に持っていた辞書をとってその背表紙で力一杯叩きつける。
何度も何度も。
「あんたなんか産まなきゃよかった!
死ねばいいのよ!」
「お前なんか死んじまえ!」
そんなことを繰り返し叫び続けた。
そんなことは、オレに日常茶飯事。
だけど、オレの中の何かが少しづつ壊され、汚され、そして、もう二度と立ち上がれないほどくらいに傷つけられているのを感じていた。
それでも、身体は大丈夫、全ては気の持ちようなのだから「苦しい」というのは幻想なのだ。
この一日一日を先に進んで行かなくちゃならない。
国民たちは、口々にシャンディを称えて言った。
「素晴らしいお母様ね。
本当に息子さんのことを気にかけていらっしゃる。」
「うらやましいわぁ。
あのシャンディさまの息子さんだなんて。
鼻高々でしょう。
感謝しなきゃねえ。」
誰もが満面の笑顔で、幸せそうに声をかけてくる。
誰も、誰も、分かってくれなかった。
「そんなあ、後ろ向きなことを思ったり、口に出したりしちゃダメダメ。
もっと前向き、前向きに!」
「子どものことを愛していない親なんていないわよ。
素直に自分の過ちを認めて、親に感謝してみ?」
「一体そんな贅沢で恵まれた環境にいて何が不満なの?」
「うーーん、ちょっとあなたの悩みはよくわからないなあ。
暇だからじゃない?
そんな悩んでいる暇があったらもっと、ザッハ・トルテ法の研究に身を打ち込むべきだよね。
悩みがあるってこと自体おかしいよ。」
ふっと、自分が隔絶された、誰にも気がついてもらえない闇の中にいることに気がつく。
表面上は、身分の高い、将来を嘱望された優秀な少年。
だけど、叫び声を上げることすら、ましてや助けを求めることすら、許されないのだ。
*
「辛いことも確かにある。
分かるよ、その気持ち。」
金色のリングを首につけた、オレよりも何歳か上のお姉さん。
笑顔が美しく、まるでそれは百合の花のようだった。
「ザッハ・トルテ帝国の中には、そりゃあ、気の合わない人も、嫌な人もいるかもしれない。
それは当然。
だって、みんな成長途中のトルテ様のかわいい子ども、兄弟姉妹だから。
あまねく慈悲深いトルテ様は、そんな不完全な私たちを裁かずに、見守っていてくださるの。
だから、相手にも事情があるんだと思って、許してあげて、ね。
相手にも辛いことがあるんだと思って、分かってあげてほしいの。
いつか、感謝できるようになると思うから。
でもね、そういう時ほど、静かに心を落ち着けて、法典を読んで、深く深くザッハ・トルテ宇宙皇帝様と繋がってほしいの。
大切なのは、人がどうかっていうことじゃないよ?
自分と宇宙皇帝様との関係が一番大切だよ。
人は間違うかもしれないよ?
でも、ザッハ・トルテ宇宙皇帝様は絶対に間違わないから!
それだけは信じて。」
孤独!
孤独!
誰か、僅かでもわかってくれるかもしれない、
そう期待すればするほど、裏切られた。
なぜ、誰も楽しそうにしていられるのだ?
わからない、
わからない
わからない。
*
そういえば、こんなゲームをきいたことがある。
グループに単語を書かれたカードを配るのだが、
同じ単語の中に、一つだけ似たような別の単語が書かれている。
それについて、話し合ったあと、一人だけ違うカードを配られた人間は誰かというのを当てるゲームなのだが、
違うカードを配られた人も同じカードを配られた人も誰も自分でもそれに気がつかない。
なんとかして、みんなと同じカードを持っているように振る舞ってバレないようにする。
それに似ている。
自分だけ、みんなとは違うカードを配られて、
誰もが同じ世界を認識している中、自分一人だけが違う世界を見ている!
みんなが見えているものが、オレだけには認識できないのだ。
しかし、それがバレたら、オレは生きていけなくなる。
永遠にネタバレのない一人だけ違うカードを配られた人生という名のカードゲーム。
もし、ネタをバラした瞬間、全ては終わってしまう。