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多くの苦しみ

「ああ・・・まただ、またいつものやつだ・・・。」


何ものも満たせない寂寥せきりょうがハルの上にのしかかってくる。

それは、ただそうした考えだけがそうさせているのでなく、抽象的なものでなく、本当に言葉にならないからだの痛みとして駆け巡るのである。


それをごまかすことはできたが、根本原因である〈トゲ〉そのものは事実は事実、如何にしても消し去りがたかった。


虚空に向けて叫びたくなった。

しかし、その叫び声は、抑えつけられる。

痛みそのものよりも、それが抑えつけられることの方がよっぽど苦しいことなのだ。


気の合う三人の誰と話していても、完全に、寂しさが満たされることはなかった。


夜の闇にも人だかりにも気が狂いそうになるのだ。


ありとあらゆる言葉も情報も、ハルのこころに触れることはなかった。


ダイヤモンドの結晶が、砂になって手のひらから零れ落ちてゆくように、

これまで積み上げてきた体験と時間が、今という時間の中でまるでなんでもなかったかのように価値のないものようになっていくのではないかと思われた。



特に何か出来事があったというわけではない。


いや、多くの出来事で虚無に蓋を覆っていただけだ。


ふとしたきっかけで、虚無の〈トゲ〉が暴れだす。

そして、すべてを胸の穴の中に吸い込んで無価値にしてしまうのだ。




ハルは、マスターに聞いた。


「苦しみは他にもありますよね・・・。


人は、決して一人で生きてゆくことはできない。


そのことは、感謝である一方で、煩わしさでもある。


また、誰とも分かり合えない孤独も・・・。」


マスターは、ハルを受け止めるようにうなづく。


そこには、恐るべき静寂があった。


気が狂うような静寂だった。


何もかもが騒がしく混沌と活動しているのに、そこには何もない。



「繰り返し繰り返し、あの事はオレを苦しめるんです・・・。


妹のメイのこと・・・。


なぜ、人は、たいせつな人と・・・ずっと一緒に居たかったたいせつな人と離れなければならないのでしょう。


なのに、苦しみを与えてくる人びとは次々と現れてくる。

避けても避けても、油断したところに、オレを傷つける人は現れてくる。

四方八方から・・・敵だけでなく、一見善意をもった人々もそうだ。」


マスターの存在は、半分透明なように見えた。

マスターはハルの話を聞いてはいるが、答えはしない。

まるで虚空にただひとり打ち明けているような気分がした。


しかし、ハルにとってはその方が好都合だった。


誰にも聞かれたくない恥と罪にまみれたことだったから。


「オレは・・・人を見ては、自分と比較してしまうのです・・・。


自分は自分、人は人と一匹狼を装いながらも、本当は誰かに気が付かれたくてたまらない。

しかし、そのことに気が付いた瞬間、それが如何にしても得られない現実に気がついて、煮えた鉄を飲まされたようにこころはのたうち回るほど苦しいのです。


もしくは、人と比較して、自分が優れていることをみてはそれを自分の価値のように錯覚し、誇りに思うのですが、その幸福も長くは続きません。


理想とする姿はあるものの、そのようになるための努力をしても無理だと分かっています。


容姿だけでなく、このオレの性格も変えることなどできないのです。


感激に打ち震え、人生を変えよう、明るく他人に親切にしよう、前向きな考えをしよう、自分を愛そうと決意するも、それはものの数週間で元に戻るのです。

何も進歩していないばかりか、罪の量だけが増えている己に気がついて愕然とします。


身分が欲しいと思います。

富が欲しいと思います。

ちやほやされたいと思います。

数えきれないほどの〈いいね〉が欲しく、自分のうみだしたものを数えきれないほど世に広められたいと願います。


そう思っても、現実にはなかなか手に入らないのです。

それは眠れないほどの苦しみです。

ところがいざそれが手に入って、最高の快感を味わったとしても、一瞬で過ぎ去ります。

次の「もっともっと」があたまをもたげます。


一兎を捕まえれば、次の一兎を追い求め・・・それが永遠に繰り返されるのです。


まるで、ネズミが車を延々と回し続けるように。



〈こころ〉とそれにささった〈トゲ〉は、自動的に次々と休むことなく、悩みや苦しみのもとをつくりあげます。


海水を呑み続けても、のどの渇きが決して癒されないように・・・。

欲しいものを手にしたところで、根本的な幸せなどに至ることはないのです。」


マスターは頷いた。

「せやなあ。

ほんまに。」


「それじゃあ・・・人生に意味などあるのでしょうか?

世界や人生は、ああ、オレが悟ったように、所詮壮大なごまかし、幻想なのです。


人はなぜ、誰も死んでしまおうとは思わないのでしょう。


究極的な〈意味〉をつくりあげてそれににしがみついている・・・そうじゃないのですか?


気が付いたのです、オレは。


この世界の奥にある永遠無限なるものの正体は、つまるところ、〈こころ〉の生み出した苦しみを埋めるための発明品にしか過ぎないのだと。


苦悩が深くなればなるほど、〈こころ〉はその対極により大きな理想や無限の存在を描き出そうとする。


そして、〈トゲ〉とは、単に自分の弱さや無力さに対する、疚しさにしかすぎないのだ、と。」





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