君はいい子
ザッハ・トルテ法典の暗誦につまづくとすぐさまムチが飛んだ。
そこで泣いてしまったり、嫌そうな顔をした小臣民にはさらに激しいムチと罵倒がなされた。
「お前は本当に、帝国上級臣民を目指す気はあるのか!?」
「ハル、特にあなたはプラチナを目指すのでしょう。
だってこの前、自分で決めたわよね。
たしかにあなたは言った。
みんなも聞いたわよね?
プラチナになりたい、プラチナを目指すんだって。
そう望んで誓ったはず。
それとも何?
嘘?
あれは、嘘なの?
嘘をつくのは大罪というのは、ザッハ・トルテ法典にもあるよね?」
ザッハ・トルテ理論より引用。
「嘘をつくものは皆、二度とものが喋れなくなるように舌を切除もしくは引っこ抜かれなければならない。
そうしない場合には、来るべき永遠の生命の世界において魂は暗黒の炎に焼かれることとなる。」
「嘘をつくのは悪いこと?いいこと?」
「悪い、、、ことです。」
「そう、明らかに悪いとわかっていることよね。
あなたは嘘をついたの?」
「いいえ。嘘ではありません。」
「本当に?」
「はい。嘘はついていません。」
バシイッ!
大きな本で頭を叩かれた。
「だったら、死ぬ気でがんばれよ!ああ!?
わかってんのか貴様は!?
死ぬ気でやれよ!」
「はいっ!」
「返事だけ一丁前にするな!」
バシイッ!
再び、鈍い痛みが頭に走る。
ちょっとわけがわからない。
わからないが、こんな状況においてはまともな思考力が麻痺して、
ただ考えていることはといえばその場をしのげる、
教官の怒りを鎮めることのできる返答を思いつくことくらいになる。
「本気で死ぬ気か!?
死ぬ気でやってんのか!?
口だけだろーが!」
「死ぬ気でやって、上級ランク臣民となり、プラチナのブレスレットを首に巻きます!」
ベシィ!ベシィ!
今度は顔面向けて右に左に
「それが死ぬ気かーーー!?
死んでねーだろ!」
もうどうしていいかわからない。
「ハル、死にます!」
と声を枯らして絶叫する。
数秒間があく。
シャンディ教官が鼻で笑う。
「ちょ、あんた、本気にしてんの。
たまに、やる気ないんだったら帰れって怒鳴ったら、本当に帰っちゃう人っているけどさ。
あはは!
あはは、あははははは!
面白い、ホント面白いわ。ハルったら!」
教室中から笑い声が向けられる。
オレは、放心状態で、下をうつむきながら、顔を紅くして、にやけるしかなかった。だけど、腹の底から、黒色をしたマグマのような何かがせりあがってくる。
その日のトルテ法典学習訓練のプログラムがすべて終わる。
一人で部屋に戻る廊下を歩いて部屋に戻ると、シャンディ・ガフが椅子に腰掛けて待っていた。
オレは、ビクッと身体を震わせ、地面に映る自分の影を見る。
彼女は微笑んでいた。
そして両腕を広げて
「おいで。ハル。」
そう言った。
小さなオレは、戸惑いながらも、それに従う。
彼女は、オレを綿のように抱きしめる。
「ハルちゃん。
昼は、痛かったねー。
辛かったねー。
ごめんね。あんなに叩いて。
でもね、それは全部あなたのためを思っての愛の鞭だってこと、わかってくれるかなあ。」
オレは、ただこくんと胸の中でうなづくしかなかった。
シャンディの声は、「教官先生」の時とはうってかわって、とてもやわらかで、ふんわりとしていて、、、
そのまま、そのやわらかさの中に、、、
首を絞められそうだった。
「本当は、ハルちゃんがいい子だってこと知ってるよ!」
そうして、シャンディはオレの小さな背中をトントンと叩いてくれた。
昼は何回も叩いたその手で。
不覚にも、オレは溶けてしまいそうなほどふわふわと浮いた感じになり、
そしてなぜかわからないが涙をこぼしてしまった。
だけど、唇をぐっと噛んで、シャンディにそれを悟られないようにしたのだった。
「あなたは、いい子、とてもいい子。
絶対にあなたの望む階級になれる。
偉大なるザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下の望む理想の地球をつくる一員になるのよ。
そして、偉大なるザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下様のために死ねる人間になれますように。」
そんなことを、胸の中で繰り返し繰り返し言われているうちにオレは眠りについた。
そうして朝に起きた時に聞こえて来る声は、
「人間が・・・人間が、信じられない。」ということだ。
*
後日談。
「優しい血のつながった教官がいてよかったなあ。
そうしてくれる人がいるだけまだマシだよ。
俺たちなんかの時は、声すらもかけてもらえなかったしな。」
同期の小臣民のケンはそう言った。