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教育

オレは、〈世界〉を知らない。

このザッハ・トルテの国を除いては。


物心付いた時から刷り込まれていた。すべてを。



「ハル、あなたは本当に幸せものね。

生まれた時から、こんな素晴らしい環境で育てられて。

あなたのことが本当にうらやましいわ。」


母、いや「シャンディ・ガフ教官先生」はよくオレにそう言った。

そうとは思えなかったが、もし「いいえ」と答えようものなら、天気が変わったように怒られるか、泣かれるか、ため息をつかれるか、嫌味を言われるか、その他無数のバリエーションが予想された。


だから、

「そうだね」

と答える以外なかった。


「本当に感謝しなきゃだめだよ!」



オレは、母を「お母さん」と呼んだことがない。

「教官先生」。

それが、呼び名だった。


名前は「シャンディ・ガフ」と言った。

この国に来る前の名前なのか、国に来てから恩賜された名前なのか、それすらも知らない。




オレの母は「自由と真実を求めて」この国にやってきた。

それこそ、「家族」も捨てて。


母には夫ともう一人娘がいたそうだ。

つまり、オレの父と妹。

しかし、その話はちらとしただけで、それ以上詳しくは知らない。



少なくとも、ザッハ・トルテ帝国において、家族は不要なものであり、破壊されるべきものであり、離婚は奨励されるべきものであった。

育児や教育は国家が担うべき役割とされた。




母は、「特殊な能力」とやらを持っていた。

見えない世界を見ることや聞くことができ、また彼らと交信することだってできた。


この国に来る前からだそうだ。

母は、恐ろしく真面目で、学問においても素晴らしく優秀なエリートであったそうだ。


そんな話をいつも本人から聞いていた。


そんな母にとって、この国とその理念は、彼女を受け入れてくれるに一番相応しい場所だったに違いない。


「能力者が心しておかねばならないのは、いつも自分の心を振り返り、透明にしておくこと、謙虚さを失わないこと。」

母は、背筋を伸ばし、瞑想しながらそんなことをよくオレに言った。


「そうやってすべてをザッハ・トルテ理論に照らし合わせて自分が正しいか間違っているかを判断しなきゃいけないわね。」



母の首につけられていたリングは、はじめ、ブロンズだったが、次にシルバーとなった。

そして、今、彼女の首にはゴールドのリングが光り輝いている。



この国では12歳になると、一人前のザッハ・トルテの民となる儀式としてリングが与えられる。もちろん、肌身離さずつけるべき義務のあるものだ。

子どもたちは、早くリングをつけることに憧れたし、またそのように教育も施された。


オレは、「愛されて」育ってきた。


ゴールドの階級を与えられた母親に与えられた家は、宮殿に近く、広々とした豪華絢爛なものだった。


その家には、オレ以外にも、ブロンズ以上の階級の子息が集まり、共同生活を営んでいた。


オレたちは、皆、未来のザッハ・トルテ帝国を担う希望の星としてだけ期待をかけられ、教育を施された。

遊ぶことは禁止。


6歳になる頃には、すでに曲線の傾きの計算まで出来、言語も3つは習得していた。

色のついたリング組の親を持つ子どもたちは、それを平均17〜20年で習得するそうだが、オレたちはその何十倍もの速度でそれを詰め込まれた。


オレたちは、「子ども」と呼ばれず、「小臣民」と呼ばれた。


鞭で叩かれる、蹴られる、鼻血を出す、2階から突き落とされる。

これは、「小臣民」全員にとって日常茶飯事であった。


それに耐えきれないものは、「根性がない」「落ちこぼれ」「心が弱い」として、

鍛えるために、さらに過酷な仕打ちを受けることとなった。

そして、周りの小臣民たちもそんな小臣民に指をさして、バカにして笑った。

かばうものや味方になるものはいなかった。

またかばうことは、人間の本性の堕落を助長させる行いということで、厳しく禁じられていた。

士官も全員で、率先して落ちこぼれた小臣民を馬鹿にした。


「少しひどいように思われるかも知れませんが、これは、愛でやっていることなの。

人生にはこの先辛いことや厳しいことはたくさんあります。

でもその時に、自分の力で乗り越えられるかどうか。

その力をつけてあげるためにあえて厳しくしているのです。

ここでもし、誰かがかわいそうだと思って同情し、手を差し伸べてしまえば、その小臣民は、もはや自分でなにかを学び取ったり、立ち上がろうとする気力を無くす。

そればかりでなく、誰かの助けをあてにして、悪気なく人から労力や愛を奪い取る泥棒のような奴になってしまうの。

そんな人は、偉大なるザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下が喜び、また、死後も良い身分につけると思いますか?」


「思いません!」

小臣民たちは一斉に応える。



最も、重要とされた学び。


それが、八万四千条に及ぶ「神聖ザッハ・トルテ理論」である。

これは、宇宙皇帝ザッハ・トルテが直接書き下ろし、規定した金科玉条の言葉である。

ここには見えない宇宙、見えない宇宙のすべての歴史と構造と法則が一切の矛盾も過ちもなく記載されている。


全ての学問の土台はこれを抜いて存在しない。


そして、その究極の宇宙の原理と秘密は、選ばれしザッハ・トルテの民のみに啓示されている秘密の法則である。

階級が上がれば上がるほど、ザッハ・トルテの秘密の法則にアクセスすることができるようになり、またそのパワーを手にし、自在に操ることができるようになるという。



「えーーー、トルテの理論ってこんなにたくさんあるのー?多いなあ。」

ついつぶやく。


今までニコニコしていたシャンディ上官が一瞬凍ったような顔をする。

早足でツカツカと机の前まで近づいてくる。


「バシイッ!」

無言でビンタ。


「口を慎みなさい。

それに、しっかりと、『偉大なる宇宙皇帝陛下』をつけないことは、宇宙の法に対する冒涜に当たります!」


「ご指導、ありがとうございます!心より感謝します!」

それが、鞭やビンタをされた時に返すべき言葉であった。


小臣民たちからのクスクスとした笑い声と嬉しそうな目つきが四方八方から突き刺さる。



「八万四千条。

これはたしかに皆さんにとっては多いと思われるかもしれません。

たしかに、おそろしく膨大と言えば膨大。

しかしですよ。

無限に近い宇宙の根本原理をわずかこれだけにおさまるようにご配慮してくださった宇宙皇帝ザッハ・トルテ様のご慈悲の深さを感じられないでしょうか?」

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