ザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下
「ザッハ・トルテ宇宙皇帝様!ばんざーい!
神聖ザッハ・トルテ帝国、永遠なれ!」
黄金の宮殿の前に広がる大広場には国の民衆が足の踏み場もないほど集まっている。
その全ての人の首には例外なく首にピッタリフィットする形のリングが装着されていた。
ザッハ・トルテ王が宮殿の窓から姿を現し、そしてステージに立つ。
人々は皆、立ち上がって、ゴリラが胸を叩くに勝るパワーでの割れんばかりの拍手をし、その手という手はみるみる赤く腫れ上がるまでとなった。
中には、ひれ伏して、涙を流す人もちらほらいた。
誰からともなく
「ああ、今日も宇宙皇帝陛下のご洋服のなんと素晴らしいこと。」
「世界の、いや、宇宙のファッションリーダーでもあられるのね、陛下は。
宇宙皇帝、この世界を導く大いなる師であるばかりでなく、芸術家としても超のつく天才でもあられるのだわ。」
「ああ、今日の宇宙皇帝陛下様のご衣装からは黄金色のオーラが放たれているわ。
眩しくて、直視できない!」
そんな声があがる。
すると次々に、
「本当だ!本当だ!」
と花が芽吹くようにそんな声があちらこちらで聞こえ始め、歓声は満開になり、まるでそれは地鳴りに変わる。
その歓声は、何十分も鳴り止まない。
やがて
「ザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下あああーーーー!」
という天に響くような叫び声があがりはじめる。
いずれ、それらの声は、旋律の取れた大合唱になる。
ザッハ・トルテ王は、しばらくその様子を静観して眺めている。
頃合いを見計らった頃、壇上に立った王はサッと手を挙げる。
ものの数秒だった。
まるで大広場で大火事のように熱狂していた群衆たちが、森の静かな湖面のように静まり返ったのは。
あらゆるヒソヒソ話もそこでは聞こえない。
おそらくアリの足音すらもそこではよく分かるのではないだろうかと思えた。
それはまるで、ひとりの人物が部屋のスイッチを入れるように、
昼を夜に、夏を冬に変えたかのようだった。
しかし、もうこんな光景はハルにはおなじみだ。
この茶番、じゃなかった、荘厳な大祭にずっとずっと子どもの時から参加させられ、、、おっと、「どうしても心の底から参加したくて、自由な意志で」参加してきたのだ。
「今---」
王が口を開く。
「我々が属しているところの第三宇宙を包括している波動的エーテルのエントロピーが漸次オーラの変質とともに増大しつつあり、エナジーの属性が・・・」
王の語る「聖なる言葉」は、このように難解極まりなかったが、聞いているだけで選ばれし国民は護られ、永遠の生命を得るという。
次第に、王の語ることは、少しずつわかるようになってゆく。
「いよいよ、もうすぐ!全宇宙が究極次元にまでシフトアップする。
その時神聖ザッハ・トルテ帝国と宇宙皇帝ザッハ・トルテが、全宇宙から公式に宇宙の中心として認められ、皆、選ばれし民は生き残り永遠の幸福を手にすることが約束されるだろう!」
鏡のような湖面が波立つように群衆は歓喜した。
今更、どうでもよいことだが、いや、おそらくどうでもよくないことだが、
いや、しかしやはりどうでもよいことなのかもしれないが、
ハルの目に映っていたものについてのみ語ろう。
これはあくまでもこの少年の主観にしか過ぎない。
壇上に立っている男、ザッハ・トルテは風呂上がりの中年のおじさんそのものであった。
つまり、上半身には何もまとっておらず、下着一枚に、マントを羽織っているだけなのである。
ハルは心の中で思った。
「ひょうたんみたいだなあ。
叩けばどんな音がするのだろう。」
しかし、そんなことは口に出すことはもちろん、心の中で思うことも「暗黒界」に堕ちる重大な罪であった。
「【鏡の理論】
偉大なるザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下は、宇宙と完全に一体となった存在である。
それゆえ、偉大なるザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下は、それぞれの国民の心を映し出す鏡である。
偉大なるザッハ・トルテ宇宙皇帝様の姿が美しく見えたら自分の心が美しいということ。
しかし、もし醜く見えるならば、問題があるのはむしろあなたの目のほうである。
そうした心が出てきたら、今一度、自分の心を宇宙で唯一の正しい物差しであるザッハ・トルテの法に謙虚に照らし合わせて、静かに反省して、心の醜さを掃除することである。
汚れのない素直な心を取り戻すことである。
もし、あなたの目が偉大なる宇宙皇帝ザッハ・トルテ様のことを醜く捉えるのであれば、その目を抉り取って捨ててしまわねばならない。
もしその舌が彼のことを悪くいうならば、その舌は引っこ抜いて二度と弁舌のできないようにせねばならない。
もしその手が彼のことを悪く書くならば、その手は切断して二度とものが書けないようにせねばならない。
これは懲らしめではない。偉大なる愛である。
宇宙の法則に逆らえる者は誰一人としていない。
その魂が死後、暗黒の炎に焼かれてしまうよりはその方がはるかにマシだからである。」
これは誰でも知っているトルテ法の常識である。
側近のペペロン・チーノが、トルテ王を讃えて言う。
「いやあ、宇宙最高存在であられますザッハ・トルテ宇宙皇帝陛下におかれましては、
今日のご洋服の色は黄金、ということで。
どのような理由でこのような色になさったのでしょうか?」
「実を言いますと、この服の糸一本一本が、なんと百万光年離れたオンゴロムダ星にいる特殊な黄金の蚕の産出する糸から編まれたものでして。」
「いやあ、素晴らしい。
さすが!大宇宙ファッションリーダーであられる偉大なる宇宙皇帝陛下の時空を超越する能力!
そんなはるか彼方の星の商品まで取り寄せることができるなんて!」
「いやいや、はるか彼方なんて、そんなしょぼいしょぼい。
そもそも、この宇宙の創造主がこの私なのですから。
何億光年の距離も私からすればほんの自宅の庭程度のものですね。」
会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こる。
ハルは、彼を目を凝らして見る。
何をどう見ても、トルテ王の上半身はむきだしのくすんだ肌色。
空気のように光の屈折率のまったくない衣服をまとっているとでもいうのだろうか。
異常事態が起こっているのか。
いや、違う。
これが日常だ。
もし、異常があるとすれば、それはひょっとしたらハルの目のほうなのかもしれない。
―――そんなことを、一体何度この少年は考え、そして押し込めてきたことだろうか。