プロローグ
見よ、わたしが支えるわたしの僕を。
わたしの魂が喜ぶ、わたしが選んだ者を。
わたしはわたしの霊を彼の上に置く。
彼は諸国に正しい法を輝かせる。
かれは、叫ばず、声を上げず、
巷に自分の声を聞かせない。
折れた葦を彼は断ち切らず、
くすぶる灯芯を消さず、
まことに彼は正しい法を輝かせる。
彼は衰えることなく、挫けることもなく、
ついには地に正しい法を打ち立てる。
島々は彼の教えを待ち望む。
(イザヤ書42:1~4)
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雲の流れ、木々のざわめき、それらのひとつひとつがこの世界のすべてとつながっている。
―そんな気がソラにはしていた。
ソラは、メープル村に住む少年だった。
革のカバンを肩から掛けた少年は、バンダナを風になびかせながら、雲や風の来ては行く先に思いをはせていた。
村の丘には、黄色いじゅうたんのような菜の花の畑がどこまでも一面に広がっている。
そして、いつも風が吹き抜けている。
丘のそばには、墓地があり、その街を愛し生きてきた何千人もの身体が眠っていた。
だけど、彼にとってそれは特に恐ろしいものというわけでもなかった。
むしろ、彼はそこにくるととても穏やかで親しい感情を抱く。
―それが、たとえ道に明かりが何一つない真っ暗闇であったとしても。
宝石のちりばめられたような夜空は、たとえランプや電灯がなかったとしても丘への道を歩む分には十分な光を与えてくれた。
それは彼の足元を照らす道のともしび、たしかな光。
網目のように光が散りばめるこの天球は幾分の狂いもなく、自分自身とその運命を護り、また導いてくれている―そうソラは想い、そのことを信じていた。
丘の上の草原に一人座っていると、言葉をこえた言葉で宇宙が何かを語り掛けてくることを感じる。
ソラは、大きな都にあるという巨大な城や建造物の数々を思い出してこう思った。
「この地上にあるいかなる巨大で華美な建物も聖堂も、今ぼくの目の前にあり、ここに在る宇宙という場の前にはほとんどむなしいものだな。」
ソラはしみじみと、満天の星明かりの下、散歩を終えて自分の部屋に戻る。
そうやって、自分自身の深い部分でありながら、どこまでも広大な〈ところ〉につながったあと眠りにつくことで、毎日新しく生まれ変わっていくのだ。
ソラは、そのようにして、いつも自分の〈こころ〉の声に耳を傾けることを習慣にしていた。アンテナを張るようにして。
ワクワクにしたがって、思いついたらすぐに何か動いてみる。―たとえそれが小さなことであっても。
ソラは確かに幸福だった。
しかし、どこかで、どこか生命が燃えるような・・・もっともっと大きな大きな〈何か〉に出会えることを深いどこかで望んでいた。
メープル村では、ソラは一人の掃除夫として仕事をしていた。
目立たない汚れ仕事ではあったが、彼はその間にも、小さな時間さえあればいつもカバンに本を入れ学び続けていた。
ソラはこの仕事を喜んで細かいところまで丁寧にやることをいつも心がけていた。
というのも彼は次のように考えていたのである。
「仕事は自分で選ぶものではなく選ばれるものである。」
「頼まれたこと、その中に天命があり、試されていることがある。」のだと。
ソラは、それまでにも様々な仕事を通して、多くの事を学んだ。
「ぼくは、いつか冒険の旅に出ることができるかな?ピイちゃん。」
そうやって、少年は羊に話しかけながら、小屋の掃除をするのだった。
羊はおだやかで優しそうな眼をしていて、まるで彼の話を聞いてくれているかのようだ。
「ぼくはね、この村の事が確かに好きだよ。
風は穏やかで、花も緑も美しい。
村人たちは、明るく、優しく、人もいい。
そして、互いに助け合って、ものも心も分かち合って、過不足なく暮らしてゆくことが出来ている。
けれども、そこまで苦痛でない。
だけど、だけど、このままでいいのだろうかと思う事があるんだよ。
毎日毎日が同じことの繰り返しで・・・。」
丘のほうから強く風が吹いてきて、木々を揺らし始めた。
「だけどね、ぼくはあの地平線の向こうまで―はるかはるか先の世界を見てみたいんだ。
・・・この風が、ぼくのことを呼んでいる・・・そういう感じが強くなってきたのさ。」
メープルの村に「不思議な旅人」のうわさが持ちきりになったのはすぐのことだった。