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これだけとても長いです

惣士朗は考える。どうやって来たのかは分からないが、あの国にいられなくなったと考えれば、ここにいる理由は分かるような気がした。何処でも良かったのだろう。咄嗟に自分を追い掛けてきてしまったのかもしれない。人間の嫌な側面で満たしたようなあの場に、過去を思い出して嫌気が差したというだけで、放り出してきてしまった自分などを。

あの場に彼女を置いてきてしまったことを後悔した。同時に、あの後言いたくないようなことが起きたのかもしれないのに、あんな言い方をしてしまった自分を恥じた。知っているはずなのに。幼稚で純粋なこどもの悪意を。それを見て、なおも利用しようとする大人の、あちらは善意だと信じこんでいる悪意を。全ての悪意を一身に受ける恐怖と絶望を。明らかにクラベリーナはそんな空気ではなかったが、考え侍は気付かない。

とりあえず先程の態度を謝って、彼女が話せそうなところだけを聞いてみる。そして明日女王の元へ連れていこう。人間は好かないと口では言うし、たまに態度にも現れているが、自分を拾った女だ。悪いようにはしないはずだし、させない。惣士朗はそう決めて、風呂から上がった。

居間では何事も無かったかのように、笑顔のクラベリーナと食事が出迎えた。簡素だが良い匂いのする、美味しそうな食事。白米、味噌汁、そしてーーー


「………………蝮」

「はい!」


蝮の塩焼き。ちなみに、味噌汁の具は山芋である。

思わず二度見してしまったが、彼女の笑みに欠片ほども毒気はない。疲労回復?いや、たまたま?言いたかった言葉は全て疑問に塗り替えられ、なのに彼女の笑顔はそれを言わせてくれない。流され侍の取った行動は、


「あ……り、がとう」

「ふふ、当然ですわ」

「……いただきます」

「いただきます」


とりあえず礼を言い掌を合わせる、だった。

小さなちゃぶ台の向こう側、綺麗な正座をしているクラベリーナも、同じ動作をする。見よう見まねにしては美しすぎる所作だが、彼女の国では一般的に、食事の前は指を組み、神に祈りを捧げるはずだ。なのにそうしないのはこの国には神がいないからだろうか。きっと郷に入れば郷に従うタイプなのだ。空恐ろしいものを感じてはいけない。自分を納得させつつ、惣士朗は味噌汁を啜り、僅かに目を瞠った。


「……美味い」

「まあ!本当ですか!?」


サファイアの瞳が輝いた。三日前は随分と大人びた少女だと思っていたが、こうして見ると存外年相応に、むしろ少し幼いくらいに、くるくると表情を変える。純粋に可愛らしいと思った。自分の口の端が緩んだことに気が付かないまま、惣士朗は頷く。


「ああ」

「ん゛ッ!!好き!!!」

「突き?」

「いえ、好きです」

「は」

「お代わりもありますので、たくさん食べてくださいね♥️」

「…………ああ」


一瞬告白されたかと思った。思った、ではなく実際されたのだが、気のせいだと流し、促されるままに蝮に箸をつける。見た目は明らかに蛇なのだが、下拵えがしっかりしており、こちらも美味い。


「味噌も米も、おぬしの国には無いだろう。よく作れたな」

「ええ。見たのも初めてです。なので王城の料理長様に教えていただきました」

「ほう…………え?」

「明日は煮っころがしを習います」

「…………え、いや、王城ってもしかしてこの国の」

「あっでも、惣士朗さまもお上手だと伺いましたので、是非教えていただきたいです!手取り足取り」

「待て、おぬしいつから、どうして、」


滑り出た言葉にはっとする。話せることだけ聞こうと決めたのではなかったか。いやでもあまりにも不可解で訊かないわけにも。考え込んでいると、心配そうな顔が覗き込んできた。唐突に縮まった距離にドキッとする。


「どうされました?」

「ああ、いや……その……」

「……知りたいことがあるのでしたら、何でもお答えいたします」


そう見透かしたようにくすりと微笑う顔は、ひどく蠱惑的で、再び心臓が鳴った。理性が言う。こんな年端もいかぬ少女に何を、と。だがどうして、どうしてこんなにーーー


「好いたひとに自分の全てを見てもらいたいのは、当然のことでしょう?」


ーーー恐怖しているのだ。


「そ……そうか……」

「ええ」


さりげなく後退りをしたが、即座に詰められる。この身のこなし、只者ではない。かつてはバーサーカー侍として名を馳せた惣士朗だ。普段ならばきっと、最近のおなごはそんなことも身に付けるのかと感心しただろうし、恐怖するほどの強敵ならば武者震いにその身を震わせただろう。しかし、今のそれは武者震いではない。恐怖の類も逃げ出したい系の、というか、貞操の危機、というか。

敵から目を逸らすのは自殺行為だ。嫌というほど分かっているが、惣士朗は一瞬だけ視線を走らせた。愛刀を探すためである。振るうつもりはないけれど、とりあえず手元においておきたかった。護身用に。

その隙に、手を取られた。熱く小さな両手が荒れた右手を包み込み、サファイアが蕩けたように細められる。


「スリーサイズでもいいですよ?上からはちじゅう、」

「それはいい!!それはいいから」

「ああでも、測ったのが少し前なので……」


くい、と手が引かれ、ふにゅ、と沈む。他人より大きい惣士朗の手でも収まりきらないそれは、布越しですら柔らかい。クラベリーナの手が重なって、そっと力がこめられた。身体のラインが出にくい服を着ているはずなのにはっきり分かる形のよい膨らみが、淫らに歪む。

濡れた唇が耳元に寄せられる。甘い吐息と共に、熱い囁きが耳朶を擽った。


「…………触って、確かめてください?」

「#♯%■△□◎※◆★!!!???」


フリーズしていた脳が一気に熱くなる。声にならない叫びを上げ、勢いよく手を引き戻した。反動でそれがぶるん、と大きく揺れ、クラベリーナは高い声を上げる。


「あッ♥️」

「すまん!!!!!!」


咄嗟に謝ってしまったが、触らせたのはあちらだ。そりゃ先端を掠めはしたけれど不可抗力だし、じゃない。言い訳などしている場合ではない。惣士朗はずざざざざ、と壁に背が付くところまで後退し、顔を真っ赤にして叫んだ。


「よよよよ嫁入り前のおなごが!!妄りに身体に触れさせるものではないわ!!!!」

「すぐに嫁入りするのだからよろしいではありませんか。それに妄りでもありませんわ。夫婦の営みですもの」

「嫁に取った覚えはない!!!」

「では今取ってください」

「無茶を言うな!!!いくつ離れていると思っている!」

「まあ。それはもう古い考えですわよ?愛さえあれば年の差なんて」

「拙者はもう32だぞ!」

「………………若ッ!!」


元婚約者と勇者一行に散々馬鹿にされた元々の老け顔と、そのトラウマを引きずり続けた気苦労による若干の皺と白髪のせいで、愛があっても10歳老けて見えた。思わず良妻らしからぬ驚きの声を上げてしまったが、むしろ好都合とクラベリーナは瞳を輝かせ、手を合わせる。


「14歳差……つまり0!」

「なわけないだろう!どういう計算だ!!」

「四捨五入すれば0でしょう」

「10だ!!例え10でもおぬしは未成年だろう!犯罪だぞ!!」

「高校卒業済みなので条例違反でもありませんわ。それともこの国にはそんな法がありますの?」

「…………無いが……」


この国は野蛮な魔界なので、合意の上なら何でもアリである。50どころか300離れてようが、姉妹だろうが親子だろうが、複数だろうが、なんでも。それこそ、愛さえあれば。


「だがおぬしはこの国の者では「国籍なら取得いたしました」


惣士朗の言葉を遮って、クラベリーナは何処からか一枚の書状を取り出した。丁重に差し出されたので素早く丁重に受け取り、目を走らせる。正しい形式に沿った書状。国の紋章の透かしが入った用紙。そして、


「お義母様からの印も頂いておりますわ」


国王の印。


「ば、馬鹿な………」


それは紛うことなく、今まで惣士朗しか受け取ったことのない、この国の国籍証明書であった。ぎり、と思わず歯噛みする。あの女、何も言わなかったくせに。


「あやつ、知って……!」

「うふふ、皆様快く受け入れてくださって……(わたくし)、果報者ですわ」

「それはよかったが…………ッ!?」

「あっ、気付かれました?」


弾んだ声が傍らで聞こえるが、惣士朗はある一点から目を逸らせなかった。名前の欄である。国籍を発行された者の名前。


「…………クラベリーナ・ミツルギ」

「はい♥️」

「ど、どういう……近ッ!!」

「事情をお話したら、お義母様が」

「お母様!?」

「お義母様、ですわ。タナトフェル女王陛下。気軽に義母と呼びなさい、とおっしゃって」


逃げようとする惣士朗の腕を絡めとり、さりげなく胸を押し当てながら自身も書状を覗き込んで、クラベリーナは何でもないことのように言う。空いた口が塞がらなかった。あの女。いや、この女。

御年600歳の魔王は、この国の民全てを我が子のように愛している。他と形の異なる惣士朗ですら、彼女の唯一の好敵手であることを別として。物心付いたときにはもう肉親はいなかったので、子供扱いされるのは最初から気恥ずかしかったし、今もなおそうしてくるのは本当にやめてほしいのだが、感謝はしていた。何もかも失ったショタ侍が、童貞を拗らせはしたが何とか人の心を失わずに三十路侍になれたのは、彼女たちのお陰に他ならない。呪いが無ければもっと生きやすいとは思うけれど。

そう、確かに、女王は惣士朗の母であった。惣士朗も何やかんや言いつつ認めているし、仮に認めていなかったとしても、女王自身がそう考えた瞬間に世界の理となった。そんな彼女がクラベリーナに義母と呼ばせるということは、クラベリーナが彼女にそう思わせたということは、確定したのだ。惣士朗の預り知らぬところで。惣士朗の嫁が。


「ーーーいや!諦めんぞ!己の人生は己が決める!」

「まあなんてごうじょ……ご立派な考えでしょうか。正にその通りですわ」

「強情って言いかけたよね今」

「私は、父に言われるがままに生きてきました。貴族の娘は家の為に嫁ぐものだと教え込まれて来ましたし、反抗する理由もありませんでしたから」


首を振り、半ば睨むような強い瞳でクラベリーナを見据え、丁重に書状を返す。一般の少女であれば震え上がる勢いだが、クラベリーナは笑みを崩さず受け取った。そしてうっかり口を滑らせたことなど無かったように語り始める。この子話聞かないなあ、と思いつつ、惣士朗は耳を傾けた。書状を仕舞う一瞬の隙に腕が離れ、少々余裕が生まれたのである。二人の距離にも、惣士朗の心にも。


「ヴィストラッヘは圧倒的な経済力を誇ります。金になることなら何でもする。貴族社会でコミュニティを作ることも、領民と上手くやっていくことも、ごろつきと手を組むことも。国に娘を売り渡すこともできますが、他国に寝返ることも出来ますよ。娘を傷つけられた父親は恐ろしい、というのは、私の父には当てはまりません。目玉商品を台無しにされた店主の怒りはあるでしょうが」

「……」

「それでも良いと思っていました。信念のはっきりした父は逆に信頼できますし、それで傾きつつあった家を立て直したのですから、尊敬もしています。節制のため使用人に頼らず、しかし父が仕事に集中できるよう、生活を支えた母も。育ててもらった恩を返したい気持ちもありましたし、販路を開くため慣れない外国へ遣られた兄が楽しそうにやっているのも知っていました。私も役目をこなし、与えられた環境で幸せを見付ければいい、と。

だから、王子のことを愛する努力をしました。王子に愛して頂く努力をしました。……実際に好きだったんです。私は。あの日まで」

「…………」


ああ、やはり。ふっと翳った彼女の瞳に、胸の辺りが重くなる。彼女は、本当にあの子供のことを愛していたのだ。あるいはまだ愛している。それなのにあんな形で裏切られて、行き場を失い、こんなところまで来てしまった。惣士朗は、彼の代わりにはなれないのに。

ぐ、と惣士朗が眉を寄せた。その瞬間、クラベリーナの表情が輝いた。


「嫉妬?嫉妬しました?嫉妬ですわね?」


違った。


「……してないです……」

「ふふ、いいんですのよ?いえ嫉妬する必要なんてないんですけれど」

「してない……嫉妬ではない……」

「うふふ、王子に嫉妬されたところで全然嬉しくないというか仕事の邪魔過ぎて迷惑極まりなかったのですけれど、真に愛する人にされると嬉しいものですね!ガンガン嫉妬してくださいませ!」

「…………」

「なんならお仕置き、とか……していただいても……♥️ あっでも、そのために惣士朗さま以外に色目を使うような女ではありませんので!そこは安心してくださいませ!私は一生涯、いえ、生まれ変わっても惣士朗さま一筋ですわ!」

「いや、王子が好きだったんだろう」


なのに何故自分を、と後ろに続く純粋な疑問だったのが、本当に嫉妬しているみたいな響きを持ってしまった。クラベリーナは一瞬ますます表情を輝かせ、しかし慌てたようにきりりと引き締めると、惣士朗の手を取る。勢いよく。


「ヒッ」

「違います!いえ、確かにそうなのですが、私は間違っていたのですわ!愛の定義を!」

「愛の定義」

「私は愚かでした。王子を愛さなくてはならないという義務感から、好きという感情を見誤っていたのです。いえ、知らなかったのです!真実の愛を!」

「真実の愛」

「……惣士朗さまに見つけていただいたあのときに、気付いたのですわ」


そう言って、彼女はふわりと微笑んだ。祈るように手を握って、惣士朗の瞳を見つめて、心からの言葉を唇に載せる。


「好きです。惣士朗さま」

「っ、」

「私は、貴方のことを愛しています」


どくりと心臓が鳴る。恐怖ではなく、止まった時が動き出すような、身体に柔らかな熱が伝わっていくようなそれ。


「……クラベリーナ」


惣士朗は、クラベリーナの手を握り返して、


「分からぬ…………!」

「………………………………はい?」


重々しく吐き出した。


「………………え、ちょっ……今すごくいい感じでしたわよね?このまま抱き締められてもおかしくないくらい」

「分からぬ。どうして拙者なのだ」

「さっき言いました。運命です。え、心も身も一つになる雰囲気でしたよね?『好きにして……いいのだな?』『はい……♥️好きにしてください……♥️』みたいな」

「言ってないし、分からぬ。どうやってここまで来た?先に着いていたのだろう」

「ええ二日くらい。馴染みの邪竜に乗ってきました。そこで寝てますよ。……私、ベビー服も編みはじめたのですけど」

「本当だ。庭に邪竜がいるな。気付かなかった……。それはそれとして、」

「えっ!?そこは流すんですね!?邪竜ですよ!邪竜に乗ってきたんですよ!!??」

「ここにも運び屋をしている邪竜はたまにいる。高価だが、走るより早くてから便利だ」

「あら、そうでしたか。重い荷物も持ってくれるので便利ですよね。今後御入り用の際はあの子を使ってください。ファフ子といいます」

「はふ……ふぁ、ふぁふ、こ」

「か゛わ゛い゛い゛!!!!」

「!?…………それはそれとして」

「はい」

「拙者はおぬしに好かれるようなことは何もしていない」

「……」

「今はまだ考えられないかもしれないが、もっと良い相手がいるはずだ。おぬしほどのおなごな、らッ!!!」


ぱん、と乾いた音が響く。二人の間に長い沈黙が下りた後、静かな声が呟いた。


「振るなら、ちゃんと振ってくださいませ」

「……」

「私ではなく、貴方はどうなのですか?私のことが嫌いですか?迷惑ですか?だったらそう、はっきり仰ってください」


惣士朗の頬を張り飛ばした、クラベリーナの手は震えている。惣士朗は唖然として、赤く染まった頬に手をやり、呟く。


「…………薄々感じてはいたが、おぬし、強いな」

「そッ……んな!!ことは!!どうでも!!いい!!!」


ですわ!!!!と令嬢味を付け足しながらダンッ!と板張りの床に打ち付けた拳は、怒りに震えている。惣士朗は少し震えた。武者震いである。


「ほう……これは鍛えたらもっと……」

「鍛えません!!!それより答えてください!!私のこと好きですか!?嫌いですか!?」

「嫌いではない。迷惑……は…………少し……」

「正直!!ここは抱き締めるところでしょ!!」

「あと怖い」

「怖い!?何故!!??どこが!!!???」

「そういうところ……」


それから、自分のことを好きになれる理由が分からない。彼女が惣士朗の名を呼ぶ発音は誰よりも故郷のものに近くて、それでもこの国の言葉を使うのは、恐らく王城の誰かに聞いたのだろう。惣士朗が元々、あまり故郷の言葉を知らないことを。

惣士朗は剣しか知らない。刀を振るうことしかできない。この国から与えられたものを除けば本当に何一つ持たない自分のことを、打算抜きで愛する人間など、この世に存在しないと思っていた。


(いや、打算はあるのかもしれないが……)

「顔?顔でしょうか?確かに昔から怖いとか言われましたわね、悪役顔とか……ううむ……」


彼女の本心は分からない。だが、その表情や仕草は演技ばかりではないと思えた。だからこそ恐ろしく、不可解だ。不可解なのだがーーー、


「…………いえ!怖くても嫌いでも無関心でも構いませんわ!最終的に好きになっていただければいいのですから!」


伏せていた顔がばっと上がり、強い意思を込めた瞳が真っ正面から向けられる。眩しいな、と思った。それはひどく眩しくて、こちらの視界まで輝かせてしまうから、


「絶対に好きにさせてみせます。覚悟なさいませ」


世界が美しく見えるのだ。


「………………物好きだな」


惣士朗は苦笑する。ン゛ン゛ッ゛!と再び濁音だらけの、音に近い声を喉の奥から漏らし、クラベリーナは胸を押さえた。


「だ、大丈夫か」

「ウッ………お気になさらず。恋です」

「故意?」

「恋です」


故意なのか、何故。新たな疑問が浮かぶが、それは後で聞くことにする。最近の若者の間では、そういうのが流行っているのかもしれない。


「ひとまず夕餉の続きを。そして湯が冷める前におぬしも風呂に入れ」

「!!それは……つまり…………!」

「部屋は客間を使え。勝手が違うだろうから使い辛いかもしれんが」

「…………寝るときも?」

「好きにさせるのではなかったか?」


まだ、惣士朗はクラベリーナのことを好きではない。誰かを好きになんてならないと思っていたこともあるし、誰かを好きになんてなれないと思っている。それでも、それでもいいならかかってこい、と思った。彼女に変えられるならそう悪くない。彼女が変えてくれるのを、ほんの少し期待している。

そんな思いを包み隠して、挑発するように笑う。クラベリーナはうぐ、と小さく唸ったが、しかし強気に唇を吊り上げる。それは確かに、悪役令嬢らしい表情だった。


「ええ。もちろんですわ!」

「ふん。……他の相手を見付けたときは早めに言うのだぞ」

「そのときは既成事実を作ってください。今すぐでもよろしくてよ?」

「しません……」

「私はします」

「やめてくれ」


かくして、勇者に婚約者を寝取られ濡れ衣を着せられパーティーを追放された侍と、ヒロインに婚約者に寝取られ冤罪で断罪され婚約破棄られた令嬢の、ほのぼの攻防生活が始まったのである。



惣士朗は知らない。女しかいないこの国に乗り込んできたクラベリーナは、国民全員がライバルだと思い込み、薙ぎ払うつもりだったことを。中でも惣士朗を囲っていると他国では噂される女王を倒すべく、王城に邪竜で乗り込んだことを。そのわりに、穴が無いし100歳を越えないと流石に幼過ぎて誰もそういう対象にはしないと分かれば即態度を改め、その狂気めいた激情が、この国の民にひどく気に入られていることを。

だから、王宮付きの仕立て屋には着物を、職人からは食器を一日で仕上げてもらうくらいには気に入られ、ウエディングドレスと引き出物は任せろと言われているし、技術士長には唾液のサンプルと引き換えにザルの惣士朗が秒で酔う酒・カシオレの材料を譲ってもらったし、酔うとキス魔になるという実体験に基づく情報をもたらした新米騎士は氷の微笑で震え上がらせ、どちらが強者かを見せ付けたし、唯一惣士朗の意思を気にしていた王妃にすら、彼女が愛読するティーン向け恋愛小説に「私もそれ読んでる」程度の反応を示したことであっさり心を開かれ、是非嫁になってあげてと言われている。20年とは何だったのか。いや、これも末子長男を思うが故である。決して飾りがいのある可愛い女の子や、娯楽や、被検体や、趣味の合う義娘に釣られたわけではない。本当に。魔物というものは、自分の欲求に忠実だ。

女王と料理長だけでも生け垣くらいに埋まった外堀は、既に城壁レベルになっている。戦いを受けてしまった時点で負け確だったと気付くのは、まだ少し先の話。

堅物な男と積極的な女の子が好きです

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