上
初投稿です
「クラベリーナ・ヴィストラッヘ!貴様との婚約を破棄する!」
「ッ!?何を仰います殿下!私はーーー」
「黙れ!何の罪も無いマイカを平民というだけで虐め、傷つけ、あまつさえ命を狙った罰だ!」
「お聞き下さい!私は何も知りません!」
「この期に及んでまだ白を切るか……もうよい、命をもって償ってもらう」
「はっ」
「ひっ……いや!いやです!離して!ッ……!」
第二王子の腹心が剣を抜く。白銀の髪を振り乱して抵抗するも、屈強な兵士に押さえ付けられた侯爵令嬢に逃げ場は無い。驚きと恐怖でその麗しいかんばせを塗り潰し、胸元以外は華奢な身体を震わせる。そんな哀れな姿にも表情一つ動かさず、腹心は剣を振るった。ヒュッと空気を切る音に、令嬢だけでなく周りの聴衆も思わず目を瞑る。きっと次に目を開けたとき、彼女の青く美しいドレスは真っ赤に染まっているだろう。誰もがそう思った。
だが、侯爵令嬢が覚悟した痛みは訪れることはなく、代わりにキン、と金属のぶつかる音が耳に入った。次いで、な、と王子と腹心が漏らした驚きの声。つんざくような悲鳴も液体の飛び散る不快な音も聞こえず、不審に思って目を開けたらしい聴衆のざわめき。最後に、恐る恐る侯爵令嬢は目を開けーーー目の前に広がった光景に瞳を丸くした。不思議な衣装を身に纏う、鍛え抜かれた男の背。大きな剣を軽々と受け止める、細くて長い刀。
男が軽く刀を振るった。余り力が入っているようには見えなかったが、剣が跳ね返された腹心はその場に転がる。王子が、その隣で腕に手を添える女が、驚きに目を見開き、口を開けている。周りの聴衆も、もちろん侯爵令嬢も、同じような表情をしていた。
無造作に一つに束ねられた、新月の夜のような髪が揺れる。同じ色をした瞳がこちらを向き、射抜いた。獣一匹くらいなら殺してしまえそうなほど鋭い視線に、侯爵令嬢がビクリと肩を震わせると、男は微かに眉を寄せる。歳は40代前半、といったところだろうか。眉間以外にも幾らかうっすらと皺の目立つその顔は、恐らく異国のーーー東方の国のものだ。
「……怪我は無いか」
「はい……」
思いの外流暢なこの国の言葉で、ぶっきらぼうに男は言い、手を差し出す。侯爵令嬢は呆けたように答え、戸惑いながらも自らの手をその上に重ねた。古い血豆の痕や傷だらけの手が、白く細い手を掴み、立ち上がらせる。それはいささか乱暴ではあったが、侯爵令嬢はしっかりと自分の足で立ち上がり、そこで初めて、自分を捕らえていた兵士が床に転がっていることに気が付いた。
「貴方は……?」
侯爵令嬢の問いかけに、男は更に眉を寄せた。少しだけ間を置いてから、それでも真っ直ぐに侯爵令嬢の目を見て、真昼の空を夜に映し、言った。
「拙者、勇者に婚約者を寝取られ濡れ衣を着せられパーティーを追放された侍。義によって助太刀致す」
しん、と静まり返るパーティー会場。言葉は無くとも、言わんとしていることは伝わった。は?何言ってんだこいつ。
「な……何をふざけたことを!誰だ貴様は!」
真っ先に我に返ったのは、やはり流石と言うべきか、このパーティーの主催であり主役である王子だった。男、もとい追放侍は溜め息を吐いて振り返る。また眉間の皺が深くなる。
「だから申したであろう。勇者に婚約者を寝取られ濡れ衣を着せられ、」
「それはもういい!名を名乗れ!俺を誰だと思っている!?この国の第二王子ーーー」
「何の騒ぎだ、ルカルド」
荘厳な声が響く。皆一斉にそちらを振り向き、王子と隣の女、床に転がって動かない兵士、それから追放侍以外が、慌てて頭を垂れた。物々しく入ってきたのは、この国の王と、若き王妃だったからだ。
「ち、父上……何故……」
「何故?ここは王立学園のプロム会場だろう。そして今年の主催は第二王子。この国の王たる余が訪れておかしいということはあるまい」
「……学園のことは俺に一任されているはずです」
苦しげに、額に汗を滲ませて王子は呟く。隣の女は目を丸くして、王子を見上げた。彼女は、彼女だけが状況を分かっていない。侯爵令嬢のすぐ傍で、ふ、と微かに笑う音。
「なるほど。だから私刑も許されると?」
「!」
「何?」
冷たく、抑揚の無い声には、それでも確かに嘲笑が滲んでいる。王子はキッとそちらを睨み付け、だがそれに国王が反応すると、慌てて話を逸らした。
「そ、そんなことより!父上、この者は一体?このような得体の知れぬ男を連れてきて、」
「控えよ、ルカルド。こちらはソウシロウ・ミツルギ殿。知らぬわけは……あるまいな?」
「なっ!?ば、馬鹿な……」
ざわ、とホールが騒がしくなる。20年前、人間が魔物に脅かされていた時、世界の果てにある魔王城に単身乗り込み魔王と一騎討ちをし、勝利した男。魔王に世界中の国と和平協定を結ばせ、魔物の国が永年中立観光立国となる礎を築いた人類の英雄。『100人のこどもに聞いた!しょうらいのゆめ(男の子部門)』20年連続No.1。身分の差など関係無く、人間ならば誰しもが知っている。それがソウシロウ・ミツルギだ。この人が。侯爵令嬢も思わず息を飲み、こっそり見上げた。眉間の皺が黒部峡谷並みに深くなっている。
「ミツルギ殿はタナトフェル王国の大使として参られた。それから、是非我が国の軍事特別顧問として迎えたいと」
「その件に関してはもう既にお断りしておりますが?」
「ははは、まあまあどうかもう一度お考え下さい。特別演習でも良いのです」
「……」
「は、はあ……それはそれは…………で、ですがその大英雄様が何故ここに……」
「……嫌な気配を感じ取ったものでな。拙者、冤罪絶対許さん侍でもあるゆえ」
言ってから、追放侍兼大英雄侍、加えて冤罪絶許侍は苦虫を噛み潰したような顔をする。は?あ、え、はは……。生温い笑みが場に満ちるが、冤罪、という言葉に、侯爵令嬢と王子の隣に立つ女が表情を変えた。
「っ、そ、」
「冤罪なんかじゃないわ!クラベリーナ様はわたしが平民だからって、わたしのことを卑しい、ルカに近寄るなって言って、暴力を振るって……階段から突き落としたんです!信じてくださいっ……!」
侯爵令嬢の声に悲痛な声が掻き消す。ピンクトルマリンの瞳から大粒の涙をこぼし、しかし懸命に訴える女の姿は嫌でも同情と庇護欲を誘い、侯爵令嬢は何も言えなくなる。この一年、彼女が入学してきてずっと、もう何度も重ねてきたことだ。侯爵令嬢が何かを言ったところで信じる者はいない。むしろ何かを口にしてしまえば、ますます立場が悪くなり、そして。
ぞっ、と背筋が凍りつく。先程向けられた切っ先と、無数の殺意を思い出す。殺されてしまうのだろうか。本当に、このまま。何も言えないまま。こんな、こんなことで。
小さな手を胸の前で固く握り、ぎゅむ、と押し当てる。艶やかな唇を微かに開き、小さく息を吸った。
「ーーー〈ちが」
「父上!マイカの言ったことは本当です!この女はマイカを見下し、侮辱し、苦しめた悪魔だ!俺は彼女との婚約を破棄し、マイカと結婚する!」
しかし、響き渡ったのは王子の声だった。女を抱き締め、凛々しい顔で父親に宣言した王子に、女は一瞬驚きの表情を浮かべたあと、薔薇色に頬を染め、嬉しそうに綻ばせた。王妃は口許を両手で覆う。王は真剣な表情の息子に応えるように見つめ返し、長い沈黙のあと、重々しく口を開いた。
「……ヴィストラッヘの家の娘が、特待生の娘を傷付けたと。そう言うのか」
「はい!それも陰湿で卑劣な」
「だから何だ?」
今度は、王子が目を見開く番だった。王は深い溜め息を吐き、王妃は呆れを通り越して憐憫さえ浮かべた顔で、信じられない、と言うように小さく首を振る。
「魔鉱山を多く有するヴィストラッヘ家は、我が国の発展に無くてはならない家だ。ヴィストラッヘの令嬢を王家に迎え、侯爵家との繋がりをより強固なものとすることは、国にとって大きな意味を持つ。お前には幼い頃からそう言ってきたはずだ」
「そっ……それは家同士の都合でしょう!そこに愛は無い!」
「何てことをっ……!ルカルド王子、クラベリーナ様は長年、王家の一員となるべく教育を受けてこられました。その努力は才媛として既に他国にも名を轟かせるほど。この国の王を支えるにふさわしい存在です。そんな彼女を蔑ろにするなんてっ……!」
「義母上は黙っていてください!貴女が見ているのは外面だけです。クラベリーナが王妃にふさわしいだと?馬鹿を言え!本当にふさわしいのは、美しい心を持つマイカだ!俺を支えてくれるのはマイカ以外あり得ない!俺は真実の愛を見つけた。貴女のように、打算だけで結婚するなんて出来ない」
「何ですって!?私の陛下への愛を疑っているの!?ああ、ああ、なんてこと!王太子ともあろう人が、由緒正しき婚約者と義理とはいえ母に向かってこの仕打ち!……このままでは、国の未来が危ぶまれますわ」
「結局それか、この女狐……!」
「やめよルカルド!シャルロッテ!客人の前だぞ!」
第一王子が側妃の子かつ病弱であるため、長らく実質唯一の王位継承者だった第二王子と、彼の母親である前王妃が三年前に他界し、後妻として嫁いできて、その一年後には第三王子を産んだ現王妃。後ろ楯となる貴族の派閥が異なるということもあり、王太子の座を巡って争う二人は、当然のように不仲だった。顔を合わせる度に互いを蹴落とし合っている、というのは有名な話で、今回も例外ではなく、慌てて王は二人を諌め、申し訳ない、見苦しい真似を、と国賓の侍に頭を下げた。国賓侍は最早何も言わず、眉間をグランドキャニオンに変えている。見苦しいなんて最初からだ。今更何を。
「……ルカルド、先の発言は余に対しても侮辱であるぞ。余は正妃も側妃も皆平等に、心から愛しておる」
「…………申し訳ありません」
絶対嘘だ、と誰もが思ったが、口にはしない。妊娠時は見向きもされなかったというのに、「やだもう、陛下ったら♥️」と頬を赤らめてみせる王妃は流石である。属国の末娘とはいえ、元王女にあるまじき積極性とテクニック、出産を経てほんの少し崩れたプロポーションをあえて生かしたアブノーマルプレイという手厚いサービスで、王の心を引き戻しただけある。何ならもう一人二人男児が欲しいし、女の子はもっと欲しい。全ては自分の息子を次代の王にするため。
そうとも知らず、王は一瞬でれりと顔を緩ませて、慌てて鼻の下を伸ばしたままドヤ顔を作った。
「ムフフ、王ならば当然のことだ。ドンと構えて、全てを許す!それが王の器というものよ」
「は、はあ……まあ……いや……」
「確かに若い内は難しいかもしれぬ。だがな、よく考えてもみよ。そこの女は確かに愛らしいが、たかが平民だろう?だとすれば、一人くらいどうということはなかろう」
「ッ!?」
「はあ!?」
王子が愕然と目を見開く。すっとんきょうな声を上げたのは隣の女だったが、いつもよりオクターブ低く、鼻声ではないその声を、正しく彼女のものだと理解できる者は果たして何人いるのだろうか。
侯爵令嬢の肩がぴくりと動く。俯いたその表情は影になっていて見えず、元より誰も気にする者はいなかった。ただ一人を除いて。
「それに比べて、ヴィストラッヘは産業の要。とにかく金があるし、領民との関係も良く、外交も盛んだ。派閥には所属せず、中立を保っている……失うわけにはいかん」
「でもルカはあたしのことが好きなのよ!?あたしの方が美人だもの!そんな陰気女より!」
「えっ……そ、そうだな。マイカはかわいい」
女は確かに愛らしい見た目をしていた。だが、王子でさえ言い淀むほど、「美人」という言葉が似合うのは圧倒的に侯爵令嬢であった。あはは、と高らかに王妃が笑う。
「そうですわねぇ、『あばたもえくぼ』と言いますものねぇ!」
「はあー!?あたしがいちばんでしょ!?このエロババア!」
「ちょっ、マイカ!!」
「……想い合っているんですものね。いいんですのよ?その後ろ楯も学も無い礼儀知らずの獣以下を『一番』にしても。貴方が王家を出ていくのなら」
「なっ」
「えっいやそれはどうかな……ルカルドの母は宰相の妹だったしな………」
「は?嫌よ。王子様じゃないなら意味ないじゃない」
「んっ!!??」
「あーっはっはっはついに本性を表したな猿女!!お前を隣に置いた時点で、男の品位も髙が知れてんだよ!」
「ちょ、シャルロッテ」
「んだとこいつ!!」
「どういうことだマイカぁ!!俺への愛は!!??もしかして王子っていう肩書だけ!!??」
「「うるせえ黙ってろ馬鹿王子!!!」」
「やめんかーーー!!!もういいもう分かっただろう!婚約破棄は認めない!所詮は学園内で起きたこと!所詮は子供のしたことだ!全て!みな!水に流せ!よいな!?」
聴衆を置いてけぼりにしたまま、取っ組み合ったりすがりついたり、どんどんしっちゃかめっちゃかになっていく中、ついに王が叫び声を上げた。女二人がお互い突き飛ばすように手を離し、王子は力無く膝から崩れ落ちる。王ははああ、と溜め息を吐いた。
侯爵令嬢は、手を握った。ただでさえ白い手は、とうに力を込めすぎて真っ白になっている。肩で息をする。ちっとも脳に酸素が入っていかない。呼吸が上手くできない。だから頭が働かないのか。だからこの人たちの言っていることが理解できないのか。だから私は。
「そうではなかろう」
刀のように、空気を切り裂く声がした。さほど大きくはない、静かで冷たく、しかし怒りを含むその声は、ホールにいる全ての者の耳を奪い、目を奪った。
「違うと言っているのだ。彼女は何も知らない。彼女は何もやっていない。貴様らに許されなければならないようなことなど、何も無い。……そうであろう」
最後の言葉だけは柔らかく、侯爵令嬢は俯いていた顔を上げる。真っ直ぐに見つめる黒曜石を、サファイアが見つめ返した。真っ直ぐで澄んだ、美しい瞳だ。
薄く開いた唇でようやく酸素を吸い込んで、侯爵令嬢は震える声で、しかしはっきりと、答えた。
「…………はい」
滲む視界の向こう側、ほんの僅かに表情が動く。笑っているのかいないのか、分からないほど薄い笑みは、それでも存外に優しかった。
初めて誰かに言葉が届いた。初めて言葉を聞いてもらえた。この人が。
「……そっ、そんなわけない!ならどうして最初からそう言わなかったんだ!」
「…………聞かなかった、の間違いだろう」
耳障りな音に少し緩んだ皺を瞬時に戻し、お怒り侍はその発信源に向き直る。向き直ってから更に皺を深め、長めに息を吐き出した。
「国王陛下。技術提供の件は、白紙に戻すようタナトフェル王に進言しておきます。きっと魔鉱石も金も用意できないから、意味が無いと」
「えっ、そ、それは、どういう」
「娘を傷付けられた父親は恐ろしいものですぞ。拙者には子供はいませんが、追い立てられたことはありますゆえ。
それから軍事顧問の件、再度お断り申し上げる。もう二度と、拙者がこの国を訪れることは無い。
……それでは。失礼いたす」
地を這うような低い声で言い残し、絶対零度を身に纏ったぶちギレ侍は踵を返した。そのまま一切合切を寄せ付けず、さっさとホールを出ていく背中を、侯爵令嬢はぼうっと目で追って、見えなくなったところではっとする。慌てて追いかけようとしたとき、腕を捕まれた。反射的に振り返ってしまう。
「クラベリーナ!先のことは本当なのか……?だとしたらその……もう一度……俺の話を聞いてくれないか!」
「はあ!?ちょっと何言ってんのよ!あんたがまだ王子様なら相手してやるっつってんのに!」
「クラベリーナ様、濡れ衣を着せた男など狙い下げですわよね?そんな男は捨ててさっさと次へいきましょう!年下はいかが!?若くてピチピチですし、自分好みに染め上げることも可能ですわ!……15歳年は離れていますけれど」
「く、クラベリーナ嬢……淑女の鑑とまで謳われる貴女であれば、この国のために何をすべきか………わ、分かるであろう?分かるよね?お父上にだな……是非……」
「クラベリーナ様!王家がだめならこの僕に!」
「いや俺に!」
「私の兄に!」
「「僕たちに!」」
振り返るんじゃなかった。押し寄せる人の波は、あっという間に侯爵令嬢を取り囲む。復縁を求める者、代わりに名乗りを上げる者、自分の息子や兄弟を推す者。一妻多夫制を申し出る双子の兄弟までいる。
侯爵令嬢はーーー否、クラベリーナ・ヴィストラッヘは、にっこりと美しく微笑んだ。脂ぎった顔面を蒼白にし、わけの分からないことばかり言っている中年男に呼び掛ける。
「国王陛下」
「う、うむ!分かってくれたか!?」
「ええ。ようやく理解いたしました。学園でのことはこどものすること。すべて水に流していただけるのですよね?」
「はっ?お、おお!その通り!おおお!」
「そしてこれはプロム。まだ学園でのこと……」
「クラベリーナ……!」
ぱあ、と表情を明るくし、正面の男が両腕を広げた。その拍子に掴まれた腕が解放され、さっと引く。もう二度と掴まれないよう。
男は痴漢であったらしい。抱き締めようとしてきたので、クラベリーナは避けた。そのまま勢い余った男は、ぎゃん、と奇声を発し、床に転がった。
「へっ……?」
「であれば、これも許されますわね」
クラベリーナはゆっくりと胸元に手をやって、そのまま大きく引き裂いた。服の上からでもはっきりと形の分かる谷間が露になる。陽に当たったことなど無いような、いや、本当に陽に当たったことも無いのだろう雪のように白い肌。見るからに柔らかく、それでいてハリのある、思わず吸い付きたくなる双丘を、細く美しい指が滑っていく。上品で、ひどく淫靡なその光景に、男も女も、あのマイカとかいう者でさえ、ごくりと喉を鳴らした。
そんな観客を尻目に、クラベリーナは谷間に指を差し入れ、折り畳み式のナイフを取り出した。細身で、銀に輝き、柄の部分に蒼い石の付いたそれは、身体の一部であるかのようによく似合う。
爪が刺さって血の滲んだ掌に、一筋の傷を刻む。ぽたりと落ちた赤い雫が、青いドレスに染みを作る。それすらも、芸術品の如く美しい。
クラベリーナは微笑んで、
「ーーー〈血が欲しいならば捧げましょう。口づけが欲しいならば与えましょう。だから貴方は、私に忠誠を誓いなさい。〉ーーーおいで、ファフニール」
歌うように囁いた。次の瞬間、ホールに突風が吹き荒れ、悲鳴すらも飲み込んでいく。
それは、邪竜の羽ばたきだった。