プロローグ―2
「説明してもらってもいいかしら」
澪は一息ついて僕に訊く。日頃武道に携わっているからか心肺機能は高い。僕は膝に手をつき、数度深呼吸を重ねて落ち着いてから彼女の方に向き直った。
「横断歩道上にいた女性が、僕達の方に近づいてきたんだ……」
「それなのよ」と彼女は言う。「そんなのいなかったわ。少なくとも私には見えなかった」
ねえ、と澪は僕に顔をぐいっと近づける。
「もしかして、他の人には見えないものがあんたには見えてるんじゃないかしら?」
「そんな」
ことあるわけ、と言いかけて僕は口をつぐむ。確かにこれまでに他の人と話が噛み合わなかったことは幾度かある。共通しているのは「彼らには見えていないものが僕には見える」ことだった。それゆえ周りから疎外されたこともなくはない。しかし遠い幼少期のことであり、そのこと自体を忘れかけていた。僕も徐々に言葉少なになっていったから、友達もそれほど多くはなかったし。
「もしかして、これって凄い能力なんじゃない!?」
澪の目が好奇に輝く。彼女がこの表情を見せた時に良いことがあったためしがない。彼女は周囲に目を配って、
「ねえ、ここら辺に何か不思議なものは見えない?」
と訊いた。僕も同じように目を配ってみたものの、残念ながら夕方の住宅街には誰の姿もなく、僕は彼女に向って首を横に振った。
「何よつまんないわね、今すぐこの能力を世の為私の為に使いなさい」
彼女が不満気に頬を膨らませるのを見て僕は嘆息する。世の為っていうのはともかくとして、私の為って……
「なに不満そうな顔してんのよ。私のものは私のもの、あんたのものも私のものじゃない。今さら不満に思うこともないでしょ」
不満そうな顔をしているのはどっちの方だ。僕は心中で呟く。ジャイアニズム全開なのはいつも通りであるが、毎度こうして不満気な表情を見せて抵抗のアピールをし続けないことには、いつか彼女は道を踏み外す気がする。
「……『澪の為』ってのはおいといて、もうひとつの『世の為』にしたって、いったいどうすればこの能力を活かせると……」
単に見えるだけなのだ。相手に何か干渉できるわけではない(試したことはないが)。僕の問いに彼女は顎に手を当て、少し思案してから答えた。
「幽霊退治とか……かな?」
アホか。口には出せないので心中で呟く。今のご時世に本気で幽霊退治なんか需要がないだろう。霊に関する知識にしたって皆無に近いし、何かできるとは到底思えない。僕は再三の溜息を吐く。
「何よその表情は。あんた私のことバカにしてるでしょ。いいわ、今に見てなさい。パパに言いつけるから」
「ちょっ、それ本当に勘弁……」
彼女の父親は武道の達人である。その父に師事する澪も相当の強さなのだが、彼女の父親の強さは澪を軽く凌駕する。加えて超がつくほどの親バカであり、少しでも澪に不幸なことが起きれば速攻でその原因を排除する性質を持っている。僕とて彼女に危害を加えたら命の保証はなく、過去に何度も彼女の父親に張り倒されている。
「さあ、早速町内を探索するわよ!」
「何で僕まで」
「バカッ! あんたがいないと意味ないでしょ!」
「それにさっきの女性にまた会ったらどうなるか……」
「そんなの私がどうにかするわよ」
嘘つけ。見えない相手に対処のしようなどあるわけがない。見えていたってどうすればいいのか分からないし。
「仮に見つけたとしてどうするんだよ」
「それはその時に考えましょ」
その場しのぎは彼女の代名詞である。そしてその際に案を出すことになるのは、必ず僕の仕事になるのだ。軽い足取りで道草を食い始める彼女の後ろ姿に、僕は大きく溜息を吐いた。