3. 謎解きは金魚の餌やりの後に
昨日は結局のところ、何にもわからないまま部活は解散した。
ボールが無いのだから、グラウンドでの練習はもちろん不可能である。狭い部室の中で、中学生女子五人が右に左に大いに首を傾けてはみたものの、結論には至らなかったのだ。
(透明な世界って何? 一晩考えたけど、ぜんっぜんわからなかった)
いつもなら何があろうと元気いっぱいの美里が、パンダのような隈を朝から目の周りに作っていた。
しかし今日は、金魚の餌やり当番である。
早めに家を出た美里は、学校に着くなり玄関で粒タイプの餌を水槽の上側からばら撒いてから教室へと向かった。
「おはよう、ミサト」
声を掛けたのは、クラスメートの南だ。
彼女も寝不足らしく、その雰囲気をくすんだ肌の色が示していた。
「どうなの、ミナミ。謎は解けた?」
「まだよ。ミサトは?」
「私の方が美少女だけど頭脳はミナミに負けるからさ、ミナミがわからないものを私がわかるわけないじゃないの。さっきもね、元気に泳いでる四匹の金魚さんたちに餌をやりながらぼやいていたところよ」
「ふうん……。まあ、金魚当番を忘れなかったことは褒めてあげるわ――って。今、ミサトなんて言った?」
「え? 私の方が美少女ってこと?」
「ちっがーう! そこじゃなくて金魚よ」
「金魚は、普通に元気だったわよ」
「だ・か・ら。今、金魚は何匹って言った?」
「四匹……だけど」
「やっぱり!」
南は、もうすぐ授業が始まるというのに脱兎のごとく席を立ち、靴箱や金魚水槽のある玄関へと向かった。美里も、訳も分からずに後を追う。
やっと美里が追いついた水槽の前で、腰に手を当て仁王立ちになった南が得意げに口を開いた。
「透明な世界――見えるべきなのに見えない。それは、水槽の水の中よ」
「でも、中にボールは見当たらないけど――」
「まあ、見てて」
そう言うと、南はブラウスの袖をまくり、右手を水槽の中に突っ込んだ。
空気ポンプでブクブク泡を吐き出す軽石の先にある右奥の端を何やら探ると、なんとその場所に、ご丁寧にも二等辺三角形の形に切られた「板鏡」が角にピタッと合うように嵌められている。
鏡の縁で手を斬らないよう注意しながらそれを引き揚げると、一匹の金魚と水が入らないようにきっちり紐で閉められた半透明のビニール袋がそこから現れた。
「うわっ! さっきの餌やりの時、全然分からなかったよ」
「見えるべきなのに見えないのは鏡で囲われてたからよ。ポンプの泡も見づらくしていたのね。昨日、私が餌をやったときは金魚は五匹いたのに何故か今日は四匹になっているとすれば、自ずとわかることよ」
「そ、そうかなあ……あ、でもこれで万事解決よね」
「そんな訳ないじゃない。これが籠に入ったソフトボールに見える? ただのビニール袋よ」
「た、確かにそうね。ってことは、もしかして……」
半透明で曇っていて、中がよく見えないビニール袋。
南は、スカートのポケットからハンカチを取り出し周りの水滴を拭うと、ビニール袋の紐をてきぱきと解いて中を覗いた。
そこにあったのは、二つ折りにされた1枚の紙と真鍮製のレトロ感溢れる『鍵』だった。取っ手部分が扁平して丸くなっており、鍵穴に挿し込む方の先端が二本枝分かれしているので、まるで八分音符みたいな形。
この学校の、どこかの扉の鍵穴に合うものなのだろうか。
「やっぱり……」
がっくりと肩を落とす美里の横で、南が意気揚々と二つ折りの紙を開いた。
そこには、短い日本語の文章と時刻を示す文字が並んでいただけだった。
『ソフト部諸君、本当の謎解きはこれからだ。同封の『鍵』と下記の暗号からボールの在り処を捜し出してくれ!
4時0分30秒、1時40分30秒、2時0分、12時35分、4時0分30秒、12時35分、9時35分、8時20分』
「ん? これってどういうこと?」
「ミナミ、そんなこと私に訊いたってわかる訳ないじゃない」
「それもそうよね……」
「ちょっとぉ、少しは否定くらいしてくれてもいいでしょ!」
ぷんぷん怒りだした副部長を無視して、南が、ぱんと手を叩いた。
「とにかく作戦会議が必要ね。では部長命令よ。本日放課後、全員部室に集合すべし!」
「了解!」
美里と南は、放課後に部室に集合するよう、手分けして他の部員に連絡して回ったのだった。
☆
放課後。
プレハブ造りの狭い部室に、全部員五名が集まった。小さなテーブルを囲むようにして椅子を置き、顔を見合わせる。キャプテンの南が朝の出来事を説明すると、一枚の紙と金色に鈍く光る鍵を前に、皆一斉に首を捻った。
しばらくの沈黙の後、再び声を発したのは副キャプテンの美里だった。
「実はね……私、あれから休み時間を使って、生徒が立ち入り可能な場所の学校中の扉という扉の鍵穴にこの鍵を合わせてみたの……。でも結局、ひとつも合わなかった」
「や、やるわね副部長。さすが行動力だけはあるわ」
「お褒めに預かり光栄です、部長」
「そう取っていただけてこちらも光栄です、副部長」
そのとき、もう一人の二年生の美加が敬礼ポーズをとる美里と南の会話に口を挟んだ。
「普通に考えれば、書かれた時刻に鍵をどこかの鍵穴に入れて回せば扉が開くってことじゃないの?」
「そ、そうかもしれませんね」「たしかに」
初めて先輩たちのやりとりに参加したひなと香が、相槌を打つ。
しかし、キャプテンは納得しない。口元を曲げて眉間に皺を寄せる。彼女が考える時の得意の顔だ。
「でも、そんな小説の“からくり屋敷”みたいなことがこの学校でできるのかしら」
「それもそうよね……。あ、わかった!」
美里がテーブルの上の『鍵』をもって席から立ちあがり、パントマイムのような動きとともに鍵をガチャリ、と開けるポーズをした。
「どういうこと?」
怪訝そうな表情の南に向かい、ちっちっちと右の人差し指を左右に振った美里が鼻高々に言う。
「これはね、儀式なのよ。ほら、よく見てて」
美里は、指を四本立てた後、今度は親指と人差し指を丸めて輪を作る。その後に、また右手の指を三本立てながら左手で輪を作ると、鍵をポケットから取り出してガチャリと鍵を開ける仕草をした。
「ね? わかったでしょ」
「ちっともわからない」
「だーかーらー。さっきの仕草は四時零分三十秒を示してるわけ。こうやって指で数字を表してから鍵を開けるという動作を繰り返しやって祈れば、何処かの鍵が開くという――まあ、そういうことよ」
「何よそれ、オカルトな域に行っちゃってるじゃないのよ!」
「ダメかあ……」
がっくりと肩を落とした美里を部員全員が溜息交じりに眺めた、その瞬間。急に興奮したように、南が声をあげた。
「そうか、そうだったのか。お手柄よ、副部長!」
「そ、そう? 私、お手柄?」
とんと分からない、という表情の部員たちを前にして、自信ありげに南が言う。
「そうよ、時間は文字。数字じゃなくて文字を表してたのよ」
「も、文字?」
一気に盛り上がる、プレハブの部室。
それを戸の外から聞き耳を立てて聴く一人の人間がいたことを、そのときの彼女たちは知る由もなかった。