2. 消えた、持つとこないボールたち
放課後となり、美里と南が部活動のために教室を出ようとしたそのときだ。
いつもはおっとりとした性格の田丸美加が血相を変え、美里と南のいる2年C組の教室に飛び込んで来た。
「大変だ、大変だ!」
息を切らし、制服のスカートをバタつかせる美加に冷静沈着に話しかけたのは、キャプテンの南だった。
「どうしたのよ、ミカリン」
「た、大変よ! ぶ、ぶ、ぶ……」
「ぶぶぶっ?」
「ぶ、部室にあったボール、全部なくなってる」
「どういうこと? なくなったって、盗まれたってこと?」
「わかんないわよ、そんなこと。とにかく二人とも来てよ!」
美加が南の手を引き、教室から連れ出した。その後に続く、美里。右手には自分のカバン、左手には南カバンがある。
校舎の階段を下り、一階へ。
外履きに替えて走った先は、校舎と体育館の間にあるプレハブ製の部室長屋だった。奥から二番目の部屋で、女子テニス部と女子卓球部の間に挟まれたその空間にはロッカーや棚も置かれていて、着替えをしたり道具の保管をする場所となっている。
二年生の三人が部室に入ると、既に二人の一年生の姿がそこにあった。
「すみません!」 二年生を見るなり、突然謝ったひな。
「そういえば昨日、部室の鍵を最後に閉めたのはあなただったわね。もしかしてあなた、ボールを磨くのが嫌でそのまま捨てちゃったとか?」
「ち、ちがいますよ! 実は昨日、戸締りをしようと外に出たとき、野球部の男子に声を掛けられてですね、ちょっと話しこんじゃったんです。どうやらその間に……」
「あ、それ山田君でしょ? ひなのカレシなんですよ」
冷やかす中山香に、顔を赤くして小川ひなが「そんなんじゃない」と抗議する。
確かに棚を見ると、黄色い買い物籠いっぱいに詰まっていたはずの泥だらけのボールが、籠ごと消えている。呆然とする美里を横目に、棚に近づいた南が棚に置かれていた一枚の紙を拾い上げた。
「こんなところに紙が落ちてたわ。ははん……これは挑戦状ね」
「ちょーせんじょお?」
冷静なキャプテンの一言に、美里を含めその他大勢が平仮名発音の言葉を発して、キャプテンの手元を覗き込む。
『透明な世界。見えるべきものが見えざるところにそれはある』
南が低めの声で読み上げると、その他大勢が今度は一斉に首を傾げた。
と、南のどちらかといえば華奢な体にぐんぐんと燃え上がる闘志が満ち溢れていくのが美里にはわかった。彼女の性格からすれば、売られた喧嘩は必ず買う。幼馴染みである美里には、それが手に取るように分かったのだ。
「ふん、誰がこんなことしたか分からないけど、この挑戦、受けて立つわよ」
「さすがキャプテン!」「なんか楽しそう!」
盛り上がる一年の二人を睨みながら、美里が言う。
「でも、手がかりはこれだけよ。どうやって探す?」
「確かにそこが問題なのよね……」
可愛い顔に似合わず、白目をむきながら人差指を当てた口元をきゅりりと曲げて考える南。すると、いつの間にやら扉の空いたままの部室の入り口に立っていた生徒会長の金子が、ずり下がった眼鏡を指で引き上げながら言った。
「ほほう……。如月さんは変顔の才能もあるようですね、羨ましい。……ところで、先程から騒がしいようですけど、何かあったんですか?」
招かれざる客に、見られてはいけない顔を見られてしまった南は恥ずかしいやら腹立つやらで、ひくひくと顔を引きつらせた。そんな南の代わりとばかり、ニヤニヤにやける金子の顔に虫唾が走った美里が反撃する。
「うるっさいわね。アンタには関係ないわよ! って、ん? アンタ、生徒会長よね。やっぱ、大いに関係ありだわ。実は昨日、ウチの部室に置いてあったボールが籠ごとすべて消えてしまったのよ。これは誰かが盗んだってことよね。生徒会の執行部として、これは大いに問題にすべきことだとは思わない?」
「へえ、そうですか。でも試合もできないたった五人の部活ですし、大した問題では――。あ、これは余計なことを言ってしまいましたね、すみません。まあまあ、そんなに怒らなくてもいいではないですか、高田さん。では正直に申します。生徒会執行部が、この程度の問題にかかわっている暇はありません。あなたがたの思い違いかもしれませんし、事を穏便に済ますためにも、まずは部員の皆さんでお探しになられたらいかがでしょう」
「ちょっと……何なのよ、その言い方は。あ、もしかして、盗んだのアンタじゃないの? いくら私たちが可愛いからってそんな意地悪しても、なんにもならないわよ」
「ば、馬鹿なことを! この私がそんなくだらないこと……。とにかく、そんな問題は部内で解決してください。それでは」
部室から立ち去ろうとする金子会長の背中に向けて、美里が口の左右に指を突っ込んであっかんべえをしたそのときだった。中学生にしては長身で端正な顔つきの男子が、部室に入って来たのである。
彼にぶつかった金子が「うわっ」という声を出したまま、尻もちをつく。
「お、高田にも変顔という才能が有ったんだ……。それより、如月いる?」
金子のことなど眼中にないその男子は、サッカー部エースの二年、平野勇気といった。校内の女子たちにもかなりの人気で、今も一年の中山香が「きゃあ、平野先輩だっ!」と叫んだほどである。
しかし、それとは正反対に如月南と高田美里のテンションは低かった。南の表情がさっと曇ったほどである。名前を呼ばれた南は、仕方なく部室の奥の方から低い声を出した。
「ここにいるわよ。何の用?」
「お、如月か。どう? この前話しておいた件、考えてくれた?」
「ふん、考えてもいないわよ。そんなこと、最初からお断りだって言ったでしょ」
「まあ、そう言うなよ……。じゃあ、いつでも気が変わったら教えてくれよな」
踵を返して去って行く、平野。
美里が、少し心配げに南を見た。
「どういうことなの?」
「ああ……アイツね、ソフトボール部は存続できそうもないし、サッカー部の女子マネージャーにならないかっていうのよ」
「なんだとー、あの野郎!」
走り出そうとした美里を止めたのは、南だった。
「まあ、ほっときなよ。私が、あんな奴になびくわけがないでしょう?」
「それもそうよね」
そのとき、美里の足元から少し懐かしい声がした。
「あのぉ……。高田さん、僕の足を踏んづけてるようなんですけど」
「あら、アンタまだいたの! 気付かなかったわ」
「ひ、ひどい」
そんな会話などそっちのけ、南は挑戦状に書かれていた「謎」について思いを巡らしていた。