腹から腕が
高校生の真奈美と恭子は、いつも一緒に登下校をしていた。
「あっそうだ、昨日人身事故起きたの知ってる?」
ある日の下校中、恭子が突然、妙な話題を振った。
「どこでー?」と、真奈美はのんびりした声で尋ねた。
「あそこの……ほら、学校のすぐ近くにある踏切で」
「えっ、あそこ! こわー」
「ねえねえ、今からその踏切行ってみない?」
「えー気持ち悪いよ」
「いいじゃん別に。すぐ近くだし」
二人はいつもの通学路を逸れて、踏切を見に行った。
その踏切は、車一台分の幅しかない狭い道路と交差しており、車が通過することはほどんどなかった。周囲には田んぼしかなく、遮断機が遠くからでも見える。
踏切の近くまで来ると、二人は事故の痕跡がないか探しはじめた。
「ねえ」と、恭子がすぐに声を上げた。「これって血の跡じゃない?」
恭子が指さした所には、血痕らしき赤黒いシミが付着していた。
「ほんとだ」
真奈美はそう言ったあと、なんとなく周囲を見渡した。時刻はすでに夕方で、人気がいっさい無い。薄暗い中に恭子と二人っきりだ。真奈美は生々しい血痕を見たこともあって、だんだん怖くなってきた。
「なんか怖くなってきたよ。早く帰ろ」
「うん。でも、せっかく来たんだからさ、写真撮ってから帰らない?」
「は?」
真奈美は語気を強めて反対した。
「なんでこんな所で写真なんか撮んのよ! ぜったいヤダ」
「えー、心霊写真撮れるかもしれないじゃん」
「だから、それが嫌なんだって!」
「いいじゃん、いいじゃん。心霊写真だって思い出になるだろうからさ」
恭子はだいぶおちゃらけている。
真奈美はその無神経さに呆れて言った。
「ほんとに撮るの?」
「ほんとほんと。ほら、そこに立ってよ」と、恭子は旅先で記念撮影でもするような調子で言う。
「えっ、わたしが撮られる側なの?」
「早く早く。車が来ちゃうと面倒だから」
真奈美は恭子に言われるまま、踏切を背にして道路の真ん中に立った。
「これでいい?」
「うん。ハイ、チーズ」
もちろんポーズなどとるわけがない。恭子の携帯電話からカシャリと音がし、フラッシュがたかれた。
「よし、撮れた。さてさて……」
恭子はすぐに写真を確認し、ため息をついた。
「つまんない。なんにも写ってない」
恭子は携帯電話の画面を真奈美に見せた。画面には不機嫌そうな顔をした真奈美が写っているだけで、変わったところは何一つない。
「よかったー」
真奈美は胸を撫で下ろした。
「じゃあ、次はわたしね」
恭子はそう言って、真奈美の隣に立った。
「恭子も撮るの?」
「うん。真奈美だけだと不公平でしょ」
「……まあ、恭子がそうしたいなら、別にいいけど……」
真奈美は恭子が立っていた位置まで行き、携帯電話を取りだした。
「それじゃあ撮るよ」
「イェイ」
真奈美は携帯のボタンを押した。ピースサインをした恭子にフラッシュがかかった。
「さてと……」
真奈美はさっそく写真を確認し、絶句した。そこには、明らかにおかしなものが写り込んでいたからだ。恭子の腹部から白い腕が一本伸び、だらりとぶら下がっている。
「なんか写ってた?」
恭子の声にビクついてから、真奈美はとっさに嘘をついた。
「ううん。なんにも写ってない」
「見せてー」
「あっ、ごめん。もう消しちゃった」
「えー。まっいいけど。じゃっ、帰ろっか」
写真はまだ削除していなかったが、真奈美の嘘に気づくこともなく、恭子はさっさと歩き始めた。
「待ってよ」
真奈美は慌てて恭子の横に並んだ。
その後、二人はたわいもない話をしながら家に帰ったが、真奈美は終始上の空だった。
翌日、真奈美が朝食を食べ家を出ようとしたとき、携帯にメールが届いた。差出人は恭子だった。『今日は先に学校に行ってるから』とだけ書かれている。
いつもは真奈美が恭子の家の前を通り、そこから一緒に学校へ行く。しかし、この日は真奈美一人で学校へ行くこととなった。恭子が先に学校へ行った理由については、何もメールに書かれていない。真奈美はなんだか胸騒ぎがした。これも、あの写真と関係があるのだろうか。
真奈美はたいした理由でないことを祈りながら、一人で学校に向かった。
学校に着き、教室に入ると、机に座ってぼーっとしている恭子を見つけた。こちらに視線を移してはくれない。携帯をいじるでもなく、教科書を広げるでもなく、ただただ虚空を見つめている。
こんなことは今までになかった。真奈美はとりあえず恭子の前に立ち、声をかけた。
「おはよう」
「……うん」
あいさつもまともに返してくれない。真奈美は心配になって尋ねた。
「どうして先に学校に行っちゃたの? 何か用事でもあったの?」
「ううん。学校にくれば賑やかだから、早く行きたくって」
「……何か、あったの?」
そう問いかけると、恭子は真奈美の顔をじっと見つめて答えた。
「あった、というか、ある」
「あるって……どういうことよ」
「今もそれが起こってるの」
「どういうこと?」
「……信じてくれないかもしれないけど」
そう言うと、恭子は自分の腹部に両手を動かしていった。
真奈美の胸がざわつく。
恭子が声を少し震わせて言った。
「ここからね、腕が生えてるのよ」
恭子は腹部から生えている腕を掴むかのように、両手で空洞をつくっていた。
真奈美は昨日の写真を思い出した。たしか同じ位置から腕が伸びていたはずだ。
真奈美は試しに、腕が通っているであろうあたりに手を伸ばし、指先を当ててみた。しかし、なんの感触もない。指先が空を切るだけだ。
「わたしには見えないし、触れないけど……」
恭子がいっそう声を落として言った。
「わたしにだって見えないの。見えないけど、触れることはできて、だから腕だって分かる。肘もあるし、指もあるし……」
「……あのさ、実は――」
真奈美は本当の事を伝える決心をした。この腕は確実に昨日の写真と関係がある。隠していたって仕方ないだろう。
写真を見せると、恭子は目を見開いたまま固まってしまった。
真奈美もなんと声をかけていいか分からず、沈黙することしかできなかった。
しばらくして、恭子が口を開いた。
「これってやっぱり、電車に轢かれた人の腕だよね」
「……たぶん、そうなんじゃないかな」
「てことは、電車に轢かれてちぎれちゃった腕だけが、わたしに取り憑いてるってこと?」
「……分かんないけど」
「……」
二人の間に、沈黙が流れた。
次に話を切り出したのも、恭子だった。
「わたしが、写真撮ろうなんて言いだしたから……」
恭子は今にも泣き出しそうだった。
真奈美はできるだけ明るい口調で言った。
「学校が終わったらさ、わたしと一緒にあの踏切に行かない?」
恭子は信じられないといった表情で答えた。
「絶対嫌よ。なんでそんなことするの?」
「お供え物を置いてくるの。そしたら成仏して、腕が消えるかもしれない」
「もっと酷い目にあったらどうすんの?」
「……じゃあ、このままでいいの?」
「……」
「そうだよ。べつにいいじゃん。腕が付いたままだって。たいして困ることなんてなさそうだし、みんなには見えないんだからさ」
「……あるよ」
「え?」
「困ることならあるの。一応。……この腕ね、ときどき何かを掴むのよ」
「掴む? 物はすり抜けるんじゃないの?」
「そうなんだけど、でも、こいつが物を掴んでるのを見たことがあるの。腕自体は見えないから、掴まれてる物が宙に浮かんで見えるんだけど」
恭子は机に置かれた筆箱からペンを取り出し、腕の手の平に当たるであろう部分に近づけた。
「あれ、掴まないなあ……」
恭子のペンはゆらゆらと空を切っている。
真奈美はなんとなく、人差し指をペンのあたりに近づけた。
「イヤッ」
真奈美は短い悲鳴を上げた。人差し指が握りしめられる感触がしたからだ。
悲鳴を聞いて、周囲の生徒がちらりとこちらを見たが、すぐにまた視線を戻し、それぞれの会話に戻っていった。
恭子は真奈美の顔を見上げ、悲しそうな顔で言った。
「気持ち悪いでしょう?」
その顔を見て、真奈美は胸が締め付けられた。
「恭子、やっぱりあの踏切に行こう? わたしも一緒について行くから」
「でも、怖いし……」
「大丈夫だって。それでダメだったら、お祓いを受けに行こう。二人で」
恭子は力なく笑って言った。
「……じゃあ、帰りに一緒に行こっか」
「うん」と、真奈美も笑って答えた。
学校が終わると、二人は花を買ってから、例の踏切に向かった。
今日もまた、踏切には人気が無い。昨日よりもいっそう恐ろしい。
恭子は花束を踏切前の電柱に供え、両手を合わせた。真奈美も目をつむり、手を合わせる。
二人は五分ほどそうしてから、その場を後にした。少し歩いたところで、真奈美は振り返って踏切を見た。先ほど置いた花束が、さびしく風にそよいでいる。真奈美は祈るような気持ちでそれ見つめて、再び前を向いて歩き出した。
翌日、真奈美はまた一人で学校へ行かなければならなくなった。恭子の家に行っても、誰もいなかったらだ。昨日のようにメールも届いていない。
学校につき教室に入ると、恭子はまだ来ていないようだった。
おかしいと思いながら時が経ち、もう少しで一時間目の授業が始まろうとしている時、担任の教師が入ってきた。そして、なぜか真奈美のことを呼んだ。
不思議に思いながら担任についていくと、職員室に連れてこられた。
担任と中に入る。すると、真奈美はいつもとは違う異様な雰囲気を感じ取った。中にいた教員が一斉にこちらを見たのだ。
真奈美は不審に思いながら尋ねた。
「どうしたんですか?」
担任が険しい表情で言う。
「……お前、上田と仲が良かったよな?」
真奈美は嫌な予感がした。上田とは、恭子のことだ。どうして恭子の名前が出てくるんだろう。まさか、あの踏切と何か関係あるのだろうか。
気になる事はたくさんあるが、とりあえず担任の質問に答える。
「はい。そうですけど」
「実は、さっき親御さんから連絡があってな……上田が亡くなったそうなんだ」
「……亡くなった?」
真奈美の脳裏に、昨日見た恭子の笑顔が浮かんだ。
「どうして、恭子が……」
「それを訊きたいんだ。今こんなことを訊くのは申し訳ないんだが。――警察は上田が自殺をしたんじゃないかって疑ってる。何か心当たりはないか?」
「ありません、そんな、恭子が自殺なんて」
「……そうか。じゃあ、いじめを受けていたとか、何かしらの悩みを抱えていたとか、そんな様子は無かったんだな?」
「……はい」
「分かった、ありがとう。このことは警察に伝えておくから、もう教室に戻っていいぞ。なんだったら、早退してもいい」
「……分かりました」
真奈美はふらふらと退出し、そのまま教室に戻ると、荷物をまとめて家に帰った。
そこから先のことはよく覚えていない。気がつくと、真奈美は自分の部屋のベッドに倒れていた。
真奈美は泣いた。一日中泣き通した。
日が傾き、ようやく涙が出なくなった頃、なんとか頭を働かせられるようになった。そして考えた。恭子は誰に殺されたのか。そもそもどうやって死んだのか。
真奈美はすぐに、担任に電話をかけた。
「おう、どうした」
「あの、恭子の件で」
「ん、なんだ?」
「恭子の死因を教えてください」
「……訊いても後悔するだけだと思うが」
「いいんです。どうしても気になるんです」
「……上田は、胸にナイフを突き立てて死んだんだ」
「……」
真奈美は恭子の痛みを思い、気が遠のきそうになったが、辛う堪え、質問を続けた。
「どうしてそんな死に方を」
「分からない。だから警察も自殺と他殺を両方疑ってるんだ。……他に何か訊きたいことはあるか? あっ、葬式の日程ならまだ決まってないぞ。親御さんから伝えて貰ったら、すぐに連絡してやるから」
「ありがとうございます」
「他に訊きたいことはあるか?」
「ありません」
「そうか、分かった。相談したいことがあったら、いつでも連絡してこいよ」
「はい。ありがとうございます。それじゃあ」
「おう」
電話を切ってから、担任の言葉が何度も頭をよぎった。
胸にナイフを突き立てて 胸にナイフを突き立てて――
犯人が分かった。恭子に取り憑いた幽霊の腕だ。あの腕がナイフを掴んで、胸に――。
真奈美は激しい怒りを覚えた。殺すなら、自殺の原因を作った奴を殺せばいいのに。
「どうして恭子が殺されなきゃならないの……」
真奈美は怒りを滲ませて呟いた。
その時、真奈美の後頭部を誰かが掻き撫でた。
驚いて後ろを見るが、誰もいない。
真奈美は恐る恐る、両手を背中にまわした。両手はすぐに、そこから突き出る腕のようなものに触れた。