7 空っぽの教室で
長居をするのは時間の無駄だ。バスに乗って甘夏の家に帰ることにした。停留所の周りのタチアオイが風に優しく揺れている。
石段を登る。改めてみるとけっこう雰囲気のあるお社だ。
左右に狐の石像があり、稲荷神社だということに初めて気がついた。
建物はほとんど木造だが、木の質をみるに、そこまで古くは無さそうだった。甘夏にその事を問うと、何回か改修工事を行っているらしい。
境内を歩き、自宅の扉を 開けた。
「おばあちゃん! ただいま」
廊下を走り、畳の部屋でテレビを見ている老婆に声をかけた。
「……おんやぁ、元気がいいねぇ。おかえりなさい」
半分以上寝てるんじゃないかというくらい閉じた瞼の隙間で甘夏を見やるとおばあちゃんはニカりとわらった。
老人斑が出ているが、老いを感じさせない綺麗な笑顔だった。
「父ちゃんは氏子さんとこ行っとるよ」
机の上の木皿からすももを取り出しそのままむしゃぼる。
「うん、知ってる」
歯形がくっきりついていた。
「おばあちゃん、あのね、昨日の話の続きなんだけどね」
「昨日? なにかあったかねぇ……」
「ほら、話してた幽霊の男の子、消えたと思ってたんだけど、まだいたの」
「昨日はなにを食べたかねぇ……」
「冷奴と根菜のおひたしだよ」
「おお、そうだったねぇ」
けらけら笑い声をあげる。
甘夏はにこにこと笑いながら、おばあちゃん正面に座った。痩せた老年の女性だ。肉があまりなく、細い。
「それでね、その子、いま隣にいるの」
「隣?」
ぼんやりと間延びするようにおばあちゃんは呟き、甘夏の左側を見た。
目が合う。
白髪でしわくちゃだが、甘夏同様可愛らしい顔立ちをしていた。
「おんやぁ」
「どうも、です」
うんうん、と二回ほど頷くとおばあちゃんは口を開いた。
「なんも見えんね」
「え」
甘夏と一緒にポカンと口を開けてしまう。
おい、話が違うぞ。
「え、でもおばあちゃん、私の隣にいるんだよ、男の子が」
気のせいか甘夏の顔が少し青ざめたように思える。妄想の産物と恐れているのではないだろうか。俺は違うと断言できるが、それを証明できる手段はない。
信頼していた祖母に見えないと言われてしまった、彼女の心中は察するにあまりある。
「ほ、ほんとだよ、今もぽかんと口を金魚みたいに開け放って……」
慌てて閉じる。
「うんうん。そうやねぇ。信じるよ。見えんけどねぇ」
「でもだって、それじゃあ、私、頭がおかしくなったみたいじゃん……」
「それは違うよぉ」
ぽんとしわくちゃの手が甘夏の頭を撫でる。
「必要ない時に必要な人にしか見えんようになっとるんやろ」
「……」
甘夏は横目で俺を見た。
「そういう縁なんだろうねぇ」
おばあちゃんの声は優しかった。
「でもどうやったら彼は常世にいけるの?」
甘夏はおばあちゃんをまっすぐ見つめた。真剣な眼差しににっこり微笑んで首を降った。
「亡くなったら神様の国に帰るようになっとるんよ。魂がまだここにあって、神様になっとらんのなら、それはまだこちらに必要だということよ」
「必要……でも、そしたらなんで彼はここに……」
「そりゃ考えとんねぇ」
甘夏は首を横にして、俺を見つめた。
「なぁ、甘夏。ちょっと聞いてみてくれないか?」
きっと彼女の祖母なら答えを知っている。
「自分のことが思い出せないのはなんで?」
俺のした質問を甘夏はおばあちゃんに投げ掛けた。
「そんなんわからんけど」
語尾を間延びさせてから続けた。
「死ぬいうことは忘れるということやから、思い出すことは生きるということになるのかもしれんね」
「どういうこと?」
「ほれ、ばあちゃんボケが最近すごいやろ? 死に近づくにつれ、忘れやすくなってんのかね」
ケラケラと自虐ネタを披露するが笑えないにも程があった。
「じゃ、じゃあどうすれば思い出せるんだ!」
「いろいろ見聞きして、いろいろ考えて、疲れたら寝るんが一番よ。嫌なことをもやもや考えとるから頭が晴れんのや。寝てるときは死んどるみたいなもんやから、思い出すことができるかもしれんね」
「……」
咄嗟に甘夏を通さずにした質問だが、おばあちゃんは平然と答えてくれた。
「ありがとう、ございます」
にこにこと笑うだけで返事はもらえなかった。
神道では食事中やたらめったらおしゃべりをしないらしい。美味しそうなヒジキだけど無言でモグモグ。家族仲が悪いのだろうかと一瞬考えてしまった。
無言の食事を終え、甘夏は自室に戻った。会話は一切ない。母親はおらず、父親のみだが、親子間は冷めきっているだろうか。深く考えるのはやめた。
部屋に戻るや、すぐに鞄からノートと数学のワークを取り出し、広げる。
「大変だねぇ」
俺の憎まれ口に甘夏は不機嫌そうに睨み付けてきた。
「数学なんて無くなればいいのに」
憎々しげに吐き捨てる。
「そんな嫌いなら勉強しなきゃいいじゃん」
「もうすぐ試験なの」
「ふぅん、がんばってくれ」
無言でシャーペンを動かし始めたので、俺はベッドに寝転んで彼女の背中を見ていたら、いつのまにか寝てしまった。