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5 空っぽの教室で


 チャイムが鳴った。日直が号令をかけ、授業が終わり、お昼休みが訪れる。甘夏は鞄を引ったくるように掴むと、小走りで廊下に出た。


「おい」

 無視された。まあ人の目があるからそれは構わないけど、かなりの早歩きだ。

 廊下の奥まで行って非常階段を出たところ立ち止まった。

「ここで飯食うの?」

 小さくコクンと頷くとスカートを降りながら段差に腰かけた。

「友達と食べないの?」

「……」

「いま誰も見てないから、無視しないでよ」

「私、……友達いないから」

 鞄から取り出した弁当の布をほどきながらうつむいて答える。蚊の鳴くような声だ。気まずいことを聞いてしまった。

「そんなタイプには見えないからちょっと意外だな」

「意外って?」

 お箸を持って、小さく「いただきます」と唱える。

「いや、顔もかわいいし、それほど内向的でもなさそうだから、友達くらい何人かいてもおかしくないな、って」

 お箸でタコさんウィンナーを持ち上げる。

「ちょっと前までは普通にいたんだけどね」

「なんかあったの?」

「女子はね。順繰りなの。無視される時期とか」

 なんだその負のサイクル。

 甘夏はそう言って、会話を拒むように、無言でお弁当を食べ始めた。


 お弁当を食べ終わり、教室に戻るのかなと思ったが、違うらしい。少女は鞄から文庫本を取り出しページを開いた。随分と慣れたご様子だ。

「なぁ」

「ん?」

「なに読んでるの?」

「寺山修司」

「誰それ」

「詩人」

 目線も寄越さず喉をならす。

「やっぱポエマーじゃん」

「読むのが好きなの。私は読まない」

「……ん?」

「……」

 ジロリと睨み付けられる。

「あ、でも、ほら、俺もあれ好きだよ。散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がするー」

「都々逸じゃん」

「ドドイツ? なにそれ」

「五・七・五は俳句でしょ? それと同じように七・七・七・五の音数律の定型詩のことを都々逸っていうの」

「へぇ。初めて聞いたわ。他にはどんな詞があるの?」

「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」

「おー、聞いたことある! 他は他は?」

「……お前百までわしゃ九十九まで共に白髪の生えるまで」

「なにそれ、意味わからん」

「あとは今の季節ならあれとかな……恋に焦がれて鳴く蝉よりも」

 甘夏はそれからいくつか都々逸を俺に教えてくれた。

 聞いたことがあるものから、聞いたことのないものまでたくさん種類があり、彼女の知識の深さを知った。

 だからこそ疑問に思った。

 彼女の話は面白く、機知に富んでいる。

「なんで友達いないの?」

 本来ならクラスの中心人物たる素質をもった女の子だ。

 薄汚れた非常階段で一人でご飯を食べているのは納得できない。

「知らないよそんなの。私、人見知りだから」

 ぶっきらぼうに答えられたが、その返答は、昨日の彼女の行動と矛盾している。

「人見知りのやつが雨に濡れた不審者に声かけるかよ」

「……ほっといてよ。あなた死んでるんだから」

「死んでるから気になるんじゃん。生きてたら他人のことに気を配るほど暇じゃないからな」

「……いいよ、教えてあげる。新しいクラスになってすぐのとき風邪で寝込んだの。久々に登校したらすでにコミュニティができててそこに飛び込む勇気が私にはなかっただけの話」

「そりゃ仕方ないな」

 お茶を濁すような回答に口ではそう答えたが、不自然なことにいくつか気づいていた。

 彼女は授業の度に教科書類を鞄から取り出していた。置き勉はしないタイプなのだろうとはじめは気にもとめなかったが、お昼休みも弁当箱だけじゃなく鞄を持って移動する意味を感じられなかった。

 教室に自分の荷物を残したくないのだろう。イタズラを防ぐため?

 もしかしてだけど、

 ひょっとしてだけど、

 いや、深く考えるのはやめよう。


 非常階段は廊下の喧騒をシャットアウトするように静かだった。

「そういえばなにか思い出したの?」

 活字を目で追いながら甘夏が訊いてきた。

「いや全然。あんまり手がかりになるようなことは……いや、まてよ、さっきの古典の先生」

「登呂先生を知ってるの?」

「ん、ああ、だって教師だし……あ」

 この身体になって自分以外のことを思い出すのははじめてだった。

「なあ、先生に俺のことを聞いてくれないか? そうすれば名前くらいはわかるかもしれない」

「……」

 甘夏は本を閉じて、俺をじっと見た。

「あまり、現世にとらわれない方がいいんじゃない?」

「……自分のことをはっきりさせたいと思ってるだけだ」

 本を鞄にしまい、俺を見つめる。

「なんて聞けばいいかな?」


 職員室に行った甘夏は、授業内容について尋ねたいことがあると登呂先生を呼び出した。他愛のない言葉を二三交わし、「よくわかりました。ありがとうございました」と締めの挨拶をしてから、「そういえば」と続けた。

「昨日救急車が学校に止まってるのを見ましたが、誰か病院に行ったんですか?」

 甘夏は嘘をついた。彼女が見たのは幽体となった俺だけで、その過程は一切知らないらしい。

 さすがに誰か死にましたか、なんて質問ははぐらかされるなと思ったのでオブラートに包んだ問いを投げ掛けることにしたらしい。

「昨日?」

 登呂先生は首を捻った。

「いや、俺は知らんが……何時くらいだ?」

「夕方、放課後です。校門で……私てっきり部活動で誰か運ばれたのかと……」

「昨日は俺も出勤していたが……そんなんあったかな……」

「あ、もしかしたら、昨日じゃないかもしれません、最近というか……」

「なんだそれ」

 登呂先生は甘夏の要領を得ない質問に破顔した。

「学校だから救急車がくることはあるが、最近はないと思うぞ。俺が知らないだけかもしれないが」

「そ、そうですか。じゃあ、気のせいだったのかな……あ、ありがとうございました」

 ペコリと頭を下げて甘夏は踵をかえした。

「あ、まて秋沢」

 登呂先生は足早にその場をあとにしようとした甘夏を呼び止めた。

「なんですか?」

「進路希望調査表、お前まだ出してないだろ」

「……」

「七月の初週まで待ってやるから、親御さんとよく話し合って決めろよ」

「はい」

 なんで担任でもない登呂先生がそんなことで甘夏を呼び止めるのだろうと一瞬考えたが、すぐに答えが浮かんだ。そういえばこの人は学年主任だった。

「相談ならいつでも乗るからな」

 軽く手を上げた先生はすぐに机の上の弁当に向き直った。

 足早に職員室を離れる甘夏の耳は赤くなっていた。検討違いな質問をして恥ずかしかったのだろう。

 渡り廊下の人気が少なくなったところで、俺は彼女に話しかけた。

「悪いことしたな」

「べつに、それはいいけど……」

 歩みを止めて浅く息をつく。手すりに背中を持たれかけ彼女はちらりと俺を見た。

「でも、あなた、いつ死んだの?」

「昨日だと思ってたけど、……なあ、もう一度昨日俺がいたところに行ってみようぜ」

「放課後でいい?」

 チャイムが鳴った。昼休み終了のお知らせだ。

「ああ」

 再び教室に向かう。


 眠気は無かった。いつもは子守唄に聞こえる教師の声が、俺にとっては活弁師のふるまいに思え、懐かしい気持ちで見ることができた。放課後を向かえ、ホームルームが終わり、掃除の時間が訪れる。掃除が終われば放課後だ。

 甘夏たちの班はトイレ掃除らしい。六人が男女三人ずつに別れ、男子トイレと女子トイレに入っていく。

 甘夏に続いて俺も女子トイレに続こうとしたら無言で睨み付けられたので自重することにし、廊下で掃除が終わるのを待つことにした。

 数分もしないうちに女子二人がぺちゃくちゃおしゃべりをしながら、トイレから出てきた。どうやらさぼったらしいが、甘夏の姿がない。

 それから数分待ったが、出てくる様子がなかったので、俺は女子トイレ内の侵入を試みた。

 タイルをモップで磨く、甘夏がいた。

「なあ」

「……なに勝手に入ってきてんの?」

「誰も見てないしお前もサボって帰れば? 三人でやることを一人でやってたら大変だろ」

「……」

 甘夏は俺の方を向かず、ごしごしと力をこめてタイルを磨いている。

「あと、ここだけだから、もう少し待ってて。そしたらあなたに付き合うから」

「そういうことじゃなくてさ」

 額に汗を浮かべ甘夏は床を磨き続けている。

「あのさぼったやつら。あいつらに明日残りはやらせればいいじゃん」

「ううん。今やれることは今やらないと。トイレは大切なところだから……」

「それって神道?」

「……人として」

 よく分からない女の子だ。

 よく分からないが、とても良いことだと思った。


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