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4 空っぽの教室で


 夢を見ていた。

 内容はほとんど覚えていないが、いまのは確かに過去の記憶だ。


 意識が鮮明になっていく。


 重たい瞼を開けると、下着姿の甘夏がシャツを羽織るところだった。

 いま声をかけると間違いないしに不機嫌になるので、しばらく待って、髪をゴムでまとめているところで「なあ」と声をかけた。

「わっ、びっくりした!」

 大袈裟にびくりと体を震わせて鏡から目線を俺に移した。

「あれ、いたの」

「いたのって酷い言い種だな」

「だって昨日の夜に気付いたら居なくなってて、私てっきり成仏したもんだと」

「昨日?」

 窓を見る。カーテンの隙間から陽光が漏れていた。

「え、朝? 嘘だろ。ちょっと寝てただけなのに」

「幽霊って寝るんだね。知らなかった」

 うたた寝程度だと思っていたが、違ったらしい。雀がチュンチュンと鳴き声をあげている。

「あ、それでおばあちゃんは……」

 顔を上げて少女に訪ねた。

「聞いてないよ。だって居なくなってたんだもん。成仏したなら聞く必要ないでしょ」

「だよなぁ」

 頭を抱える。

「……なぁ、悪いけど改めて聞いてくれないか?」

「いいけど、学校行ってからでいい?」

「……もう出ないとまずいの?」

 壁掛け時計を見ると七時半を回ったところだった。

「んーん。まだ余裕はあるけど、おばあちゃんもう施設の方に行っちゃったから、会えるのは結局放課後になるわけ」

「施設?」

「デイケア。最近ボケが進んできちゃって……」

 少し重い話になりそうだったので、無言で二三度頷いて、「そうか」と呟いた。


 神社の境内からは町が一望できた。

 吹き抜ける風とともに木々がざわめいた。

 寝たからだろうか、一つ思い出したことがある。

 俺はこの町が嫌いだった。

 町並みは整備されているが、ところどころ古くなっていて、東京郊外のベッドタウンの魅力はくすんでしまっている。

 山を切り崩し建設ラッシュに沸いた団地も、いまじゃ墓石のように建ち並び、西日に照らされる時間帯は言葉にできぬほど悲壮感に満ちていた。

 ニューファミリー層は気づかぬうちに老年層に代わり、若者はもっと便利な都心に住むか、家賃が安い地方都市に移り住むので、町に残された者の未来は破滅のみであった。

 ニュータウン計画の失敗例として槍玉に上がる由縁を、住んでいればヒシヒシと感じることができるのだ。


「ねぇ、学校来るの?」

 石段をだらだらと下りながら、甘夏がめんどくさそうに訊いてきた。

「ああ。家で待ってても暇だし、学校にいけば自分の名前くらい思い出せるかもしれないからな」

「そうだね……まあ、私は別に構わないけど」

 昨日とは逆の道順でバス停に向かう。神社の周りは青々とした木々に囲われている。

「それにしても神社の周りって植物多いよな。夏は虫がスゴそうだ」

「鎮守の森だからね」

「……なにそれ?」

「木に囲われてた方が神聖な感じするじゃん。自然崇拝というか」

「よくわかんね」

 階段を下りきり、停留所に着いた。

 バス待ちは甘夏のみであった。


 甘夏が停留所について、一分も経たない内にバスがやって来た。

 乗り込んで、揺られること二十分、高校前で下車し、数分歩くと校舎が見えてきた。見慣れた風景だ。記憶ではなく、感覚としてそう思った。

 葬列の参列者みたいに暗い顔したやつもいれば、幸せそうなやつがいたりと、校舎周辺は様々な顔で溢れていた。

 昇降口の下駄箱で靴を履きかえ、慣れた動作で少女は教室に向かい歩き始める。朝の学校の人口密度は首都圏の駅とほとんど同じだ。

 人の目があるので俺も彼女に話しかけることなくぼんやりとついていく。

 二階まで上がり、一つの教室に入ると、窓際の一番後ろの席についた。

 俺はなにも言わず窓辺に腰かけ、教室から青い空を見上げた。いい天気だ。雲も少なく、太陽が眩しい。今日はきっと暑くなるだろう。

 チャイムが響く。学生の一日の始まりだった。


 授業中はやることもなく、退屈極まりないものだった。

 成績という鎖から放たれ、真剣に脳に教育という二文字を詰め込む必要もないので気楽なもんだ。

 呆けていたらあっという間に四時間目まで過ぎていた。


「十二支は知ってるな」

 教壇に見知った顔が立っていた。

 古典の登呂先生だ。

 彼は黒板に「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」とお馴染みの文字を綴った。

「同じように十干(じっかん)と呼ばれるものがある」

 十二支の上に「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」と綴り、一同を見渡した。生徒はおしゃべりもせずに必死に黒板の文字をノートに書き写していく。

「十干は古代中国で生まれた陰陽・五行説と深く結び付くいわば数字のようなもので、資格や成績を甲乙というのはこれが由来だ。十二支を組み合わせて六十干支といい、方角や暦を表す上で用いられる。一番目は甲子(きのえね)、2番目は乙丑(きのとうし)と続き、60番目が癸亥(みずのとい)だ。例えば甲子園球場は甲子の年に出来たから、この名前になったんだ」

 窓辺であくびをしながら聞いていても咎められることはない。やはり甘夏以外の人間に俺を認識することはできないようである。

「この十干十二支の考え方がなかなか面白い。たとえば江戸時代に丙午(ひのえうま)生まれの八百屋お七という女性が恋人に会いたいがために放火した事件が起こり、その事から「丙午生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮める」という迷信ができたほどだ。実際に先の丙午だった昭和四十一年の出生率は著しく下がっている」

 一通り説明を終えると、チョークをもって、黒板に文字を書いた。カッカっとリズミカルな音が教室に響く。

 青春、朱夏、白秋、玄冬。

「また、人のライフサイクルを分けたもので有名なのがこの四つだ。古代中国の五行思想が由来だと言われる。自然哲学である五行とは「木・火・土・金・水」で、各々に対応する「方位」や「色」がある。東の青竜、南の朱雀、西の白虎、北の玄武といえば聞いたことあるものも多いだろう。ちなみに玄は黒色のことだ。この四つの色に春夏秋冬の季節を合わせたものが、言葉の語源だ。とはいえ青春以外の言葉を聞いたことあるものは少ないと思うが、例えば北原白秋はここから名前を取ったと言われる」

 面白い雑学だと思った。古典というよりは授業外の雑談の度合いが濃いと思うが。

「また青には青二才や青臭いといったように「若い」という意味があるそうだ。若いの一瞬、青春は一度きりだ。後悔しないように生きてくれ」

 もう二度と戻れないと思うとやるせなさが胸に溢れた。



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