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六時間目はひどく退屈な授業だったので、いつの間にか頬杖をついて、眠ってしまっていた。
その日もいつも通りの、ただ日々を漠然と過ごす、何もない高校二年生の一日になるはずだった。
調べるという行為は、その分野について知識を深めることができるので、非常に有意義な活動になりえると思う。
だから新聞部の友人に、執筆を手伝ってほしいと打診されたとき、二つ返事で了承したのだ。
前向きに考えていた矢先に与えられた課題は『三階から飛び降りて、人は死ぬのか』という問題だった。
「ちょっと意味がわからない」
原稿用紙を渡され、戸惑う俺に、新聞部の友人は矯正器具をつけた歯を見せて笑った。
「物理得意だろ? ちょっと計算してほしいんだ。体重およそ四十五キロ女生徒が高さ十メートルから落下した時、人は天に召されるのか否か」
「打ち所次第だろ」
気取った物言いに少しイラッとした。物理はむしろ苦手な部類で、現代文の方が点数を採れた。理系に進路を決めたので、国語と触れあう機会はめっきり減ったが、文章を作ること自体は好きだった。
だから新聞部の活動を快く引き受けたのだ。
「そんなありきたりな答えは求めてないんだよ。学生は刺激を求めているんだ。それはできるだけインパクトがあって分かりやすい方がいい」
舞台俳優のような大袈裟な物言いに吹き出してしまった。
「計算はしてないから適当だけど、地面に落下するまでの一秒前後、ほんとうに死にたいのなら頭から行くことを考えないとな。スカイダイビングでパラシュートが開かなくて落下した人が足から順々に衝撃を分散させて助かったなんて事例もあるみたいだぜ。五点着地だっけな、漫画で読んだことがある」
「雑学が知りたいんじゃないんだよ」
「じゃあ、なんだよ。こんな下らないこと書いたって面白くもなんともないぞ」
「それじゃあ記事を書くに至った経緯を説明しよう」
机の上に緑色の本を置いて、長谷部はにたりと笑った。ホチキス留めされた簡素な作りの小冊子だ。
表紙には明朝体で文学部と書かれていた。
「これは五年前の文学部のクラブ誌。図書室にあった」
「……暇なんだな」
「常に好奇心のアンテナをはっていると言ってくれ。さて、このクラブ誌で気になる記述がいくつか出てきているんだ」
昼飯のメニュー表を差し出すように長谷部はページをめくった。古紙独特の臭いが鼻に届き、思わず顔をしかめてしまった。「ここだ」ページを大きく開き、一文を指差し朗読した。
「今年一番のニュースと言えば、やはり女生徒の飛び降りであろう。彼女と卒業式をともにできなかったことは、非常に残念である」
言い終わると、様子をうかがうように目を細めた。なるほど、冗談かと思ったが、たしかにそう綴られている。
「それ、うちの学校の文学部のやつだよな。飛び降り……そんなのあったのか? 聞いたことないけど」
「知らなくても無理はないさ。なんていたってこの年の新聞部のバックナンバーは不自然に抜け落ちている」
「どういうことだ? 刷り忘れたのか?」
「さぁね。部室が移ったときのゴダゴダで無くなったか、もしくは圧力がかかったからか」
せせら笑いを浮かべ、長谷部はクラブ誌を閉じた。
「でも噂なら昔からあったぜ。なんでも受験ノイローゼで三階の空き教室から飛び降りたとか。その生徒の幽霊が出るなんて話は新入生の頃聞いたことがある」
ニヤニヤしながら、小冊子を大切そうに鞄にしまう。
「本当はこの噂について調べようと思ったんだ。幽霊話が本当かどうか。それで調べていたらこの記述を見つけた。がぜん信憑性が増してきただろ? だからこの女生徒が死んだかどうかを調べてほしいんだよ」
「そんな悪趣味なこと調べたくないね。他の記事はないのか?」
「竹槍を持った女の子の幽霊とか今度来る教育実習生のこととか、そういうので良ければあるけど」
「そっちをやらせてくれ」
「残念ながら来月号に向けてのネタなんだ」
「なんだよそれ」
「教育実習生はまだ来てないし、竹槍に至ってはどうにも信憑性が低い。ネタとしてイマイチだ」
「つまんないな」
「壁新聞は月一回発行されんだ。ネタも無くなるさ。昔は野球部とかバスケ部とか、運動部が強かったらしいけど、最近じゃゲロ弱だからな。目立った成績がないから部室のカメラがホコリを被っているよ」
自虐的に長谷部が呟いた瞬間、教室のドアを開けて、担任の登呂先生が入ってきた。
長谷部は無言で目配せして自分の席に戻っていった。
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