17 あさぼらけ
巫女服を翻し、彼女は歩き出した。
「また会えてよかった」
境内は賑わっていた。イカ焼きやわたあめなど小さな屋台がいくつか出ている。お祭りのようだった。
「ねぇ、せっかくだから、見ていって」
「そうだな」
表に出た甘夏は意識するようにしゃなりしゃなりと歩き始めた。
「もう二度と会えないかと思ったよ」
「俺もだよ」
「いつかまた何処かへ行っちゃうの?」
「わからない」
「……勉強教えてよ」
「うん」
社務所について、受付に座ると、甘夏は世話しなく働き始めた。
まず利き腕を怪我している江川崎に代わって彼の名前をカタシロに書く。
丁寧な筆致で書き終わった人形を手渡す時に、二人は笑いあった。
なんでもない動作のはずなのに、なんでか少しイラついた。
コンビニでバイトしていたことがあるが、俺よりよっぽど接客が上手かった。振り撒く笑顔にファンが増えるんじゃないかとなんとなく思ってしまった。
二人の戯れるような会話に聞き耳をたてるのも野暮だと判断して、一人ぼっちで境内を歩く。
神社と言うのは不思議な場所だ。
神聖といってしまえばそれまでだが、あの世とこの世を結ぶ境界という認識が正しいように思える。
二礼二拍手一礼。老若男女がその動作を行い熱心に祈りを捧げている。
お賽銭とガラガラと鈴を鳴らす音が断続的に響いていた。
いつか甘夏は「死」を穢れとして、神社に持ち込んでは行けないと言っていた。
親戚が亡くなったばかりのとき、初詣を親に禁じられたことがある。
死を嫌う神社が俺を受け入れてくれてるのはなぜだろうか。考えても答えは出ない。
お昼過ぎ、太陽が少し傾きかけた頃、甘夏の父親はハタキのようなモノを左右に降って(オオヌサというらしい)、祝詞を上げた。紙吹雪を巻いたりして、なんだか不思議な儀式だった。
包み込む空気は初夏の匂いに満ちていて、どこか不可思議な空間を作り出していた。抜けるような青空が空には広がり、神社は静謐に包まれていた。
夏越えの払えはもうすぐ終わりを迎えるらしい。
「あとは水無月というお菓子があるんだけど、冬樹くん、食べられないもんね……」
甘夏はそういって目を伏せた。
江川崎は途中で帰ったらしい。部活に顔を出しに行くのだと言う。今日は日曜日だが忙しいやつらである。
バス停の近くのタチアオイは満開で、下のほうの花は枯れていた。来たるべく夏に向けて、自然がエネルギーを蓄えているようだった。
祝詞が終わり、大名行列のように近所の川に行くと、箱に入ったカタシロを、神主の格好をした数人で流し始めた。なんでも水に溶ける自然に優しい素材らしい。乱反射する水面に溶けていくたくさんのカタシロはこの世の景色とは思えぬほど美しかった。
欄干に手をやりながら、甘夏は橋の上から遠くを見るような目で眺めている。
「お父さんにね、教師になりたいって言ったの」
川風が吹く。甘夏の絹のような黒髪がふわりと浮き上がった。
「そしたらね、怒鳴れた。絶賛喧嘩中」
「……反対されてるの?」
「ずっと神社を継ぐように言われてきたからね。初めての反抗期ってやつ。でもさ、それって普通のことじゃないかな。子どもは親の奴隷じゃないんだから」
「そうだな」
誇らしげに笑顔に反論をするのはナンセンスだ。
「私ね。あなたに会えてよかった」
ふいに言うのでどきりとしてしまった。心臓なんてないはずなのに。
「最近は学校も楽しくなってきたの。新聞部はいい人ばかりだし、他の女の子たちから、とやかく言われることも無くなったし、テストでいい点取るし」
笑顔が止まらない。
「なんだか絶好調なの。もしかしたら、あなたは幸福を呼ぶ座敷わらしなのかもね」
「ワラシって歳でもないけどな」
お互いに見つめあって同時に吹き出した。
神社に戻ると、打ち上げのような集まりが開かれ、神事に参加した全員が参加した。甘夏は氏子の人たちに軽く挨拶をし、お神酒に口をつけ、飲む真似をした。
「直会は苦手なんだ」
打ち上げも終わり、部屋に戻った甘夏はベッドに倒れこんだ。
「風呂入れよ」
「入るよ。入りますとも。デリカシーがないね」
がばりと起き上がり、タンスから寝巻きを取り出すと、脱衣所に向かって歩いていった。
俺もシャワーを浴びたいが、叶わぬ夢である。
話し相手がいなくなったので、退屈になってしまった。ぼんやりしてたらまた寝てしまいそうだ。
立ち上がり、電気の紐を正面に見つめる。
「ふう」
なんか色々と思い出した。
思い出したからか、五感が戻ってきたような気がする。以前は臭いを感じることができなかったが、いまはばっちりな鼻通りのよさだ。
だから、きっと、うまくいく。
俺は手を伸ばし、電灯の紐に触れた。
すり抜ける。
「集中 」
手のひらから指先に、知識が順々に移動していくイメージ。
力をこめる。
夜虫の鳴き声が響いていた。
目を閉じると、隔絶した暗闇が視界を支配し、たくさんの生物の気配を感じることができた。
伸ばした手のひらに紐の感触が広がるのがわかった。
目を開ける。
紐は俺の手に押し出され、斜めに傾いていた。
「……」
触れないし声が届かなければ、死人と変わりないだろう。だけど、こうして何かに触れるということは、もしかしたら生きていくことができるのかもしれない。
静かな希望を感じ、俺は一人ガッツポーズをした。
「なにしてんの?」
甘夏が戻ってきた。間の悪い女だ、見られていたらしい。彼女は首を捻ると部屋にはいることなくリビングの父親の元に向かった。
「お父さん、お風呂あきました」
廊下の奥から、甘夏の声がした。
立ちっぱなしで疲れたので、ベッドに腰かける。
「……あれから少し考えた」
低い声が聞こえた。甘夏の父親の声だ。
「押し付ける気はない。お前が夢をもったのなら、それに準じなさい」
「え」
「ただし、ダメだと思ったらすぐに言うんだ。険しい道でも、私が必ずなんとかするから」
「よろしいん、ですか?」
甘夏の声は震えていた。たどたどしく相手の様子を伺うような声だった。
「くどい。お前が行きたいという道を選べ」
「ありがとう、ございます」
嫌なことの次にはいいことがある、そういう法則に従うのならば、彼女こそ幸福を掴むべき人間なのかもしれない。
パタパタと廊下をかける音がして、ドアが開く。
部屋に戻ってきた甘夏は喜色満面だった。
「あのね、お父さんがね!」
「聞こえてたよ。よかったね」
「うん」
彼女と夜中までたくさんの話をした。一人にするとまた消えてしまうからできるだけ長く一緒にいたいのだという。女子というのはさみしがりやな生き物なのだと笑っていたが、俺はペットじゃないので勘違いしないでほしかった。
電気を消して、少女はベッドに横になった。
「ねぇ、ソコじゃ疲れない? 横になれば」
ベッドのはしっこに腰かけていた俺に甘い声がかけられた。風邪でもひいたのだろうか。
「襲うぞ?」
「襲えないくせに」
「違いねぇ」
鼻で笑ってからお言葉に甘えて横になる。
暗いが息遣いで少女が目の前にいることがわかった。
「あのね、話をしよう」
少女の言葉が薄手の毛布にくるまれていく、
甘夏が中学のころ出会った先生は変わったタイプで、生徒の悩みをいつも「どうでもいい」といって聞くのだそうだ。だけど最期には必ず問題に対する解決策をきちんと導き出してくれる人で不真面目そうに見えて実はけっこう真面目な先生だったらしい。
そんな思い出話に花を咲かせ、二人でじゃれるように笑いあっていたら時計の針は重なって、 天辺を指していた。
「もう寝なよ。明日も学校だろ?」
「……うん」
甘夏は眠そうに頷いた。
「でも寝たくない。明日、サボろっかな。どうせ期末テストの返却だし」
「まあ、それも有りだと思うけど、学校には極力行っておいたほうがいいぜ」
「どうして?」
「同じ一日ってのは二度と来ないからさ」
「冬樹くんって大人みたいなことを言うね」
可笑しそうに笑い、彼女は毛布の隙間から俺の頬に向かって手を伸ばした。衣擦れの音に驚いて目を開ける。暗闇に慣れた瞳が少女の手のひらに遮られた。
「触れないね」
「そりゃ、俺は死んでるみたいなもんだからな」
「生きてればよかったのに」
「俺もそう思うよ」
「もし、冬樹くんが生きてたら」
「生きてたら?」
心臓が高鳴るような錯覚がする。
生きてたら、
「手が繋げるのにね」
吐息が鼻先にかかる。
「そうだな」
夜の虫の鳴き声と、時計の針が進むが室内に優しく響く。
「……もう、寝なよ。明日は月曜日だろ。週はじめから寝不足だと後が辛いぞ」
「私が起きたらどこかに行ってるなんてやだよ」
「どこにも行かないよ。俺はもう寝ない。誓うよ」
「ほんと?」
「ああ、甘夏が俺に消えてくれって言うまで側にいる」
ちょっとくさすぎるかな。
まあいいや、どうせもう死んでしまっているのだから。恥も外聞も俺には存在しない。
「ただ夜は退屈だからラジオつけてもらっていい?」
「……うん」
周波数がオーケストラに変わる。
眠りを誘う優しい調べだったが、甘夏と違い、眠気に囚われることは無かった。そっと立ち上がりカーテンの隙間から夜空を見上げる。七月最初の夜空はたくさんの星が輝いて見えた。俺はずっと自分の人生について考えていた。




