16 あさぼらけ
気分的にはちょっとうたた寝したぐらいなのに、ずいぶんと日が経ってしまったらしい。
意識が飛んだ。我にかえって目の前に広がる景色に一瞬だけで違和感を感じたが、何てことはない、先程まで立っていた居間である。
電気はついておらず、カーテンが閉められているので、薄暗かった。
俺一人しかいなかった。
「ここは……」
一瞬呆けてしまった。ぐるぐると脳が回り出す。
「あれ?」
混乱する脳がやがて落ち着くように醒めていった。
俺は、生きてるのか?
いや、死んでいるのかもしれない。
そうだ。
甘夏が以前言っていたことは本当らしい。俺が寝ると時間が飛ぶ。いやはやなんとも。
「甘夏?」
いまは何日だろう。
慌てて廊下に出る。誰もいないが、表がやけに騒がしかった。
幸い窓が開いていたので、そこからよじ登って外に出る。雲一つない晴天だ。空気が熱を持っているのがわかったが、まだセミは鳴いていない。
青々とした木々に囲われた境内を走ると、鳥居のところにチノワが立てられていた。
デカい。完成品がここまでの大きさだとは想像していなかった。
「むっ」
それを囲むようにしてたくさんの人が立っていた。看板に「夏越の祓え」と書かれている。
甘夏にしてもらった説明を思い出す。半年に一回の大祓。
たしか六月の末日に行うと言っていたから、一回の睡眠で四日ほど時間が飛んでしまったらしい。
境内におかれたデカイ茅の輪にたくさんの参拝客が群がっていた。左回り、右回り、左回りと八の字を表すようにぐねぐねと繰り返し潜っていく。
「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延というなり」
不思議な呪文を口々にしている。と思ったら立て看板に、唱えるようにと説明書きが書かれていた。
神社でこのような催しがあることを生きている間は知らなかった。
甘夏はいない。
境内から目を移し、社務所を見る。
古ぼけた木製の社務所には、ライブ開演前かと見紛えるばかりの人だかりが出来ていた。
白い紙を人型に切り抜いたものを買っているようだ。そこに名前を書いて体に当てている。
参拝客は書き終わったものを変な箱にいれていった。
訳のわからない儀式に頭を悩ませるのはやめにして、社務所で受付をしている女性の顔を覗き混んだ。
知らない女の人だった。
甘夏はどこにいったのだろう。
境内を小走りで歩き回るが、少女の姿は見当たらなかった。
「あ」
すれ違う顔に見知ったものがあった。野球部少年の江川崎だ。
怪我しているのか、右腕が三角巾で吊るされていた。いつかみたときより、肌が小麦色に焼けているが、頬はこけ、どこか不健康そうな印象を抱いたが、江川崎に間違えなかった。
辺りをキョロキョロと見渡している。デートにでも来たのだろうか。
彼は人目を気にするようにこそこそと、神社の裏手に回り込んだ。
なんとなく後をつけてみる。
騒がしい境内と違い、神社の裏手に人気は無かった。喧騒が遠くなり静寂が耳を打つ。
太陽はお社に遮られ、薄暗い。
鬱蒼としげる鎮守の森がザワザワと風に揺すられ音をたてていた。
「秋沢」
江川崎が軽く手を上げ、駆け出す。
彼の視線の先に巫女服を着た甘夏が立っていた。
「あ、江川崎くん」
「ごめんな。仕事抜け出してもらって」
「ううん、それはいいんだけど、用事ってなに?」
「チームの勝利を神様にたのみに来たんだ。秋沢に作法を教えてもらおうと思ってさ」
「それは構わないけど、……うちはおいなりさんだから五穀豊穣で、勝負事なら別の神社にしたほうがいいよ」
「そ、そうなんだ。あんまり詳しくなくて」
なんとなく隠れて様子を伺う。思春期の青春の香りがムンムンだ。デバガメに徹することにしよう。
「あの、さ」
江川崎は甘夏を正面から見つめた。
「この間の試合、見てた?」
「うん」
躊躇いがちに甘夏は小さく頷いた。いつの試合だろう。
「そっか……」
江川崎の声に覇気が無くなる。
「オーバーユースでさ。右肘炎症だ」
少しだけ、声が震えている。
「リハビリすれば治るかもしれないが、大会は無理だ。それどころか、たぶん高校のうちは……」
江川崎の振り絞るような声に無念が宿っているのははっきりとわかった。
「いままでずっと野球をやって来たのにさ、これで全部おしまいだよ。もうなんかバカらしくなってさ。……いや、そうじゃない。今日は、秋沢に謝りたかったんだ。なんか、お前にも迷惑かけてたみたいだし」
「そ、そんなことないよ。迷惑だったことなんて一度もない」
「いいんだ。ごめんな、森田から色々言われてたって友達に聞いてさ」
「ううん。私のことは別にいいの。それより江川崎くん、野球やめちゃうの?」
「ん、ああ。まあ投げられないピッチャーなんてお荷物だしさ。選手はやめようと思ってる」
「……リハビリしてれば治るんじゃないの?」
「そうだけど、大会には間に合わないし」
「ちゃんと治してさ、また、野球やってよ。真剣に打ち込んでる江川崎くん、かっこいいからさ。高校は無理でも、いつか、絶対」
「ああ……」
江川崎は曖昧に頷いた。他人にとやかく言われようと、本人しか調子はわからない。
水底であげたような声だった。
「そうだ」
地面に落ちる木漏れ日のような明るい表情を浮かべ、甘夏は懐から人型に切り取られた紙を取り出した。
「私カタシロの受付してたの」
「かたしろ?」
「この紙に名前と数え年の年齢書いて、自分の体の調子の悪いとこを撫でて、息を吹き掛けるの」
「京都に行った時に似たようなことをやったことがあるけど、水に溶かすやつ?」
「うん。穢れをね、人形に移して、流すの。きっとよくなるよ!」
甘夏は江川崎ににっこり笑い、人形を手渡した。江川崎は困ったように笑った。
その陰った笑みを見て、甘夏はハッとした表情を浮かべた。
「……ごめん、私一人で盛り上がっちゃって」
「いや、そんなことないよ」
「怪我はともかくとして、私はね、好きなことを嫌いになる必要まではないと思うの。これは友達が行ってたんだけどね、やりたいことを我慢して生きるのは、死んでるのと同じなんだって、だから」
「わかってる、ありがとう、秋沢」
純粋な言葉を受けて、江川崎は野球少年らしい爽やかな笑みを浮かべた。
「それでこれどうやってやるんだ?」
「名前書いてカタシロを一時的にいれる箱があるからそこに入れれば完璧だよ。私、少しここに用があるから先に行ってて」
江川崎は「おう!」と大きく頷き、社務所に向かっていった。
神社の裏手がむせかえるような草いきれに包まれていた。
夏が近づいている。
夏を越えるための祓い、か。
そんなものがあるなんて、知らなかったな。
「あ」
あんぐりと口を開けた甘夏と目があった。
「ねぇ、いつから見てたの?」
気づかれたらしい。甘夏が物陰に隠れる俺を弾むような声で呼び掛けた。
「江川崎と会ったところから」
「全部じゃん。それにしても神出鬼没だね。でも、また会えてよ……」
「ん?」
「……」
何かを言いかけた甘夏は頬を仄かに紅潮させ続けた。
「あっ、そ、そうだ。テスト、返却されたの。いい点数だったんだ」
「おー、そりゃよかったなぁ」
「ありがとう。感謝してるの。あなたには」
無垢な瞳。彼女の目にはしっかりと俺が写っているのだ。
「春野冬樹」
「え」
「名前。冬樹って言うんだ。あなたじゃないんだ。名前で呼んでくれ」
俺の名乗りに、少女は優しく微笑んだ。
「思い出したんだね」
「うん。たぶん、俺がここにいる意味も」
「え? どういうこと?」
「なぁ、甘夏、キミの名前を教えてくれないか?」
「私の?」
甘夏はきょとんとしていたが、やがて吹き出すように笑った。
「もう知ってるじゃん」
おかしそうにケラケラ笑う。
「秋沢甘夏。本名だよ。冬樹くんと初めて会ったとき、悪い人じゃないなって思って、本名教えてあげたの。とっくに気づいてると思ってた」
右手を差し出してきた。触れることが出来ないのに何を考えているのだろうと思ったら照れ臭そうに少女は続けた。
「これからまたヨロシクねって意味」
「ああ、よろしくな」
手を取る、真似をする。
感触はないが、息を合わせ、二度三度手を揺する。
「触れたらいいのにね」
甘夏は残念そうに呟き、俺は密かに同意した。




