13 死因を探る
甘夏が夢の世界に旅立っている間、間違っても寝てしまわないように俺は不眠対策を練っていた。
夜は長い。退屈は時間を遅くする。
甘夏は俺のためにラジオを流してくれた。
深夜の高すぎるテンションでMGがしょうもない話をマシンガントークで繰り出していく。
一人きりの夜は、長かった。
アラームが鳴った。
甘夏は空が白ずむと同時に目を覚ました。スムーズな目覚めだった。
「おはよう。早いんだね」
「うん。朝勉するって決めてるから」
しゃがれた声で返事する。寝ぼけ眼でカーテンを開けて、身震いをした。
「早朝はまだ冷えるね」
薄手のコートをクローゼットから取り出すと寝巻きの上にそれを羽織った。室内でするような格好ではない。
「どこかいくの?」
「あ、勉強の前に境内の掃除をしようと思って」
「偉いね」
「そういう家で生まれたから……」
夜露の香りがする。薄い青空が広がる空は一日の幸福を予言するかのように晴れ渡っていた。まだ少しだけ星が残っているが、すぐに朝日に飲み込まれていくだろう。
倉庫のようなところからホウキを取り出した甘夏は、境内の石畳の落ち葉を集め始めた。
掃く音がリズミカルに響く。
初夏に向けて葉が繁る時期だ。秋よりはましかもしれないが、神社は木に囲われているので、落ち葉が多かった。
「真面目だな」
「なにが?」
「放っておいてもゴミはたまるし、外掃除なんてしても無駄だろ」
「それは違うよ」
甘夏は俺を見て笑った。
「神様に感謝してありがとうを込めてきれいにするの。掃除は心を清める意味もあるんだよ」
「そういうもんかね」
「それに参拝する人も汚いところで神頼みなんてしたくないでしょ」
「ふーん」
夜をはらんだ空気は澄んでいた。
掃き掃除が終わって、自室に戻った甘夏は「いつもなら二度寝するんだけどね」と笑ってから教科書を開いた。けっこうなことだが、 退屈だ。甘夏に頼んでラジオをつけてもらう。
ステレオから音楽が流れ出す。
「64歳になっても僕を必要としてくれるかい?」
ギターの音色に合わせて、思わず口ずさんでしまった。
「……突然なに? 気持ち悪い」
「辛辣だな。曲名だよ」
甘夏はペンを止めて俺を見た。
「この曲、知ってるの?」
「タイトルまで思い出せた。ラブソングだよ」
「ふぅん。自分の名前は思い出せないのに?」
「はは」
肩をすくめ、退屈をごまかすように膝を抱えてギターの音に耳をすませた。
朝御飯を食べ、制服に着替えると、甘夏は戦場に赴く赴く兵士のような顔つきでバスに乗っていった。邪魔するのも悪いと思い、今日は留守番することにした。
石段に座り込んで、のんびりと町並みを眺める。静かな午前だ。たまに参拝客がやってくるが、一時間もたたず出ていく。こんなんで運営は大丈夫なのだろうか。
甘夏が出ていって一時間ほど経ってからデイサービスのワゴンがやって来て甘夏の祖母を施設に運んでいった。
足取りはしっかりしている。いま何歳くらいなんだろう。
見た目的にはそれほど歳を食ってるようには見えないけどな。
「暇だ……」
神主である甘夏の父親が正装で出てきた。作業着の男性に頭を下げる。近くまで行っても気づかれることが無いので、会話に耳をすませると、工事の始まりの祈願して、土地の神様に挨拶をする儀式を行いに行くらしい。興味があったので、ついていこうかとも考えたが、車に乗り込んだので断念した。
暇。
そう、暇である。
やることもないので、退屈だ。
幽霊がこの世にいない理由がちょっとわかった。
幽霊になるとやることないから、成仏するしかないのだろう。
もし甘夏に会えていなかったと思うとぞっとする。
誰からも認知されない存在なんて考えるだに恐怖だ。
退屈は心を蝕んでいく。
「散歩でもするか」
高台にある神社からは町を一望できるので、嫌いな景色が好きになりはじめていた。
バス停の近くのタチアオイは満開だった。赤い綺麗な花が雄弁と揺れている。無賃乗車しようかなと考えたがどうせ暇なのだから歩くことにした。
幽霊とはいえ浮くことは出来ないので、移動手段はもっぱら徒歩だ。
普段出歩かないので、平日の午前中の穏やかな空気が妙に新鮮に感じられた。
半裸で乾布摩擦するおじいちゃん、バス停で本を読む暇そうな大学生、ハキハキとティッシュを配るフリーター、ギターを背負ったバンドマン、夕飯の相談をする親子連れ、世界を滅べと願うように人混みを睨み付ける陰気な目をした交通調査官、忙しそうに走り回るガス会社の作業員、ポストに手紙をいれてまわる郵便屋さん、保育園の柵にもたれて校庭で踊る子供をじっと眺めるスーツの男。
「……」
がちでやばいやつがいた。
園庭では子供達の楽しそうな声が響き、保育士さんが笑顔で子供といっしょに駆け回っている。
それを眺めるスーツの男。
いやいやいや、やばいだろ。
警察呼んだ方がいいんじゃないのか。これ。
隠れる様子もなく、子供をじっと見つめる男の目は狂気にそれにも見えた。
「……」
俺にはどうすることもできない。甘夏以外の人間に、認知されないのだから。
せめて顔を見ておこう、後で甘夏に報告して、処置を彼女に任せよう。正義感の強い彼女なら警察に連絡してくれるかもしれないし、と完全人任せのプランをたてた俺は正面からソイツの顔を見るため顔を覗いてみた。
「あ」
目があった。ばっちりと。
え。
「まさか……」
男の瞳孔が開く。
まさか、そんな、まさか。
「俺が、見えてるんですか?」
なにも言えずに立ち尽くす。男は無表情のままだ。
「なに、してるんですか?」
男は視線をスライドさせると、再びはしゃぎまわる園児を見つめた。できれば関わり合いにはなりたくなかったが、目があったのだから仕方がない。
「わからない」
「は?」
「なんでここにいるのか、わからないんだ」
返事があった。俺の声は届いているらしい。それだけでも奇跡に近い。この世界には俺を認知できる人は何人いるのだろう。
「わからないのに、なんで保育園を見てんすか。やばいですよ」
いつでも走って逃げられるように足に力を込める。
「わからない。ただ、あの子」
スーツの男はすっと指を指した。一人のショートカットの女の子がピョンピョンと縄跳びをしていた。
「すごくかわいいと思う」
「……お巡りさん……たすけてください」
現状を知っているのは俺だけなのに、どうすることもできない。無力だ。
「そ、そんなとこに立っててもなんにもなんないですし、いつか通報されますよ」
「ああ、そうだな」
男はゆっくりと俺の方を向いた。
言葉は通じるが、常識はどうだろうか。
「あの。よかったら少しお話を聞かせてくれませんか?」
「はなし?」
「えと、その、退屈しのぎに」
でもまあ甘夏以外に俺が見える人に会うのははじめてだ。なにか聞き出せたら、今後役に立つかもしれない。
俺たちは商店街をブラブラと歩きだした。閑散としたシャッター街はお世辞にも栄えているとは言いがたかった。文房具屋さんの前のベンチに腰かけて改めて男に話しかけた。
「覗きとかよくないですよ」
「なにを言っているんだ」
精悍な顔立ちをしたスーツの男性だ。何歳かはわからないが、せいぜい三十代前半といったところだろう。営業の外回りをサボっているのだろうか。
「違うんすか? 俺はてっきりロリコンのやばい人なんだと」
少なく見ても年上の相手だが、ちゃんとした敬語を使う気は起きなかった。
「……」
男の瞳には生気がない。それでも言葉は通じるので、恐怖などはなかった。
「不審者扱いされなかったのが奇跡ですよ。いくら子供が好きでも幼稚園をじっと見つめるのはいただけません。あ、もしかしてお子さんがいたとかですか?」
「私はただ出張に出ていただけなんだ。長い出張に……そしたら、帰り方がわからなくなってしまったんだ。どうすればいいのか……」
「なにを言って……」
「君は、わかるのかい。自分自身がなにをすべきか」
「……」
突然の問いかけに答えられるほど、俺は器用な人間ではなかった。
「わかりません」
「そうか」
あとはなにもしなかった。俺は黙ってうなだれて目をつぶってなにも考えなかった。眠りはしなかったが、時間はやけにはやく過ぎていった。
忘れることが死に繋がると、甘夏のお祖母ちゃんが言っていた。
男性は何もかもがわからないというのなれば、それはすなわち。
「……」
隣の男が立ち上がった。
つられて顔をあげる。
「どうしたんですか?」
「行かなきゃならない」
「どこにですか」
広場の時計を見ると、男と会ってから五時間が経過していた。あまりの針のスピードに驚いたが、どこかで納得している自分がいた。眠るのと同じように意識しなけれは、時間は一瞬で過ぎていく。昨日の夜に気づいていれば退屈な夜を過ごすことも無かったのに。
スーツの男は焦点の定まっていない目のままフラフラと歩き出していた。
「ちょっ」
慌てて手を掴もうとするが、すり抜けるだけだった。
よたよたと歩きだした男のあとに続くと、先程の保育園についた。
「またかよ……」
俺の呟きに気づいてないのか、一切反応することなく、門の方に目をやっている。
門にいたのは、先ほど男が「かわいい」と称した女の子と、彼女の手をひく母親とおぼしき女性だった。
「あ、ちょっと待ってください」
男はなにも言わず、親子連れをつけるように歩き始めた。
尋常ならざる雰囲気に俺は必死に声をかけたが、男が足を止めることはなかった。数分して、親子連れがアパートの扉の一室を開けて、入っていった。そのままあとに続くかと思ったが、男は立ち止まってなにも言わずにうつむいた。
「出張に行っていたんだ。ずっと長い出張に。おいてけぼりにして、ずっと」
「だ、大丈夫ですか?」
ぶつぶつと呟く姿は狂気にもとれた。
「どんな顔して会えばいいのかわからないんだ。ほったらかしにして、俺はずぅと仕事ばかりで」
「……奥さんなんですか? さっきの人」
「迷惑ばかりかけてきた。ずっと謝りたかった。だけど、出張に行かなくちゃならなかったんだ、やっと、帰って来た。けど俺は何て言って謝ればいい」
会話の歯車はかち合う事はなかったが、彼の空しさが何となく胸に広がっていった。
「謝るより先に、挨拶をすべきなんだと思います」
「挨拶、挨拶とは……」
「ごめんなさいの前にただいまって。そしたら自然と会話が生まれると思うんです。それからちゃんと謝ればきっと許してくれると思います」
なんとなく口をついたアドバイスだが、男性には効果あったらしい。ハッとした顔をしたあと、
「そうか、それで、いいのか。そうか。ああ、そうだな」
晴れたような顔でスーツの男は前を向き扉に向かって立った。
「ただいま」
ドアノブに触れる。ぎゅっと握った瞬間、男の体は薄くなり、やがて溶けるように透明になった。あとにはただ昼下がりの静寂が残るだけだった。
ああ。




