うさぎと冬の一夜
あるところに、春・夏・秋・冬、それぞれの季節を司る女王様がおりました。
女王様たちは普段はお城で暮らしていますが、決められた期間、交替で少し離れたところにある塔に住むことになっています。
そうすることで、その国にその女王様の季節が訪れるのです。
塔のてっぺんには一つの部屋だけがあり、そこにある唯一の窓からはいつも町が見えています。
町からも女王様が見えることもあり、季節のイベントがあるときには、みんな、塔の方角を向いて感謝を捧げます。
ある詩人は謡います。
ーーー春は誕生の季節。
雪が溶け大地が顔出し、
若葉が芽吹く。
蝶が舞い踊り、
鶯は鳴く。
人々は桜の木の下、
陽気な声を響かせている。
ーーー夏は成長の季節。
草木は茂り、
山は緑に覆われる。
蝉の声が辺りを揺らし、
蛍の光が辺りを照らす。
人々は暗き夜の空の下、
輝く一輪の花を眺めている。
ーーー秋は実りの季節。
木々は色づき、
大地はその恩恵を授く。
蜻蛉が空を飛び回り、
蟋蟀の音楽会が始まる。
人々は丸い月を見て、
その静寂を楽しむ。
ーーー冬は別れの季節。
雪が舞い降り、
大地は隠れる。
雁は飛去り、
熊は隠れる。
人々はその寒きに耐え、
ただ春が来るのを待っている。
女王様たちは決まりを守り、ある年も、そしてその次の年も季節は廻ります。
ところがある時、いつまで経っても冬が終わらなくなりました。
冬の女王様が塔に入ったままなのです。
辺り一面雪に覆われ、このままではいずれ食べる物も尽きてしまいます。
何人もの人が冬の女王に会おうと塔へと向かいました。
しかし冬の女王の起こした吹雪はごうごうと鳴り響き、塔に近づくことすらできません。
塔のてっぺんの窓も雪によって遮られており、中を見ることはできません。
これはそんな孤独な塔でのある一夜の物語。
その日も冬の女王様は窓から外を眺めていました。しかし、目にはいるのはどんよりとした黒い雲と風に吹かれて叩きつけるように落ちていく雪だけです。
まだ幼い女王様は、はあ、とため息をつくと、ぽつりと独り言を漏らしました。
「どうして冬はこんなにもさびれているのかしら。お姉様たちの季節はみんな楽しそうにしているのに。
今日もまた、私は一人きりなのね……。」
その季節でない女王様たちは、いつもお城の中でそれぞれの季節の出来事について話し合っています。
春の女王様は桜や花見などの色鮮やかなお話を、
夏の女王様はひまわりや夏祭りなどの元気いっぱいのお話を、
秋の女王様は紅葉や月見などの風情あるお話を。
末っ子の冬の女王様はいつも聞くだけです。
冬には何も起きないからです。
ですから今年こそはせめて何かは話せるようにしよう、と何かが起こるのを待っているのです。
ーーーいつかきっと、誰かが冬の良さを知ってくれるはずーーー冬の女王様は、そのいつかを待っています。
しかし、待てども待てども、楽しげな声も、陽気な声も、嬉しそうな声も聞こえてきませんでした。
窓から覗いてみても、出歩く人すら見えません。
冬の女王様の生活はいつからか、部屋の中でただぼんやりと外を眺めるだけになってしまいました。
ただ、いつかきっと誰かが気付いてくれるはず、という淡い期待を胸に抱いて。
「きっとみんな、冬が嫌いなんだわ……。」
また、ぽつりと言葉が落ちます。
だれに向けたわけでもない、ぽろっと落ちてしまった言葉。
「そんなことないの。」
突然、そんな言葉に返事が返ってきて、女王様は驚きます。
振り返ると部屋のちょうど真ん中、テーブルの上に一匹の白うさぎがすわっています。
真っ白なからだにルビーのような赤い丸い瞳。小さな可愛いらしいうさぎです。
「ボクはユキなの。」
そう言って白うさぎは自己紹介をします。
「私は冬の女王よ。来てくれてありがとう。小さなお客さん。」
女王様も窓辺から離れてテーブルにつきます。
「それでどういうことかしら。みんな、冬が嫌いなんじゃなくて?」
歌うかのような綺麗な声で女王は問いかけます。
窓の外の天気もほんの少し和らいだように感じます。
「そんなことないの。だって冬は楽しいの。」
白うさぎ・・・ユキは当然のように答えます。
「そうかしら。
春のお姉様のように美しい花を咲かせることもできないし、
夏のお姉様のように瑞々しい青葉をつけることもできないし、
秋のお姉様のようにおいしい食べ物を実らせることもできないわ。
私にできるのは北風を吹かせて葉を落とし、雪を降らせて大地を隠すことだけなのよ。」
激しく吹いていた風はやみ、じめっとした雪がしんしんと降っています。
「そんなことないの。」
とユキは諭すように答えます。
「冬はお休みの季節なの。
森も大地も人間も。みんな疲れた体を休めるの。
冬は木にとって着飾ったドレスを脱いでありのままでいられる唯一の季節。
冬は大地にとって雪で覆われ他者を支えるという仕事を休める唯一の季節。
みんな思い思いに楽しんでいるの。」
だけど、女王様は納得できません。
「でも生き物にとっては辛い季節だわ。
人間にとっても、獣にとっても。
それにあなたにとってもそうでしょう?」
冷たい風が吹き、積もっていた雪をくずします。
どさり、と雪の落ちる音が聞こえてきます。
「そんなことないの。」
ユキは誇らしげに答えます。
「ボクは冬が大好きなの。
それにボクの色は雪の色。冬でないと生きられないの。」
「それはあなたが特別だからよ。」
雪はいつしかやんでいます。
女王様は少しうれしそうな、でも泣きそうな声で語ります。
「他のみんなは早く春が来ればいいと思ってるわ。冬には楽しむためのものがなにもないのだから。
私なんてきっと、いらない存在なんだわ。」
空には灰色の雲が浮かび光を遮っています。
「そんなことないの。」
ユキは懐かしむように答えます。
「冬はとっても楽しい季節なの。積もった雪で遊んだり、あったかいお鍋を食べたりするの。」
すっと、窓から月の光が差し込みます。
「それに冬も他の季節に負けないくらいきれいなの。」
「そうかしら?」
「そうなの!
さあ、窓を開いて外を見てみるの!」
「わ、わかったわ。」
ユキの声に誘われたかのように女王様は立ち上がり、いつもの位置へと向かいます。ですが、そこから見える景色はいつもとはまるで違うものでした。
視界を遮っていた雪はなくなり、ずいぶんと遠くまで見通せるようになっています。女王様が冬以外に生活しているお城も見えます。
女王様は息を一つ吸い込むと、思い切って窓を開きます。
冷たい風が部屋の中に入ってきますが、そんなことが気にならないくらい女王様は窓の外の景色に夢中になっています。
いつの間にか雲はすべてなくなり、丸く、明るい月と、いくつもの星々の光が澄んだ空気の中を通り、雪に反射してはキラキラと輝いています。
そんな景色が辺り一面に広がり、夜の静けさもあって、まるで絵画の一場面の中に紛れ込んだように思えるほどでした。
「きれい……。」
女王様は思わずつぶやいていました。
「どうしてみんな春がいいなんて言うのかしら。こんなにも冬は美しいのに。」
「季節は廻るものなの。どの季節にもそれぞれの良さがあるの。
冬ばかりでも良くないの。」
そう言われて女王様は少し恥ずかしくなってしまいました。自分が冬のことだけを考えていたことに気づかされたからです。
冬になったら皆がどう思うかなんて、知ろうともしませんでした。
自分のわがままがお姉様たちの季節を短くしてしまっていることにすら、気付いていませんでした。
「そうね。それがいいわ。でも……。」
確かに二人で見たこの景色は素晴らしいです。
でも、少しもの足りません。
もっと多くの人に見てもらいたい、もっと多くの人にこの美しさを知ってほしい、そしてもっと多くの人に冬を好きになってもらいたい。
女王様は目を閉じてそっと祈ります。
ちょうどそのとき、冬の澄んだ夜空に一筋の光がこぼれ落ちました。
いくつもの星の間を通りながらその星のかけらは女王様の元へと向かいます。
女王様が目を開けるとそこにはお城ができていました。
何万もの人が入ることができそうなほど大きいホールに景色を見るにはばっちりのテラス。
豪華な意匠をほどこされたシャンデリアがお城の中を明るく照らします。
ホールには暖かな料理が所狭しと並べられていて、美味しそうな匂いが流れてきます。
そしてなにより、そのお城は氷でできていました。
水晶でできているかのようなそのお城はそれはそれは美しいものでした。
その明るさと料理の匂いに誘われて一人、また一人と人々が集まってきます。
女王様は戸惑うばかりです。
ユキは開いた窓から外を見て、その赤い目を輝かせて言いました。
「今宵は宴、冬のお祭りなの!みんな、存分に食べて、歌って、踊って、楽しむの!」
そして、今度は女王様に向かって告げました。
「みんな、集まってくれたの。さあ、あなたも塔から出るときなの。あなたは冬の女王様、今夜のお祭りの主役なの!そして、冬の楽しさを伝えるの!」
女王様は今日一番の笑顔で答えました。
「ありがとう、ユキ。私、決めたわ。
絶対に冬をもっと良い季節にしてみせる。誰もが、早く冬がこないかな、そういうふうに言ってくれる季節にするわ。
だから見ててね。私の小さな、でも頼りになるお友達。」
そう言って、女王様は部屋から出て行きました。
残されたのは一匹の白いうさぎだけ。一匹はそっと外を眺めます。そこからは、丸い月の明かりのもと、何人もの人が楽しそうに踊っています。
その光景は一晩中終わることはありませんでした。
一対の赤い目はその光景を見ていました。
いつまでも、いつまでも見ていました。
とある、長き冬の終わり。
一晩にして建った氷のお城で冬のお祭りが行われました。
美しく幻想的なその光景は見るものを虜にしたそうです。
それからは毎年、冬の終わりに開催され、冬の美しさを皆に広めたと言います。
その日から詩人たちはこう謡います。
ーーー春は誕生の季節。
雪が溶け大地が顔出し、
若葉が芽吹く。
蝶が舞い踊り、
鶯は鳴く。
人々は桜の木の下、
陽気な声を響かせている。
ーーー夏は成長の季節。
草木は茂り、
山は緑に覆われる。
蝉の声が辺りを揺らし、
蛍の光が辺りを照らす。
人々は暗き夜の空の下、
輝く一輪の花を眺めている。
ーーー秋は実りの季節。
木々は色づき、
大地はその恩恵を授く。
蜻蛉が空を飛び回り、
蟋蟀の音楽会が始まる。
人々は丸い月を見て、
その静寂を楽しむ。
ーーー冬は休みの季節。
大地は布団にくるまり、
木々はそのドレスを脱ぐ。
熊も住処でのんびりとし、
赤眼白毛の兎は踊る。
人々は氷のお城の中で、
女王と共に冬を見納める。
翌日、冬が終わり、春がやってきます。
春の女王様が塔へとやってきたのです。
「まあ、あの子ったら窓を開けっ放しにしているじゃない。そのせいか、濡れてしまっているわ。やれやれ、お転婆なのは変わらないわね。」
窓からは暖かな春の日差しが差し込んでいます。その光にあたり、キラリ、と光るものがあります。
「あら?これはなにかしら。」
春の女王様は窓の縁に落ちているものを拾い上げました。
それは二つの赤い宝石でした。日の光を浴びて輝くその色は、どこか満足げに微笑んでいるようでした。