平成28年4月14日
昨日の夜は独りでずっと泣いていました。
声も出さず独りで暗くて狭い部屋で、静かに、そして怒涛の涙だけを流し、泣いていました。
それは母には気付かれないように、いや、本当は気付いて欲しいのです、しかし、気付いてくれない、理解してくれない。
どうして理解してくれないのですか。こんなにも苦しい思いをしているのに、我が子の苦しみを理解してくれないのですか!
僕は家で全くの孤独でした。母も妹も、自らの世界で勝手に楽していました。
闇の大原に、ぽつんと砂粒のような弱々しい光。それは僕。そんな状態でした。
僕は、あまりにも辛くて、Twitterにその苦しさを投稿しました。ほとんど泣すがるように、です。
「これ以上バイトしたら、自分が自分でなくなる」、確かそういったことをツイートしたかと思います。
自分が自分でなくなる、というのは、自分に優しさや穏やかな部分がなくなるような気がする、ということであります。
もしこれ以上バイトを続ければ、ちょっとしたミスに対しても激しく怒鳴り散らす老人を、勢いよくぶん殴ってしまうのではないか、……悪人面をしている若者を目一杯、殺すつもりで蹴飛ばしたりはしないか、そう考えてしまうんです。
しかし、母は僕を踏みつけました。
僕がさっきの内容をツイートしたあと、僕の知り合いの人が助けの言葉をかけてくれました。
「逃げる(バックれる)ことも大事なことだよ」
その方はそう声をかけてくれたんです。
一見、これは不真面目で最低な言葉のようですが、これもまた、真実だと思いました。
僕は今まで、傷しか負ってきませんでした。
何も防御もせずに、罵倒ばかりせられてきました。
このままでは心の奥までボロボロになり、命が尽きかねない。
そういった意味で、あの言葉は真実で、何も悪の匂いのない、むしろ善の骨頂と思われる言葉だと思いました。
つまり、僕にとっての光だったんです。
しかし、母はそれを否定しました。
バックれることなど最低の行為だ。
それだけ言って、僕をツイート禁止にしました。
僕は愚かな母を持っていたようです。
たとえ、僕が母の苦しい痛みの中から生まれたとしても、僕にとっての母は僕を慈悲無く突き刺すナイフでした。
もうこの家にいたくない。そう思いました。
しかし、助けの言葉をかけてくれた方はずっと僕の味方をしてくれました。
僕は、そのとき自ずからは何もできない人間になっていました。
コーラの缶を枕に、何も見えない天井を見つめ、でくのぼうのように口を半開きにして、死んだように部屋にいました。
そんなとき、言葉をかけてくれた方は、LINEでメッセージを送ってくれました。
「お父さんに話せる?」
そう問いかけてくれました。
僕は話せませんでした。僕の伝達する手段はTwitterで嘆くことのみだったんです。直接人に相談するなど申し訳なささで潰れそうになるような人間だったんです。
僕はできないと答えました。
すると、今度は父がLINEを寄越してきてくれました。
「オーナーに話してやろうか?」
僕は涙が止まらなくなりました。
オーナーという言葉が、聞くだけでも、見るだけでも辛くなってしまうのです。
しかし何よりも、父や言葉をかけてくれた方、そして記述してはいませんが友人の暖かさに心打たれて、本当に久しぶりに感動したような気分になりました。
僕は、ありがたくお願いしました。
これで、僕は少し楽になれました。
闇の中に光は三つあった。
声をかけてくれた方、父、友人、僕はそれらに助けられました。
しかし、赤い星もありました。母です。
これだけは屈辱で仕方がありません。
僕は、母を信じることができなくなりました。
母は強い人です。ですが、その分、弱い人の気持ちが分からないのです。
ごめんなさいお母さん。僕は、あなたとは分かり合えません。
しかし、確かに僕は助かりました。
バイトという地獄、それは一般の若者の言う地獄とは絶対に違うと思います。
僕のような、非常に弱いハート――散りかけている花弁である人にしか分からないでしょう。
どうか、僕が明日も生きているよう、願っています。




