平成28年3月11日
あの東日本大震災から五年の月日が経ちました。
当時、僕は小学五年生で、教室の一番左後ろの窓側の席で、理科のテストを受けていました。
揺れた瞬間、僕はどういう心境だったか、よく覚えていません。
しかし後ろの棚から画鋲ケースが落下し、床に画鋲が散らばったのは覚えています。
そのうち一つが僕の尻に刺さりました。一人の女子児童が泣きながらそのことを心配してくれましたが、それほどのことではありませんでした。
揺れてすぐの間は、何人かの児童が笑っていた気がします。きっとすぐ揺れは収まる、と思っていたのでしょう。
しかし揺れは一向に収まりませんでした。そのため子ども達の表情は恐怖の表情へと変わっていきました。彼らは死を想像したのでしょうか。死を想像して、涙を流したのでしょうか。
その中で僕は、なぜか必ず助かると確信していました。どうしてそのようにしていられたのかは分かりません。しかし、とにかく僕は強い心を持ち続けることができました。
そのうち近所の人達が学校の中に避難して来ました。たくさんの人の声が聞こえてきて、犬の鳴き声までも聞こえました。
しばらくすると、母が僕を迎えに来ました。
歩いて帰る途中、電柱がゆらゆらと揺れているのを覚えています。最悪倒れていたかもしれません。
家に帰ると(本来の家の中ははぐちゃぐちゃになっているようなので、農業の作業場が家という形になりました)、小便をしたくなりました。しかし家の中は埃だらけ、水も流れないという状況だったので、物陰で立ち小便ということになりました。大も野糞だった気がします。
夜は作業場で寝ました。外では雪が降っていた気がします。
このように、その日のことはこんなにも鮮明に覚えています。
それほど衝撃的な出来事だったんです。
翌日からのことは少しだけ覚えています。
空はよく晴れ、この青空の下で友達は一体どういう心境で、何をしているのだろうかと思いました。
従兄弟も一緒に僕達の家に避難していたので、はしゃいで遊んだような気がします。
トイレは相変わらず物陰で立ち小便でした。しかし井戸水はちゃんと流れてくるので、その水を汲み、トイレに流し込めば、きちんとトイレの役割を果たしてくれるので、大は洋式のトイレで済ますことができました。
覚えているのはこれくらいです。
五年経った今でも、まだまだ課題は残っています。
亡くなった方も、心を痛めてしまった方も、本当にたくさんいます。
もしかしたら、震災前のような状態に戻ることは、もう無理なのかもしれません。
しかし、そんな先のことばかりを考えていたって何も始まりません。
今は自分のできることをやっていきましょう。
自分のするべきことをやっていきましょう。
僕は勉強をして、よさこいをして、読書して、文章を書きます。
それが僕のできることなんです。
それが震災の復興に、少しだけでも繋がれれば、それでいいんです。




