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平成28年2月2日

 つい先程、僕は太宰治の「人間失格」を再読了しました。

「人間失格」とは今まで読者のために小説を書いていた太宰治が、他者への奉仕を一切断って、ただ自分のためだけに書いた後期の作品です。


 僕は中学二年生の頃、初めてこの作品を読んで、「なぜここに自分のことが書かれているんだ!」と大きな衝撃を受けました。そしてその衝撃は僕の読書習慣の始まりでもありました。

 しかしその一方で僕の気分は落胆気味になっていきました。他人を信じることができなくなっていってしまったのです。そんなネガティブな感情も「人間失格」から受けた衝撃の余波だったのかもしれません。

 しかし僕がそのような刺激を受けなければ、今このようなエッセイを書くことはなかったのでしょう。


 多くの人は僕を小説の世界へ導いてくれた太宰治・「人間失格」を、稚拙なものとして批判しています。確かにそう思われざるを得ないということを僕も十分に承知しています。ならばそれによって小説を好きになった僕だって、稚拙な者と批判されるかもしれない、と思います。

 しかしそれならそれでいいと思います。なぜなら、僕は太宰治ではないからです。僕は僕の小説を書きます。太宰治のように己を卑下したり、死を夢見たりはしません。僕が求めるのは僕の作品を読んでくれる読者です。


 僕にとって太宰治はあくまで僕を小説の世界へ導いてくれた人物、一般的に見れば大正から昭和にかけてまでの有名な小説家です。今とは時代も環境も違います。

 なので、僕が太宰治になることは絶対にできません。なろうとも思いません。しかしそれは僕が太宰治を非難しているということではありません。あくまで、僕は僕です。太宰治は太宰治です。

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