僕らの世界は、今日も平和だった
授業と授業の間の短い休み時間。
ソイツはそんな時間に、わざわざ菓子を持参して俺の元へとやって来る。
最近はやけに塩気のある菓子が多い。
今日もプリッツのサラダ味を片手に、俺の目の前の席に腰を下ろす。
緑色のパッケージを丁寧に開けながら、のんびりとした口調で今日の本題に入っていく。
毎日毎日飽きもせずに俺に話しかけるソイツは、いつも違うお題を持ってやって来る。
俺が何をしていてもお構いなしで喋るのだ。
「恥ずかしくないの?」
プリッツの袋を開けたソイツが、パキッ、と軽快な音を立ててそれを咀嚼する。
その視線はパッケージの裏に向けられていて、カロリーか何かを見ていた。
そして俺は、手元のノートを開いたまま、何が、と問いかける。
ソイツの言葉には主語がない。
こそあど言葉がすぐに通じるほど、俺達の関係長くも深くもないのだが。
眉を顰めていると、微かな光を灯した黒い瞳が俺の方へと向けられる。
ポリポリと音を立てながら、小動物がするような食べ方でプリッツを胃の中に収めていくソイツ。
制服のスカートに塩が落ちている。
「ゴム」
「は?ゴム?」
薄い色の舌が、唇に付いた塩を舐めていた。
ペロリ、と覗いたそれに視線が奪われて、眉間にシワが寄る。
それを見たソイツが、自分の眉間に指を当てて叩くもんだから、そのスッカラカンな頭を叩きたい。
むしろ叩くべきな気がする。
オウム返しをした俺に対して、ソイツはプリッツを差し出す。
こういうマイペースなところが、俺を疲れさせるのだが、本人はそれを知らない。
一生掛かっても気付かないだろう。
差し出されたプリッツに齧り付けば、ソイツの唇がのんびりと動き出す。
「コンドーム」
一瞬、本当に一瞬で教室の温度が数度下がった気がしたのは、きっと気のせいじゃない。
それなりに賑やかだったはずの教室が、水を打ったように静まり返り、不躾な視線がソイツに向けられる。
ソイツは分かっているのか、分かっていないのか、またしてもプリッツを齧っていた。
ポリポリ、という咀嚼音だけが教室に響く。
俺を見ながらソイツは、何の躊躇いもなくその単語を口にして、何事もなかったようにプリッツを食している。
何だか頭が痛くなってきた。
自然と片手がこめかみに当てられて、目の前にいるソイツは、理解していないように首を傾ける。
きょとん、と丸められた目は小動物のそれにも見えるが、コイツは人間でもう高校生だ。
騙されるな、絆されるな、と必死に言い聞かせた。
「この前ね」と俺の気持ちも知らずに話し出すソイツのせいで、頭が痛くなるのはいつものことだが、どうしてこうもコイツはマイペースなのか。
何があっても自分のペースを崩さないところは、ある意味尊敬出来るが、逆に空気が読めないとも評価されることもある。
のんびり話すソイツの話を要約するとこういうことだ。
自分のバイト先には、女性特有の月一道具や性的交渉の道具などを買った際の色付き袋がない。
それを知ってか知らずか、月一道具よりも性的交渉道具を買っていく輩が多く、淡々としているのが気になるとのこと。
正直に言おう。
そんなことどうでもいいわ。
「だって女子高校生がレジ打ってるんだよ?気にならないのかなぁ……」
ポリポリ、音を立ててプリッツを食べながら言うソイツは、本当に女子高校生だろうか。
自分で自分のことを女子高校生と称しているが、俺からすればそんな話を男にしてくる女子高校生なんて信じられない。
この前はカップルが買いに来てたし、なんて報告をされて俺はどんな顔をすればいい。
クラスメイトからは哀れみの込められた目を向けられるも、誰一人としてコイツを止めることもなければ、俺達の周りに来ることもない。
「やっぱり慣れかな」
俺に答えを聞いているのか、聞いていないのか、ぼんやりと一人で喋り続けるソイツ。
一袋食べ切ったらしく、もう一袋と開けている。
指先に付いた塩を舐める赤い舌を眺めていると「あ、じゃあ今度一緒に買いに行こうよ」と言い出す始末。
は、間抜けな俺の声が聞こえていないのか、新しいプリッツを前歯で齧る。
そういうのを買いに行くよりも、俺はコイツとの会話に早く慣れたい。
何度しても度肝を抜かれる会話に、俺は肩の力を抜けずにいるのだから。
目を丸めたままの俺を見て、クスクス笑うソイツ。
一番淡々としてるのはコイツだし、一番恥ずかしいとかそういう羞恥心が必要なのもコイツだと思う。
唇に付いた塩を舐める舌を見て、俺は深い溜息を吐き出すのだった。