ロボットダンス症候群
ダスティン・ボックスはくそったれな街の、薄汚れた路地の、肥だめみたいな地面の上に荒い息をついて蹲っていた。
周囲には赤茶けた煉瓦造りの古いビル。街灯は点滅を繰り返し、空は低く、鈍く、重く、暗い。
時刻は夜なのか朝なのか、それとも夕か。地下室にずっと潜んでいたダスティンはそれすら分からない。
分かるのはくそったれな雨が降っていることと、くそったれな警官が街中をハイエナじみた嗅覚ではいずり回っていることと、くそったれなミスをやらかした自分はもう既におしまいだってことくらいだ。
「ああ、最悪だ、最悪だ、最悪だ――」
イージーな仕事だと思っていた。女を一人さらって依頼人に渡して金を貰って、それでバイバイ。
女は馬鹿でまぬけな金持ち女で、親の肥えた腹に蓄えきれなかった脂肪《愛》をたらふく受け取って育ったハッピーガールだ。おかげで過剰摂取した脂肪《愛》を周囲に振りまきゃなきゃと躍起になってクラブ通い。
巨漢の男だって張り倒す無敵の腹と無限の財布の前に男たちは、一晩脂肪《愛》を布団にして寝ればそれだけで小遣いを手に入れられると割り切った。
そんな頭まで脂肪《愛》で埋め尽くされたような女をどうするつもりだったのかなんて知りゃしない。
仕事は仕事。銃で脅して、車に詰めて、宅配したらはい終了。
冷めてるだのなんだのと文句を付けられないだけ宅配ピザのバイトよりも楽な仕事だ。しくじるなんて信じられない。
だが信じられないことがおこっちまった。最悪だ、最悪だ、最悪だ――最悪だ。
ダスティン・ボックスは最悪な男。この街で今、最も不幸な男に違いない。
「お困りですか」
声がした。ダスティン・ボックスは蹲りながら喉元まで上がりかけた悲鳴を飲み込んだ。
ぬかるんだ地面をかきむしり、必死で銃を掴み、眼を銃口にして周囲を見回す。
「お困りですか」
全く同じイントネーション。繰り返される言葉にダスティン・ボックスは我慢できずに声を上げた。
「誰だ……誰だ誰だ誰だ――!」
「足下です。貴方の足下にいます」
問いかけに答えが返る。ダスティン・ボックスが言われるままに足下を見れば、そこに、女の死体があった。
――死体があった。
「――――――。」
悲鳴は声にならなかった。代わりに銃声が三発唸りを上げた。拳の代わりに炸裂したのは九ミリの暴力。
破裂したのはぬかるんだ泥に少量の砂利のみ。
「お困りですか」
「ひ――ひ――」
死体は喋る。お困りですか。くそったれ。最悪だ。何がどうなっていやがる。
ダスティン・ボックスは腰を抜かした。ドチャリと泥の上に尻餅をつき、後ずさりしながら声の方をにらむ。
にらんだ先に、女の姿。
「お困りですか」
女の身に纏っている衣服は上半身だけ。下半身から下は、円筒状の金属フレームと、灰褐色のむき出しとなった人工筋肉。
「――――あ?」
「セクサロイド・アシュリーです。お困りですか? お困りですか?」
転がっていたのは、ロボットだった。それも壊れ果てた不法投棄のセクサロイド。
周囲には場末のショーパブに淫靡な看板を掲げた店が山ほどある。
くそったれ、くそったれだとダスティン・ボックスは吐き捨てた。
こんなものに怯えちまった俺もくそったれだし、こんな所にセクサロイドを捨て置く誰かもくそったれだ。
「ああ、お困りだよ。お困りだとも。困って居るんだよ俺はよ、アシュリー。お前は俺に何をしてくれるんだ?」
「なにも。ただ話だけは出来ます。あと数分ほどでバッテリーが切れますが」
「ああそうかいそいつは最高だよ、アシュリー。この天気に相応しい、まったくもって、相応しい話だ」
「お困りですか」
「困ってるさ。困り果てた。俺も数分、数十分でご臨終だアシュリー。おしまいだよくそったれ」
「なるほど、それはお困りです。アシュリーには何も出来ません」
「ああ、そうだろうさ。お前には何も出来ないさアシュリー」
「何も出来ないアシュリーはどうすればよいのでしょうか」
「さぁな、そりゃあ俺が聞きたい」
一息。
ダスティン・ボックスは髪をかき上げて、雫を払うとアシュリーをじっと見た。
薄汚れた金髪に、紫色のアメジストじみた瞳の色合い。
「なぁ、アシュリー。くそったれな俺に教えてくれよ。何も出来ないなら何をすればいいんだアシュリー」
「さぁ、アシュリーには分かりかねます。分かりかねますが――アシュリーの使い方はいつだって、アシュリー以外の誰かの求めに答えることでした」
「そうか。そうだろうよアシュリー。誰だってそうだ。生まれたから何かが出来るんであって、何かが出来るから生まれてくる訳じゃない。だから何も出来なくなっちまったら、本当にどうしようもない」
「アシュリーは悲しいです」
「悲しい。お前が――お前がか」
「はい。何も出来ないアシュリーは悲しいです。最後の最後にお困りを解決できずに悲しいと答えます」
「なるほど、アシュリー。そいつはくそったれだ」
「はい、本当にくそったれです」
それを最後にアシュリーの瞳からは光が消えた。紫色の色合いも、光が消えれば子供だましの模造品。プラスティックの宝石の方がまだましってもんだ。
ダスティン・ボックスはアシュリーの亡骸を担ぎ上げると傍にあったゴミ箱に棄てた。
そのまま、ゴミ箱をゴロゴロところがして路地裏からはい出していく。
そこには、路一杯の赤灯。白黒の壁の前には一列に黒づくめの男たち。
ダスティン・ボックスはさて、その場に銃を投げ捨てるとゴミ箱を立て、その縁に腰掛けた。
そして、タバコ欲しさに懐をまさぐろうとして、目の前の男たちが一斉に銃を構えたのを見てそれを止め、ゆっくりと両手を挙げると、告げた。
「なぁ、撃つ前に教えてくれよ――世界で一番綺麗なゴミを、ゴミ箱に入れる以外に俺の生まれてきた意味はあったのかい?」
ダスティン・ボックスは最後に踊った。
ロボットダンス症候群――。