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精霊の姫君と五人の守護者  作者: 山本みこと
精霊の姫君と五人の守護者 本編 2
19/47

九、不毛な対立 1

 王宮へ戻る馬車の中、リエラはゆらゆらと体を揺らしていた。


「リエラ。我慢しないで、お眠りなさい」


 アイラは妹の体をそっと自分に寄りかからせた。


「ん……いつもと逆、ね」

「無理もないわ。あなたはとても頑張ったもの。外からは見えないのだから、少しくらい気を抜いてもいいのよ。何かあったら起こすから、大丈夫」

「う、ん……絶対、よ……?」


 アイラの肩に安心しきった表情で頬を寄せたリエラは、目を閉じたまま身動ぎした。そのままゆっくり体が倒れる。アイラの膝の上にふんわりと金糸が広がった。

 アイラは心配そうにリエラの寝顔に視線を落とした。

 攫われてからこちら、ずっと無理をしていたに違いないのだ。今は、森の中でついた汚れはすっかり落とされ、絡まっていた金の髪もきれいに梳られている。

 二人の王女が森を抜けるにあたって最も難儀したことは、自分の足で歩くということだった。

 幸いだったのは、一応、道らしきものがあったことだ。

 アイラは上空から地形や方向を見ており、さらに彼女の感覚や勘は以前よりも確実に鋭さを増していたこともあって、二人は日が暮れる前に森を抜けることができた。


 それからはリエラの独壇場だった。

 疲労困憊で口を開くのも億劫だったに違いないのに、完璧な芝居を披露した。

 リエラは森の中での甘えっぷりが嘘のような変貌ぶりで、アイラを守るという使命感に燃えていた。その様はまるで、生まれたばかりの雛を庇う親鳥のようだった。己の翼をいっぱに広げて、決してその下から出そうとしなかった。

 基本、アイラは身の回りのことを自分でできるが、リエラは違う。身支度一つとっても、誰かの手を借りることが当たり前の生活が身にしみついている。なのに、そうした世話係の女性さえ寄せ付けなかった。

 役人たちも、身分の高い女性とは一人では何もできないものだと承知していたので、最初に汚れを落とすための湯を用意したときも借り上げた家の夫人に世話を頼んだし、王宮の侍女が到着するまでの間、近隣から適当な娘を選んで臨時の小間使いをつける手配もしていたのだが、リエラはすべて必要ないと断った。

 そこはリエラも居丈高に突っぱねたりはせず、気遣いに感謝しつつ申し訳なさそうに振る舞ったので、怖い目に遭われたばかりで、見ず知らずの他人を傍に寄せることに抵抗があるのだと、都合よく解釈してくれた。おかげで、王女たちの扱いについては、特に上からの指示がない限りなるべくそっとしておくという方針に落ち着いた。もちろん、リエラの狙い通りである。

 以後の予定に関しても、リエラはとにかくミバを離れることを優先した。体調を気遣ったアイラに説得され一泊することは承知したものの、早朝の出発を命じ、午前中は短い休憩を一度取っただけで一路王宮を目指している。

 御者は乗り心地を重視して丁寧に馬車を操っていたから、必然、速度はゆっくりとしたものだったが、リエラにとっては強行軍といってよい日程だったことは間違いない。


 その間、リエラのアイラへの態度は呆れるくらい変わらなかった。

 リエラの傷は信じられない速さで治癒して、今は薄く赤い線が残っているだけだ。それについても、アイラのお呪いが効いたのだと無邪気に喜んでいる。そのたび、アイラは首を振って謝るのだ。


「わたくしの事情に巻き込んで恐ろしい目に遭わせてしまったわ。本当にごめんなさい」

「だめよアイラ。そんなことを言ってはだめ。それはわたくしとアイラの秘密にするって、約束したでしょう? それに、最初からアイラが謝ることはないの。アイラは少しも悪くないもの。それどころかわたくしを助けてくれたのよ。誰よりも早く来て守ってくれたの」


 リエラは熱心に言い募った。


「アイラに不思議な力があるのは知っていたけど、あんなにすごいことができるなんて知らなかった! 本当にびっくりしたわ」


 緑の瞳をきらきらさせて興奮気味に弾むように喋った。


「神話の女神さまのように堂々として威厳があって、なにより夢のように綺麗で! 星をまとったように輝いていて、怖いのも忘れて見惚れてしまったの。小さいころ、囚われのお姫さまのために戦う騎士の物語に憧れたけど、アイラのほうがずっとずっと素敵だったわ」


 リエラはうっとりとため息をついたが、アイラは別のことが気になっていた。

 誰かに対してあれほど強く怒りを感じたことはなかった。許せないと思った。その感情に引きずられるように呼び起こされた力がある。以来、ずっとその力の存在を感じる。けれど、どうやって使うのかわからないのだ。あのときは簡単にできた。自在に風を呼び氷雪を操った。いや、操るというよりはアイラの感情に勝手に反応したといったほうが近いかもしれない。

 本当のところ自分に何が起こったのかアイラにはわからない。最もわかりやすい変化は人並みの睡眠で充分になったことだ。

 ギルやメル、セリムにカタムにゼラ。彼らならばアイラの身に起こったことを正確に理解しているだろう。けれど、もう彼らはいない。

 自分で解決しなければならないのだ。

 感情の起伏があの時のような形で現れるとすれば、それは危険極まりない。幸い、アイラは喜怒哀楽の激しい方ではない。だからすぐに困った事態になることはないかもしれない。

 しかし、見ないふりをして過ごすには、威力の大きさが衝撃的過ぎた。

 とにかく、この力について知る努力をするしかないとアイラは思った。では、具体的に何をしたら良いかと考えてみるが、名案も然う然う浮かばない。結局、水蘭館に帰ったら庭に棲むものたちに助言を求めてみる、ということくらいしか思いつかなかった。



 ※   ※   ※



 クドゥルが妹たちと対面したのは、王宮に無事の一報が入った翌日の午後だった。

 とにかく早く顔を見て安心したかったクドゥルは、身軽な騎馬姿で王宮を発った。付き従うのはキサリとソランの二人だけである。

 空はきれいに晴れ、風もない穏やかな天気にしては、少し肌寒さを感じる日だった。

 クドゥルと行き会った王女たち一行は、一旦、馬車を道の端に停めた。

 二人の王女のために用意されたのは二頭立ての箱形の馬車で、装飾性のないごく一般的な造りをしている。それを護衛の八騎が囲んでいるわけだから、すれ違う人の目には奇異に映ったことだろう。

 しかし、今は注目を集める心配はなさそうだった。ラダ村の西に広がる丘陵地帯には林が点在している。その木立を抜ける道は、頻繁に人が行き交うような場所ではない。事実、人通りは完全に途絶えている。


「殿下。わざわざのお運び、恐れ入ります」

「役目ご苦労。妹たちはどんな様子だ?」

「はい。お疲れの色も見せず、気丈にしていらっしゃいます」

「クドゥルお兄さま?」


 外の会話が聞こえたのか、馬車の扉が中から開いて愛らしい声が響いた。御者が急いで置いた昇降台を華奢な足が踏む。

 クドゥルはすぐに馬から降りて、轡をキサリに任せると妹に駆け寄った。

 黄金の蜂蜜色の髪が光を弾く。リエラは歓声を上げて兄に抱きついた。


「お兄さま! お久しぶりです。お会いしたかった!」


 緑の瞳がきらきらと輝いてクドゥルを見上げる。喜びに薔薇色に染まるその頬を見て、クドゥルは自分でも意外なほど動揺した。事前に聞いていたが、そこに走る薄赤い傷を実際に目にすると自分でも不思議なくらい腹が立った。痕も残らず治る傷だと冷静に判断する頭とは別に、感情が波立つ。

 だが、そんなことはおくびにも出さず、クドゥルは優しくリエラの髪を撫でた。


「元気そうでよかった。父上も母上も首を長くしておまえの帰りを待っているよ」

「はい。わたくしも早くお会いしたいです」

「それと、ルルカもこちらに向かっている。今夜には会えるだろう」


 リエラは自分付きの次席侍女の名を聞いて、心配そうな顔になった。こういうとき、何をおいても駆けつけてくる筆頭侍女の名ではなかったからだ。


「お兄さまは、マティアがどうしているか御存知でしょうか。罰を受けることはありませんわよね?」

「リエラ。なにもなしというわけにいかないのはわかるだろう?」

「……はい」


 リエラは悄然としてうなだれた。王女のちょっとした戯れを手伝ったではすまないくらい、大ごとになってしまったのだ。

 当初、マティアはリエラの失踪に関わった疑いをかけられ、取り調べを受けている。マティアは何も知らないの一点張りで、リエラを案ずる様子も演技には見えなかった。しかし、疑惑が完全に晴れたわけではない以上、自由にしておくわけにもいかず、自室謹慎を言い渡してある。

 クドゥルは泣きそうな顔の妹を優しく慰めた。


「大丈夫。そう深刻なことにはならないよ。おまえたちの入れ替わりを手伝ったことに関して叱責はあるだろうが、それ以上の咎めはないだろうから」


 ぱっと顔を上げたリエラは、微笑むクドゥルを見て表情に明るさを取り戻した。雲に翳っていた太陽が一気に顔を出したような印象だ。


「よかった……!」


 花のような笑顔につられ、離れて立つ騎士たちも思わず笑みをこぼした。


「ところで、アイラは?」


 リエラは真面目な顔になって兄を見上げた。


「お兄さま。アイラを怒らないでくださいね」

「怒る?」

「はい。怒らないと約束してくださらないと、会わせて差し上げません」


 緑の瞳がまるで睨むような強さでクドゥルを見つめている。


「怒りはしないよ。ただ、確かめねばならないことはある」


 頷いていいものかどうか躊躇う妹に、クドゥルは自分の中にある不変の決意を口にした。


「私はアイラの味方だよ。どんなときもね」


 リエラは目を見開き、次の瞬間、ころころと鈴を転がすように笑った。


「それはわたくしの台詞です。それにお兄さまが仰ると、なにか空々しく聞こえますわ」

「ひどいな」


 あんまりな言い草にクドゥルは本気で傷ついた。リエラはくすくす笑いながら、くるりと踵を返す。


「お話は、馬車の中で伺いますわ。こちらへどうぞ、お兄さま」


 理屈はわからないが、リエラの中で及第点はもらえたらしい。

 なぜアイラは外へ出てこないのかという疑問はあったが、クドゥルは騎士たちに出発を命じ、リエラの後に続いて馬車に乗り込んだ。

 馬車の窓には薄いレースが垂らしてあり、外から中の様子はうかがえない。けれど光は通すので、中は十分明るかった。

 リエラは扉側に進行方向を向いて座り、クドゥルはそれに向かい合って腰を下ろした。そして、アイラは、リエラの隣で深々と頭を下げていた。


「勝手なことを致しました。申し訳ございません」


 リエラがそっとアイラの肩に手を添えた。


「アイラ。顔を上げなさい」


 クドゥルが言うと、アイラは一呼吸分の間をおいてから、ゆっくりと体を起こした。

 癖のない硬質な輝きを放つ銀色の髪が揺れて、さらさらと胸にかかり、青紫の瞳がちらりとクドゥルを見てすぐに伏せられる。

 その瞬間、心臓を鷲掴みにされたかと思った。

 透けそうに白い瞼の下から現れた瞳の最初の一瞥。その瞳の吸引力の凄まじさといったらない。

 たった数日しか経っていないのに、この劇的な変化をどう説明したらいいのだろう。

 アイラの魅力は気づく者だけが気づく、ふとしたときに垣間見えるような、琴線をそっと弾くような、そんな控えめなものだった。それがどうだ。この月光に照らされ闇に浮かび上がる百合の花のような優美さは。神秘的で謎めいた雰囲気の中にある鮮烈なまでの力強さは。

 魅了される。


 ――――ガタン


 クドゥルははっと我に返った。それが、馬車が動き始めた振動だと認識するまでの時間差を含めても、呆然としていたのはほんの短い時間だったらしい。


「大丈夫よ。お兄さまは怒ってなんかいないから。ね、お兄さま」

「ああ、もちろ……ん?」


 リエラの言葉に頷いたクドゥルの語尾が奇妙な具合に上がった。アイラの変化以上に無視できない重大な差異に気づいたからだ。

 アイラの傍から精霊の気配が消えていた。

 思わず疑問が口をついた。


「アイラ。かれらは」


 瞬間、向けられた眼差しにクドゥルは口を噤んだ。まだ呑みこみきれない感情が不安定に揺れる青紫色の瞳は思いの外あどけなく、茫洋としていた。


「彼らはおりません」


 クドゥルは説明を求めてアイラを見つめた。自分でも言葉の足りていないことはわかっているのだろう。アイラは少し考えるように視線を落とした。


「わたくしの傍にいる理由がなくなったので」


 正直、意味が解らなかった。


「なんだって?」


 アイラとクドゥルはしばし無言で見つめ合った。

 そんな二人を交互に見やり、リエラはにっこり笑って首を傾げた。


「いったい、なんのお話?」

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