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第五話 紅葉シーズン到来、一泊二日の旅行スタート

十一月八日、土曜日。朝七時頃。

 JR新大阪駅コンコース。ここが集合場所となっていた。

「それでは点呼を取ります。千陽ちゃん」

「はーっい」

「伸実ちゃん」

「はーっい♪」

「亜紗ちゃん」

「はい!」

「真依ちゃん」

「はい」

 由利香さんは生徒達の名前を呼んでいく。

「智志ちゃん」

「はい」

 最後に智志。

「全員揃ってるわね。では出発。皆さん、これから新幹線に乗りますので、迷子にならないようにね」

 由利香さんは注意を促す。

こうして生徒達&智志&由利香さん一同は改札を抜けて、新幹線乗車口へと向かっていく。全員、柄は異なるもののリュックサックを背負っていた。

「サトシンの手ぇ繋いでれば大丈夫だね」

「智志お兄ちゃん、一緒に動こう」

 生徒達はみんな、智志の側にぴたりと引っ付こうとしてくる。

「あっ、あの、歩きにくいから……」

 智志はやはり迷惑がる。

「智志さん、すみません」

「ごめんねサトシくん。頼りにし過ぎちゃって」

 そんなわけで真依と亜紗は、由利香さんの側へ付くことにした。

新幹線ホームへ無事辿り着くと、一同は東京行きのぞみ号に乗り込んだ。

「次の次で降りるからね」

 と、由利香さんは最初に伝えておく。彼女は事前に六人分の指定席を取っていた。

 進行方向向かって右側の三列席を回転させ、

   真 亜

   千 智

由 伸  

このような配置で座る。

「名古屋で降りちゃうから富士山見れないのが残念だけど、今日行く遊園地は楽しみだなあ。お菓子食べよっと」

 伸実はそう呟いて、リュックから菓子袋を取り出した。

「伸実さん、お菓子いっぱいだね」

 真依は笑いながら伸実のリュックを覗き込む。スナック菓子やキャンディー、グミなどが十種類くらい入ってあった。

「ノッポ、お菓子好きだもんな」

 千陽は笑顔で話しかける。

「あたし、ハロウィンで貰ったお菓子も、もう全部無くなっちゃったよ」

 伸実は満面の笑みを浮かべて答えた。

「はええ。アタシももう少ししか残ってないけど。マイマイも、ビ○コ持って来るなんて幼稚園児みたい」

 伸実は笑いながら突っ込みを入れた。

「わたしこれ、昔から大好物なの」

 真依は美味しそうに齧りながら、照れくさそうに言う。

「ワタシもだよ。クリームの部分がたまらないよね」

 亜紗は嬉しそうに同調した。

「亜紗さん、伸実さん、智志さん、園部先生、お一つどうぞ」

 真依は一枚ずつ分けてあげた。

(気の利く子だな)

 食べながら、智志はとても感心する。

「マイマイ、アタシも欲しいなぁ」

 千陽は手を差し出した。

「えー、だってバカにしたでしょ」

 真依は得意げな表情で言う。

「ごめんねマイマイ、なんかみんな美味しそうに食べてるのを見て、アタシも食べたくなっちゃって」

「しょうがないなぁ、はいどうぞ」

「サンキュー」

 真依は結局、千陽にも快く手渡してあげた。

 こんな風に生徒達は楽しそうに会話を弾ませながら、楽しい時間を過ごしていく。


名古屋駅で降りた一同は、近鉄に乗り換えさらにバスを乗り継ぎ、三重県某所にある大型遊園地『ナガシマスパーキングランド』にやって来た。

「家族連れですか?」

 入園ゲートの受付をしていたお姉さんに尋ねられる。

「いっ、いえ」(家族連れに見えるのか?)

 智志は慌てて答えた。

「わたくし、音楽教室の先生をしておりまして。この子はボランティアの新人さん、こちらの子達は生徒達です」

 由利香さんは冷静に説明した。

(ありがとう、お姉さん。上手く説明してくれて)

 智志は心の中で感謝の意を示した。

「とても仲良さそうね。では、いっぱい楽しんでね」

 受付のお姉さんは雲一つ無い秋空のような爽やかなスマイルで話しかける。

 こうして一同は入園ゲートを抜け、園内に入った。

「それでは智志ちゃん、この子達の引率よろしくね。わたくしは、あそこの喫茶店で待っていますのでー」

「えっ!」

 それからすぐにされた由利香さんの突然の依頼に、智志はたじろぐ。由利香さんはあっという間に生徒達と智志のいるこの場所から遠ざかってしまった。

「智志お兄ちゃん、一緒に楽しもう」

「うっ、うん」

 伸実に背中から抱きつかれてしまった智志の頬はみるみるうちに赤らむ。

「休みの日だから人いっぱいいるね。亜紗さん、迷子にならないように、わたしと手つなごう」

「マイちゃん、ワタシなら大丈夫だよ。それより、ノブミちゃんの方が」

 入園ゲートから十数メートル進んだ所で、真依は亜紗に手を差し出す。

「亜紗お姉ちゃん、あたしは絶対迷子にならないよ」

 伸実は自信満々に言い張った。

「アタシはなりそうだからサトシン、アタシと手ぇ、繋ごうぜ」

「うわっ」

 千陽に左腕をつかまれ、智志は慌てる。

「ねえサトシくん、最初はどれに乗りたい?」

「僕は、べつに、どれでもいいけど」

 亜紗の問いかけに智志はすぐに答えた。

「じゃ、ジェットコースターから乗ろう。一番近くにあるし」

 亜紗は提案する。

「いいねぇ。あたしもこの乗り物大好きーっ」

 伸実も大喜びで賛成した。

「ねっ、ねえ、遊園地へ来たからと言って、必ずしもジェットコースターに乗らなければならないということは無いと思わない?」

「そうだせ、他に、もっと面白い乗り物がいっぱいあるし。なんかあれ、木で出来てるぜ」

 真依と千陽はジェットコースターのレールを見上げ、びくびくしながら言う。

「マイちゃん、チヒロちゃん、あのジェットコースターは軋みもあってすごく楽しいみたいだよ」

 亜紗はにこにこ顔で推薦する。

「千陽ちゃん、意外にジェットコースター苦手だったんだね」

 伸実はくすっと笑う。

「大嫌いだよ。サトシンも嫌だよね?」

「僕は、平気だけど……」

 千陽に上目遣いで見つめられ、智志はやや緊張する。

「あーん、サトシン、裏切らないでぇ」

 千陽は涙目になった。

「どうしても行きたいんだったら、四人だけで行って来たら? わたし、この辺で一人で待ってる」

 真依は強く主張した。

「まあまあマイちゃん、そんなこと言わずに。せっかく来たのに」

「真依お姉ちゃん、そんなことしたら絶対迷子に間違われちゃうよ」

亜紗と伸実はにこっと微笑みかけ、真依の肩をぽんっと叩く。

「でもぅ」

「サトシくんが付いてるじゃない」

 亜紗は安心させるように言う。

「それは、嬉しいけど……」

「千陽ちゃん、乗ろうよっ!」

「分かった、分かったからノッポ、腕引っ張らないで」

「……じゃあ、わたしも乗るしかないね」

真依も一人で待つのはやっぱり不安に感じ、結局ついていくことにした。

(僕は、美甘さんがそこらのDQNにナンパされてしまわないかが心配だな)

 智志はそんなことを思ってしまった。

今日は休日ということもあり、園内はかなり混み合っていた。

家族連れや若いカップル、中高大学生くらいの男性または女性同士のグループなどが園内を行き交う。生徒達&智志のような、男子高校生一人に女子小中学生四人という組み合わせは、他に見られなかった。

(この場から、早く抜け出したいものだ)

智志は周囲からの視線を非常に気にしていた。

生徒達&智志は乗車待ちの列に並ぶ。この五人の前に、すでに大勢の客が二列になって並んでいた。伸実と亜紗、智志と千陽、真依とその他の客が隣り合う。

今現在、三〇分待ちとなっている。

「ねえ、まだぁ?」

 それから一〇分くらいすると、最初は大人しく待っていた伸実は機嫌を損ねてくる。

「ノッポ、気に入らないみたいだし、他のとこ行こうぜ」

千陽がそう提案してみると、

「ダメ。あたし待つ!」

 伸実はむすっとした表情で強くこう主張した。

「そっ、そんなぁ」

 千陽はげんなりとした。

「ノブエちゃん、これあげるから大人しく待っててね」

 亜紗はそう言うと、リュックから児童文学の文庫本を取り出し伸実に手渡した。

「ありがとう、亜紗お姉ちゃん」

 伸実は嬉しそうに本を捲る。すっかり機嫌が直ったようである。

 千陽は携帯電話、智志は携帯ゲームをいじりながら、真依はライトノベルを読みながら待つ。

ようやく乗れることになり、

「よかった。運よく一番前の席とれた」

「こんなにラッキーなのは、智志お兄ちゃんのおかげだね」

 亜紗と伸実は満面の笑みを浮かべる。

「サトシンの隣なのが、唯一の救いだな」

 千陽は暗い表情を浮かべながら、智志の右手を強く握り締めた。

「あの、わたしも、智志さんの隣がいいです!」

 真依は恐る恐る、智志の左手を握り締めた。

「あっ、あのう。二列ずつなので」

 智志は戸惑う。

「じゃあ、じゃんけんで決めたら?」

 亜紗は提案したが、

「やだやだ、アタシ、絶対サトシンのお隣がいい!」

 千陽は大声で駄々をこねる。

「じゃ、一番前の席譲ってあげるよ」

「アッ、アタシ、二列目以降でサトシンの隣が……」

「チヒロちゃん、遠慮しなくても。せっかく譲ってあげたのに。こっちおいで」

亜紗は千陽の右手をグイッと引っ張り、最前列左側の席に追いやる。

「……どっ、どうも」

 智志はぎこちない動作で、千陽の右側に座った。

「智志さん、こっ、怖いです」

 真依はびくびく震え上がる。彼女は智志のすぐ後ろに座った。

「千陽ちゃん、あたしも智志お兄ちゃんのお隣がよかったけど、譲ってあげたよ」

その隣は伸実だ。

 亜紗と他の乗客も座ったことが確認されると、座席の安全バーが下ろされた。

 もう引き返すことは出来ない。

「サッ、サトシン、怖い、怖い」

「怖いです、怖いです。たっ、助けて」

 千陽と真依は蒼ざめた表情で、安全バーを必要以上の力でしっかりと握り締めた。

〈発車いたします〉

この合図で、ジェットコースターはカタン、カタンとゆっくり動き出した。

「アタシ、この速くなるまでの時間が一番怖いんだ」

「わたしもだよ、千陽さん」

千陽と真依は周りの風景を見ないよう、目を閉じていた。

 ジェットコースターが坂道を登り切り、レールの最高地点に達した直後、一瞬だけ動きが止まる。

「きゃあああああああーっ!」

「ぎゃあああああああーっ!」

 そのあと一気に急落下。と同時に真依と千陽は、百デシベルはありそうなかわいい叫び声を上げる。もちろん楽しんでいるからではない。恐怖心を強く感じているからだ。

「わあーい、たっのしいいいいいいいーっ」

「きゃあああああああーんっ」

 亜紗と伸実は喜びと興奮の叫び声を上げる。さらに両手を挙げる余裕も見せていた。

「……」

 智志は走行中、平静を保ち終始無言であった。


「あー、すごく気持ちよかった。無重力疑似体験、最高っ!」

「宇宙飛行士気分が味わえたね、亜紗お姉ちゃん」

ジェットコースターから降りた直後、亜紗と伸実は幸せいっぱいな表情を浮かべていた。

「めちゃめちゃ怖かった。アタシ、おしっこ漏らしそうになったぜ」

「わたしは、気を失いかけたよ」

千陽と真依は安堵の表情だ。

「ねえ、チヒロちゃん、お写真が出来てるよ。チヒロちゃんすごい表情してる。ムンクの『叫び』みたい。記念に買おう」

 降車口を抜けた所に展示されていた写真を眺め、亜紗はくすくす笑う。

遊園地の絶叫マシンにはありがちだが、急降下する際に写真を撮られていたのだ。

「そんなのいらなーい」

 千陽はむすっとした表情で、不機嫌そうに言う。

「智志お兄ちゃんは表情が全然変わらないね」

 伸実は微笑み顔で写真を眺める。

「それはまあ、豊葉台高校の推薦入試の面接で担当者から無表情と指摘されたからね」

 智志は照れくさそうに打ち明けた。

「それは落ちたの?」

 亜紗は興味津々に尋ねてくる。

「うん、まあ。一般で受かったけどね」

 智志は対応に困ってしまった。

「亜紗お姉ちゃん、失礼なこと訊いちゃダメだよ。ねえ、次は回転するやつに乗らない?」

 伸実は誘ってみる。

「ダメダメ」

「ノッポ、アタシもうジェットコースターは勘弁」

 真依と千陽は当然のように嫌がる。

「回転するやつは、あたしも苦手なんだ」

 亜紗もこれについては乗り気ではなかった。

「じゃあ、次はジャンボバイキングに乗ろう」

 伸実はパンフレットを見ながらを誘う。

「いいねえ、すごく楽しそう」

これには亜紗も大賛成した。

「もっ、もう止めて」

「ここの遊園地、絶叫マシン多過ぎ。ジェットコースターだけでも五種類以上あるぜ」

 真依と千陽は落胆した声で言う。

「真依お姉ちゃん、千陽ちゃん、絶叫マシン、あと一回だけ」

 伸実にうるうるとした瞳で要求され、

「わっ、分かったよノッポ」

「本当に、あと一回だけよ」

千陽と真依は仕方なく付き合ってあげた。

 このアトラクションは、海賊船に乗るようになっている。

 生徒達&智志は隣り合うようにしてまとまって座席に座る。

「すごーい、本当に大航海してるみたい。なんかRPGの冒険者になった気分」

「千陽ちゃん、真依お姉ちゃん、楽しいでしょ?」

「ぎゃあああああっ、ジェットコースターよりはマシだけど、やっぱダメーッ」

「わっ、わたしもーっ。早く、止まってーっ」

 千陽と真依は、早くこの場から逃げ出したいと強く思っていた。

「……」

 智志は揺られながらもまたも平静を保ち、無言であった。

 

「ねえ、次は、お化け屋敷へ行こうぜ」

「えっ!? あっ、あたし、そこは絶対入りたくないよ!」

 降りた後の千陽からの提案を、伸実は即反対する。

「そういやノッポは、お化け屋敷が苦手だったね。昔遠足の時、班行動から逃げ出したもんね」

 千陽は思い出し笑いする。

「いや、べつに、そんなことはないんだけどね」

 伸実は俯き加減で否定した。

「それじゃ、ノッポ一人で、外で待っとく?」

「それも嫌。迷子の子に間違われちゃいそう」

「そうだろ」

 千陽はくすりと笑う。

「ノブミちゃん、ワタシが隣についてあげるから安心して」

「嫌だ、嫌だ。亜紗お姉ちゃん、別のとこ行こう」

 伸実は亜紗の袖をぐいぐい引っ張る。

「ノブミちゃん、サトシくんもいるんだよ」

「それは、すごく嬉しいんだけど、でも、でも」

 伸実は顔を引きつらせていた。

「わたしも怖いので、亜紗さんのそばについています」

 真依はぽつりと呟く。

「じゃあ行こう!」

「やだやだやだぁーっ」

 亜紗は伸実の手を握り締め、有無を言わさず手を引いて連れてゆく。その光景はまるで幼い子どもが大型犬を散歩させているようであった。

 お化け屋敷は、和の雰囲気が醸し出される合掌造り風の外観。

建物の外から、大入道や雪女などのカラクリお化けも見上げることが出来た。

「やっ、やっぱり、やめようよぅ」

 伸実は逃げようとする。

「ノッポ、ここのお化け屋敷は全然怖くないよ。初心者向けでホラーというよりむしろ和風ファンタジックな雰囲気なんだぜ」

「そっ、そうなの?」

 千陽は伸実を口説く。伸実はほんの少しだけホッとした。

生徒達&智志は入口を通り、受付で入場料金を支払って、いよいよ屋敷内へ。 

 一歩踏み入った瞬間、

「きゃあああああああっ! さっ、智志お兄ちゃあああああっん」

 伸実はお化けもびっくりするような大声で叫び、智志の背中にぎゅっとしがみ付く。伸実のすぐ目の前に、ろくろのマネキンが現れたのだ。 

「あっ、あの、備中さん。ここにいるお化けは、全て作り物だから……」

 智志は苦しそうな表情で説明する。

「出口は、まだなのぅぅぅぅぅぅぅ?」

「あわてない、あわてなーい」

 カタカタ震える伸実を、亜紗は優しくなだめる。

「あのう、備中さん、服が伸びちゃうから、あんまり引っ張らないでね」

 智志はちょっぴり迷惑がった。

「ごめんなさぁい、智志お兄ちゃぁん」

 伸実は今にも泣き出しそうな表情で謝る。

「ノッポって本当に怖がりなんだね。野外活動の時も夜怖い話した時めっちゃ泣いてたし」

「ノブミちゃんの仕草、とってもかわいい」

亜紗はにこにこ微笑みながら眺める。

「あっ、あたし、お化けとか大嫌いで、今でも真夜中は一人でおトイレに行けないの。だって花子さんが出て来そうなんだもん」

「伸実さん、それは作り話よ」

「真依お姉ちゃんは、お化け屋敷は怖くないの?」

伸実は、今にも泣き出しそうになりながら質問する。

「うん。だって全てニセモノだと分かっているもの。幽霊なんて、この世に存在するわけはないよ」

 と言いつつも、真依もカタカタ震えながら亜紗の手をしっかり握っていた。

「マイちゃん、それは紛れもない事実だけど、雰囲気を楽しまないと損だよ」

 亜紗はにこにこ笑いながら、幽霊のマネキンに向かって呟いた。

「ぎゃぁぁぁっ! のっぺらぼうだ。火の玉だぁ」

 墓場エリアに突入すると、伸実はますます怖がってしまう。

 その後も提灯おばけ、からかさ小僧、砂かけ婆、ぬりかべ、山姥などの和風おばけ達のマネキンがおどろおどろしい効果音と共に出迎えてくれた。

「やっ、やっと出れたぁーっ。ものすごーく長かったぁ」

出口に辿り着いた頃には、伸実は涙をポロポロこぼしていた。滞在時間は五分ほどだったが、彼女にとっては体感的に一時間以上にも感じられたようだ。

「なんだ。もう終わりなのか。もう少し歩きたかったな」

「二百メートルあるらしいけど、かなり短かったね」

 亜紗と千陽はやや不満げな様子。

「僕は、すごーく疲れたよ」

 智志は疲労していた。

「おんぶしてもらってごめんなさい、智志お兄ちゃん」

 伸実は泣きながら謝った。

「ノッポ、泣かないで。ぺろぺろキャンディー奢ってあげるから」

 千陽は微笑み顔で、久実の頭をなでてあげた。

「千陽ちゃぁん!」

「あいたたたっ、ノッポやめてー」

 伸実に頭をペシペシ叩かれてしまった。

「お化け屋敷なんて、行かなきゃよかったのにぃーっ」

 今度は睨みつけられる。

「ごめん、ごめん……あっ、ノッポ、ちょっとあそこ見て」

 千陽はあるものに気付き、対象物を指し示した。

「あーっ! ヒッターラビット君だーっ。あたし、一緒に写りたぁーい!」

 伸実は目をキラキラ輝かせ、大きな声で叫ぶ。

いつもいるとは限らない、園内のマスコットキャラに出会えたのだ。

「ワタシもーっ」

「わたしも写りたいです」

亜紗と真依もそのキャラの仕草、容姿に惚れてしまったのか、ウサギのようにピョンピョン飛び跳ねる。

「サトシン、一緒に写ろうぜ」

「いっ、いいけど」(僕、こういうのは苦手なんだよな)

 智志は、本当は撮りたくなかったのだが、生徒達にせがまれ断ることは出来なかった。

 こうして生徒達&智志は白、茶、ココア色のマスコットキャラ達の間に並ぶ。

「はい、チーズ」

 お姉さんスタッフからの声で、智志と真依以外の三人は決めポーズを取った。

 撮影のあと生徒達はマスコットキャラ達に、握手をしてもらった。

「きゃあっ、嬉しいーっ」

「ワタシ、すごく幸せだよーっ」

「最高です」

「いい思い出が出来たぜ」

 生徒達の表情がさらにほころぶ。

「ぼっ、僕は……」

 マスコットキャラ達は智志にも握手を求めてきたが、照れくさいのか応じなかった。

(中の人、今の時季でも相当暑そうだよな。時給、どれくらい貰ってるんだろう?)

 ついついこんな夢のないことが脳裏に浮かんでしまった。

「次行くとこは、あたしが決めるね。これがいいな」

 すっかり機嫌を取り戻した伸実は園内設置の案内図を指差す。ティーカップというお馴染みの乗り物だった。

「よぉーし、いっぱい回すよう」

 亜紗は楽しそうにこの乗り物中央付近に設置されているハンドルに手をかけ、力いっぱい回してみた。回転速度がどんどん増す。

「あっ、亜紗さーん、回し過ぎだって。わたし、外に飛ばされそう」

「亜紗お姉ちゃーん、世界が回ってるぅ」

 真依と伸実は喜びとも恐怖とも取れる悲鳴を上げる。

「もっと速く出来るんだけど。ワタシは、まだ物足りないよ」

「アタシもまだ大丈夫だぜ。学校のグローブジャングルで鍛えてるからな」

「僕も平気だけど、もう、やめてあげた方が……」

 智志は自身も吹き飛ばされそうになりながら、気分がハイになっている亜紗を言い聞かせた。

 

「わっ、わたし、まだ目がペロペロキャンディーみたいになってるよ」

「あたしもー。地面がゆらゆらしてる。気分悪いよぅ」

 下りた後、ふらふらしながら歩く真依と伸実。

「僕も、目がかなり回ったよ」

 智志も少しふらついていた。

「ごめんなさい。ついつい調子に乗りすぎてしまいました」

「ごめんなちゃい」

 亜紗と千陽はぺこんと頭を下げて、謝罪の言葉を述べておく。

「今十一時半過ぎだね。少し早いけど、お昼ごはんにしない?」 

 亜紗は、園内にあった日時計を眺めながら提案した。

「賛成。あたしもおなか空いてきた」

「アタシもペコペコだーっ」

「わたしも賛成。正午過ぎになると混んでくると思うし。このファミレスで食べましょう」

 真依はパンフレットを指差す。

 こうして五人は該当する場所へ向かって歩いていった。


「五名様ですね。こちらへどうぞ」

お目当てのファミレスに入ると、ウェイトレスに六人掛けテーブル席へと案内される。

みんな座って一息ついたところで、真依がメニュー表を手に取った。

「園部先生が昼食代は一万円まで使っていいっておっしゃってたから、少し高級な物にしよう。わたしは天丼にするよ」

「僕は、ざる蕎麦で」

「マイちゃんもサトシくんも渋いねえ。ワタシは、奮発して三田牛ステーキ定食!」

「アタシもそれーっ。ドリンクはメロンソーダ」

 こうして四人のメニューが決まる。

「伸実さんは何にする?」

 真依は笑顔で問いかけた。

「あのね、あたし、お子様ランチが食べたいなぁって思って。お飲み物はミックスジュースで」

 伸実は顔をやや下に向けて、照れくさそうに小声でポツリとつぶやいた。

「ノッポ、今でもお子様ランチ食べたがるなんてかっわいい」

千陽はにっこり微笑みかけた。

「さすがに五年生ともなると、ちょっと恥ずかしいんだけどね。同じクラスの子、お子様ランチは三年生までだよねって言ってたし。でも、どうしても食べたくて……」

 伸実のお顔はさらに下へ向いた。

「伸実さん、わたしも小学六年生の頃までは頼んでいたから、全然恥ずかしがることはないよ」

「そうそう、きっと後悔するよ。ここでは年齢制限ないみたいだし」

「僕も、気兼ねすることなく食べた方がいいと思うな」

真依、亜紗、智志がこうアドバイスすると、

「じゃああたし、これに決めたぁーっ!」

伸実は顔をクイッと上げて、意志を固めた。

「アタシが注文するよ」

千陽がボタンを押してウェイトレスを呼び、五人のメニューを注文してあげた。

 それから五分ほどして、

「お待たせしました。お子様ランチでございます。それとお飲み物のミックスジュースでございます。はいお嬢ちゃん。ではごゆっくりどうぞ」

 伸実の分が最初にご到着。新幹線の形をしたお皿に、旗の立ったチャーハン、プリン、タルタルソースのたっぷりかかったエビフライなど定番のものがたくさん盛られている。さらにはおまけにシャボン玉セットも付いて来た。

「……ワタシのじゃ、ないのに」

 亜紗の前に置かれてしまった。亜紗は苦笑する。

「アッサが頼んだように思われちゃったね」

 千陽はくすくす笑う。

「あの、亜紗さん、若く見られてるってことだから気にしちゃダメだよ」

(ウェイトレスの気持ちは良く分かる)

 真依と智志は笑いを堪えていた。

「間違われちゃったね、亜紗お姉ちゃん」

 伸実はにっこり微笑みながら、お子様ランチを自分の前に引っ張った。

「……」

 亜紗は内心ちょっぴり落ち込んでしまった。

さらに一分ほど後、他の四人の分も続々運ばれて来た。

こうして五人のランチタイムが始まる。

「エビフライは、あたしの大好物なのーっ」

 伸実はしっぽの部分を手でつかんで持ち、豪快にパクリとかじりつく。

「美味しいーっ!」

 その瞬間、とっても幸せそうな表情へと変わった。

「ノブミちゃん、あんまり一気に入れすぎたら喉に詰まらせちゃうかもしれないよ」

「モグモグ食べてる伸実さんって、なんかキンカンの葉っぱを食べてるアオムシさんみたいですごくかわいいね」

 亜紗と真依はその様子を微笑ましく眺める。

「ノッポ、食べさせてあげるよ。はい、あーんして」

 千陽はお子様ランチにもう一匹あったエビフライをフォークで突き刺し、伸実の口元へ近づけた。

「ありがとう、千陽ちゃん。でも、食べさせてもらうのはちょっと恥ずかしいな」

 伸実はそう言いつつも、結局食べさせてもらった。

「サトシくん、ざる蕎麦だけじゃ足りないでしょ。ワタシのもあげる。はいあーん」

 亜紗はステーキの一片をフォークで突き刺し、智志の口元へ近づけた。

「いっ、いや、いっ、いいよ」

 智志は慌てて手を振りかざし、拒否する。

「サトシくん、恥かしがりやさんだね」

「サトシン、かわいい」

 亜紗と千陽はにこっと微笑む。

「……」

 智志はお顔をステーキの焼け具合で表すとレアのように赤くさせ、照れ隠しをするように無言で麺をすすった。

 昼食を取り終え、五人がレストランから出た後、

「ねえ、今度はあそこでプリクラ撮ろうよ」

 亜紗はレストラン出口から十数メートル先にある、西洋風の建物を指差した。

「いいわね」

「智志お兄ちゃん、行こう!」

 そこはアーケードゲームコーナーであった。

「プリクラか……その、皆さんだけで……」

 智志は乗り気ではなかったが、

「サトシくん、来て、来てーっ」

 亜紗に無理やり手を引かれドーム状の建物に連れ込まれ、専用機の前へ連れて行かれてしまった。

 専用機に入った五人。智志、千陽、伸実は前側に並んだ。

「一回五百円か。けっこう高いな」

一番年上の智志が料金を支払い、

「あたし、この伊勢えびさん柄のがいい!」

一番年下の伸実に好きなフレームを選ばせてあげた。

撮影&落書き完了後。

「よく撮れてるぜ」

 取出口から出て来たプリクラをじっと眺める千陽。自分が見たあと他の四人にも見せてあげる。

「千陽ちゃん、あたしの顔に落書きし過ぎだよ」

 伸実は唇を尖らせた。

「ごめんねー、ノッポ。ついつい遊びたくなって」

 千陽はてへっと笑った。

「ワタシ、半分隠れてるよ。前に並んだ方が良かったかな」

 亜紗は苦笑いした。

「僕、女の子とプリクラなんて生まれて初めて撮ったなぁ」

 智志は照れくさそうに打ち明ける。

「そうだったんだ。それじゃいい思い出になったでしょ? サトシンとマイマイは表情が硬すぎだな。もう少し笑ったらよりかわいいのに」

 千陽はにこにこ笑いながらアドバイスする。

「だって、なんか恥ずかしいもん」

 真依は照れくさそうに言った。

「ワタシも生徒証の写真はそんな感じだよ」

 亜紗がさらりと打ち明けると、

「亜紗さんも同じなんだね、よかった」

 真依に笑みが戻る。

「あたし、次はこれがやりたーい!」

 伸実は、プリクラ専用機すぐ隣に設置されていた筐体を指差した。

「ノブミちゃん、ぬいぐるみが欲しいんだね?」

「うん!」

 亜紗からの問いかけに、伸実は嬉しそうに答える。伸実が指差したのはクレーンゲームであった。

「あっ、あのナマケモノさんのぬいぐるみさんとってもかわいい!」

 伸実は透明ケースに手の平を張り付けて大声で叫ぶ。

「伸実さん、あれは隅の方にあるし、他のぬいぐるみの間に少し埋もれてるよ。難易度は相当高いよ」

「大丈夫!」

 真依のアドバイスに対し、伸実はきりっとした表情で自信満々に答えた。コイン投入口に百円硬貨を入れ、押しボタンに両手を添える。

「ノブミちゃん、頑張ってね」

「ノッポ、一発で取りなよ」

「伸実さん、頑張って下さい」

「備中さん、落ち着いてやれば、きっと、取れると思うよ」

 四人はすぐ横で応援する。

「絶対とるよーっ!」

伸実は慎重にボタンを操作してクレーンを動かし、お目当てのぬいぐるみの真上まで持ってゆくことが出来た。

 続いてクレーンを下げて、アームを広げる操作。 

「あっ、失敗しちゃった。もう一度」

 ぬいぐるみはアームの左側に触れたものの、つかみ上げることは出来なかった。再度クレーンを下げようとしたところ、制限時間いっぱいとなってしまった。クレーンは最初の位置へと戻っていく。

「もう一回やるぅ!」

 伸実はとっても悔しがる。お金を入れて、再チャレンジ。しかし今回も失敗。

「今度こそ絶対とるぅ!」

この作業をさらに繰り返す。伸実は一度や二度の失敗じゃへこたれない頑張り屋さんらしい。

 けれども回を得るごとに、

「全然取れなぁい……なんでぇー?」

 伸実は徐々に泣き出しそうな表情へ変わっていく。

「ワタシ、UFOキャッチャーけっこう得意な方だけど、あれはちょっと無理かな」

 亜紗は困った表情で呟いた。

「アタシも、無理だな」

「わたしも、クレーンゲームはかなり苦手なの。伸実さんがとっても上手に思えます」

 千陽と真依もさじを投げる。

「……僕が、やってあげようか?」

 智志は自信無さそうに申し出た。

「智志お兄ちゃん、お願ぁーい!」

「わっ、分かった」

 伸実にうるうるとした瞳で見つめられ、智志のやる気が少し高まった。

「あっ、ありがとう。智志お兄ちゃん」

 するとたちまち伸実のお顔に、笑みがこぼれた。

「サトシン、さっすが」

「智志くん、優しい」

「智志さん、良いお人です。伸実さんもよく健闘してたよ」

その様子を、他の三人は微笑ましく眺めていた。

(まずい、全く取れる気がしないよ)

 智志の一回目、伸実お目当てのぬいぐるみがアームにすら触れず失敗。

「智志お兄ちゃんなら、絶対取れるはず」

 背後から伸実に、期待の眼差しで見つめられる。

(どうしよう)

 智志、窮地に立たされる。なにせ智志は、今までクレーンゲームというもので成功したことが一度もなかったのだ。

 智志はそれでも伸実を喜ばせるためにと精神を研ぎ澄まし、ずば抜けた集中力でアームを操作していく。

 そして、

「……まさか、こんなにあっさりいけるとは思わなかった」

 取出口に、ポトリと落ちたナマケモノのぬいぐるみ。

智志は、ついにやり遂げたのだ。あれから一回で伸実お目当ての景品をゲットすることが出来てしまった。

「サトシくん、お見事!」

「やるじゃん、サトシン」

「おめでとうございます、智志さん」

三人は大きく拍手した。

「ありがとうーっ、智志お兄ちゃあああああああん」

 伸実が背後からぎゅっと抱きついてきた。

「わわわ、ちょっ、ちょっと、備中さん。僕、たまたま取れただけだよ。先に、備中さんが、少しだけ取り易いところに動かしてくれたおかげでもあるよ。はい、備中さん」

 よろけてしまいそうになった智志は照れくさそうに語り、伸実に手渡す。

「ありがとう、智志お兄ちゃん。ナマちゃん、こんにちは」

 伸実はさっそくお名前をつけた。受け取った時の彼女の瞳は、ステンドグラスのようにキラキラ光り輝いていた。このぬいぐるみを抱きしめて、頬ずりをし始める。

(備中さん、二次元に負けないくらいかわいいな)

 智志はこの時そう感じた。

生徒達&智志は他の施設もいろいろ巡り最後の締めくくりとして、巨大観覧車に乗ることにした。最高地点では地上からの高さが八〇メートル以上にまで達する、この遊園地一番の目玉アトラクションとなっている。

六人乗りのゴンドラは、係員に鍵をかけられ、ゆっくりと上昇していく。

「わぁーい。いい眺め。夕日きれい」

「きれーい。ずっと眺めていたいよ」

 伸実と亜紗は幼い子どものように大はしゃぎで下を見下ろす。

「絵になる光景ね。観覧車って最高」

真依は満面の笑みを浮かべる。彼女が一番乗りたがっていたアトラクションでもあった。

(気まずいなぁ)

 智志は目のやり場に困っていた。狭い空間で、女子小中学生四人と一緒という状況なのだから、無理はないだろう。

「……」

千陽の顔は、やや青ざめていた。

「あれぇ? どうしたの? チヒロちゃん」

「乗り物酔いでもしたの?」

亜紗はにやけ顔で、真依は心配そうに尋ねた。

「アッ、アタシさ、高い所はものすごい苦手なんだよな」

 千陽は唇を震わせながら答えた。

「そうだったんだ。チヒロちゃん、かっわいい」

「千陽ちゃん、観覧車も苦手だったんだね? 観覧車はのんびりしてて、乗り心地すごくいいのに」

 亜紗と伸実はにんまり微笑む。

「千陽さん、絶対落ちないから大丈夫よ」

 真依は優しく慰めてあげる。

「わっ、分かってるけど、なんか怖いよな」

千陽の新たな一面が見ることが出来た他の生徒達は、とても幸せそうだった。


観覧車から降りた生徒達&智志は、出口ゲート近くの喫茶店で由利香さんと再会する。

こうして一同は遊園地を後にし、すぐ近くにある今夜宿泊する大型ホテルへ。

由利香さんは、503号室を予約していた。十五畳ほどの広い和室だ。

「では皆さん、智志ちゃんの指示に従ってね」

 由利香さんはそう告げて、503号室を出て行こうとする。

「えっ、あっ、あの、ちょっと待って」

 智志は慌てて呼び止めた。

「ワタクシは、別のお部屋よ」

 由利香さんはにこっと微笑む。

「そっ、それは、ないでしょう、お姉さん」

 智志の表情は少し引きつった。

「みんな智志ちゃんと同じお部屋がいいって言ってたので」

 由利香さんは笑顔でおっしゃり、とうとうこのお部屋から出て行ってしまった。彼女は別に、シングルルームとなっている318号室も予約していたのだ。

「サトシンと同じお部屋でお泊り、楽しみだなあ」

 千陽はとてもわくわくしていた。

「僕は、非常に不安だ」

 智志は沈んだ声で呟く。

「わあーっ、すっげえ。中に羊羹とか、赤福餅とか、ゼリーとか、ジュースがいっぱいあるぜ」

 千陽は冷蔵庫を開けてみた。

「本当!?」

 伸実もそこへ駆け寄る。

「あっ、あのう、それはお姉さんに許可を取った方が……」

「千陽さん、これって別料金取られるんじゃなかったっけ? わたし、家族旅行で旅館とかホテルに泊まった時、ママにお金かかるから食べちゃダメって言われたよ」

「ワタシもそのままにしておいた方がいいと思うな。でも食べたい」

 智志、真依、亜紗がそうコメントしたその時、

「皆さん、冷蔵庫に入っているものの代金も、先生が立て替えますのでご自由に食べていいわよ」

 由利香さんが扉の外からこう伝えた。

「なあんだ、それじゃ食べ放題だな」

「あたしは太るといけないから数控えとこ……」

 千陽と伸実は大喜びした。

「ワタシも赤福餅食べよ……その前に、ちょっとおトイレ行って来るね」

 そう言うと亜紗は、早足で室内のトイレに向かった。扉を開くと、洋式トイレが目の前に現れる。

「あっ、ここウォシュレットも付いてる。設備充実してるね」

 亜紗は嬉しそうに呟いて便器に背を向けた。スカートの中に手を入れ、ショーツを膝の辺りまで脱ぎ下ろす。

「んっしょ」

そして便座にちょこんと腰掛けた。

それから約三分後。

「亜紗お姉ちゃんまだ出てこないね。あたしもおしっこしたいのに。大きい方してるの?」

 伸実はりんご味のゼリーを頬張りながら、トイレ扉の外から問いかけてみた。

「うん、待たせちゃってごめんねノブミちゃん。ワタシ、三日振りにお通じが来たの。やっぱりいっぱい歩くと効果あるよ。まだ出そう」

 亜紗はすぐさま返答した。

 その直後、

「皆さん、そろそろお食事場所へ移動しますので」

 由利香さんは、この部屋の出入口扉を開けて呼びかけた。オートロックとなっているが、由利香さんはここの部屋の鍵も受付の人に事情を話し、持たせてもらっていたのだ。

「ユリリン、アッサは今、大きい方をう~んって頑張っているので、少し遅れるそうでーす」

 千陽は由利香さんの側へ駆け寄り、トイレ扉を手で指し示しながら大きな声で伝えた。

「分かったわ。亜紗ちゃん、焦らなくていいからごゆっくり」

 由利香さんは爽やかな表情で叫びかける。

(ちっ、千陽ちゃーん。普通にトイレ行ってるって言ってくれればいいのにぃ。サトシくんにも絶対知られて恥ずかしいよぅ)

 亜紗は便座に腰掛けたまま、歯をぐっと食いしばり、両拳をぎゅっと握り締めつつ目をかたく閉じて赤面していた。

 こうして亜紗一人を残し、他のみんなは夕食場所となっている宴会場へと移動していった。

「ご予約の園部御一行様ですね。ごゆっくりどうぞ」

 従業員さんに席へ案内される。

 宴会場は二〇畳ほどの純和室となっており、長机一脚に座布団が六つ敷かれていた。

お皿の上には松茸や松坂牛ステーキ、伊勢湾近海で今日昼過ぎに水揚げされたばかりの、新鮮な鯛や伊勢海老、ウニの刺身などが多数並べられていた。

他に副菜、デザートもたくさん。

「わー、すっげえ。めっちゃ豪華だぁーっ!」

 千陽は並べられている料理の数々に目を奪われる。

「チーヒーローちゃーん」

 そんな時、千陽は亜紗に背後から肩をガシッとつかまれた。

「あっ、アッサ、便秘治ってよかったね」

 千陽はくるりと振り向き、爽やかな表情で話しかけた。

「もう、チヒロちゃん。声でかーい!」

 亜紗はニカッと笑い、千陽のこめかみを両手でぐりぐりする。

「いたたたたた、ごっ、ごめんアッサ」

「まあまあ、亜紗お姉ちゃん。すっきりしてよかったでしょ」

「亜紗さん、健康のためには重要なことだから」

 伸実と真依も話しかけてしてくる。

「そうだけどね」

 亜紗はむすっとなる。

「お腹すっきりしたら、いっぱい食べられるじゃん。アッサ、どれくらいの大きさのが出た? ちっちゃいから三日溜まっててもやっぱバナナサイズ?」

「大便はバナナサイズが最適って、保健だよりに書いてあったね」

「千陽ちゃん、伸実ちゃん。お食事中にそういうお下品な話はやめましょうね」

「「はーぃ」」

 由利香さんに優しく注意されると、二人はぴたりとその話をやめた。

 こうして、食事タイムが始まる。

由利香さんから「おあがりなさい」という食前の挨拶があったあと、生徒達と智志は食事に手をつける。

「千陽さん、またあぐらかいてる。パンツも丸見えよ」

「せめてワタシみたいにお膝を伸ばして座りましょうね」

 真依は呆れ顔で、亜紗は笑顔で指摘するが、

「べつにいいじゃん、この方が楽だし」

 千陽は聞く耳持たず。

「千陽ちゃん、女の子があぐらかくのは、ちょっとはしたないな」

 由利香さんはこう告げて、千陽の方をちらっと見る。

「ねっ!」

 亜紗も千陽に視線を送った。

「なんか、やり辛い」

 千陽は結局、体育座りに戻した。

「千陽ちゃんのあぐら、先生にもよく注意されてるよ」

 伸実は嬉しそうに教える。彼女は行儀良く正座姿勢であった。

「べつに問題ないと思うんだけどなぁ。鯨の竜田揚げ、美味そうだーっ。アタシ鯨食べるの、初めて。梅ゼリーも美味そう。こっちから食べよっ」

 千陽が最初にデザートの梅ゼリーの方をスプーンで掬い、お口に運ぼうとしたところ、

「もーらった」

亜紗が横からぱくりと齧り付いてきた。

「あああああああーっ! ちょっと、アッサ、何するんだよ!」

 千陽は大声を張り上げて、亜紗をキッと睨み付ける。

「えへへ、さっきワタシに恥ずかしい思いさせてくれたお返しーっ」

 亜紗はとても美味しそうに頬張りながらあっかんべーのポーズをとった。

「ひどーい」

 千陽は亜紗の両方の頬っぺたをぎゅーっとつねる。

「いったーい」

 亜紗は、千陽の髪の毛を引っ張った。

「アッサ、いきなり取るなんてひどいよ。そんなに卑しいことしてたら、ぶくぶく太って豚さんになっちゃうよ」

 今度は千陽、亜紗に馬乗りになった。

「失礼ね。チヒロちゃんだってお菓子大好きなくせに。チヒロちゃんこそ太るよ」

 亜紗は対抗しようと、両手で押し返す。

「アタシは太らない体質だもんねーっ!」

 千陽は自信満々に言う。

「ああーっ、ムカついてきたぁーっ」

 亜紗は千陽の足をグーで叩いた。

「いたいよ、アッサ」

 千陽はパーで叩き返す。

 両者、叩き合いが始まってしまった。

「ねえ、二人ともケンカはやめて」

 真依は心配そうに見守る。

「カンガルーさんのケンカみたい。二人とも互角だね。いやちょっと千陽ちゃん優勢かな」

 伸実は微笑ましく観察する。

(これが三次元女の争いかぁ。そのうち、収まるでしょう)

 智志はそう感じながら、食事を進めていた。

「千陽ちゃん、亜紗お姉ちゃん、後ろ、後ろーっ」

 伸実は笑いながら注意を促す。

「アッサ、返してぇーっ!」

「無茶なこと言わないのっ!」

千陽と亜紗は聞く耳持たず。そんな二人の背後に、黒い影がゆっくりと忍び寄る。

「これこれ、女の子同士が取っ組み合いの喧嘩とは何事ですか!」

 由利香さんだった。二人に呆れ顔で注意する。

「だってだって、ユリリン」

 千陽は亜紗の頬っぺたをつねりながら言い訳する。

「元はといえば、チヒロちゃんが悪いんだよ」

 亜紗も千陽の髪の毛を引っ張りながら言い訳する。

 二人はまだ、ケンカを止めようとはしなかった。

「あっ、あのね。ケンカはよくないよ」

 智志もこの場を収めようとした。

「直ちに止めなかったら、このあと特別レッスンをするわよ」

由利香さんはさらっとおっしゃった。

「ごめんなさーい」

「すまねえユリリン」

すると二人は即、土下座して反省の態度を示した。

「早く食事に戻りなさい」

 由利香さんは笑顔で告げて、元の席へ戻る。

「さっきはごめんね、チヒロちゃん」

「ううん、アタシ、もう気にしてないぜ」

 亜紗と千陽はすぐに仲直り。その後は仲良く夕食タイムを過ごしたのであった。


 続いて入浴タイム。みんな一旦お部屋へ戻って持参した入浴セットを手に持ち、旅館内大浴場へと移動していく。

「おっふろ、おっふろー」

 伸実はとても嬉しそうにスキップしながら、

「他のお客様、どれくらい入ってるのかな?」

真依はやや緊張気味に女湯の暖簾を潜り抜けていった。

「ユリリン、アタシ、サトシンと混浴がいいな」

 千陽は、男湯の暖簾を潜ろうとした智志の腕をぎゅっとつかみ、阻止しようとしてくる。

「あっ、あのね、越智さん」

 智志は当然のごとく迷惑顔。鬱陶しくも感じた。

「こらこらチヒロちゃん。サトシくん困らせちゃダメでしょ」

 亜紗は千陽の頬っぺたをぎゅーっと抓る。

「いでででぇっ、すまねえアッサ」

 千陽は思わず手をパッと離した。これにて智志は解放される。

「智志ちゃんなら女湯に入っても全然問題ないけど、他のお客様から顰蹙買われちゃうからね」

 由利香さんは笑顔でおっしゃる。

「それだけでは、済まないと思うのですが……」

 智志はしかめっ面で突っ込み、逃げるように男湯の暖簾を潜り抜けた。

 女湯脱衣場。

「ノッポ、体はお子様だな。胸ペッタンコだし、アンダーヘアーも無くつるつるだし」

 千陽はニーソックスを脱ぎながら、伸実の全裸姿をじーっと眺める。

「そんなに見られると恥ずかしいよぅ、千陽ちゃん」

 伸実は手で胸を覆いながらてへりと笑う。

「アッサは、案外大人の体してるんだなぁ。おっぱいも膨らんでるし、アンダーヘアーも意外と濃いし」

「こらこら、覗かない!」

亜紗は眉をくいっと曲げて千陽に注意し、バスタオルを全身に巻いた。

「アレはもう来た?」

「とっくの昔に来てるよぅ」

 千陽の質問に、亜紗は照れ笑いしながら打ち明ける。

「あたし、まだ。クラスの女の子、三分の一くらいは来てるみたいなんだけど」

 伸実は小声で呟いた。

「おう、どうりでまだお子様体型なわけだ。アタシもだけどな」

 千陽はそう言うと、Tシャツとショーツを脱ぎ捨てる。これにて千陽もすっぽんぽんになった。

(裸見せるの、恥ずかしいよぅ)

 真依は他の生徒達やお客さん達から視線を逸らそうとしながら、照れくさそうに服を脱いでいく。下着を外す前から、バスタオルをしっかり全身に巻いていた。 

千陽とは伸実は小学生らしく、恥ずかしげも無く堂々と裸体をさらけ出し、バスタオルは手に持っていた。

浴室へ入ると、生徒達は隣り合うようにして洗い場シャワー手前の風呂イスに腰掛ける。出入口に近い側から亜紗、真依、伸実、千陽という並びだ。

「ノッポ、未だにシャンプーハットかぁ。幼稚園児みたいだな」

 千陽はくすくす笑う。

「わたしも、今はさすがに使ってないな」

 真依は、伸実の方をちらりと眺めた。

「べつにいいでしょ。目にシャンプーが入らないように安全のためだもん」

伸実は笑顔で堂々と言い張る。

「ノブミちゃん、かっわいい! 妹に欲しいーっ。髪の毛洗うの手伝ってあげよっか?」

 亜紗は横目で見ながら、きゅんっと反応した。

「それはいい、自分でやるから」

 伸実は頬をポッと赤らめた。

「タオルで隠してる人、わたしと、亜紗さんくらいしかいないね」

 真依は辺りをきょろきょろ見渡しながら隣の亜紗に話しかける。

「そうね」

 亜紗も周囲の客をちらりと見てみた。

「ワタシ、家で入る時はすっぽんぽんなんだけど、ここではちょっとね」

「ワタシも。みんなが見てる前では恥ずかし過ぎて無理。あの、マイちゃん。メガネ外したお顔もかわいいね」

「あっ、ありがとう、亜紗さん」

 真依と亜紗は小声でおしゃべりしながら体を洗い流している最中、

「わぁーい!」

 伸実のはしゃぎ声と共に、ザブーッンと飛沫が上がる。湯船に足から勢いよく飛び込んだのだ。さらに犬掻きのような泳ぎをし始めた。

「伸実さん、はしゃぎ過ぎ」

「低学年の子みたいだよ」

 真依と亜紗は湯船の方を振り向き、微笑ましく眺める。

「ノッポのはしゃぎたい気持ちはアタシにも良く分かるぜ」

 そう言い、千陽も勢いよく飛び込んで平泳ぎを始めた。

「二人とも、周りのお客様に迷惑かけないようにね」

 真依は再度注意して、湯船に静かに浸かった。

「ちょうどいい湯加減だし、広くて最高♪ ワタシ、お風呂大好きなの。夏は一日三回入ってるよ」

 亜紗も同じようにして浸かると、湯船に足を伸ばしてゆったりくつろぎながら、嬉しそうに語る。

「亜紗さん、し○かちゃん並だね。でもあんまり入り過ぎるとお肌ふやけちゃうよ」

 真依はにっこり微笑んだ。

「ねえねえアッサ、ひょっとして、今も弟とお風呂一緒に入ってる?」

 千陽が近寄って来て、興味津々に訊いてくる。

「最近はずっと入ってないなぁ。小学五年生頃から急に嫌がるようになっちゃって」

 亜紗は残念そうに伝えた。

「そっか。きっとお○ん○んに毛が生えてきたからだな。アタシのクラスの男子も何人か生えてきたやつがいるみたいだぜ」

千陽はにこにこ笑いながら伝え、別の場所へ背泳ぎで移動していく。

「サトシくんも、きっと生えてるね。マイちゃんはどう思う?」

 亜紗はついついそんなことを思い浮かべてしまった。

「千陽さんも亜紗さんも、下品よ」

 真依は顔をしかめる。

「ごめんね、マイちゃん」

 亜紗はてへっと笑う。

「それよりアッサにマイマイ、湯船にタオル入れたらダメだぜ」

 千陽がまた戻って来てバスタオルをぐいっと引っ張った。

「やめてぇーっ、チヒロちゃぁーん」

 亜紗は腕を前に組んで必死に抵抗する。

「真依お姉ちゃんも、他のみんなみたいにすっぽんぽんになろうよぅ」

 伸実も近寄って来て、真依のバスタオルを引っ張る。

「やーん。ダメよ」

 真依は足をバタバタさせ懸命にタオルを守る。

「皆さーん、湯加減はいかがですか?」

ちょうどその時、由利香さんも浴室に入って来た。タオルは巻いてなく、すっぽんぽんだった。風呂イスにゆっくりと腰掛け、シャンプーを押し出して髪の毛をこすり始める。

「由利香お姉ちゃん、お肌白くてきれいなお体だね」

「おっぱいもでけぇ!」

 伸実と千陽は湯船から上がり、由利香さんの側に駆け寄った。まじまじと由利香さんの裸体を眺める。

「もう、恥ずかしいな」

 由利香さんは優しく微笑む。

(園部先生、素敵です)

(ワタシの二倍くらい膨らんでるかな、胸)

 真依と亜紗は、湯船の中からこっそり眺めていた。


「アタシ今何キロあるかなあ?」

 浴室から出た千陽は、すっぽんぽんのまんま脱衣場に置かれてある体重計にぴょこんと飛び乗った。

「……よかったあ、二学期最初の身体測定の時と全く同じだ」

 目盛を見て、満面の笑みを浮かべる。

「チヒロちゃん、身体測定は服の重さが数百グラム加算されてあるから、実際は増えてるってことだよ」

 亜紗は耳元でささやいた。

「あっ、言われてみれば……」

 千陽はがっくり肩を落とす。

「あたしはきっと痩せてるぅ♪」

 そう自信満々に言い、伸実もすっぽんぽんのままで体重計に飛び乗った。

「……えええええええっ!? ごっ、5キロも増えてるぅ。なっ、なんでぇ!?」

 目盛を眺めた途端、伸実は目を見開き大きな叫び声を上げた。

「伸実さん、下を見て」

「えっ……」

 伸実は、真依に言われたようにしてみる。

「あああああーっ!」

 瞬間、大声を張り上げた。

「えへへ、タネ明かしだよ。古典的なやり方だけどね」

 亜紗はにこっと笑う。彼女が体重計の上にこっそり手を置いていたのだ。

「もう、亜紗お姉ちゃん」

「体重気にした時のノブミちゃんの表情、子どもっぽくってかわいかったよ」

「ひっどーい。罰として亜紗お姉ちゃんも乗って!」

「あーん、やだぁ」

 伸実に追われ、亜紗はすっぽんぽんで逃げ惑う。

「ジャックと豆の木のお話、思い出しちゃった」

 その光景を見て、真依は思わず笑ってしまった。

「伸実お姉ちゃん、つーかまーえた♪」

「あーん、捕まっちゃったぁ」

「アッサあっさり捕まったな。ノッポ、手を離しちゃダメだぜ。アタシがこそばし攻撃するから」

 千陽も一緒に騒ぎ出してしまう。

「チヒロちゃん、やめてーっ」

「皆さーん、智志ちゃんが待ちくたびれていると思うから、速やかに出ましょうね」

由利香さんは優しく注意しておいた。

      □

「智志お兄ちゃぁーん、お待たせーっ」

「あっ、どっ、どうも」

由利香さんの推測通り、智志はすでに上がって大浴場横の休憩所で待っていた。

「お風呂上りのサトシン、なんか文豪っぽさが醸し出されてるね」

「サトシくん、すごく格好いいよ」

 千陽と亜紗は、浴衣姿の智志をじーっと見つめる。

「そっ、そうかなぁ?」(なんか、女の子特有の匂いが……)

生徒達と由利香さんの体から漂ってくる、ラベンダーやオレンジ、オリーブ、ミントのシャンプーや石鹸の香りが、智志の鼻腔をくすぐっていた。

 由利香さんは318号室へ、生徒達&智志は503号室へと戻っていく。

503号室ではすでにお布団が敷かれてあった。このホテルのサービスとなっているのだ。五枚横一列に敷かれていた。

「みんな、どこに寝る?」

 亜紗が尋ねると、

「僕は、一番端っこで」

 智志は窓際の布団に視線を向けた。

「ダメだよ、サトシくん。サトシくんはここ!」

 亜紗は強制的に、窓寄り二列目の布団を指定する。

「亜紗お姉ちゃん、あたし、ここーっ!」

「サトシくんのお隣がいいんだね」

「うん!」

 亜紗が確認すると、伸実は嬉しそうに答えた。真ん中の布団を指差したのだ。

「……」

 智志はどう反応すればいいのか分からなかった。

「じゃあアタシ、窓際でサトシンのお隣ぃ!」

「ワタシも窓際がいい!」

千陽の希望に、亜紗も譲らず。

「アッサ、真似するなよ。なあ、ノッポ。その場所アタシに譲ってくれない?」

「嫌ぁ! あたし、絶対智志お兄ちゃんのお隣ぃーっ」

 伸実は強く主張し、該当する布団にごろんと大の字に寝転がった。

「チヒロちゃん、譲ってあげなさい。ノブミちゃんは同級生だけど、誕生日的に一番年下でしょ」

「それが通るなら、アタシ、この中で二番目に年下だから……」

 千陽は少し首を下に傾けて、亜紗の目を見つめる。

「それは……また全く別問題だよ」

 亜紗はやや間を置いてから言った。

「そんな理不尽なー」

 千陽はげんなりとした表情を浮かべて嘆く。

「サトシくん、ワタシとチヒロちゃん、どっちにお隣になって欲しいですか?」

「……えっ、えっと……」

 亜紗から真剣な眼差しで問われ、智志は返答に困ってしまう。

「サトシくん、ワタシだよね?」

「アタシ、アタシ、アタシだよな? サトシン」

 亜紗と千陽に詰め寄られる。

「二人とも頑張れーっ! あっ、そういえば千陽ちゃんは、寝相がかなり悪いよ」

 伸実は寝転がったまま、突如こう伝えた。

「それじゃチヒロちゃんは、入口に一番近いお布団で寝てね」

 亜紗は勝手に決め付ける。

「あーん、ノッポ、余計なこと教えないでぇー」

 千陽は苦笑した。

「これでサトシくんのお隣になれる♪」

「あの、亜紗さん。わたしも、千陽さんのお隣を回避したいです」

 真依は嬉しがる亜紗に、言いにくそうに伝えた。

「やっぱりそう来ちゃったかぁ。でもワタシも場所譲りたくないからじゃんけんしよう」

「うん」

亜紗の提案に真依が快く同意した次の瞬間、 

「お相撲がいい! お相撲で決めよう」

 伸実はこう意見してきた。

「お相撲?」

「えっ!」

 亜紗と真依はぴくりと反応する。

「この間、体育の授業で男の子がバスケかサッカー、どっちにするかじゃんけんの変わりにやってたよ。お相撲」

「伸実さん、お相撲は、女の子がするスポーツじゃないよ」

「女の子もお相撲する子はけっこう多いよ。あたしはやらないけどね」

(この間の現社の授業でも、言ってたな。男は女は~であるべきだというジェンダーの固定概念を持ち過ぎるのは良くないって)

 智志は心の中で突っ込んだ。

「アタシ、危険人物扱いされてるみたいなんだけど……アッサとマイマイの取組、アタシめっちゃ見てぇ!」

 千陽は興奮気味に叫ぶ。

「真依お姉ちゃん、亜紗お姉ちゃん、お相撲やって、やってーっ」

 伸実は強く要求する。

「……ノブミちゃんがそう言うなら、一回だけ、やってもいいよ」

「……しょうがないなぁ」

 亜紗と真依は少し悩んでから、しぶしぶ引き受けた。

「やったぁ! 真依お姉ちゃん、亜紗お姉ちゃん。本物のお相撲さんみたいに上半身裸でパンツ一枚だけになってぇーっ」

 伸実は笑顔で要求した。

「ちょっ、ちょっと」

 智志は即、動揺する。

「そっ、そんなこと出来るわけないよ。サトシくんがいるのに」

「わたしは、女の子しかいなくても無理です」

 亜紗は笑い、真依は頬をカーッと赤らめた。

「じゃあ、そのままでいいや」

 伸実はちょっぴり残念そうに許可する。

「この旅館の浴衣だとやりにくいからわたし、おウチから持って来たパジャマに着替えるよ」

「ワタシもそうするぅ」

 真依と亜紗は自分のリュックからパジャマを取り出す。

「カーテンの裏で着替えよっか?」

「待ってマイちゃん、そこで着替えたらチヒロちゃんに絶対いたずらされるよ。サトシくんにも悪いから、一緒にトイレで着替えよう」

「うん。分かった」

こうしてこの二人はトイレの中へ隠れ鍵をかけた。

(勢理客さん、ナイス機転)

 智志は感心するが、

「警戒されたか」

 千陽はちょっぴり不機嫌気味。

 トイレの中。

「ねえ、マイちゃん、今度抹茶プリン奢ってあげるから、ここは負けてくれない?」

 亜紗は背伸びして、真依の耳元で囁く。

「その条件ならいいけど、千陽さんのお隣は、怖いなぁ」

 真依は一応了解の返事をした。

「組んだ後、ワタシはすぐに寄り切っていくから、マイちゃんは後ずさってね」

 亜紗がもう一度真依の耳元で囁いた。

 その時、

「あーっ、八百長だぁーっ!」

 伸実に大声で叫ばれた。

「ノッ、ノブミちゃん。これはね、違うの。人情よ、人情」

 亜紗は慌ててトイレの中から言い訳する。

「亜紗お姉ちゃん、八百長は絶対やっちゃいけないことだよ」

 伸実は困惑顔で注意する。

「やっぱり打ち合わせしてたね。真剣勝負でやろうぜ」

千陽は亜紗の行動を不審に思い、伸実に冷蔵庫横にあった紙コップを手渡し、ちょっと様子見て来てと指示したのだ。伸実はトイレ横の壁に紙コップを当てて。中の様子を聞くという古典的な盗聴方法を実践した。

「まさか聞かれてるとは思わなかったよ」

「普通にやるしかないですね」

中の二人は、パジャマへ着替えるとすぐさまトイレから出てくる。

「それじゃあ取組始めよう。真依お姉ちゃんの四股名は真依の海で、亜紗お姉ちゃんが亜紗青龍だよ」

「なんか微妙」

「べつに四股名をつけなくても……」

 伸実のネーミングに、亜紗と真依は苦笑する。

「土俵の代わりがこの敷布団だな。本家と同じルールで、ここから外に出すか。足の裏以外を布団につけたら負けってことにしようぜ」

「それでいいよ、チヒロちゃん」

「妥当ですね」

 千陽の提案に、亜紗と真依は快く承諾した。

「あたしが行司さんやるぅーっ」

 伸実は部屋備え付けのうちわを手に取った。

 智志と千陽は邪魔にならないよう部屋隅の方へと移動する。

「待った無し、手を下ろしてー」

伸実のこの合図で、

「このポーズ、なんか恥ずかしいよぅ」

「カエルさん座りだね」

 真依と亜紗は中腰姿勢になって両こぶしを敷布団に付けた。二人とも照れ笑いしながら呟く。

「見合って、見合ってー。はっけよーい、のこった!」

 伸実がこの合図をすると、

「えいっ!」

真依は素早く亜紗の穿いていたズボンの裾を両手で掴んだ。

「うーうー」

 亜紗は必死に抵抗する。しかし真依の体は動かず。

「ごめんなさい、亜紗さん」

「あっ、ちょっと、待って。あの約束は?」

真依は申し訳なさそうに、亜紗の体をふわりと浮かせた。

「その……やっぱり、無理です」

「あぁーん、パンツがおしりに食い込むぅーっ」

「ごめんなさい」

 真依はそのまま歩き進み、亜紗を敷布団の場外へ出した。

「ただいまの、決まり手は、吊り出し、吊り出しで真依の海の勝ち。真依お姉ちゃん、圧勝だったね」

 伸実は嬉しそうに決まり手を告げた。

「予想通りだな。マイマイの方が体でかいし」

 千陽はくすくすと笑う。

 真依の海○  亜紗青龍●

「すみません、亜紗さん、あっさり勝ってしまって」

 真依は申し訳なさそうに謝ったものの、内心とても嬉しがっていた。

「あーん、納得いかなかなぁーい。もう一回だけやりましょう」

 亜紗は口惜しそうな表情を浮かべて駄々をこねる。

「わたし、もうやりたくないです」

 真依は当然のごとく嫌そうにする。

「亜紗お姉ちゃん、諦めも肝心だよ」

 伸実はにっこり笑う。

「そんなことすると、アッサ勝つまで絶対やめなさそうだから。さあ、アッサ。今夜はアタシの側でおねんねしましょうね」

 千陽はニカッと微笑みかけ、亜紗の肩をガシっとつかんだ。

「すごく不安だなあ」

 亜紗は困惑する。

 これにて、全員の布団の位置が決まった。

智志は伸実と真依に挟まれる形に。

(非常に複雑な気分だ)

 智志は今、こんな面持ちである。

「せっかくの旅行だし、目一杯盛り上がらなきゃな。今からアタシがノッポのために、こわーいお話でもしようかなぁー」

 千陽は両手をうらめしやポーズにして、ゆっくりとした口調でそう告げた。

「あっ、あたし、聴きたくないよううううううう」

伸実はとっさに両耳を手で塞ぎ、カタカタ震え出す。

「ノッポ相変わらず怖がりだな。小四の時の野外活動でもめっちゃ泣いてたし」

 千陽はくすっと笑う。

「千陽ちゃん、やめてやめてやめてーっ」

伸実は顔を真っ青にさせながら枕を手に取り、千陽に向けて投げた。見事顔面にヒットする。

「ノッポ、ナイスコントロールだ。ごめんね」

「あたし、そういうの、ちっとも怖くないもん!」

 伸実はややムスッとしながら言い張る。

「本当かな?」

 千陽はアハハと笑う。

「千陽さん、いじめたらかわいそうよ」

 真依は困惑顔で注意したが、

「いじめてないって」

反省の色が見られなかったため、

「天誅!」

「あいたたたっ」

 亜紗が千陽の後頭部をグーでゴチンッと叩いておいた。

「宿泊旅行の夜の楽しみ方といえば、やはりこれだよ。ワタシ、いいもの持って来たんだ」

 亜紗がリュックの中から何かを取り出そうとした。次の瞬間、

「皆さーん、ちょっとお邪魔するわね」

 由利香さんがこのお部屋に入って来る。

「あっ! 由利香先生」

 亜紗は反射的に後ろを振り向いた。まずい、不要物が持って来たことがばれちゃう、と彼女は一瞬焦ったのだ。

学校の合宿じゃないし、見つかっても問題ないか。

けれどもすぐにこう思い直し、安心出来た。

「あのう、あの後お風呂場点検したんですけど、とってもかわいらしいカピバラさん柄パンツの落とし物がありました。ご丁寧にお名前も書かれてありましたよ。お心当たりのある方は、後でいいからこっそり取りにきてね」

 由利香さんはそのパンツをバッグから取り出し手に掲げ、生徒達に向けてにこにこしながら伝えた。

 その約二秒後、

「あああああああああああーっ、ワタシが今日穿いてきたやつだーっ」

 亜紗は大声で叫んだ。その行為によって、みんなにバレてしまった。全速力で由利香さんの下へダッシュする。

「亜紗ちゃんのパンツだったのね、次からは気をつけましょうね」

由利香さんはくすくす笑いながら手渡した。

「ああ、恥ずかしい。ママったら、ワタシもう子どもじゃないのに余計なことしてくれちゃって」

 亜紗は受け取ったパンツを上着の中に隠し、ぶつぶつ呟きながら自分のリュックの前へ向かう。

「アッサ、かわいいの穿いてるね」

 千陽はにやにやする。

「亜紗お姉ちゃん、あたしもその柄のやつ持ってるよ」

伸実は嬉しそうにしていた。

「あーん、知られたくなかったのにぃ」

 亜紗は涙目になってしまった。

「亜紗さん、わたしも動物さん柄のパンツ、体育無い日は穿いていくことあるよ」

 真依は慰めようとする。 

「それなら……まあ、おかしくはないよね」

 亜紗はなんとか立ち直った。

「……」

 智志は由利香さんがあのパンツをかざした瞬間からテレビの方に目を向け、この状況から目を逸らしていた。

「では皆さん、明日の朝は早いので、夜更かしはしないようにしましょうね」

 由利香さんはまだ笑ったままこう忠告し、この部屋から出て行った。

「「はーい」」

 真依と伸実は素直に返事をした。

「まあ気にするなアッサ、そういや、いいもの持ってきたんだよね?」

「うん。ワタシ、テレビゲーム機も持ってきたんだ」

 亜紗はそう言うと、リュックの中からようやく取り出した。

「勢理客さんは、テレビゲームが好きなの?」

「うん! 特にアクションゲームとRPGが大好き。由利香先生も時たまテレビゲームをプレイされますよ」

「そうなんだ」

 智志は少し驚いたようだ。

「頭の体操になるからだって」

 亜紗は加えて伝える。

「アタシが準備するよ」

 千陽が、テレビの端子とゲーム機本体にケーブルを繋いであげた。

「サトシくん、これやってみて。先週発売されたばかりのゲームだよ」

 亜紗が取り出したゲームソフトのジャンルは、アクションだった。

「いいけど」

 智志はあまり乗り気ではなかったが、引き受けてあげた。テレビゲーム機にセットし、電源を入れ、コントローラを握る。

 一人プレイを選択し、ゲームスタート。

「難しいな、最初の面なのに」

 1‐1面の半分くらい進んだ所で落とし穴に落ち、ミスしてしまった。

「ワタシもこの面、全然クリア出来なかったんだよ。マイちゃんも、やってみる?」

 亜紗は笑顔で勧める。

「わたし、ゲームはほとんど……」

 真依は手をパタパタさせ、躊躇う仕草を取った。

「マイマイ、このゲームアタシもちょっとやったけど面白いよ。やってみて」

「うっ、うん」

 千陽に勧められると、真依は恐る恐るコントローラを握り締めた。

 ぎこちなく指を動かし、ボタンを操作していく。

「マイちゃん、上手だねぇ」

「そっ、そうかな? あっ……」

 亜紗に褒められたことで、真依はミスをしてしまった。

「ごっ、ごめんマイちゃん。邪魔しちゃった?」

 亜紗は慌てて謝る。

「いいよ、いいよ。全然気にしてないから」

 真依は機嫌良さそうになだめてあげた。

「次、あたしがやるーっ」

「ノッポの次はアタシだーっ」

ワンミス毎にみんなで交代しながらそのゲームを一時間ほどやった後、

「それじゃあたし、眠いからもう寝るよ。おやすみー」

「わたしも先に寝るね」

 伸実と真依はそう眠たそうに告げて、各自で決めたお布団に潜り込む。伸実は、智志に遊園地のゲームコーナーでとってもらった、あのナマケモノのぬいぐるみをしっかり抱きしめていた。

「お子様はおねむの時間だね。これからが本当の夜なのに」

 千陽はにこにこ顔で呟く。

「次は、これで遊びましょう」

亜紗は別のソフトに取り替えた。

セーブデータを選択すると出て来たのは、宿の画面。

「今度はRPGか」

 智志は画面に顔を少し近づけた。

「サトシくん、RPGは面白いよね? 村人達と会話して、旅のヒントを得て進めていくのが魅力的なの。頭を使うし」

「そっ、そうだね。そういや僕、最近はRPG全然やってないなぁ」

「サトシンが主人公のRPG、アタシ、あったら欲しいなぁ。なあサトシン、最近はどんなジャンルやってるの?」

「テレビゲーム自体、やらなくなったよ」

「そっか。高校生は勉強が大変なんだな」

「学業面、頑張って下さいね!」

 千陽と亜紗から同情される。

「うっ、うん。ありがとう」(まあ、テレビゲームしてた時間が、アニメ雑誌やラノベを読む時間に取って代わっただけなんだけど……)

「サトシくん、今日くらいは勉強のことは忘れてワタシといっぱいプレイしよう」

「あの、僕も今日は疲れたから、そろそろ寝ようかと……」

 誘ってくる亜紗に、智志は申し訳無さそうに伝える。

「あーん、サトシン。もう少し付き合ってよう」

 千陽は智志の体にしがみついて揺さぶり、駄々をこねる。

「あっ、あのね……」

 智志は当然のように迷惑がった。

「無理させちゃダメだよ。サトシくんはワタシ達の引率で疲れてるんだから」

 亜紗は笑顔で注意する。

「分かった。今日はサトシンにいろいろ迷惑かけちゃったからね。ごめんなサトシン」

「いえいえ」

 こうして智志は布団へ潜り込んだ。

 千陽と亜紗は、引き続きこのソフトで遊ぶ。

「ねーえ、ピコピコボカーンってうるさいよう」

「起きてるんだったら、電気消してもう少し静かにやってねー」

五分くらい続けていると、伸実と真依が目を覚ましてしまった。とろーんとした声で二人に注意する。

「はーぃ。ごめんね、ノブミちゃん、マイちゃん」

「すまんね、起こしちゃって」

亜紗と千陽は申し訳なさそうに小声で謝る。この二人はそのあとは、音の出るテレビゲームはすぐにやめて電気を消し、部屋備え付けのライトスタンドの小さな明かりで家から持ってきたマンガや小説を読んで静かに過ごしていた。


「アッサ、もうすぐ十二時半だし、そろそろ寝よっか?」

「そうだね。やることないし、あんまり睡眠時間短過ぎると、明日バテちゃうから」

 亜紗は本をリュックにしまってこう呟いた次の瞬間、

「ちょっとアッサ、何しようとしてるのかな?」

 千陽は亜紗の肩をポンッと叩き、ニカッと微笑んだ。

「だってチヒロちゃん、寝相すごく悪いんでしょ?」

 亜紗はきっぱりと言い張った。彼女は暗闇の中、自分のお布団を千陽の所からそーっと引き離そうとしていたのだ。

「大丈夫。アタシ気をつける!」

 千陽は自信満々に言い張る。

「いやあ、気をつけても無意識に動いちゃうと思うから……」

 亜紗は嫌がる素振りを見せた。

「アッサ、アタシを信じて。トラストミー」

 千陽はうるうるとした目で、亜紗の目をじっと見つめる。

「わっ、分かったよ」

 亜紗はしぶしぶ引き受け、再びお布団を引っ付けた。彼女はお布団に潜り込むと、疲れていたためかほどなくしてすやすや眠りに付いた。

 千陽も同じく。


 真夜中、三時頃。

「いたっ!」

 亜紗は目を覚まし、声を漏らす。千陽に背中をボカッと蹴られたのだ。

「……」

 千陽はそんなことには一切気付かずぐっすり眠っていた。

「もう、チヒロちゃんったら。おっ、重い……」

 亜紗はなんとか千陽のお布団を一メートルほど引っ張り隅へ追いやって、再び自分のお布団に潜り込んだ。


          ☆


旅行二日目の早朝、六時半頃。

「皆さーん、起床時刻ですよう。用意を済ませて、速やかに昨日の宴会場へ移動してね」

由利香さんが503号室へ入って来て、大声で叫ぶ。

「あっ、おっ、おはようございます。お姉さん」

 智志はすぐに目を覚まし、むくりと起き上がった。

「おはようです」

「おはよっ」

「おはよー、由利香お姉ちゃん」

 真依と亜紗、伸実もそれからほとんど間を置かずに目を覚ました。

「よく眠れましたか?」

 由利香さんはその四人に質問する。

「まあ、一応は。かなり疲れていたので」

 智志は素の表情で答えた。

「ワタシは、あまり眠れませんでした。チヒロちゃんに何度もボカボカ蹴られて。お布団移動させたんですけどね」

 亜紗は苦笑した。

「ああ、やっぱり。あたし、四年生の時の野外活動で千陽ちゃんと同じ班だったんだけど、お隣のお布団で寝たら何回か蹴られてたよ。千陽ちゃーん。起きてー」

 伸実は爽やかな表情を浮かべて、千陽の頬っぺたをペチペチと叩く。

「んうん。まだ眠ぅい」

 千陽はぴくりと反応し、お布団に包まった。

「チヒロちゃん、おしりが半分に出てるよ。寝相悪過ぎっ。よぉーし」

 亜紗はにやりと笑った。

「亜紗さん、もしかして……」

 真依は心配顔になる。

「亜紗ちゃん、起きなさい!」

 亜紗がそう言った次の瞬間、パチーンッと乾いた音が響く。

「きゃぅ!」

 千陽はすぐさま飛び起きた。

「大成功!」

 亜紗はにっこり微笑む。千陽のおしりを手のひらで思いっきり叩いたのだ。

「もう、ひどいなアッサ」

 千陽はムスッとふくれる。

「真夜中の仕返しよ。ワタシも痛かったんだから」

 亜紗はにかっと笑い、舌をぺろりと出した。

「二人とも仲良しさんね。さて皆さん、早くお着替えして移動してね」

 由利香さんは爽やかな表情で次の指示を出す。

「はーい!」

 伸実は元気よく返事するや否や、

「うわっ」

 智志は咄嗟に目を手で覆う。

伸実がパジャマの上着を勢いよく脱いだのだ。ピンク色の小さな乳首も一瞬見えて見えてしまった。

「のっ、伸実さん。ダメでしょ。もう五年生なんだから、智志さんの人目を気遣わなくちゃ」

 真依は慌てて注意する。

「ごめんなさーい」

 伸実はぺこんと頭を下げて謝った。

「アタシもサトシンの目の前でも特に気にすることなく着替えれるけどね。まあ、体育の着替えも男女別だからな」

 千陽はにこにこ笑う。

「……」

 智志は逃げるようにトイレに駆け込んだ。彼はここで着替えることにしたのだ。

 その後、みんな私服に着替えたのを由利香さんが確認すると昨日の夕食時と同じ宴会場へ。


朝食を取り終えてそれぞれのお部屋へ戻ったあとは、各自荷物をまとめ、出発の準備を進めていく。

「皆さーん、そろそろ出発しましょうか?」

 もうまもなく七時半になろうという頃、由利香さんは再び503号室に足を踏み入れた。

「由利香お姉ちゃん、今から始まるやつ見終わってからぁーっ」

 伸実は駄々をこねる。

付けられていたテレビ画面左上には、7:29という時刻表示。何かの番組のEDが流れている最中だった。それが終わり七時半になると、今度は乳幼児向けの教育系テレビ番組が始まった。

「備中さんは、こういう番組が好きなのかな?」

「うん!」

 智志が問いかけると、伸実は満面の笑みを浮かべて勢いよく頷いた。

「わたしも大好きです。毎週欠かさず見てるよ」

「ワタシはたまにー」

 真依と亜紗もこの番組がお気に入りのようだった。

「そうか。僕、こういう系の番組見たの、一〇年振りくらいかも」

 智志も視聴してみる。

 伸実は瞬きもほとんどせず、熱心に見入っていた。

 亜紗、真依、そして由利香さんも同じく。

「そんなに面白いかな?」

 千陽だけはあまり興味を示さず、番組の途中から携帯ゲームで遊び始めた。


(たまには、こういうアニメもいいな。最近は深夜アニメばっかり見てて、こういう乳幼児向けの紙芝居風の絵柄のアニメは見なくなってたし……)

 一五分ほどの番組を見終えて、智志はそんな心境に陥る。

先ほどやっていた番組は、『舌切りスズメ』という有名な日本昔話のアニメ版だった。

「ねえ、サトシくん、そろそろ行くよーっ」

「……あっ、わっ、分かった」

 物思いに耽っていたところをいきなり亜紗に大声で話しかけられ、智志は少し動揺する。

 由利香さんと他の生徒達はすでに、お部屋から出ていた。


        ※


 一同は桑名から名古屋へ戻り、新幹線で京都駅へ。

JR京都駅構内を少しうろうろしたあと、清水寺へと向かった。

「ここに来たの、小四の秋の遠足の時以来だーっ」

「京都市内が一望だね」

伸実と亜紗はとても楽しそうに、かの有名な清水の舞台の上から欄干にもたれるようにして街を見下ろす。

他の四人はそのすぐ後ろ側から眺めていた。

「ちょっと怖いです。斜めになってるし」

 真依はその中でも一番後ろ側から眺めていた。

「ねえ、千陽ちゃん。ジェットコースターや観覧車は怖いけど、ここは平気なの?」

「そりゃまあ、動いてないからな」

 伸実の質問に、千陽は堂々と答える。

「じゃあ、こうすればどうかな?」

 伸実はにこっと笑う。

「ぎゃっ、ぎゃあああああっ。ノッポ、下ろせ、下ろしてーっ」

 千陽は伸実に背後からつかまれ、ふわりと持ち上げられた。足をバタバタさせて必死に抵抗する。

「これこれ、伸実ちゃん。千陽ちゃん怖がってるからやめなさい」

 由利香さんは優しく注意する。

「ごめんね千陽ちゃん」

伸実はにこやかな表情で謝罪の言葉を述べて、千陽をそっと下ろしてあげた。

「ああ~、怖かったぁ~」

 千陽はホッと胸をなでおろす。少し泣きそうになっていた。

「チヒロちゃん、情けないよ」

 亜紗は微笑み顔で言った。

「だって、怖いものは怖いんだもん」

 千陽はムスッとした表情で言い訳する。

一同は続いて地主神社へ立ち寄った。ここには恋占いの石が二つ置かれてある。石から石へ目を閉じたまま辿り着くことが出来ると、恋の願いが叶うといわれている有名なパワースポットだ。

「あたしやるーっ!」

「アタシもやるぜ!」

 伸実と千陽が挑戦してみることにした。その二人は石の横に立ち、目を閉じると向かいにあるもう一方の石に向かって歩いていく。

「伸実ちゃんも亜紗ちゃんも頑張ってね」

 由利香さんは微笑ましく眺める。

「二人とも、絶対恋愛とか関係なくやってるね」

 亜紗は一生懸命な二人を見てくすくす笑う。

「千陽さん、ズレ過ぎよーっ」

真依はやや大きな声で叫び、注意を促した。

その瞬間に、

「んぎゃっ!」

 千陽は前にこてんとつんのめった。すぐ横を歩いていた伸実が足を引っ掛けたのだ。

「あーん、ノッポ。目ぇ開けて歩いたら反則だぜ」

「えへっ。千陽ちゃんの倒れ方かわいかったよ」

 伸実は舌をぺろりと出した。

「今度アタシにイタズラしたら、またお化け屋敷に付き合ってもらうよ」

 千陽はてへっと笑って注意する。

「ごめんなさーい」 

 伸実は顔を引き攣らせた後、ぺこんと頭を下げて謝った。

(そういやここ、中一の時春の遠足で来たけど、同じ班のあまりかわいくない女の子がぎゃーぎゃー騒いで鬱陶しかったなぁ)

 智志はそんな過去を思い出してしまった。彼はこの頃にはすでに現実の女の子に嫌気が差していたのだ。

 一同はここをあとにして、音羽の滝へ。

「ご利益、ご利益」

「めっちゃ美味しそう」

 伸実と千陽は三つに分かれて流れ落ちる水のうち、彼女達側から見て一番右端のものを柄杓に注いだ。ごくごく飲み干していく。続いて真ん中を流れるお水を注ごうとしたところ、

「欲張って全種類飲むと、ご利益が消えちゃうわよ」

 由利香さんはその二人の背後からさらりと伝える。

「そうなの? 危なかったぁー」

「マジで!?」

 伸実と千陽はぴたりと動きを止め、柄杓を元置いてあった所へ戻した。

「それに、飲みすぎるとおなか壊しちゃうかもしれないわよ」

 由利香さんは付け加える。

「ここのお水は、飲んでも特にご利益は無いそうよ」

 真依はさらっと伝えた。

「えっ!? 健康・学業・縁結びのご利益があるってママから聞いたよ」

「あたしもあると思ってた。違うの?」

「それは、観光用の宣伝文句よ」

 目を丸める千陽と伸実を見て、真依はくすっと笑う。

「そうなんだ……なんかママに騙された気分」

 千陽はちょっぴり落ち込んだ。

「この三つの流れは仏・法・僧への帰依、若しくは行動・言葉・心の三業の清浄を表していて、滝そのものが信仰の対象となってるの」

「へぇ。真依お姉ちゃん物知りだね」

「マイマイ博識だーっ」

 伸実と千陽は、真依から伝えられた豆知識に感心する。

「マイちゃんは小学校の時のあだ名、博士だったからね」

 亜紗は自慢げに伝えた。

「なんか恥ずかしくて嫌だったよ、そのあだ名」

 真依は照れくさそうに言う。

「僕もその言い伝え、遠足でここに来た時に聞いたことがあるな」

 智志も話に加わった。


一同は清水寺を出たあと合宿最後の締めくくりとして、嵐山へ立ち寄った。

ここの観光名物、トロッコ列車に乗り込む。トロッコ列車は自転車と同じくらいのゆっくりとしたスピードで、線路を駆け抜けていく。

「ここの紅葉も、あんまりきれくないですね」

 真依はちょっぴり残念がっていた。

「まだちょっと早かったわね。一番の見頃は今月下旬みたいだけど、さすがに期末テスト直前に遊ぶわけにもいかないからね」

「由利香先生、その否応無くやって来る現実を思い出させないでぇー」

「僕の高校もその辺りから部活禁止になるよ」

 亜紗と智志はげんなりした。

「アタシ達には関係ないね」

「中学生は大変だね」

 千陽と伸実は得意げに言う。

「わたしにとっては、定期テストは楽しみの一つよ。わたし、紅葉の時期になると落ち葉を集めて、焼きイモしたくなるなぁ」

 真依は風景を眺めながら呟く。

「マイマイ、食いしん坊だね」

 千陽はにっこり微笑んだ。

「あたしは天ぷらにして食べたーぁい!」

 伸実は嬉しそうに言った。

「伸実さん、ここの落ち葉は食べられないよ」

「でも真依お姉ちゃん、箕面で売ってたよ、もみじの天ぷら」

「あれは、食用の紅葉を使用して一年以上塩漬けしているのよ」

 真依は優しく豆知識を教えてあげる。

「えっ、そんなに時間かかるのぉ?」

 伸実はがっくり肩を落とした。

「あの、ノブミちゃん。下を見て。お船さんだよ」

 亜紗は慰めるように話しかける。

「あっ、本当だーっ!」

 伸実は途端に元気を取り戻し、大きな声で叫んだ。

 車内からこれもまた嵐山の観光名物、保津川を下る遊覧船が見えて来たのだ。

「アタシは、乗りたくないぜ。酔うし」

 千陽は苦い表情で言う。

「あたしは学校の授業でちょっと前に習った流水算を思い出したよ。よく分からなかったけど」

「あれめっちゃむずいよな」

 伸実と千陽は笑いながら言う。

「流水算か。懐かしいなぁ」

 智志は小学校時代の哀愁を浮かべた。

こんな感じで一同は紅葉狩りを十分堪能し終え、阪急嵐山駅へ。あとはまっすぐ帰るだけとなった。


「サトシくん、ワタシ、明日までの宿題まだ全然出来てないよ。このままじゃ先生に叱られちゃう」

「アタシもだーっ。計算ドリルと漢字ドリル、全然やってねぇ」

 帰りの阪急電車の中で、亜紗と千陽はふとその現実を思い出してしまった。

「じゃあ、僕がやってあげるよ」

 智志は気前良く引き受けた。

「わぁーい。嬉しい」

「さすがサトシン、全部任せたーっ」

亜紗と千陽はバンザーイして喜ぶ。

「智志さん、ダメですよ」

 真依は困った表情を浮かべた。

「智志ちゃん、亜紗ちゃんと千陽ちゃんのためにならないからね」

 由利香さんからも注意される。

「やっぱ、よくないのかな?」

 智志は少し反省した。

「あーん、由利香先生、マイちゃん」

「サトシン、ユリリン、頼むよー」

「亜紗さんは、そろそろ期末テストを意識した方がいいよ。千陽さんも、今しっかり勉強しとかないと後々大変だからね。というか、千陽さん。お菓子を買い過ぎ」

 真依は、大きな菓子袋を持っていた千陽に指摘する。

「だって、アタシお菓子大好きなんだもん」

 千陽は遊園地内やホテル内、観光地の土産物店などで買ったお菓子を食べながら言い訳する。

「ワタシも大好きーっ」

 亜紗も同調する。亜紗も千陽に負けないくらいお菓子を購入していた。

「サトシン、あーん」

 千陽は智志の口元に、スナック菓子を近づけた。

「あっ、どっ、どうも」

 智志は手で掴み取り、自分で口に入れた。

「マイマイもどうぞ」

 千陽は真依の口元にポップコーンを近づけた。

「じゃ、一つだけもらうね」

 真依はこう言って、お口に含んだ。

「そういやノッポ、さっきから大人しいね」

 千陽は、普段とは様子が違う伸実に疑問を抱く。

「あっ、ノブミちゃん、なんかお顔が赤いよ」

「お熱、あるんじゃない?」

 亜紗と由利香さんも不思議がる。

「大丈夫?」

 真依は心配そうに問いかける。

「なんかあたし、今、すごくしんどくって」

 伸実はゆっくりとした口調で答えた。

「伸実さん、本当にお熱があるよ」

 真依はおでこに手を当ててみた。

「あの、僕が備中さんをおんぶして、おウチまで連れて帰りましょうか?」

「さすが智志ちゃん、気が利くわね。わたくしが、伸実ちゃんちまで案内するわね」

由利香さんだけでなく、生徒達も智志の気配りに感心した。

 

 一同が阪急蛍池駅で降り構内を出た後、

「智志お兄ちゃん、おんぶぅ」

 伸実は智志の両肩に手を掛けた。

「しっかり掴まっててね」

 智志は優しい言葉をかけてあげる。

 一同は北方向に向かって歩いていった。住宅街を歩き進むこと約十五分、伸実のおウチに辿り着く。

 由利香さんが代表して、門すぐ横にあるインターホンを押した。

『はーぃ』

 お母さんが出たようだ。

「お母様でいらっしゃいますか。伸実ちゃんが、お熱出しちゃったみたいで。送ってきました」

 由利香さんはインターホン越しに伝える。

「あらま、それはどうも。ご迷惑お掛けしてすみません」

 それから数秒後、伸実のお母さんが玄関から出てくる。

「ママァ」

 伸実はかすれた声を上げた。

(やっぱ高いな、背)

 智志は少し見上げる。

 お母さんは伸実の言っていた通り、一七三センチくらいだった。

「あっ、あの、僕、神辺智志と申します。はじめまして」

「あらぁ、あなたが。伸実の言ってたとおり、優しそうな人ね。伸実をおぶって下さり、ありがとうございます」

 伸実のお母さんは深々と頭を下げ、丁重に礼を言った。

「いやあ、そんなことは……」

 智志はかなり照れてしまう。

「この子、遠足とか野外活動とかの帰り、しょっちゅう風邪引くんですよ。遊び疲れちゃって」

 お母さんは笑顔で説明する。

(そういや榛子ちゃんも、テスト終わったらしょっちゅう風邪引くなぁ)

 智志はそんなことが思い浮かんだ。

「伸実さん、大丈夫?」

 真依は心配そうに問いかける。

「うん、まあ……なんとか」

 そう答えるも、伸実はぐったりしていた。

「備中さん、もう少し、頑張ってね」

「うん。ありがとう、智志お兄ちゃん」

 智志は伸実をおぶったまま、二階にある伸実のお部屋へ向かって行く。

 伸実のお母さん以外のみんなも後に続いた。

部屋に辿り着くと、智志は伸実をベッドの上にそっと下ろしてあげた。

 華奢な体格の智志だが、伸実も身長の割に体重は軽いため難なくこなすことが出来た。

(小学生らしさが出てるな。榛子ちゃんのお部屋にも似てる)

 智志は伸実のお部屋を見渡してみて、こんな第一印象を持った。

学習机の上は雑多としており、教科書やプリント類、ノートは散らかっていた。部屋一面に、女の子らしくかわいらしいぬいぐるみがたくさん飾られてあった。

本棚には幼稚園児から小学生向けの少女漫画誌や少女コミック、児童図書、絵本、アニメ雑誌などが合わせて二百冊くらい並べられていて、普通の小学校高学年の女の子が好みそうな、ティーン向けファッション誌は一つも見当たらなかった。

「パジャマに着替えよっと」

「うわっ!」

 智志はとっさに目を覆う。伸実がいきなり立ち上がり、スカートを脱ぎ下ろしたのだ。リス柄のショーツが、一瞬目に映ってしまった。

「伸実さん、朝も言ったけど智志先生がいるのに、突然脱いじゃダメよ」

「ごめんなさい、真依お姉ちゃん」

 真依に優しく注意され、伸実はぺこりと謝る。

 続いて伸実はシャツ一枚姿となった。ブラジャーは当然、まだ付けていない。

 その間、智志は壁の方を向いていた。

伸実はパジャマに着替え終えると、すぐさまお布団に潜り込んだ。

智志に取ってもらった、ナマケモノのぬいぐるみを隣に置いて。

「伸実、お熱計ろうね」

 お母さんもお部屋に入ってきて、伸実に体温計を近づける。

「うん」

 伸実はパジャマの胸ボタンをはずし、わきに挟んだ。

 一分ほどして体温計がピピピっと鳴ると伸実そっと取り出し、お母さんに手渡した。

「38.4分もあるよ」

「そんなに、あるの?」

 伸実はしんどそうに、不安そうに呟く。

「あ、ノブミちゃん、鼻水が垂れてるよ」

亜紗は咄嗟に、学習机の上に置かれてあったボックスティッシュから何枚か取り出し、伸実の鼻の下にそっと押し当ててあげた。

「ありがとう、亜紗お姉ちゃん」

 お礼を言って、伸実はしゅんと鼻をかむ。

「お夕飯は、食べられそう?」

 お母さんさんは問いかけた。

「ううん、食欲全然湧かなぁい。でも、あれは食べたいな。前にあたしが風邪引いた時に、作ってくれたやつ」

 伸実はとてもゆっくりとした口調で希望を伝えた。

「あれね。ママが丹精込めて作ってあげるわ」

 お母さんはにこっと微笑みかけた。

「ありがとう、ママ」

 伸実はとても嬉しそうな表情を浮かべる。

「申し訳ございませんが、園部先生も手伝っていただけないでしょうか?」

「もちろんいいですよ」

 伸実のお母さんからの頼みを、由利香さんは快く引き受ける。

 こうしてこの二人は、一階キッチンへと向かっていった。

 それから十数分後、二人は戻ってくる。

 あの間、真依は苦しむ伸実のために、絵本を二冊読んであげた。

「お待たせ」

 伸実のお母さんが作ってきたのは、コーンスープだった。

「ありがとう。ママ特製の」

「食べさせてあげる。あーんして」

 お母さんは小さじですくい取り、ふぅふぅして少し冷ましてから伸実のお口に近づける。

「あー」

伸実は口を小さく広げて、幸せそうに頬張っていく。

(風邪引いた備中さん、とっても幼く見える)

 智志はそう思いながら眺めていた。

「風邪引いた時って、ママの手料理がいつも以上に美味しく感じられるよな」

 千陽はにこにこ顔で呟いた。


「美味しかったぁ。ごちそうさまぁ」

 伸実は満面の笑みを浮かべる。食べ終えた頃には、伸実の全身から汗が大量に流れていた。

「汗べとべとだけど、お風呂入ってますますこじらせちゃうと大変だから、ママがタオルでお体拭いてあげるね」

「ありがとう、ママ」

「どういたしまして。ちょっと待っててね」

お母さんは機嫌良さそうにそう告げて、お部屋から出て行った。


「遅くなってごめんね」

 数分のち、お母さんはお湯を張った洗面器と、二枚のバスタオルを手に持って戻って来る。そのセットを、伸実の枕元にそっと置いた。

「待ってましたー」

伸実は寝転んだまま、小さく拍手した。

「そっ、それでは僕は、これで」

 智志は慌ててこのお部屋から出て行った。

「智志お兄ちゃん、いなくなっちゃった」

 伸実は残念そうに小さな声で呟いた。

「智志さん、伸実の裸を見るのに罪悪感に駆られたのね。あの、智志さん、申し訳ございませんが、キッチンテーブルの上に置いてある風邪薬、お水に溶かして後で持って来ていただけないでしょうか? コップはその辺にあるのをどれでも使っていただいていいので」

 お母さんは扉を開け廊下に出て、階段を下りようとしている智志に叫びかける。

「わっ、分かりました」

 智志はもう帰ろうと思っていたが緊張気味に承諾の返事をして、階段を下りキッチンへ向かっていった。

「伸実、お体拭くからパジャマ脱いでね」

「うん」

 お母さんに頼まれると、伸実はゆっくりと上体を起こす。パジャマのボタンを外して上着を脱ぎ、次にシャツも脱いだ。きれいなピンク色をしたふくらみかけの小さな乳房が露になる。

「伸実、お腹は痛くない?」

「うん、大丈夫」

「それじゃ、拭くね」

 お母さんはお湯で絞ったタオルで伸実の首、うなじ、背中、腕、わき、お腹の順に丁寧に拭いていく。その後に乾いたタオルで二度拭きしてあげた。

「ありがとう、お母さん。汗が引いてすごく気持ちいい」

 伸実は恍惚の表情を浮かべた。

「どういたしまして。伸実、パジャマ着せるからバンザーイしてね」

 お母さんは嬉しそうに微笑む。

「はーい」

 伸実は素直に返事し、両腕をピッと上に伸ばした。

 お母さんはシャツとパジャマの袖を通してあげ、ボタンも留めて着衣完了。

「次は下を拭くね」

 続いてお母さんは伸実のズボンとショーツを脱がし、下半身も拭いてあげる。

「んっ、気持ちいぃ」

 おへその下からおしりにかけてなでるように拭かれた時、伸実は思わず甘い声を漏らす。

「きゃはんっ」

 足の裏を拭かれた時にはくすぐったがってかわいらしい笑い声を出した。

「はい、拭き終わったよ」

 お母さんは同じように乾いたタオルで二度拭きし、ズボンとショーツを穿かせてあげた。

「ノブミちゃんのお母さん、すごく手際良いね」

「手馴れてるな」

 亜紗と千陽は感心する。

「そりゃぁ、伸実のおむつを交換してあげたことが数え切れないほどあるからね」

 お母さんは使ったタオルを絞りながら微笑み顔で言う。

「あたしが赤ちゃんの頃の話でしょ。ママ、恥ずかしいよぅ」

 伸実は照れ笑いする。

 他のみんなはくすっと微笑んだ。

「あのう、備中さんの体は、拭き終わった?」

 それから少しして、智志はお部屋の外から問いかけた。

「うん、もう大丈夫よ」

 お母さんが答えると、

「失礼、します」

智志は恐る恐る、お部屋へ足を踏み入れた。そして右手に持っていた小児用風邪薬入りコップをお母さんに手渡す。

「お手数をかけて申し訳ございません。じゃあ伸実、お薬飲みましょうね」

 お母さんは、風邪薬を溶かした水を伸実の口元へ近づけた。

「ママ、これ、あたしの好きなやつじゃなぁい!」

 伸実はぷいっと顔を横に向ける。

「伸実、わがまま言わないの。智志さんが作ったのよ」

 お母さんは笑顔でなだめる。

「それは嬉しいんだけど、味が……ねえママァ。いちご味のお薬は無いの?」

 伸実はお母さんの目を見つめながら訊く。

「ごめんね、切らしてるの」

 お母さんは申し訳なさそうに言う。

「えーっ、じゃああたし飲まなーい」

 伸実は頬を火照らせながらぷくっと膨れた。

「お薬飲まないのなら、坐薬を使おうかなぁ」

「えっ! やっ、やだやだやだぁ。お薬、飲むよ、飲むよ」

 お母さんがにこっと微笑みかけると、伸実はびくっと反応し勢いよく上体を起こし、お薬をちびちび飲み干していく。 

「ノブミちゃん、坐薬が怖いんだね。気持ち分かるなあ。お尻に入れるの、私もちっちゃい頃風邪引いた時ママにしてもらったことがあるけど、逃げ回ってたよ」

「アタシも。嫌だよな、お尻にプチューってされる時のあの他に例えようのない感触」

 亜紗と千陽は同調する。

(坐薬というと、僕にも嫌な思い出があるな)

 智志は、幼い頃風邪を引いた時に、母に取り押さえられ榛子に坐薬を入れてもらった非常に恥ずかしい過去を思い出してしまった。

「わたしは座薬を使った方が良いと思います。早く効いてくるので」

 真依はにこにこ笑顔で意見する。

「坐薬、怖い怖ぁい。それじゃあたし、もうおねんねするよ。おやすみ。ケホンッ」

伸実は苦虫を噛み潰したような表情でこう告げて、お布団に潜り込んだ。

「伸実ちゃん、お大事に。明日のレッスン、もししんどかったら無理せず休んでね」

「ノブミちゃん、ばいばーい。ぐっすり休んでね」

「ノッポ。明日までに絶対治しなよ」

「伸実さん、お大事に」

「じゃ、備中さん、お大事に。失礼します」

 由利香さん&他の生徒達&智志は優しく話しかけ、伸実のお部屋から出ておウチをあとにした。


 伸実は、翌朝にはすっかり元気になったそうだ。


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