第三話 智志、女子中に潜入
その日の放課後、智志は学校帰りに直接、待ち合わせ場所の衣料品店へやって来た。
店内へ入ってすぐに、
「やっほー、サトシくん。ここだよーっ」
「こんばんは、智志さん」
「あっ、どっ、どうも」
亜紗と真依が声をかけて来てくれた。二人は智志の方へトコトコ駆け寄ってくる。智志は少しだけ心拍数が上がった。
「サトシくん、さっそくこれに着替えて下さい。ワタシ達の学校の体操服です」
亜紗は通学鞄から小豆色のジャージ上下を取り出し智志の眼前にかざした。
「えっ……昆陵? ここって、確か……女子校、だよね?」
智志は刺繍された学校名を見て、目を大きく見開く。
「はい。わたしと亜紗さんの通う学校は、女子中高一貫校になってます」
真依は淡々と説明した。
「そこに、僕が、行くの?」
「もっちろん!」
亜紗はそう答え、智志に向かってウィンクした。
「女子校に、男の僕が入るのは、ちょっと……」
智志は思わず一歩後ずさってしまう。
「だからこれを着て、生徒として忍び込むんだよ」
「むっ、無理無理、絶対無理」
智志は顔を引き攣らせ、手をぶんぶん振って拒否の合図をする。
「サトシくんお顔かわいいし、これ着れば怪しまれないよ」
「いやいやっ、絶対怪しまれるだろ」
「大丈夫。うちの学校の生徒にはサトシくんよりも男前なお顔の子もいっぱいいるし」
(確かに三次元の女には、男顔で髪の毛も短く切って、男にしか見ないような子もけっこういるよな)
亜紗の報告を聞き、智志は不覚にも少し安心してしまった。
「さあ早く制服の上脱いで、着替えて」
「わわわ」
智志は亜紗に腕を引っ張られ、試着室の中へ無理やり押し込まれた。
亜紗も試着室の中へ入り、カーテンを閉める。
真依はすぐ外側で待機。
「ワタシのだとちっちゃ過ぎるからマイちゃんの体操服だよ。さあ、ズボンのベルト外して」
「あの、勢理客さん、さすがにまずいって……」
「サトシくん、この体操服、男の子が着たって別に変じゃないでしょ?」
「確かに、そうだけど、校章を除けばごく普通のジャージだし」
「でしょ? サトシくんの学校では冬用体操服の柄、男女で違うの?」
「いや、同じだけど……」
「じゃあべつにこれ着ても全然問題ないよね?」
「……うっ、うん」
亜紗の意見に押され、
(なんか、女の子特有の匂いがする。今日使ったんだな)
智志は強い罪悪感に駆られながらも真依の体操服に着替えてしまった。
智志の制服上下は亜紗に預かられた。こうして二人は試着室のカーテンを開け、真依の前に姿を現す。
「智志さん、とても似合ってますよ。リボンを付けたら完璧ですね」
真依はそう言うと、鞄の中から真っ白なシュシュを取り出した。休まず智志の髪の毛にくくりつける。
「あっ、あの……」
智志は抵抗する間も無くされるがままだった。
「おう、サトシくん完全に女の子だーっ」
亜紗は指差さして大きく笑ってくる。
「嬉しくなーい」
試着室内の鏡に映った自分の姿を見て、智志はげんなりする。
「さあ、いざ針ケ谷先生のもとへ出陣!」
亜紗はかなり張り切っているようである。
こうして三人、衣料品店を出て学校へと向かって歩いていく。
(恥ずかしいなあ)
智志は非常に気まずい面持ちだった。
知り合いに見られたらどうしよう、と不安で仕方が無かったのだ。
「あのっ、サトシくんは、将来の夢は何ですか?」
亜紗が唐突に尋ねてくる。
「まだ、考えてないなぁ」
智志は苦笑顔で答えた。
「ワタシは、声優さんになりたいなぁって思ってるの」
「声優さんかぁ。すごくいい夢だね」
亜紗が打ち明けたことに、アニメ好きな智志も共感出来た。
「でもワタシ、人前で話すのはすごく苦手だから。漫画家さんの方が向いてるかなぁって思うの。ワタシ、じつは、萌え系の深夜アニメが大好きなんだ」
「そっ、そうなのか」
智志はちょっぴり驚いた。亜紗はどちらかというと乳幼児や児童向けのアニメの方が好きそうに思えたからだ。
「小六の頃、中学入試の勉強徹夜でしてた時、テレビ付けたらアニメやってて、それで一気に嵌っちゃったの。チヒロちゃんとノブミちゃんにはまだワタシのこの趣味ナイショにしてるけどね。あの年で深夜アニメの存在知っちゃうのはいけないと思うし。サトシくんは年上だし、それに、男の人だから言い易かったの」
亜紗は照れくさそうに言う。
「そっ、そう。あの、じつは僕も、そういう系のアニメが、けっこう好き、なんだ」
智志はやや重々しく口を開き、打ち明けた。
「そうなんですかっ! サトシくんも同じような趣味をお持ちで嬉しいです! 打ち明けてよかったです」
「……」
亜紗にきらきらとした目で見つめられ、智志はどきっとしてしまった。
「わたしも何本か録画して見てますよ。生で視聴は眠いし、ママに叱られちゃうから」
真依はにこにこした表情で言う。
「そっか、二人とも見てるのか。僕も部屋にアンテナ通ってないから録画派だよ」
「ワタシも同じ。録画だと何度も繰り返し見れるのがいいよね」
こんな会話を弾ませているうちに辿り着いた亜紗と真依の通う学校は、衣料品から徒歩五分くらいの場所にあった。三人は正門から入り、敷地内に足を踏み入れる。
「なんか、見られてる気がする」
「大丈夫、大丈夫。誰もサトシくんのことは気にしてないよ」
亜紗は朗らかな表情で言う。
校庭では陸上部やサッカー部、ソフトボール部などが練習に励んでいた。
そんな光景を横目に見ながら中学部校舎に入ると、智志は真依が用意してくれた体育館シューズに履き替えた。
「なんか、強烈な罪悪感が……」
「智志さん、放課後だから、校舎内には生徒あまりいないので安心して下さい」
真依に諭される。
「針ケ谷先生も女だけど男みたいな感じの人だし、問題ないよね。ワタシ、夏休みの宿題の読書感想文でラノベ読んで書いたけど、針ケ谷先生にめっちゃ叱られて再提出にされたよ」
亜紗は悔しそうに伝えた。
「さすがに読書感想文でラノベはダメだと思うけど……僕の友達の啓太も同じことやって担任にちゃんとした小説を読んで書き直して来なさいって言われたし」
「ラノベもちゃんとした小説なのにね。針ケ谷先生は、みんな陰ではハーリーって呼んでるよ。でも当人の前でそう呼んだら教師をあだ名で呼ぶなぁーっ! ってめっちゃ怒られるけどね。社会科の先生やってて、授業が説教だけで終わることもたまにあるよ。チョークが飛んで来ることは日常茶飯事だよ」
「あの、やっぱ止めた方が……」
智志に恐怖心が沸いた。
「ダメだよ。サトシくん男の子でしょ。針ケ谷先生は男みたいだけど女の先生だよ」
亜紗は困惑顔で強く言う。
「その場合、やっぱ男扱い」
智志は苦笑した。
「あの、智志さん、ここが図書室ですよ」
真依は進行方向左手側を指し示す。
職員室へ行く途中にあった図書室横の壁には、【読書の秋だぜ、目指せ借り出し冊数歴代ナンバーワン】とうスローガンが掲げられてあった。
「これ、ハーリーが考えたんだよ」
亜紗は伝える。
「そうなんだ」
智志は少しだけ恐怖心が和らいだ。
三人はそこからさらにもう少し歩き進み、職員室入口前へ辿り着いた。
「サトシくん、ちょっとあそこで待ってて」
亜紗はすぐ近くの女子トイレを指差した。
「えっ、あっ、あそこ!?」
「うん。サトシくんは今、女の子って設定だから大丈夫だよ」
たじろぐ智志に、亜紗は自信満々に言い張る。
「また女扱い」
智志は呆れ返った。
職員用なので隣に男子トイレもあったのだが、
「サトシくん、どうぞこちらへ」
「わわわっ」
亜紗に手を引かれ女子トイレの方へ連れ込まれた。
それからほどなくして、ガラッという音が聞こえてくる。
針ケ谷先生が職員室から廊下へ出て来たのだ。
「じゃあサトシくん、ワタシに呼ばれるまで出て来ちゃダメだよ」
亜紗はトイレから出ると、真依をつれて針ケ谷先生のもとへ近寄る。
「あのう、針ケ谷先生、ラノベを図書室に置くことについての件、もう一度お願いしに来ました」
真依はちょっぴり怯えながら伝える。
「おまえらまた来たんか。何べん頼んでも無駄やで。先生な、今から剣道部の見回りせなあかんから、おまえらに係わっとる暇はないねん」
針ケ谷先生は得意げな表情であった。
「ワタシの方も一度断られたくらいで引き下がれません。今回は、強力な助っ人を呼んで来ました」
「ほぉーう」
亜紗の報告にも、針ケ谷先生は全く動じなかった。
「サトコちゃん、出て来てーっ!」
亜紗がこう叫ぶと、
「どっ、どうも。こんばんは、はじめまして」
智志が恐る恐る、女子トイレから出て来て針ケ谷先生の前に姿を現した。
針ケ谷先生は黒髪ショーヘアーで、眉は細くきりっとしており、面長なお顔をしておられた。背丈も一七五センチくらいあり、伸実よりも高い。さらに右手に竹刀を持っていて、かなりの威圧感があった。
「おまえ誰やねん? うちの学校の生徒とちゃうやろ?」
即効突っ込まれた。
「……」
智志は恐怖のあまり、黙りこくってしまう。
「針ケ谷先生、この学校は中高合わせて一五〇〇人以上の生徒がいるので、針ケ谷先生が名前も顔も知らない生徒もかなりいると思いますよ」
亜紗は主張してみたが、
「……先生の目は誤魔化されへんで。おまえ、学年とクラスと出席番号言うてみぃ。あとで照合したる」
針ケ谷先生は呆れ顔になっていた。
「ごめんなさーっい。僕、部外者です」
智志はあっさり認め、咄嗟に頭を下げて謝る。
「そんなこと分かっとったわ。まあええ、勢理客と美甘のお友達のようやし。何か言いたいことあるんなら言うてみぃ」
針ケ谷先生は険しい表情になった。智志が男であることには気付いていないようであった。
「……あっ、あのう、ですね、ライトノベルも、小説の一種なので、図書室に、置いてあげた方が……」
智志は恐る恐る伝えてみたが、
「あかんっ! 断じて認めん! あれは小説やなくて挿絵ばっかりのマンガやっ!」
あっさり一蹴された。
「!!」
迫力のある声に、智志はびくーっと震える。
金剛先生よりも怖い、と智志は感じた。
「何や? 黙ってもうて。言いたいことはそれだけか?」
針ケ谷先生は智志を見下ろしながら、ハァっとため息をついた。
「サトシくん、頑張って説得してー」
「智志さん、もう少し粘って下さい」
亜紗と真依は傍から応援する。
「あっ、あの、国語の教科書に載ってるやつでも、挿絵が付いてるのではないかと……」
「あれは健全な挿絵や。ラノベとかいうのは、小学生くらいにしか見えん女の子の下着や水着姿、それどころか素っ裸の挿絵まであるし、あまりに不健全、低俗過ぎるっ!」
智志の弱弱しい口調でされた主張を、針ケ谷先生は強く論破する。
「たっ、確かに、エッチな挿絵は多めですけど、ラノベも、大半のページは文章ですよ」
智志は勇気を振り絞って主張し返した。
「問答無用! あんなのは小説と認めん! 改行多過ぎ、漢字を使うべき箇所がひらがなやったり、やたらと巨大なフォント使ったり、感嘆符や疑問符、三点リーダや絵文字、日本語を無視した当て字、わーとかきゃぁとかとかにゃぁとかうぉーとか、ずどーんバシーンとかのふざけた台詞や擬音表現を多用したり、延々と続くしょうもない会話文やら日本語として破綻しとる稚拙な部分がようけ見受けられるしなっ。あれは文章やなくて、ひらがなカタカナ覚えたての幼稚園児の落書きやっ! おまえらこんなのを読んだら国語力がますます下がってまうで」
針ケ谷先生は大声を張り上げ、早口調で言う。
「ラノベは、若者の文化なんです。あまり活字に触れたことの無い僕のような中高生でも、最後まで飽きずに読みやすいように、難しい熟語や漢字はなるべく用いずに、平易な文章で書かれていて……」
智志はびくびく震えながら俯き加減でさらに主張するが、
「だからそういうのんは先生からすればマンガやねん。小説っちゅうんもんはな、小林多喜二とか尾崎紅葉とか三島由紀夫とか太宰治とか村上春樹とか、サン・テグジュペリとかヘルマン・ヘッセとか、国語便覧に載ってはる著名な国内外作家の作品や芥川賞直木賞の受賞作のことを言うねん」
(例えに出した作家は違うけど、母さんや石郷岡先生と言ってる事同じだよ)
智志は心の中でツッコミを入れ、
「あの、ラノベ書いてる作家さんも、かなり凄いですよ。新人賞で数百倍の競争を勝ち抜いてますし。今やす○るとか○潮とかの一般文芸よりもデビューするのが難しいみたいだし。それと、今国語の教科書に載っているような作品だって、書かれた当時はくだらないものだと散々酷評されたらしいですし、ラノベも時が経てば、国語の教科書に載るくらいに評価が上がってくるはず……」
さらに頑張って主張し続けてみる。
「……とにかく先生は、ラノベとかいうじつにくだらん低俗なものを図書室に置くことは断じて認めんからなっ!」
針ケ谷先生は眉の吊り上がった険しい表情でこう告げて竹刀で床を一発パシーンッと叩き、ここから立ち去ったのであった。
「……あんなに躍起になって、ラノベを全否定しなくても。あの西太后みたいな風貌のおばさんを説得するなんて、無茶だよ」
智志は今にも泣き出しそうな表情であった。
「やっぱり齢四〇の頭固いおばさんを説得するのはダメだったかぁ。でもサトシくんすごく頑張ってたよ」
亜紗はちょっぴり残念がる。
「わたしにも、針ケ谷先生に面と向かってあそこまでしぶとく意見することは出来ませんでした。智志さん、PTSDになりかねないほど恐ろしい思いをさせてしまい、大変申し訳ありません」
「ごめんね、サトシくん。お詫びにデザート奢るよ」
「べつに、お礼はいいんだけど……」
亜紗と真依は、気まずく思う智志を半ば強引に学生食堂へと案内した。
デザート類はコンビニの飲料水コーナーにあるような透明な冷蔵庫の中に入れられており、各自で取り出すようにされていた。
「わたし、これが一番好きなの」
真依は餡蜜、
「ワタシはこれにしよう」
亜紗はチョコレートパフェ、
「僕は、これで」
智志はわらび餅を取り出した。
こうして三人は三人掛けの円形テーブル席へ向かい、腰掛けた。
(生徒、多いなぁ)
智志は周囲からの視線を気にしてしまう。
「あの、サトシくん、今日の宿題で質問があるんだけど、これの解き方について……」
亜紗は中学三年生用の数学の問題集を鞄から取り出し、該当箇所を指で押さえた。
「図形の問題か。これは、こうやって、三平方の定理を使って……」
「ありがとうございます。さすが、豊高生だね」
智志がヒントを与えると、亜紗はとても喜んでくれた。進学校に通う智志にとって、中学数学の標準レベル程度の問題なら解くことはたやすいことであった。
「どっ、どういたしまして。というか、ここも進学校でしょ?」
智志は少し照れてしまう。
「豊高ほどではないよぅ」
亜紗は笑顔で言う。
「あのう、智志さん」
「なっ、なっ、何かな? 美甘さん」
真依に突然話しかけられ、智志はびくっとする。
「智志さんは、幼い子ども向けのマンガや小説も好きですか?」
真依は俯き加減で、ぼそぼそとした声で尋ねた。
「うっ、うん。一応」
智志は緊張したまま答えた。実際彼は乳幼児向けのテレビアニメも週に一、二本、声優さん目当てで視聴しているのだ。
「じつは、わたしもなんです。特に児童文学と童話と絵本が。ワタシ、ちっちゃい頃から物語を作ることも大好きで、童話賞や児童文学賞によく応募しているんです。ラノベの賞は、三百枚くらいは書かなきゃいけないので、挑戦はまだですが、中学卒業するまでには応募したいです」
真依は照れくさそうに打ち明けた。
「ワタシは少年ジャ○プの漫画賞に投稿したことがあるよーっ。あっさり落選したけどね」
亜紗は満面の笑みを浮かべながら叫ぶ。
「そっ、そうだったんだ」(かっ、かわいいな、この子達)
と、智志は感じてしまった。真依と亜紗から感じられる初々しさに惚れてしまったのだ。
「わたしの書いた童話、見て下さい。これは、半年くらい前に童話賞に投稿した作品のコピーなの。人間の言葉が分かるヒヤシンスさんと、人間の女の子とのお話でして、落選しちゃったけど、素敵な記念品をもらえたので大満足です」
真依は四百字詰め原稿用紙を五枚クリアファイルから取り出し、智志に手渡した。
丸っこく小さくかわいらしい字で書かれていた。
「素敵なお話だね。登場人物の心情が伝わってきて、とっても面白いよ」
智志は全部読んでみて、率直な感想を述べる。
「ほっ、本当? お世辞じゃない?」
真依は上目遣いで問い詰めてくる。
「うん、美甘さんは、すごい文才があるよ」
「ありがとう、智志さん。わたしが小説書いてること、褒めてくれて嬉しい。学校ではバカにしてくる子も多かったから。智志さんは、わたしの書いた小説を褒めてくれた小学校の時の先生にも少し似てるの」
真依は照れくさそうに伝えた。
「そっ、そうなんだ」
真依に懐かれ、智志はちょっぴり焦る。
「わたしも亜紗さんと同じく、絵を描くことも大好きなんです」
真依は続けて、B4サイズのスケッチブックをランドセルから取り出し智志に手渡した。
「とっても上手だね。中学時代、美術は5段階の2か3しか取ったことのない僕にはとても描けないよ」
ページを捲りながら、智志は褒めてあげる。
キリン、ゾウ、リスといった動物の絵を中心に、メルヘンチックに描かれていた。
「ありがとう、智志さん」
真依は頬をほんのり赤く染めた。
「マイちゃんの絵、素敵。ワタシよりずっと上手だよ」
亜紗も褒めてくる。
「そっ、そんなことないよぅ」
真依の頬の赤みはさらに増した。
「マイちゃんったら照れ屋さん。ねえ、サトシくん、これ食べ終わったら児童館へ行こう」
「児童館?」
亜紗から突如誘われ、智志はきょとーんとなる。
「チヒロちゃんとノブミちゃん、レッスンの日以外は放課後そこへ寄ってるんだ」
「行きましょう智志さん、わたしも亜紗さんも、今でも児童館へ時々通ってるの」
「今でも? 児童館って小学生しか利用出来ないよね?」
「サトシくんは、児童イコール小学生のことだと思ってるでしょう?」
「えっ、違うの?」
「正解だけどね、学校教育法では。でも児童福祉法上では十八歳になるまでは児童だよ。つまり、高校生のサトシくんも児童ってことになるんだよ」
亜紗は笑顔で伝えた。
「そっ、そうなんだ。初めて知った」
智志はその事実に驚かされたようである。
「わたし達の通ってる蛍ノ池児童館は、中高生もけっこう利用してるよ」
真依は加えて説明した。
夕方五時前に三人は学校を出て、その児童館へと向かっていく。
「智志さん、これ外しますね」
「……付けてた事、忘れる所だった」
途中、智志は真依にシュシュを外してもらった。
三人が訪れた蛍ノ池児童館内にいたのは二〇名くらいの、幼稚園児から小学生くらいの子ども達。館内は四〇畳ほどの広々とした一室で、学習、工作、楽器演奏、お料理などが出来るコーナーが設けられていた。
「なんか懐かしいな。児童館に来たの、小六の時以来だから」
この光景を眺め、智志は偲ぶ。
「ノブミちゃん、チヒロちゃん、遊びに来たよーっ」
亜紗は大きな声で叫んだ。
「あっ、亜紗お姉ちゃん達だーっ」
伸実は学習コーナーでお勉強、
「おう、来たんか」
千陽は小学校低学年くらいの男の子と、昆虫で遊んでいた。
「チヒロちゃん、面白そうなことやってるね」
亜紗は近寄って尋ねてみる。
「カミキリムシで相撲バトルしてるんだ」
千陽は無邪気な笑顔で嬉しそうに答えた。
「男の子みたいだね」
亜紗はにこっと笑う。
「わたし、虫さん大の苦手です」
真依は苦笑顔で言う。
「女の子ならそれが普通だよ。僕も苦手だし」
智志が言ったその時、
「サトシン、これあげるーっ」
「ん?」
千陽に何かを投げつけられた。
肩に乗っかったので、はたいてみる。
畳の上にポトッと落ちたものを目にした次の瞬間、
「うわぁーっ! カッ、カエルゥ!」
智志は思わず仰け反った。顔も引き攣る。
「サトシン、カエル苦手か?」
千陽はくすくすと笑う。
「サトシくん、よく見て。これはゴムで出来たおもちゃだよ」
亜紗は拾い上げ、笑顔で伝えた。
「あっ、そっ、そうなんだ。びっくりしたぁ」
智志はホッと一息つく。
「これ、近所の駄菓子屋さんで買ったんだ。駄菓子屋通いも昔遊びクラブの活動の一環だからな」
と、千陽が自慢げに言ったその時、
「ダメでしょチヒロちゃん、サトシくんにイタズラしちゃ」
「あいてぇー」
亜紗に頭をグーで思いっきり叩かれてしまった。
(ありがとう、勢理客さん)
智志は心の中で礼を言う。
「ごめんなさいね、この子、イタズラ好きで」
指導員の一人は笑顔で伝えた。
(やっぱ三次元の女の子は嫌だなぁ……)
智志はちょっぴり落ち込む。
「そういえば、あれ言い忘れるところだったよ。トリック・オア・トリート!」
亜紗はすぐ近くにいた五〇歳くらいの指導員さんに向かって明るい声で叫んだ。
今日は十月三一日。ご存知、ハロウィンの日なのだ。
「トリック、オア、トリート」
真依は俯き加減で、恥ずかしそうに。
「はいどうぞ。今年もちゃんと用意してるわよ」
すると職員さんは二人に大きな菓子袋を手渡してくれた。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「サンキュー」
「アッサもマイマイもまだまだ子どもだな」
千陽に笑われた。
「べつにいいでしょ」
「わたし、まだまだ子どもでいたいもん」
亜紗と真依は照れくさそうに、もらったお菓子袋を通学鞄に詰める。
「そちらのお兄ちゃんもどうぞ」
「あっ、どっ、どうも」
指導員さんに手渡され、智志は気まずそうにしながらもありがたく受け取った。
「ねーえ、智志お兄ちゃぁーん、漢字の宿題なんだけど、〝せいせき〟と〝きゅうこうか〟って、どうやって書くの?」
伸実が近寄って来る。
「こっ、これは……」
智志は伸実の持っていたかわいらしいHB鉛筆を借り、苦虫を噛み潰したような顔をしてプリントの該当解答欄に『成績』、『急降下』と書いてあげた。
(僕も気を付けないと、こうなる可能性は大いにあるな)
縦線部を漢字に直せという問題で、【TVアニメを見すぎたせいで、せいせきがきゅうこうかしてしまった】と書かれてあったのだ。
「うーん、難しいやぁ。智志お兄ちゃんも難しい問題を一生懸命考えてるようなお顔してたし。あたしも真似ぇーっ」
伸実は眉間にしわを寄せた。
「伸実さん、漢字は反復練習が大事よ」
「分かってる。担任の先生も同じ漢字を最低十回は書きなさいって言ってるから」
「ドリルとかワーク、先生に答え回収されるのが困ったところだよな。最初から除けてる場合もあるし」
「分かる、分かる。あったら答え丸写し出来て楽なのになぁ」
「先生はひどいことするよね」
「答え丸写ししたら、自分のためにならないでしょ」
千陽の問いかけに同情する亜紗と伸実に、真依は一喝した。
「マイマイ、先生と全く同じこと言ってるよ」
「あたしの担任と一字一句同じだーっ」
千陽と伸実はすかさずツッコミを入れる。
「マイマイの言うことは放っておいて、サトシン、アタシの宿題も頼むよ。算数のテスト、間違えた問題を全部直して提出になってるんだ」
千陽はそのプリントと算数用ノートを取り出し、智志に手渡す。
このテストは表が一題一〇点の百点満点。裏が一題一〇点の五〇点満点。
千陽の取得した点数は、表五五点(△が一つ)裏二〇点。落書きもいっぱいされてあった。
「これは、かなり簡単だね」
智志は、千陽の使っている算数用ノートに間違えた分の問題文や数式を書き写し、正しい答えを悩むことなくすらすらと記述していく。
「あのう、智志さん、あまり千陽さんを甘やかさない方が……」
真依は口を挟んだ。
「それも、そうだね」
智志は解いている途中ハッと気付き、手の動きがぴたりと止まる。
「あーん、マイマイ、余計なこと言わないでーっ。サトシン、お願ぁーい」
「わっ、分かったよ」
千陽に背後から抱きつかれせがまれ、智志は仕方なく問題の続きを解いていく。
「もう、智志さんったら」
真依は少し呆れていた。
「サンキュー、サトシン。助かったぜ」
算数の宿題を完成させたのを確認すると千陽は礼を言って、智志に再度抱き付いた。
「いっ、いやあ、これくらいは出来て当然……」
智志が頬を少し赤らめながらそう言った時、
「ねえ、ボクのもやって」「うちのもーっ」「お願いします」
数名の小学生が続々智志のもとへ集まって来る。
「えっ!」
智志は予想外の出来事に驚く。
「皆さん、このお兄ちゃん困ってるから、解いてもらおうとしちゃダメよ」
指導員さんの一人が優しく注意してくれた。
「ごめんなさい」「分かりました」「やっぱ自分でやらなきゃダメか」
小学生達は素直に諦める。
「すまねえサトシン」
千陽も照れ笑いしながら謝った。
「千陽さん、小学校の算数でつまずくと、後々本当に困るよ」
真依は困惑顔で忠告する。
「でも、算数なんてやってられないよ」
「ワタシもだよ。特に図形とかめちゃくちゃ難しい」
「あの、高校になると、数学は小中学校のと比較にならないくらい難しくなるよ。成績が悪かったら、居残り授業をいっぱいさせられるよ」
智志はさらにこう警告する。
「じゃあワタシ、数学も頑張る!」
「サトシンがそう言うなら、頑張ってやってもいいかも」
亜紗と千陽は強く言い張った。
「智志さんのご意見は説得力がありますね」
真依も感心していた。
「サトシン、今からあたしとノッポで、紙芝居やるんだ」
「これも昔遊びクラブの活動の一環なの。智志お兄ちゃんも聞いてね」
「紙芝居か。昭和っぽいね」
智志は柔和な表情を浮かべた。
「聞きたいやつは集まってーっ!」
「今日は『カチカチ山』をやるよーっ」
千陽と伸実が大声で叫ぶと、
幼稚園児と小学校低学年くらいの子が何人か、二人の側へ集まって来た。
「あああああああーっ、こいつ、昨日うちのトイレ覗いた変態だぁーっ!」
集まって来た女の子が突然大声で叫ぶ。
「きっ、きみは……あの、僕、もう帰ります」
智志は児童館から慌てて逃げ出した。昨日音楽教室のトイレにいた、まさにその子だったのだ。
(まさか、ここでまた会うとは――世界は狭いな)
智志は走って家へと帰っていく。
「ただいまー」
「おかえり智志、現実の女の子と触れ合うのもいいものでしょ?」
「まぁね。でも、今日はいいこともあったけど、けっこうひどい目にあったよ。やっぱ二次元の女の子の方がいいよ」
帰宅後、リビングにいた母にげんなりとした表情で伝える。
「あらあら。それより智志、なんて格好してるの?」
母はニカッと微笑んだ。
「あっ! 体操服から、着替えるの忘れてたぁーっ」
智志は今気付いた。
「智志、あんたまさか、嫌がる女の子から無理やり剥ぎ取ったんじゃないでしょうね?」
「違うよ、無理やり着せられたんだ」
疑う母に、智志は即反論した。そして彼は体操服を脱ぎ捨てて、ワイシャツとトランクス、靴下姿になる。
ほぼ同じタイミングで、
「あのう、サトシくん。制服届けに来たよ」
玄関チャイムが鳴らされた。
さらに扉も勝手に開けられた。
やって来たのは亜紗だった。智志の後を追っかけていたのだ。
「うわっ、来た!」
智志はビクッとなる。
「被害者の子?」
母は笑顔で問う。
「違うって。むしろ加害者だ。母さん、この体操服、あの子に返して来て」
「はい、はい」
母は体操服を両手に持ち、玄関先へと向かった。
「おう、サトシくんのお母様でいらっしゃいますか。きれいな方ですね」
「あらあら、照れるわ」
亜紗に褒められた母は、思わず笑みが浮かんだ。
「ワタシ、勢理客亜紗と申します。はじめまして」
「ああ、あなたが。昨日由利香ちゃんにお電話してきた子ね。沖縄の土産、由利香ちゃんから少し頂いたわよ」
「それは光栄です。由利香先生に近所の方やお友達にもお裾分けしてあげて下さいって頼んだので。あの、今日はワタシ、息子のサトシくんに多大なご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございません。この体操服、ワタシが無理やり着せたんです」
亜紗は謝罪しながら母に智志の制服を手渡す。
「あらぁ、そうだったの。智志の言ってた事は本当だったのね。でも、気にしなくていいのよ」
母はにこっと微笑みかける。
「いえいえ、今日のことは深く反省し、もう二度としません。では、失礼しまーす」
亜紗はこう言って帰っていった。
「智志、亜紗ちゃんって子、榛子ちゃんみたいにとっても明るくて良い子ね」
リビングに戻って来た母は嬉しそうに言う。
「そんなことは……」
智志は気まずく感じ、母から制服を受け取るとすぐさま自室へと逃げていった。
その日の夜、九時頃。
智志が自室でベッドに寝転がってアニメ雑誌を読んでいたところ、携帯の着信音が鳴り響いた。今放送中の深夜アニメのOPテーマであった。
誰かから、電話がかかってきたのだ。
「榛子ちゃんからだ」
番号を確認すると智志はこう呟いてむくりと上体を起こし、通話ボタンを押す。
「もしもし」
『あっ、智志くん。今日はちゃんと任務果たせた?』
「いっ、いや、無理だったけど、頼んだ子は満足してくれたよ」
『それはよかったねー。今度は私がやってあげよっか?』
「いやっ、止めた方がいいよ。ラノベを置くことを認めてくれない先生、石郷岡先生より遥かに恐ろしい人だったから。金剛先生以上だよ。鬼のような形相だったし」
『そっ、そうなんだ。私、やらなくて良かったぁ』
榛子はホッとしている様子であった。
「じゃっ、じゃあ僕、そろそろ切るね」
『あっ、待って智志くん』
「なっ、何?」
智志はぴくっと反応した。
『あの……今度の日曜、明後日だけど、一緒にデパートへお買い物しに行こう』
「えええっ!」
榛子の突然の発言に、智志はどきっ! とした。
『あの、この間私が風邪引いた時、プリント届けてくれたりノート写させてもらったりしたお礼がしたくて……』
「あっ、そっ、そう。それじゃ、いっ、いいけど」(デートなんじゃないのか、これ)
智志はやや躊躇う気持ちがありながらも、一応引き受けた。
『ありがとう。それじゃ、日曜日にね、智志くん』
「うっ、うん」
こうして智志は電話を切った。




