聖女、婚約を破棄される
「私は聖女ではなくクリスティーネと結婚することを宣言する!」
その言葉に会場がざわめく。
聖女と王族の結婚は国の決まり事。
そして、今代の聖女の能力から王太子であるエッケハルトが選ばれたのは聖女が現れた数年前のこと。
それまでの婚約者だったクリスティーネは婚約が解消され、エッケハルトの隣には聖女が並ぶはずだった。
それが、貴族が集まる学園の卒業式でこの騒ぎだ。
貴族や子息子女の目は中央のエッケハルトたちと、そして俯き震える聖女に向けられる。
気が弱く、目立つところのない容姿をしているが聖女は聖女。さらに言えば能力は歴代随一とも言われた、聖女。
「許してくれるな、聖女アルマリア」
「お、王太子殿下に従います」
エッケハルトの言葉に、へたり込みながら震える声で答える聖女の姿は国で崇められるものとしてはあまりに弱い。
だからこそ、エッケハルトはこのような事態を引き起こしたともいえるだろう。
気が弱く、王妃としての任務に耐えられないであろう聖女。
王太子妃としての責務はこなせないと判断した、という建前だ。
もちろん真の理由は聖女の登場によって引き裂かれた愛する人との結婚のため。
婚約が解消され、離れ離れになったクリスティーネと再び話すようになったのは学園に入学してから。
最初は偶然の再会だったが、話をするようになってからはやはりクリスティーネとの未来しか見えなかった。
王太子妃として十分な資格と能力を持つクリスティーネとエッケハルトの結婚なら、本来は国中が祝ってくれるものだったから。
「エッケハルト、何をしている!」
騒ぎを聞きつけた国王が慌てたようにやってくるも、エッケハルトはまっすぐな瞳を失わない。
愛する元婚約者を背にかばい、国王と対峙する姿に令嬢たちはほう、と熱いため息をつく。
そもそも、これだけの貴族を前に宣言したのだ。これを撤回するのはもう難しいだろう。
「聖女アルマリア、愚息がしたことを謝罪しよう。代わりにベルンハルトを推薦し」
「陛下、お願いがございます」
聖女は王族と結婚する決まりである。
王太子のことは諦め、第二王子との話に切り替えようとする国王に、聖女アルマリアが震える声をあげる。
聖女のそんな姿はこれまで見たことがなく、国王も口を閉じ、次の言葉を待った。
「どうか、どうか次のお相手は、私に選ばせていただけないでしょうか。もちろん、その方が断るのであれば私は身を引きます。ただ、ただ自分で選ぶという選択を与えてはいただけないでしょうか」
国王に与えられた婚約者は自分を選ばなかった。
そのことで心を痛めているであろう聖女の言葉に、貴族たちはふむ、と考える。
国王に仕える従順な貴族たちは、自分の息子が選ばれても断らせればよいと考えた。
聖女の力を利用しようと考えた貴族たちは、これがチャンスではないかと策をめぐらせた。
息子たちを連れてきていた国王は、第二王子ではなく第三王子が好みだったのか、と思案した。
それぞれの思惑が絡み合い、国王はうむ、と頷いた。
「この場でよいのであれば、聖女アルマリアの思う通りにしなさい。しかし、その者が聖女を選ばなかったときは、私にもう一度機会をおくれ」
「あ、ありがとうございます!」
ぺこぺこと頭を下げる姿はあまりに頼りなく、やはり能力が高いからと王太子妃に選ぶべきではなかったか、と国王は反省する。
最初から第二王子の婚約者にしておけば、傷つけることもなかっただろう。
聖女は震える足で立ち上がると、周囲を見渡した。
聖女のベールでその瞳は隠れているが、震える体から怯えていることが伝わってくる。
ゆっくりと足を向けた先にいる貴族たちが、自分を選ぶのかと身構える。
その貴族たちをすり抜けて、聖女はある貴族の前に立った。
辺境伯バルナバス・イェリネク。
聖女とは釣り合わない壮年の男の前に立った聖女は震える手を差し出した。
「どうか、私と結婚してください、イェリネク様!」
会場はどよめいた。
同じ卒業生ではなく、王族でもなく、年の差が近い貴族子息でもなく。
たまたま卒業式に顔を見せていた辺境伯が、選ばれた。
気がふれたかと、ある貴族は思った。王族への意趣返しかとある貴族は警戒した。
選ばれた辺境伯は、しばしその震える手を見つめ、ため息をついた。
「私でよければ、受け入れよう」
一拍ののち、会場はどよめきであふれた。
「せ、聖女アルマリア!誰かと間違えたのでは」
「いいえ、いいえ!私は選び、受け入れていただきました!」
国王の言葉に強くかぶりを振って聖女は答える。
必死の叫びのような声に、貴族たちは理解した。
彼女はこの場から逃げてしまいたかったのだ、と。
王都に邸宅を持つ貴族では、彼女は王都から離れられない。
自分を見捨てた王太子のそばにいることとなる。
だから、遠く離れた辺境伯を選んだのだと。
貴族夫人たちは彼女を哀れに思った。
辺境伯に年の近い子供がいれば、彼女はそちらを選んだだろう。
そうすれば長い時をかけてでも、愛し合う未来もあっただろうに。
彼女は、逃げるために人生のすべてを投げ出してしまったのだ、と。
「アルマリア様、本当にこれだけでよいのですか?」
荷造りの手伝いをしてくれた王宮侍女に聖女は頷く。
「はい。ドレスは王太子様の婚約者としていただいたものですから、持っていくわけにはいきません。聖女としての儀礼服がいくつかあればお役目も果たせますから」
困ったように告げる聖女を、侍女たちは哀れに思った。
もとは平民だという聖女は、侍女たちにも敬語を使う。
それどころか王宮の下働きの者たちにも丁寧に接しているため、愛されていたのだ。
「殿下もひどいですわ。クリスティーネ様を選ぶのであれば、最初からそう言ってくださっていればアルマリア様は傷つかずにいられたのに」
「いいえ、私が悪いのです。王太子殿下には婚約者がいたのに、私が、私の力がご迷惑をかけてしまいました」
俯きながら答える聖女に、侍女は涙をこらえる。
「ですが、辺境伯様を選ばなくても。ほかの方をお選びになっても、しばらく王都から離れることは許されたと思いますわ」
『傷ついた心を癒すために遠くへ逃げようとした聖女』という噂を知った侍女は聖女の心の傷を思い涙した。
そうして、自分の父親ほども年の離れた男を選ぶしかなかった聖女を思い、口をとがらせるのだ。
「ありがとうございます。でも、私が選んだのです。辺境伯様も断らずにいてくださいましたから」
少しだけ明るい声に、聖女の気晴らしになるのならいいのだが、と侍女はあまりに健気な聖女を思う。
「これまで、本当にお世話になりました。皆さんお元気でいてくださいね」
出来上がった荷物をもって立ち上がる聖女に、侍女たちは慌てて荷物を受け取り、馬車まで付き添えない残りの侍女たちは涙を流してお別れの言葉を言い合った。
「おっと、すまない」
外へ向かう宮殿の廊下で聖女とぶつかりそうになった第二王子ベルンハルトは倒れそうな聖女を受け止める。
「こちらこそ申し訳ございません。ありがとうございます」
そういってこちらを見る聖女の顔に、ベルンハルトの動きが止まる。
「あ、いえ、あの、聖女様」
「これまでお世話になりました。殿下もお元気で」
ぺこりと頭を下げてそのまま廊下を去っていく聖女を見送りながら、ベルンハルトは口元に手を当てる。
いつも怯えて、俯き、申し訳なさそうな顔をしていた聖女。
「あんなに美しく笑う方だったのか」
心に罪悪感以外の感情が芽生えた気がした。
「辺境伯様、お迎えに来ていただいたのですね」
「聖女様のご出立ですので」
恭しく頭を下げるバルナバスは部下たちに指示をして聖女の荷物を馬車に積み込むと、聖女に手を差し伸べる。
「行きましょう、聖女様」
「はい。みなさんも、どうぞありがとうございました」
ここまでついてきてくれた侍女に、そして辺境伯との出立を見送りに来た王宮の人間に頭を下げ、聖女は馬車へと乗り込む。
バルナバスと向かい合わせに座り、こちらに手を小さく振る聖女に、見送りに来た人々は頭を下げた。
これまでの彼女の功績と、努力に対して敬意を込めながら。
「この度は私の申し入れを受け入れてくださり、ありがとうございます。辺境伯様」
馬車の中で聖女は頭を下げる。
その姿に、バルナバスははあ、とため息をついた。
「私でよかったのですか?もっと釣り合う貴族も、王族もいたでしょう」
その言葉に、聖女は被っていたベールを脱いでバルナバスを見上げる。
キラキラと輝く瞳で、愛おしいと全力で伝える表情で。
「私はずっと、辺境伯様だけを想っていたんですよ!」
「本当に、あなたという子は。王都でいい暮らしもしたでしょうに」
「私のいたい場所は辺境伯様のお隣りで、帰りたい場所は生まれ育ったあの大地です」
にこにこと、何の憂いもなく笑う聖女にバルナバスはもう一度ため息をつく。
昔から自分を慕っていた彼女は、その能力から聖女に選ばれ、王都に連れていかれ、王族の婚約者となった、はずだった。
王族たちは心根の優しい人ばかりだからきっと彼女も幸せになる。
今回の卒業式に顔を出したのだって、久しぶりに彼女が幸せに笑っている姿を見たいと思っただけのことだったのだ。
それを、あんな大掛かりな騒動を起こしてしまうなんて。
「どこからどこまでがあなたの策だったのですかな?アルマリア様」
「辺境伯様に様って呼ばれるのムズムズしますね。そりゃあ、最初からですよ」
王都に連れられたときから、怯えた平民出身の聖女としてふるまった。
王族の中で婚約者がいたのは王太子だけだったので、王太子の隣に並べたいと思われるように能力を磨き上げた。
王太子妃としては不安が残るように、与えられた勉強はある程度のレベルまで、普通の貴族になら嫁がせられるレベルまでに抑えた。
王太子にも王族にも、他の貴族にも目を付けられないように俯き、怯え、印象が薄くなるように調整した。
王太子と元婚約者が離れすぎないように二人が偶然出会う時間を演出した。
すべて、すべてはこの時のため。
王太子が大勢の前で婚約を破棄するように。国王がこの娘の発言程度なら受け入れてもいいと侮るように。
「一生懸命勉強したんです。貴族のことも、聖女のことも。具合が悪そうな化粧だって練習しましたし、なんか小刻みに震える技術も会得しました」
そう言いながら、聖女は屈託のない明るい笑顔を見せる。
見る人が魅了されるような愛くるしく、幸せそうな笑顔を、たった一人の愛する人のために。
「でも、あの時告白するのはすっごく怖かったんですよ。辺境伯様が私のこと振るんじゃないかってドキドキしてました」
「振ってもよかったのだが、まあ、約束していたしな」
バルナバスの言葉に、聖女は、アルマリアは目を大きく開き驚くと、そのままバルナバスに抱き着いた。
「嬉しい!あの時の私の一方的なお願い、覚えていてくれたんですね!」
「可愛い我が領民の願いだからな」
バルナバスは抱き着いてきたアルマリアを抱きとめて、頭をやさしくなでる。
それを嬉しそうに受け入れるアルマリアが、ただのアルだった頃のことを思い出しながら。
「まさかあのお転婆娘が我が妻として領へ戻ることになるとはな」
「私も、初恋が叶うなんて思っても見ませんでした。いやあ、聖女になってみるもんですね」
平民と貴族は結婚できない。
唯一の例外が聖女であると知った時、聖女として王都へ行くことを受け入れた。
住み慣れた村から、領土から連れ出されて貴族ばかりの社会に連れ出されることを選んだ。
小さな村の少女は、すべてを成し遂げて愛するイェリネク領へと戻る。
ずっと望んでいた場所を手に入れて。




