16話 不可視の敵と苦肉の策
「やれるもんならやってみるんだなっ!」
ベギーアデはそう言って、迷宮の入り組んだ道へと逃げ込む。
追いかけようとして――やはり足を止めざるを得なくなった。
頬に感じる風の動き。顔の前で腕をクロスさせたその瞬間、腕に不可視の衝撃。おそらくは尻尾をムチのようにしならせた打撃だ。
あと少し防御体勢を取るのが遅れていたら無防備な状態で頭を殴られ、首が折れていただろう。
『大丈夫か!?』
『すご。なんで攻撃くるの分かったんだよ』
『いやでもこんなとこでどうやって倒すの?』
『ボス部屋にいる状態だったら魔法で全方位爆撃するとかやりようあるけど、迷宮のど真ん中じゃなぁ…』
『隠れ放題、奇襲仕掛け放題だもんな』
『てかボスモンスターをボス部屋から出してテイムするって何事だよ』
『変態仮面ってただのヤバい変態じゃないの?』
『じゃないのかもな…』
なるほど、どうしてリスナーたちが騒いでいたのか分かってきたぞ。
階層ボスは通常、ボス部屋と呼ばれる部屋から決して出ない。
だからもし姿が見えずとも、ボスは必ずボス部屋のどこかにいるのだ。ボス部屋はかなり広いとはいえ遮蔽物の類いはなく、四方八方に適当に攻撃しても当たる可能性がある。
しかし迷宮の真ん中ではそうはいかない。魔法などでめちゃくちゃに攻撃しても当たる確率はぐんと低くなるし、放たれたインビジブル・リザードがどこにいるのか見当をつけるのは至難の業だ。
「クソッ、どうするか」
“アレ”を使えば恐らく仕留められるが……しかし、代償がデカすぎる。できれば避けたい。
と、まごついている間にライカが動いた。
「カオルさん、わたしに任せてください!」
なにかを地面に投げる。瞬間、辺りに煙が立ちこめた。煙幕だ。
「真面目に戦う必要ないです。敵の視界を奪って逃げましょう。まぁ配信者としては最悪の戦法ですけど……」
「はは、まぁ煙でカメラになにも映らなくなっちゃうもんね」
さすがはライカ。こんな時にも配信のことを考えているなんて。
思わず感心してしまったが、しかし結論から言うとこの作戦はうまくいかなかった。
悪い作戦ではなかったと思う。インビジブルリザードが透明化することでこちらは相手の姿が見えず、向こうは俺たちが見えているという一方的な状態になる。しかし煙幕で互いの視界を奪うことで条件をイーブンに持っていくことができる。普通に考えればそうなるはずだ。
しかしインビジブル・リザードの能力は透明化だけじゃなかったのだ。
「ライカ!」
彼女の手を引き、抱き寄せる。
我ながら大胆なことをしたと思うが、そうせざるを得ない状況だったのだ。
突如巻き起こる砂煙。
ついさっきまで俺たちがいた地面からインビジブル・リザードの頭が飛び出したのだ。さながら、水底から獲物に食らいつくワニのように。
まだ煙幕が充満しきっていなかったおかげか、ドローンカメラも砂煙が浮かび上がらせたインビジブル・リザードの姿を捉えることができたらしい。
『は?』
『なに?』
『地面泳げるの?』
『インビジブルリザードってそんなことできた?』
『聞いたことないぞ』
『ボス部屋ではできないけど、外ではできる…ってことか?』
あり得ない話じゃないと思った。
通常、ボスはボス部屋から出られない。それはボス部屋の壁になんらかの仕掛けが施してあるからなのではないか。ボス部屋の壁や床に潜ったり、破壊したりして外へ出ることができないようにする仕掛けが。
つまり本来は壁だの床だのに潜る能力があるのに、ボス部屋がその能力を邪魔していたのだ。
壁や床を泳げるのだとしたら煙幕など無駄だ。地面の中から俺たちの足音を聞き分けて襲ってくるに決まっている。
背後から気配。振り返れば真上から音。上を向けば湿った息が首筋を撫でる。
縦横無尽に動き回るヤツの姿を捉え続けるのは不可能。
そして――隙を見せれば、即殺られる。
『どうすんだよ!』
『やばいやばいやばいやばい』
『池袋ダンジョンの下層ボスなんてトップ探索者がガチガチに準備した上で敗走するなんてザラなのに、それがボス部屋を出た上に知らない能力まで持ってるなんて…』
『こんなんどうやって勝つんだよ!』
パニックになるリスナーたち。
ライカも肩を震わせ、怯えたような視線をあちこちに向けている。
俺はマチェットを大きく振り下ろす。瞬間、巻き起こった風がライカの発生させた煙幕を晴らした。
『おお!』
『視界が開けた!』
『いやでもこれじゃ振り出しに戻っただけだしな…』
『こっからどうする!?』
額から汗が噴き出してくる。
退場したはずのベギーアデの再来と下層ボスがボス部屋から抜け出したというのが大きな注目を集めているのか。
同接数は見たことない数字を叩き出している。俺の目がおかしくなったか、あるいはサイトのバグじゃないかと疑いたくなるほどに。
しかし残念ながらそうじゃないらしい。
15万人――この配信を今見ている人間が、15万人もいる。
本当にイヤだ。しかしもう“アレ”を使うしかない。
「ライカ、俺の後ろに下がってて」
「え?」
「それから……ごめん、そのジャケット貸してくれない?」
ライカは着ていたジャケットを脱いで俺に差し出した。
トレードマークのピンク色。どこのブランドのものかは分からないが、手触りで良いものだと分かる。
彼女はそれを手渡すことに一切の躊躇なく、むしろ喜んでさえいるように見えた。
「カオルさん、もしかしてなにか策があるんですか?」
俺は答えなかった。答えたくなかったと言ったほうが正しい。
こうしている間にも、来ている。敵の気配がする。じきに俺たちを丸呑みにしようと襲いかかってくるだろう。しかし詳細な位置までは分からない。
上から? 下から? それとも壁の方から?
俺はライカから受け取ったジャケットを素早く胸に巻いた。
そして、仁王立ちで目を閉じる。
『は!?』
『なにやってんの!?』
『えっ…見間違いか?おっぱいチャン目閉じてる?』
『確かに見えない敵ではあるけど…』
『ってか止まってちゃダメだろ!』
『もうダメだ』
『逃げろって!』
阿鼻叫喚のコメントが視界を埋める。
目を閉じているのに文字が見えるというのはなんとも不思議だったが、ARコンタクトとはそういうものらしい。
でも、俺はできるだけ流れるコメントを読まないようにした。目を閉じたときに視界に映るザラザラした背景と文字を同化させ、視力の分のリソースを他の感覚に注ぐ。
音。風の動き。匂い。わずかな振動。そのすべてでヤツの気配を探る。
来ている。
確実に近付いてきている。
しかしその詳細な場所までは感じ取ることができない。
でも、それで良い。
俺はカッと目を見開いた。
「いまだッ!」
マチェットを虚空に振り上げる。
俺の行動は、リスナーたちにはただの素振りにしか見えなかったことだろう。
が――手応え。
瞬間。まるで時空が裂けたようにパックリと割れた傷からドス黒い血が噴き出す。
『は!?』
『当たった!』
『インビジブル・リザードを見破った!?』
『うおおおおおおおおおおお!!!』
『どうやって?』
『感覚強化系スキルとか、あるいはそのまま擬態を見破るスキルとか?』
『なるほど…いや、でもライカのジャケットを巻いたのはなんでだ?』
コメント欄が考察で沸いている。
もちろん俺からリスナーに説明する気はない。でもきっと説明なんかせずとも分かってしまうだろう。
俺はもう一発、マチェットをヤツの体にたたき込む。
生命の危機にひんし、透明化する余力がなくなってしまったのだろう。
マチェットのめり込んだ額を中心として、ヤツの透明化がみるみる解けてその姿を現していく。
『は?』
『え?』
『コイツ、まさか』
そう、そのまさかだ。
姿をあらわにしたインビジブル・リザードは、俺の胸の谷間を覗き込むような間抜けな格好で壁に張り付いていた。
『おっぱいwwwwwww』
『インビジブルリザードもおっぱい見てて草』
『自らのおっぱいを餌にモンスターを誘導した…ってコト!?』
『そりゃおっぱいチャンのおっぱい見ちゃいますよねー』
『そのおっぱいチャームって人型モンスターじゃなくても効くのかよwwwww』
『なんでだよおかしいだろwwwwwww』
『うそだろwww』
『【速報】おっぱいチャーム、爬虫類にも効く』
『下層ボスすらおっぱいには勝てなかったよ…』
『どういう理屈?』
『おっぱいに理屈などいらぬ』
『もうなんでもありかよwwwww』
『おっぱいバンザイ!』
ああ、やっぱりバレた……。
ライカのジャケットで胸の前面を覆い、しかし谷間部分は敢えて隠さなかった。そう、エサを撒いておいたのだ。
胸を見るためには、俺の頭上に来るしかない。あとはヤツがその場所に来るのを待って、マチェットを振り上げるだけ。
不可視の相手を殺す方法はいくつか思いついていたが、一番簡単にできて幾分マシな方法はこれだった。
とはいえ。
『うおおおおおおおおおおおおおっぱい!!!!』
『やっぱおっぱいTUEEEEEE!』
『(゜∀゜)o彡゜おっぱい!おっぱい!』
『おっぱい最強!!!!』
『おっぱいすげえええええええええええ!』
『おっぱい神にひれ伏せ!!!』
視界が俺の胸を讃えるコメントで溢れかえっている。
ああ、だから嫌だったんだ!
気が付けば20万人になっていたリスナーたちが俺のおっぱいを讃え、崇め、褒めそやす。
クソが。これでますます俺の胸が注目されるじゃねぇか! だから嫌だったのに!
「ウウウウ……ウオオォォォォ!」
『生きてる!?』
『まだ死んでないぞ!』
『気をつけろ!』
さすがは下層ボス。
凄まじい生命力と執念だ。
血反吐を吐きながらも、大口を開けて俺に噛みつこうともがく。
が――俺は逃げなかった。
ヤツに飛びかかり、そのワニのような顎を蹴り上げる。
「グギョッ!?」
もちろん終わりじゃない。
これくらいで終わらせてたまるか。
蹴りでムリヤリ閉じさせたインビジブル・リザードの口に素早く抱きつき、俺は思いっきり背中を反らす。
いわゆるバックドロップだ。
「お前が! 責任! 取れ!」
「グオオオオオオオオッ!?」
――衝撃、そして轟音。
インビジブル・リザードの頭が地面にめり込む。
八つ当たりだと自分でも分かっているが、それでも構わない。
無様に地を這って逃げようとするインビジブル・リザードの尻尾を踏みつけ、何度も何度も何度も――ヤツが息絶えて土塊に変わるまで、俺はマチェットを振り下ろし続けた。




