婚約破棄された悪役令嬢、王宮の毒殺事件を論理で暴く~前世の知識で破滅ルートを回避~
シャンデリアの光は嘘をつかない
シャンデリアの光って、馬鹿みたいに正直だ。
誤魔化せない。逃げ場がない。何百本ものろうそくが、今この瞬間の私の顔を、嫌というほどくっきりと照らし出している。
「——以上の理由により、エレナ・ヴァルトシュタイン。本日をもって、我が家との婚約を解消する」
リヒト殿下の声が、大広間に満ちる。
周囲が、ほんの少し遅れてざわついた。扇で口元を隠したお嬢様が三人。わざとらしく目を丸くした取り巻きが五人ほど。そしてリヒトの隣で涙ぐんでいる転入生——栗色の髪に大きな目、絵に描いたような清純な顔立ちの少女。名前はたしかリゼット、だったか。
どうでもいい。
私はとりあえず、呼吸をした。
吸って。吐いて。背筋は伸ばしたまま。十七年この体に叩き込まれた習慣が、勝手に体を支えてくれている。ありがとう、エレナの肉体。本当に助かってる。
——で。
なんか、頭の中がおかしい。
リヒトの表情を見たとき——怒りで歪んだその整った顔——ズキン、と奥の方が痛んだ。見覚えというより「知っている」感覚。薄暗い部屋。画面の光。指でタップする感触。イベントCG。泣く聖女と、冷酷に笑う悪役令嬢——
待って。
待って待って待って。
これ、ゲーム?
乙女ゲームの、婚約破棄イベント? ということは私が悪役令嬢で、この展開って確か——バッドエンドの、起点じゃなかったっけ。
脳みそがぐるぐるする。「前の私」の記憶と「今の私」の十七年がシェイカーに放り込まれて、めちゃくちゃにかき混ぜられて——でも体は微動だにしない。エレナの矜持が、勝手に踏ん張っている。
「……そう」
自分の声が、思ったより落ち着いていた。
「殿下がそうお決めになったのなら、私から申し上げることは何もありません」
言いながら——頭の片隅で、ゲームの記憶が点滅している。
悪役令嬢の末路。社交界追放。国外追放。最悪の場合——
毒。
その一語だけが、妙にくっきりと頭に貼りついた。
踵を返す。ドレスの裾が石畳を掃く音がした。背中に刺さる視線と、扇の陰の囁きと、誰かの忍び笑いが、全部聞こえていた。全部。
でも振り返らなかった。
振り返ったら負けだ。足が少し震えていたけれど、ヒールのせいにしておく。
*
婚約破棄から五日後。
私は王宮のパーティーにいた。なぜかって? 父上(公爵閣下)の命令だ。「ヴァルトシュタインの名に恥じぬ振る舞いをせよ」。具体的に何をしろとは一切言わない。笑顔で立ってろってこと?
壁の花を極めていた。もはや壁と一体化したかった。壁は婚約破棄されない。壁は追放されない。壁は毒を盛られない——
悲鳴が上がった。
甲高い金切り声。グラスが砕ける音。椅子が倒れる音。
人垣の向こうで、王妃が崩れ落ちていた。白い顔。紫がかった唇。痙攣する指先。
「王妃陛下が!」
「毒だ! 毒が盛られている!」
パニックが広間を飲み込んでいく。でも私は動かなかった——いや、正確に言うと、動けなかった。見ていたから。
王妃のワイングラス。その縁に、かすかに残る膜。虹色の、光の加減で消えかける——魔力残留。毒を仕込む際に使った魔法の痕跡。知識として知っていた。前世で読み漁ったゲームの攻略wikiに書いてあったから。我ながら、廃人すぎる。
それより。
視線。
パニックの人波の中に、一人だけ動かない人間がいる。黒いフード、侍従服——もう見えない。人混みに消えた。
胸の奥でなにかが警報を鳴らした。
ゲームの中盤イベント。王妃毒殺未遂事件。そして悪役令嬢ルートでの犯人は——
私だ。犯人に仕立て上げられるのが、私。
足元から血の気が引いていくのを感じた。比喩じゃなく、本当に足の先から感覚が薄れていく。
逃げたら確定で犯人扱い。黙っていたら証拠を捏造される。じゃあ。
自分で犯人を見つけるしかない。
*
自室に戻って最初にしたこと。
魔導書を引っ張り出した。書庫から「借りてきた」一冊(返す気はある、たぶん)。精霊召喚の術式が載っている。
この世界には属性の精霊がいる。火、水、風、土。でもごく稀に「概念」に紐づいた精霊もいて——「論理」の精霊もその一つ。ゲームでは隠しキャラ扱いで、召喚条件が「知力パラメータ80以上」という、普通にプレイしていたらまず届かない数値だった。
でもエレナ・ヴァルトシュタインは、知力だけはぶっちぎり。悪役令嬢、伊達じゃない。
術式を組んで、床の陣に魔力を流す。銀色の光が走った。
「——ずいぶんと久しぶりだな」
声がした。低い。乾いている。古い紙の匂いがしそうな声。
陣の中心に浮かんでいたのは——フクロウ、だと思う。手のひらサイズの。銀色の羽毛に金の目。小さな眼鏡をかけていた。
……かわいい。いや今それどころじゃない。
「あなたが論理の精霊?」
「左様。ロジックと呼べ」
ぴしゃり、と言った。口調が思ったより感じ悪い。
「それで、なにを聞きたい」
かくかくしかじか、と事情を話した。婚約破棄。毒殺未遂。犯人に仕立て上げられる未来。ロジックは金の目を細めて聞いていた。話している途中で一度あくびをした気がしたけれど、気のせいかもしれない。
「つまり、自分の破滅を回避するために真犯人を暴きたい、と」
「そ。シンプルでしょ」
ロジックが翼をひとつ動かした。
「……では聞くが。おまえは推理が得意か」
「論理的思考は人よりある方だと思う」
「ほう」
「前世の記憶もある。ゲームのあらすじをある程度覚えてる」
「ある程度、というのが問題だな」
言いながら、ロジックは私の肩に飛び移ってきた。軽い。羽毛だから当然だけれど、ほとんど重さがない。
「まあよい。つき合ってやる。ただし、推理が外れたときに泣くな。聞き苦しい」
「誰が泣くか」
「女はよく泣く」
「ひとくくりにしないでもらえる?」
こうして、捜査が始まった。
*
まず洗い出したのは、パーティー当日の「王妃の傍にいた人間」だ。
侍女三名。侍従二名。護衛騎士一名。ワインを注いだ給仕係。
ロジックが肩の上から覗き込む。
「毒の経路は?」
「経口。グラスの縁に魔力残留があった。水属性の青みがかった——」
「水魔法で毒を仕込んだ、と」
「そう。つまり水魔法の素養がある人間が、王妃のグラスに近づける立場にいた」
「なるほど。——で、その条件を満たす人間が何人いる」
「……それを調べようとしてる」
「調べてから話せ」
感じ悪い。でも正論なので何も言えない。
給仕係のマルクスから当たった。厨房の裏口で捕まえて、にっこり笑いながら「少しお話を聞かせてくださる?」と言う。これが怖いらしい、私の笑顔。公爵令嬢の特訓の賜物だ。
結果——マルクスはボトルから注いだだけ。同じボトルから他の客にも提供していて、症状が出たのは王妃だけだった。
「グラスに直接仕込まれた」
「あるいは注いだ後に魔法を使った者がいる」
侍女だ。ワインを注いでから王妃が飲むまでの間、傍に控えていた三人——アニエス、ベアトリクス、カタリナ。
学園の履修記録と王宮の人事記録を引っ張った(父上の名前を使わせてもらった。ごめんなさい父上)。
アニエスは火属性。ベアトリクスは風属性。カタリナは——無属性。魔法適性なし。
「……誰も水属性じゃない」
「そうだな」
「え、そうだなって——振り出しじゃん」
「違う」
ロジックが翼をはたいた。
「侍女が犯人でない可能性が高まった。それは前進だ」
「前進……」
「おまえは証拠が出るまで前進できないと思っているようだが、消去も推理のうちだ。次を考えろ」
ちょっと、悔しいけど、正論。
気を取り直す。じゃあ次——あの夜、人混みの中で動かなかった人間。黒いフード、侍従服——
「護衛騎士のリストを見せろ」
「誰が誰に命令してんの」
「早くしろ」
ムカつくけど早くした。護衛担当は四名。一名が——
「レオンハルト・ケスラー。王家直属の近衛騎士、第一王子リヒト殿下の側近」
ロジックの金の目が細まった。
「水属性、魔法戦闘訓練あり、パーティー当日は王妃護衛シフト」
「つまり正当な理由で傍にいられた」
「動機は」
「前世の記憶だと——王妃は第二王子溺愛で有名で、第一王子派がそれを恐れていて——王妃の影響力を削ぐために、未遂で十分で、混乱の犯人を私に押し付けることで婚約破棄の正当性も補強できて——」
言いながら、自分で鳥肌が立った。
全部つながる。婚約破棄は色恋沙汰じゃない、政治だ。ヴァルトシュタイン公爵家の影響力ごと切り落とす計画。
「席順も不自然だった。婚約破棄されたばかりの令嬢を王妃の近くに座らせるなんて——最初から、犯人役として配置されていた」
ロジックがしばらく黙っていた。
「……まあ、悪くない」
感情のない声だった。褒めているのか貶しているのか判断が難しい。
「ありがとう」
「次は証拠だ。論理だけでは動かせない相手がいる」
*
次の日、壁に頭突きをぶつけた(比喩)。
魔法使用ログを調べたら、レオンハルトの名前がない。
「……ない?」
「魔力をごく微量ずつ、閾値以下で放出すれば記録装置は反応しない」
「できる人間いるの」
「高度な訓練が必要だが——魔法戦闘のエリートなら不可能ではない」
じゃあグラスの魔力残留を精密分析すれば個人の魔力紋が——
「グラスは……」
「残っているのか?」
「…………あのパニックで、割れた気がする」
沈黙。
長い沈黙。
「割れた」
「割れた」
「文字通り、証拠が割れた」
「……うん」
ロジックが翼で顔を覆った。精霊のくせに疲れた老人みたいな仕草だった。こちらも傷ついている。
「気を落とすな」
思わぬ方向から言われた。
「証拠がないという事実も情報だ。証拠が残っていないということは、犯人が細心だったということだ。そしてそれは——罠が有効だということでもある」
「罠」。
その言葉で、頭の中で何かがカチッと噛み合った。
物証がなければ——自白させればいい。
*
レオンハルトに手紙を送った。
王宮の庭園。月明かりの下で落ち合いたい、と。そして一文だけ追加した。
「パーティーの夜、あなたの魔力紋を記録しました」
嘘だ。記録していない。でも彼には確認できない。エレナが王妃の傍にいて何かを見ていた可能性は——否定できない。
「来るかな」
「来る」
ロジックの声が、珍しく確信を帯びていた。
「やましいことがある人間は、放置できない不確定要素を嫌う。確認しに来る。そして——」
「もしも本当に証拠を握られているなら、潰しに来る」
「そういうことだ」
正直、怖かった。怖かったけれど、脚がすくんでいるのを気づかれたくなかったので黙っていた。ロジックは何も言わなかった。気づいていないのか、気づいて黙っているのか——どちらかは分からない。
来た。
薔薇のアーチの向こうから、甲冑の音がした。月光に照らされた顔——端正で、冷たい。
「ヴァルトシュタイン嬢。用件を聞こうか」
「来てくれてありがとう。忙しいところ」
「ふざけるな。あの手紙はなんだ」
「書いてある通りよ。グラスの縁の魔力紋、記録しました」
一瞬だけ、レオンハルトの目が揺れた。
——当たり。
「証拠があるなら衛兵を連れてくればいい。なぜ一人で来た」
「あなたに直接聞きたいことがあったから。——厨房の裏口、覚えてる?」
表情が変わった。変わったというより、固まった。
「あそこには監視の魔導具がある。パーティーの夜、あなたがそこを通った記録が残ってる」
これは本当の話だ。ロジックに教わった——魔法使用後、手袋に魔力粒子が残る。それを処分するために通った可能性が高い、と。
「もし記録を照会されたくないなら、今すぐここで話した方がいいと思うけど」
剣の柄に手が伸びた。
ああ、まずい。これはまずい。
「——そこまでだ、レオンハルト」
背後から声がした。
振り返ると——黒髪に藍色の目。リヒトより少し柔らかい顔立ちで、でも纏う空気は静かに鋭い。
第二王子、アレックス。
背後に近衛騎士三名。完全に包囲されている。
「……なんで」
我ながら間の抜けた声が出た。
「手紙の写しを受け取ったんだ。侍女経由で」
肩の上のロジックが、さり気なくそっぽを向いた。
「吾輩は何も知らぬ」という顔をしている。
この精霊、私に黙って保険をかけやがった。後で絶対文句を言う。
「レオンハルト・ケスラー。王妃への毒殺未遂の容疑で拘束する」
アレックスの声は静かだった。でも重さがあった。王族の声だ。
レオンハルトは——数秒、剣の柄を握ったまま動かなかった。それから、ゆっくりと手を離した。
「……ヴァルトシュタインの小娘に、してやられるとはな」
「小娘じゃなくて公爵令嬢。次は敬称をつけてね」
膝がガクガクしていた。ヒールのせいということにした。
*
レオンハルトが拘束されたあと、王宮は大騒ぎになった。
第一王子の側近が王妃毒殺を企てていた——という事実は、リヒト殿下の立場を直撃した。本人の関与は現時点では不明だけれど、管理責任は問われる。
そして事件を解決したのが「婚約破棄されたばかりの悪役令嬢」だったという話が広まると、一週間前まで私を嗤っていた連中が手のひらを返してきた。お茶会の誘い、舞踏会の招待、にこやかな挨拶——
人間って、本当に。
まあいい。使えるものは使う。それがヴァルトシュタインの流儀だ。
「エレナ嬢」
廊下でアレックスが声をかけてきた。近くで見ると、整った顔をしている。リヒトの派手さとは違う——月光みたいな、静かな光。
……月光って。私の語彙はどうなってんだ。
「先日は助太刀、感謝します」
「助太刀というほどのことはしていない。タイミングよく現れただけだ」
「良すぎるタイミングでしたけど」
「ロジック殿に感謝するべきだろうね」
肩の上で、ロジックが堂々と胸を張っている。反省ゼロ。後で絶対文句を言う(二度目)。
「——見事だった。あの推理」
アレックスが足を止めた。廊下の窓から差し込む光が、藍色の目を少し明るくした。
「限られた情報から、ほぼ論理だけで追い詰めた。兄上が手放した宝石の価値を、兄上は分かっていなかったらしい」
「……ほとんどブラフでしたけど」
「ブラフも含めての知略だろう」
なんかその言い方、居心地が悪い。褒められているのに、なんで居心地が悪いんだろう。
「私は誰かに褒められるためにやったわけじゃないので」
「分かってる」
アレックスが、小さく笑った。
——あ。笑うとこんな顔するんだ。
「だからいいんだ。自分のために全力で知恵を絞れる人間は、強い」
それだけ言って、彼は歩き去った。
廊下に残された私と、肩の上のロジック。
「顔が赤い」
「赤くない」
「赤い。灯りの色だけのせいではないな」
「うるさい。あなたが保険を黙って仕込んだ件、まだ説明を聞いてない」
「…………」
「逃げるな」
「逃げてはおらぬ。考えているだけだ」
「何を」
「言い訳を」
この精霊、最悪だ。
窓の外を見た。青空。白い雲。庭園の薔薇がまだ咲いている。
破滅ルート、一個回避。でもゲームはまだ序盤で、この先に何が待っているか前世の記憶はぼんやりとしか教えてくれない。完璧じゃない情報で、欠陥のある推理で、感じの悪い相棒だけ連れて、これからどうするかって話なんだけど。
——まあ、いい。
エレナ・ヴァルトシュタインは振り返らない女だ。次に何が来ても、論理で殴り倒してやる。
その前に——さっきから心臓がうるさいのを、どう処理するか考えないといけないんだけど。
……それは今じゃなくていい。
たぶん。




