7 悪役令嬢、徹夜明けで監督に提出する
執務室の重厚な扉が閉まった瞬間、私はその場で力が抜け、思わず壁に背を預けた。
肺に溜め込んでいた息を、捕らわれの鳥を放つように吐き出す。
「……やったわ。第一関門、突破」
頭の中でだけ、控えめなファンファーレが鳴った。
レイナルド・シュタイナー。
あの氷点下の視線に宿っていたのは、相変わらずの不信と警戒。
それでも彼は頷いた。
監督役という名の鎖で、私とこの事業に関わることを受け入れたのだ。
ほぼ毎日。
逃げ場なし。
……公式から推しを常時観測できる権利、獲得。
胸の奥で歓喜と戦慄が同時に踊る。
画面越しにしか触れられなかった最推しと、同じ空間で、同じ時間を刻む未来。
これは救済か、それとも破滅への近道か。
私は胸元に忍ばせた小さな肖像画を、指先でそっと確かめた。
微かな魔法の熱が、確かにそこにある。
信じてもらえなくて構わない。
私は、推しの人生を邪魔せず、全力で世界を変えるだけ)
そう心に誓い、私は王太子の私室を後にした。
★
その夜。
新学期を前にした学院寮の自室は、完全に修羅場と化していた。
机の上には羊皮紙の山。
計算式、図面、事業構想。
紅茶は三杯目で味を失い、蝋燭は心なしか私を睨んでいる。
「……露店じゃ足りない。固定店舗、必要。立地、動線、資金……」
ぶつぶつと呟きながら、羽ペンを走らせる。
そこへ、控えめなノックが響く。
「お嬢様……夜分に失礼いたします」
エイミが差し出した銀盆の上には、一通の書簡。
青い封蝋を見た瞬間、嫌な予感しかしなかった。
差出人はレイナルド・シュタイナー
推しからの初レター。
恋文ではない。絶対に。
封を切った瞬間に溢れ出したのは、書いた者の性格をそのまま写し取ったかのような、峻厳なまでの冷気だった。
明日より、貴殿の事業を監督する。
ついては、実現可能な事業計画書を提出されたし。
店舗選定、資金繰り、協力者、品質保証。
日没までに。
不十分と判断した場合、殿下へ即時報告する。
ほぼ箇条書きというか殴り書き。
私の推しは、ひたすら容赦がない。
「……ふふ」
思わず、笑ってしまった。
「最高じゃない」
理念だけの夢想家だと思われたまま終わる気はない。
ここで折れたら、推しを推す資格すらない。
「エイミ、今夜は下がって。私は――朝までやるわ」
「お嬢様……本当に、お体だけは」
夜の帳が深まるにつれ、世界は死んだように静まり返る。
揺れる蝋燭の炎が、壁に映る私の影を、まるで巨大な魔女のように揺らめかせていた。
私は、前世で培ったオタクとしての執念と、現世の公爵令嬢としての教養を、一つの坩堝に放り込んだ。
店舗は、ただの店であってはならない。
そこは、人々が日常を忘れ、憧れの存在と魂で繋がるための神殿でなければ。
資金計画を計算する指先が、過労で痺れ始める。
けれど、その痛みさえもが、レイナルドという名の劇薬によって、甘美な痺れへと変わっていく。
リオンに依頼する魔法加工のコスト、ユーフィが描く肖像の独占契約料、そして――将来的に王家へ納めるべき献上金の比率。
一文字綴るごとに、私の運命が、断罪の未来から遠ざかり、未知なる明日へと書き換えられていくのを感じる。
「……見ていなさい、レイナルド。貴方が守ろうとしている世界に、私は新しい愛の定義を刻んでみせるから」
窓の外、紺青の空が、わずかに白み始めていた。
★
女子寮の前庭を、夜露を含んだ風が吹き抜ける。
一睡もしていない私は、分厚い書類の束を胸に抱えて立っていた。
頭はぼんやりしているのに、目だけが異様に冴えている。
……徹夜テンションって怖い。
遠く、男子寮の方から規則正しい足音。
振り向けば、そこにいた。
整った制服。無駄のない姿勢。
安定の不機嫌フェイス。
レイナルド・シュタイナー。
「……その顔色で、提出に来たというのか」
「おはようございます、私の守護神」
私は笑って、書類を差し出した。
「全力で書きましたわ。愛と計算の結晶です」
「守……相変わらず、貴殿の言葉は意味不明だ」
彼は無言で受け取り、ぱらりと最初の頁をめくる。
「……ほう」
彼の指が、ある一行で止まった。
「騎士の肖像権に関するロイヤリティ売上の三割……? 王家の規定よりも高いぞ。正気か?」
「ええ。尊い被写体には、相応の対価が支払われるべき。それが推し活の正義ですから」
「……(こいつ、金儲けだけが目的じゃないのか?)」
私は、勝った気がした。
今日から始まるのは、学院生活と、監督付き推し活事業。
平穏とは無縁だろう。
でも――推しの制服姿こんな特等席で見られるのは最高じゃない!




