【短編】翠玉の花嫁と氷の皇帝 ― 冷遇された花嫁は、やがて氷の皇帝に溺愛される ―
「──“聖鳥の皇后”? 私には、そんなものは必要ない」
氷よりも冷たい声で放たれた言葉に、臣下たちは騒然となった。
「アズール王子殿下、何を仰るのですか!! 即位式も皇后選定も、明日執り行われるのですよ!」
「もう、皇后候補のご令嬢たちを招待しているのです。皇帝となられるのですから、サードニクス帝国の慣例通りに──」
「アズール王子殿下!!」と追いかけて来る声を背に、彼は表情も変えずに歩き出した。
サードニクス帝国、雪深い帝都ディアマンの北にそびえる皇城──
雪化粧の施されたサードニクス城の大広間には、高位貴族の令嬢たちが集められていた。
前皇帝イオスが病のために急逝し、新たな皇帝として即位する王子アズールを前に、令嬢たちは競うように美しく着飾っている。磨かれた白い大理石に立ち並ぶ令嬢たちのドレスが、まるで色鮮やかな花々のようだった。
「素敵……アズール王子殿下よ……」
「あの氷のような瞳、本当にお美しいわ……」
「どなたが、アズール様の“聖鳥の皇后”に選ばれるのかしら」
令嬢たちの視線の先を歩くのは、この帝国の若き皇帝となるアズール・サードニクス。
雪のような白銀の髪に、切れ長のアイスブルーの瞳。その凛々しい佇まいに、令嬢たちは熱を帯びた視線を密かに送る。
「アズール王子殿下……」
その時、優雅な足取りでアズールに歩み寄ったのは一人の美しい令嬢だった。
紫色の絹のドレスをまとい、美しいストロベリーブロンドの髪を垂らしている。
「ローズ様だわ……」
「“社交界の薔薇”には、誰もかないませんわね……」
令嬢たちが落胆した眼差しを二人に向ける中、アズールが静かに振り返った。
「サーペンタインか」
低く呟かれたアズールの声に、ローズ・サーペンタインはドレスの裾をつまんで一礼する。
「どうぞ、ローズとお呼びくださいませ」
煉瓦色の大きな瞳が、アズールの端正な顔を映し出す。
だが、美しく微笑んだ令嬢を見ることもせず、彼はわずかに視線を落とした。
「……考えておく」
そう一言返すと、アズールは濃紺のマントを翻した。
彼が一瞬だけローズの手首の腕輪を飾る翠玉に目を止めたことに、誰も気が付かなかった。
「アズール王子殿下……」
その小さな呼び掛けに振り返ることもなく、静かに立ち去る背中をローズはただ見つめることしかできなかった。
そのとき、衣擦れの音がいくつも響いた。
「ローズ様、御機嫌よう」
「本日も、薔薇のようにお美しいですわね」
アズールと入れ違いに集まった令嬢たち。
口々に褒められたローズは、優雅に微笑んでみせた。
「皆様の華やかさには、とてもかないませんわ」
ローズの白い手首を飾る金細工の腕輪が、シャンデリアの灯りに煌めく。
「まぁ……素敵な腕輪ですわね」
令嬢たちの視線が、ローズの腕輪へと集まる。
「お父様からいただいた、マルジャーン王国の腕輪ですの」
微笑んで金の腕輪を見せるローズに、令嬢たちが感嘆のため息をこぼす。
「見事な金細工ですこと……そんなに大きなエメラルドは見たことがありませんわ」
「このエメラルドは、トリフェーン産でしてよ」
「さすがは、サーペンタイン公爵家……」
「羨ましいですわ」と口々に呟く令嬢たちに微笑みかけると、ローズは髪に触れながらアズールの姿を探す。
(アズール王子……)
ローズは遠くに立つアズールを見つめる。そして、彼の氷のような眼差しが自分一人に向けられることを強く願った。
けれど、“氷のよう”だと評判の冷たい眼差しは、彼女だけではなく、この場にいるどの令嬢にも向けられることはなかった。
* * *
サードニクス城から遥か南西の地、トリフェーン王国の王城──
「エメロード王女殿下に、贈り物でございます」
「まぁ……アイン様から、私に?」
侍従から差し出された美しい包装の小包に、エメロードは嬉しそうに微笑んだ。
無表情のまま一礼すると、侍従は静かに踵を返した。
ここは、サードニクス帝国の西の国境沿いにある小国トリフェーン。
第二王女であるエメロードの部屋は、王城三階の北にあった。
その薄暗い小さな部屋で、エメロードは窓辺にある椅子に腰掛ける。
閉じられた窓の隙間から吹き込む風に、淡い金の髪がかすかに揺れる。
「何かしら……」
エメロードは、そっと金色のリボンを解く。包みを開くと、ふわりと甘い香りが広がった。
(綺麗……美味しそうなお菓子だわ……)
中に包まれていたのは、粉砂糖のまぶしてある焼き菓子や、花の形の可愛らしい砂糖菓子だった。
エメロードは、淡い褐色の肌の異国の青年の笑顔を思い出す。
「お礼のお手紙を送りたいけれど……」
包みに送り主の住所はなく、『マルジャーン王国の商人アインより』とだけ書かれている。
その時、エメロードの部屋に軽快なノックの音が響いた。
「エメロード」
扉が開かれたそこには、第一王女のアンブルが立っていた。
エメロードの異母姉のアンブルは、濃い蜂蜜色の髪に琥珀色の瞳を持ち、華やかな容貌をしている。
「お姉様……御機嫌よう」
真紅のドレスをまとったアンブルは、不躾に部屋の中を眺めると、「いつ見ても、ひどい部屋ですわね」と薄く笑った。
そして、抱えていた若葉色と白いレースのドレスをエメロードに放るように差し出した。
「それを、エメロードに差し上げますわ」
「ありがとうございます……でも、これはお姉様が仕立てられたばかりの──」
「わたくし、華やかなドレスが似合うと言われましたの。そのドレスは要りませんわ」
当然のようにそう告げたアンブルは、エメロードの着ているドレスを眺める。
「それに……そのドレス、丈があっていなくて、あまりにお気の毒なんですもの」
赤い唇と琥珀色の瞳が弧を描き、エメロードの細い肩がぴくりと震えた。
確かに、エメロードの着ている深緑のドレスは少し古びていて、手首が見えている。
彼女は、ドレスを抱えている袖元を隠すこともできず、わずかに俯いた。
「レースの生地だから、まだ少し寒いかもしれないけれど……わたくしが差し上げたドレスを着たほうが良くってよ」と笑うと、アンブルは去っていった。
エメロードは、姉から受け取ったドレスを抱えたまま立ち尽くした。
(お姉様は、私のためにくださったのよ……)
まだ真新しいドレスを小さなクロゼットにそっと仕舞うと、エメロードは窓辺に立った。
北側の窓を開けると、冷たい風が入ってくる。
エメロードは風を受けながらまぶたを閉じると、静かに息を吐いた。
鳥のさえずりに目を開けると、一羽の白い鳥が窓辺に止まってエメロードを見つめていた。
王城では、見かけない鳥だった。
「あなたはどこから来たの? ……マルジャーンという国に、行ったことはある?」
「遠い砂漠にある国なの。私の大切なお友達がいるのよ」と微笑んだエメロードに、鳥が小さなさえずりを返す。
「お菓子をどうぞ」
微笑んだエメロードが手のひらに焼き菓子の小さな欠片を乗せると、鳥がそっとついばんだ。
「美味しい?」
見上げてきた鳥に微笑むと、エメロードは遠い空へと視線を移す。
(この城の──トリフェーンの外に、いつか出られたら……)
エメロードが視線を向けた東。鳥はその方向へ向かって、真っ直ぐ飛び去った。
そのとき、北から強い風が吹き、エメロードは翠玉のような瞳を細めた。
(何かしら……)
遠く、北東の地が淡く虹色に光ったような気がして、エメロードは目を凝らした。
(確か、あの方角にはサードニクス帝国の都が……)
けれど、どこまでも白く霞んでいるだけで、虹色の光はもうどこにも見えなかった。
エメロードはため息を吐くと、そっと窓を閉めた。
遠く北東の城で、彼女の運命が変わろうとしていることを、このときはまだ誰も知らなかった。
─ 短編・終 ─
読んでくださって、ありがとうございます。
この短編は、本編『翠玉の花嫁と氷の皇帝 ― 冷遇された花嫁は、やがて氷の皇帝に溺愛される ―』につながる物語(第一話の前日譚)となっています。
よろしければ、ぜひ本編も合わせてお楽しみいただけると嬉しいです。
※本編を先にお読みいただいた方にも、楽しんでいただける内容になっております。




